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indigo liner(インディゴライナー)のcafe time blog

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ニッサン ローレル C230

2019年07月21日 | クルマネタ
またクルマネタをひとつ。

日産のアッパーミドルカー、ローレルのお話を。3代目となるC230型をピックアップしてみましょう。

ローレルは1968年4月に初代モデルC30型が登場、ブルーバードとセドリック/グロリアの中間帯に位置する高級ハイオーナーカーとして位置付けられました。その後1972年9月に2代目C130型に移行し、1977年1月に3代目C230型に一新されました。

まずは前期型の画像を。もっとも、前期型はこれしか画像がないですが。セダンGL。



初代C30型はヨーロピアンテイストのシャープな雰囲気でしたが、2代目C130型では一転してアメリカンテイストの派手な装いに、そして、当C230型ではまたまた一転して和風というか演歌調といえるテイストに変身しました。上の画像を見てのとおり、いかにもセダンと言わんばかりの四角いシルエット、メッキパーツを多用し飾り立てられ、とにかく重厚に立派に大きく見せるという古典的な出で立ちとなりました。一方で、四角いカタチになったことから視界や居住性の改善を図られました。

ボディタイプは4ドアセダン、4ドアハードトップ、2ドアハードトップの3種類でした。4ドアハードトップはこの代より初登場したボディ形態で、以後オーナードライバー向けの主力となっていきました。
メカニズムは、エンジンを縦置き搭載で後輪を駆動するFR方式(フロントエンジンリヤドライブ)は踏襲、フロントサスはストラットの独立懸架、リヤサスはセダンならびにハードトップ1.8リッターが4リンク車軸懸架、ハードトップの2リッター以上がセミトレーリングアームの独立懸架でした。
エンジンは直4、1.8リッターOHC(L18)、直6、2リッターOHC(L20)、同EGI仕様(L20E)、直6、2.8リッター(L28)を用意、昭和51年排ガス規制対応でした。ミッションは4速マニュアル、5速マニュアル、3速オートマでした。

機能面は先代C130型の改良発展版で、主に排ガス規制への対応、高級感のアップに主眼を置かれていたため、4ドアはハードトップの新設以外は新鮮味は少なかったかもしれませんが、正常進化の手堅いモデルチェンジは市場では好評を博しました。


1978年11月、マイナーチェンジを実施、後期型へ移行されます。

セダン200SGL。


セダン2000GL。


4ドアハードトップ2000SGL?メダリスト?


4ドアハードトップGL?


なお、2ドアハードトップは画像がないので掲載はありません。上の4ドアハードトップからリヤドアを省略した形となります。

この後期型ではヘッドライトが丸型から角型に変更されるなど外観デザインを一新。それにしてもヘッドライトの形が変わるだけで随分と印象が変わりますねえ。
ガソリンエンジンは全車53年排ガス規制をクリアされました。なお、直4、1.8リッターのL18型は新開発のZ18型へ換装されました。また、新たにディーゼルエンジンが追加設定されました。直4、2リッターOHVのSD20型を搭載されました。
そうだ、最高級グレード『メダリスト』がこの後期型より登場しました。メダリストはローレルの上級グレードとして歴代モデルに引き継がれていきました。

1979年10月にはガソリンエンジン直4、2リッターのZ20型を追加設定、1980年2月にはサンルーフ付をメーカーオプションで設定されました。

そして、1980年11月に3代目C230型は終了、4代目C31型へフルモデルチェンジされました。これまでのハイオーナーカーのコンセプトを踏襲しつつつ、空力を追求したヨーロピアンスタイルにターボエンジンの搭載など、先進性を強めていき、自動車にとって黄金時代といえた1980年代に突入していくのでした。





いすゞフローリアンあれこれ

2019年07月11日 | クルマネタ

6月より福山自動車時計博物館にてフローリアンバンディーゼルの屋内展示が開始されましたが、いい機会ですのでフローリアンがどんなクルマだったのか振り返ってみましょう。ここでは乗用モデルのセダンを取り上げます。

1967年11月、フローリアンはミディアムクラスの乗用車として登場しました。車格は異なるものの、実質的にそれまで販売されていた上級乗用車、べレルの後継車でありました。なお、フローリアンの車名はオーストリア皇帝の愛馬の名前が由来との事です。

もともと開発時は『117』のコードが与えられ、プロトタイプが『117サルーン』として公開されてました。その名のとおり117クーペとは姉妹車関係で基本コンポーネントを共有されていました。

当時のセダンとしては屋根が高くピラーの角度も起きており、スペース効率が高く開放的な室内空間を確保し、さらに6ライトのサイドウインドウの処理、絞込みが強く横長異型2灯ヘッドライトのフロントビュー、同じく絞込みの強いリヤビューなど、欧州車を思わせる外観デザインが当時のクルマとしては新鮮だったことでしょう。このスタイリングは117クーペと同じく、イタリアのカロッツェリア・ギア社が手がけられました。

