いつものことながらタイトルが大げさですみません。
日記にこんなところもあるよ、というだけです。
新美南吉研究、などではありませんので悪しからず。
私が持っている本は73年に第11刷のものです。
編者の解説が65年の日付ですし、出版時には
新仮名に直してあったものでしょう。
どうしてそんなことをしたんだか。
読者のためなどと誤魔化して言うのでしょうが
結局「営業」の要請なのでしょうね。
舊假名のものは舊假名(旧仮名)で
正字のものは正字で、
というシンプルさが貫けなかった日本です。
とても残念。
○
日記の昭和十二年二月三日に(彼は23歳かな)
「昨夜、蕪村句集を読み終わる。」とあります。
(~を讀み終ふ、だったのかなあ、感じが違うでしょ)
それはさておき新美南吉には蕪村が似合いますね。
勿論、俳句といえば、誰でもまず芭蕉を挙げねば
ならないのですが、偉大すぎますね。
え?こんなことまで、と大概のことまで手をつけて
おられます。
後から追いかける人はやり難い。
蕪村に至ってやっと新しい峯がそびえた
しかも日本的な情緒の豊かな世界です。
メメシイと言われようと、蕪村にも魅かれる、
というのが昔の文学青年ですね。
大分たって、日記に彼の作句が書きつけてあります。
同年十二月四日、七句ありますが、最初の句
『山々を濡らせ尾張の初しぐれ』
日記に書きつけた「メモ」を後からうんぬんは
失礼な話ですが、素人目には上手ではなさそうです。
プロが見れば違うのかもしれません。
蕪村や芭蕉の古い時代のまま、
ともかく俳句なるものをやってみよう、という感じが
しますねえ。
彼の最初の句になるのでしょうか。
もちろん、悪い句ではありませんね。
新美南吉らしい空気はあります。
○
生誕百年、ということで好きな人について
何やら書こうとは思うのですが、難しい。
『おぢいさんのラムプ』は、またね、次回。
日記にこんなところもあるよ、というだけです。
新美南吉研究、などではありませんので悪しからず。
私が持っている本は73年に第11刷のものです。
編者の解説が65年の日付ですし、出版時には
新仮名に直してあったものでしょう。
どうしてそんなことをしたんだか。
読者のためなどと誤魔化して言うのでしょうが
結局「営業」の要請なのでしょうね。
舊假名のものは舊假名(旧仮名)で
正字のものは正字で、
というシンプルさが貫けなかった日本です。
とても残念。
○
日記の昭和十二年二月三日に(彼は23歳かな)
「昨夜、蕪村句集を読み終わる。」とあります。
(~を讀み終ふ、だったのかなあ、感じが違うでしょ)
それはさておき新美南吉には蕪村が似合いますね。
勿論、俳句といえば、誰でもまず芭蕉を挙げねば
ならないのですが、偉大すぎますね。
え?こんなことまで、と大概のことまで手をつけて
おられます。
後から追いかける人はやり難い。
蕪村に至ってやっと新しい峯がそびえた
しかも日本的な情緒の豊かな世界です。
メメシイと言われようと、蕪村にも魅かれる、
というのが昔の文学青年ですね。
大分たって、日記に彼の作句が書きつけてあります。
同年十二月四日、七句ありますが、最初の句
『山々を濡らせ尾張の初しぐれ』
日記に書きつけた「メモ」を後からうんぬんは
失礼な話ですが、素人目には上手ではなさそうです。
プロが見れば違うのかもしれません。
蕪村や芭蕉の古い時代のまま、
ともかく俳句なるものをやってみよう、という感じが
しますねえ。
彼の最初の句になるのでしょうか。
もちろん、悪い句ではありませんね。
新美南吉らしい空気はあります。
○
生誕百年、ということで好きな人について
何やら書こうとは思うのですが、難しい。
『おぢいさんのラムプ』は、またね、次回。