ねじれの語感

2013-07-10 11:52:57 | 塾あれこれ
同じ状態をさして表現しても
「しっとり」と「じめじめ」では受ける感じが
大いに異なります。

小学生の国語では大事なテーマになる「語感」
ですが、実生活でも実は大きく働いています。

「あの人は明晰な物言いをする」
「あの人はズバリとモノを言う」
「あの人はズケズケとモノを言う」

似たようなシチュエーションがあっても
どの表現を使われるかで発言者の評価が伝わりますね。

アベノミクスのほうが野田経済政策よりも
何だかよさそうに聞こえます。

便所よりトワレでしょうか。


「ねじれ」という語感はどうでしょう。

あまり良いものではなさそうですね。
(正したくなる)じゃないですか。

それを衆参のねじれ、とか民主共和のねじれとか
表現するマスメディアには一種の悪意がありますね。

誰が言い出したのか、偉い!
勝ち組のセリフであることは間違いありません。

しかし衆参逆転は国民の意思じゃないですか。
それへじわりとケチをつけるのはどうなんしょう。

そもそもねじれてて何が悪い?
決められないのは政治努力の不足であって
(国民に正しく伝え説得すれば答えはでるのです)
衆参逆転だからではありません。

「衆議院では勝たせたけれど参議院までは」という
国民のバランス意識ですね。

釘はねじってある方が強いのです。
鉢巻きもねじります。

今回の選挙でねじれが解消しそうですが
ツッとはうちこめても耐性に欠けるものができそう。
重い荷物が掛かりますから耐えきれないかも
しれません。

私は個人的にねじれているほうが安心しますが
それは根性がひねくれてますかね。