WOMAN#4

2013-07-25 19:12:15 | 見る
『WOMAN』も、もう第4話、
一週間が過ぎるのが待ち遠しく、振り返ると
あっという間に過ぎています。

坂元さんの脚本は見事ですね。

子供とペットという、そりゃだれでも書けそうですよ、
のスタートでしたが、ちゃんと伏線が張ってありました。

(いない)とはどういうことか
(いなくなる)とは

殺処分があるという現実の厳しさ。
経済ということの非人間的な一面。

これらを描いておいての母=満島さんの重病です。

最初に別の人で見せておいて、実際の重大な告知は
子供の声を流し、当事者の表情だけで見せる、
TVでもこんな作り方ができるんだ、と思います。

満島さん、すごいね。
(世の中の「お母さん」もそうなのでしょう)


私が小4の初め、父母の経済が成り立たなくなって
一家はバラバラに夜逃げをしています。
(子供は祖父母に預けられた)

母は岡山で寿司屋に住み込みで働き
2年後に一家は広島でまた一緒に住みます。

といっても父の勤め先の事務所の裏に仮住まい。
学校の同級生を呼べませんでした。

小さな作業場の二階、四畳半二間のみ。
台所もトイレも事務所のを借りていました。

小5で母が肺病で倒れ、入院。過労でしょう。
一月半くらいはいましたかね。
私が毎日その病院へ通っていると
「そんなに来んでええから」

私は不満でしたが、まんいち伝病るかもしれない、とか
子供の負担とか、様々に考えてのことでしょう。
今になって分かりますね。

(子供には要らぬ心配はさせたくない)

時折、満島さんの姿が母とカブります。(=泣く)

こちらはよく怒る母でしたが
子供の出来が悪かったのかな。


本当は「チカン」の事件にも触れねばなりません。

予想できていたとはいえ、重い話ですね。

「死にたい」
分かるような気がします。

でもそれはすべて引き受けようという、
ここにも強い母がいました。

すごいシーンでしたが、書きづらい。


「母と娘」ではなくWOMANという題名の重さが
少しずつ伝わってくるような気がします。

深くてナミの男には想像できない世界のようですね。

これほどに重い話を連続ドラマにできるなんて
重さより深さを考えさせられるなんて
良い脚本家ですねえ。

映画『風立ちぬ』

2013-07-25 15:00:01 | 映画
宮崎駿『風たちぬ』
宮崎アニメの最高峰ですね。

泣きました。
大泣き。

左に座ったカミサンから嫌われただけでなく
右にいた40代くらいの女性からも終映後に
ジロリと睨まれちゃった。

「す~みましェんね」
(笑うのと泣くのとは構わん!のぢゃ)

と思いつつ、照れるほど泣いてしまった。。。。


『ナウシカ』~『紅の豚』まで宮崎アニメのファンでした。
わ~、また進歩した、と毎回唸ったものです。

ところが集大成と謳った『もののけ姫』が私には面白くなく
何と、以後のヒット作を見ていません。

TVでは見る気がしないのですね。
宮崎アニメは大スクリーンじゃなきゃ。
何ごとも「TV中継」は迫力に欠けます。

よって今回はかなり久しぶりなので頓珍漢(豚珍漢?)な
ことを書くかもしれません。お許しください。

以下ネタバレがあると思います。


この映画、ラストの構想が決まってから逆に全体像が浮かんだ
のではないかと思う完璧な仕上がりでした。

ん~、人によっては「それ、どしたん」かもしれませんが。

手塚がマンガに物語を導入しようとした「永遠の挑戦者」なら
宮崎はアニメーションの「完成」に挑戦しつづけています。
アニメをマンガから新しく進化させた男ですね。

動画として歩く人が本当に歩いているように見えるか。
人は約束事だから「歩いてる」と見てくれてるので
実際の表現としては動いていないのではないか。
それでアニメーションと言えるのか。

馬は動かず、脚だけせわしく前後してる、など
動きが命のアニメーションが、動かないのです。

そこでディズニーは実写をトレースしたアニメを
制作しました。
そんなこととは知らず皆「なんて滑らかな動き」と
感動したものでした。

その状況を手書アニメで進化させ続けたのが宮崎駿です。
どうすればなめらかに動くか。

特に、ふわりと浮かんで移動する様子
すーっと、あるいはグインと飛ぶ様子

地上で動くものとは違う困難さを、一作ずつ乗り越えて
いかれたように思います。
「もっと上手く表現できる」

雪が降るシーンでもリアルですね。
他のアニメとは出来が違います。
制作者からは「あれくらい当たり前」と言われそうですね。

人が自然に歩く、・・当然。
では雪道を歩くときはどう違うか。
芸の細かさです。

俯瞰で見降ろす列車移動はどう表現するか。
ゆっくりだけれど動かなくてはならないのです。
リアルにしようとすればするほど速さの表現が難しい。

技術が十分でない時代のアニメは、実写より更に
動きがふらついていました。
じっと動かないタンスがコマごとに左右に動きます。
微妙ですが。
でまた、それがアニメらしい雰囲気になりますね。

今回の映画では、実に沢山の技法を駆使しているようですが
上記のアニメらしいブレをわざと作っているようなシーンを
見受けました。

草原をゆっくり走る列車も、ブレがリアルさを醸します。


背景が重厚な(100%リアルな)画面で、人物が
日本の浮世絵以来の平面的な描写でした。

それぞれ、そうあるべき理由があります。

しかし奥行きの深い手触りまで伝わるような背景に
平面的な人物が登場してはバランスが悪くならないか。

そこで人物の輪郭線をやや太目にしているのでしょう。
特に大勢の人間が画面で動くとき、浮世絵的な人々が
生きいきとしており、そのことに気付きました。

レオナルド藤田の輪郭線の効果ですね。


「動き」表現の最高到達点は何だと思われますか?

動かないことです。

自然な動きを見せることに成功している映画の中で
動かない、これは難しいです。
「動きの拙いアニメ」に戻るわけにはいきません。

その「動きを止める」クライマックスが
映画のラスト、物語のクライマックスと繋がります。

ゼロ戦が完成し、皆が喜んでいるとき
抜けるような気持ちの良い青空の下でたった一人
「今、あいつ、死んだな」と分かるところ。

『・・・  。』

この最後の句読点のような世界
明るさの中の静寂、一番の深い哀しみ。


よって最後の最後、イタリアの博士と彼女が出てくる
夢のシーンは、私は不要と思います。
宮崎さんの優しさ、美的感覚で結ばれているのですが。


戦前の日本を描くアニメですから、古き良き日本映画の
イメージを下地においてあります。

小津のような画面のワク取り
成瀬のようなしっかりした背景

から始まって、じっくりとした細やかな表現
テンポは一見ゆっくりしていますが
話の展開は早い、
カットつなぎもひと呼吸早いですね。

説明過多の東映娯楽時代劇のような丁寧さ=ダルサ
は一切存在しません。
もちろん不要な説明は、なし。
「ここは夢のシーンですよ」なんて言わないのです。

日本映画はしばしば丁寧すぎますからね、
テンポを崩し、細やかさが描けなくなります。

脚本は王道でした。
人間の公的な活動と私的な日々を織り合わせて見事です。

宮崎さんの実写映画への挑戦ですね。
ノスタルジーが美しい。


ゼロ戦を造る事=戦争参加ではないか、ここをもっと
掘り下げないと、とか
右も左も「思想的でなければならぬ」という批判は
おきることでしょう。

マト外れに思いますが、それはまた別稿で。


震災や戦争の悲惨さ、これはさすがに知っている人も
戦前の社会は常識としておいて見るべき映画です。

結核がいかに大変であったか。
トッコウ警察がいかに恐ろしいものであったか。
貧しい人の生活はどうであったか。

それらが入っていると映画の一シーンが沁みてきます。