メカニズム面では、フロントにエンジンを縦置きに置いて後輪を駆動する(FR方式)という当時としてはオーソドックスな駆動方式で、サスペンションもこれまたオーソドックスにフロントがダブルウィッシュボーンの独立懸架、リヤが車軸懸架という構成でした。エンジンは直4、1.6リッターOHVでした。ミッションは3速マニュアル。
のちに上級グレードのスーパーデラックス、スポーティ版のTSなどバリエーションを拡大。エンジンもカムがOHVからOHCへ変更、タクシー用のLPG車も登場、マニュアルミッションも4速に変更されるなど改良されていきました。

前期型の画像を。この個体は丸型4灯ヘッドライトですが、前期型のTSはヘッドライトが丸型4灯でした。


こうして登場したフローリアンですが、しかしながら、当時のクルマは低く長く見えるスマートな外観デザインが主流だったゆえか、背を高めたフローリアンの欧州テイストのデザインは一般受けしなかったようで、また、もともといすゞの乗用車は販売力が弱かったこともあり、市場ではメジャーにはなれず販売不振に陥ったのが惜しまれるところでした。販売の低迷のため、利益率は乏しく開発資金も捻出出来ないことから抜本的な商品改良も出来ず、その結果さらなる商品力低下を招き、ますます販売が低迷するというスパイラルに陥るのでありました。

1970年10月、マイナーチェンジを実施し中期型に。フロントビューが初期型の控えめなタッチから、やや押し出し感を強調した装いに一新、ヘッドライトは全車丸型4灯に変更。中期型セダンの画像が残念ながらないですが、福山自動車時計博物館に屋内展示されているバンが中期型のデザインとなります。
この中期型ではエンジンラインナップに新たに1.8リッターを追加されました。ミッションもオートマが登場するのもこの頃だったかと。
もっとも、基本設計は変わっていないこともあり、相次ぐライバル車の登場で、だんだん存在感を失くしてしまい、市場では完全に埋没してしまいました。売れない→利益確保できない→商品改良滞る→売れないのスパイラルは止まることがなく、さらには公害問題の深刻化にともない排ガス規制が強化されると、TSや1.6リッターモデルがカタログ落ちしてしまい、1976年の時点では1.8リッターのスーパーデラックスのマニュアルミッション(5速)のみにバリエーションが絞りこまれてしまいました。もはや、この頃でも旧態化が隠しきれなくなり、また、いすゞの乗用車はジェミニが軌道に乗ってきたこともあり、フローリアンは存在意義すら不明瞭になってしまいました。限られた販路は官公庁の公用車、企業の社用車、タクシーや教習車など法人向けがほとんどだったようです。

かたやコンポーネントを共有していた117クーペは美しいデザインゆえに根強い人気に支えられてましたが、本来は量販を求められるフローリアンが極端な販売不振に悩まされるという、完全に逆転した立場に陥っていたのは皮肉といえるでしょう。それだけフローリアンの商品力は底をついていたわけです。


そして、1977年11月、後期型へマイナーチェンジされました。下記画像2点、その後期型です。




角型4灯ヘッドライトやメッキを多用した大きなフロントグリルなど、極端までに装飾過多のデザインに手直しされました。全体の造形のバランスを顧みずに飾り立てた結果、欧州調の優雅な雰囲気は完全に消え失せてしまい、走る仏壇と化してしまいました。あるいは車輪の付いた獅子舞ともいえるか…。
しかしながら、このマイナーチェンジは特筆されたポイントがありました。直4、2リッターのディーゼルエンジンが追加設定されました。経済的でもあり、振動の低減や始動時の予熱時間を短縮した新世代のディーゼルは、オイルショック以降の省エネムードの中で注目を集め、極端に低迷していたフローリアンは息を吹き返し、販売台数は向上したのでした。当時珍しかったディーゼル乗用車として重宝されました。しかし、他社にもディーゼル乗用車が登場すると、フローリアンの優位性もすぐに薄れてしまいましたが。
それでもフローリアンの成果と実績が一定の評価を受けたことから、いすゞは117クーペやジェミニにもディーゼルを拡大設定していき、特にジェミニはディーゼル乗用車として高いシェアを誇りました。

そして、1980年代に入ってもマイナーチェンジを続けながら継続されてましたが、フローリアンを小手先の改良で延命するのはさすがに限界点に達したようで、1982年10月に生産終了となりました。生産期間15年という長寿モデルでした。

1983年4月、GMグループの世界戦略車構想『Jカー』プロジェクトによって生まれたアスカにバトンタッチされました(当初はフローリアンアスカの名称)。


参考までに。
フローリアンとコンポーネントを共有してたスペシャリティカー、117クーぺ。カロッツェリア・ギア(デザイナーはジョルジェット・ジウジアーロ)による流麗なスタイリングで一世を風靡しました(生産・販売期間:1968年~1981年)。



福山自動車時計博物館のブログ記事も併せて御覧くださいませ。
http://blognews.facm.net/?eid=1238250




第15回昭和の町レトロカー大集合

2019年03月20日 | クルマネタ

3月17日、大分県豊後高田市の昭和の町にて昭和の町レトロカー大集合が開催されました。毎年開催されてますが、本年も行ってきました。本年で15回を数えるに至りました。名称のとおり、レトロカーが集まるというイベントで、各地から集まりました。


エントリーされた車両を全部掲載するのは困難ですので、ワタシ個人的に注目だった車両から、過去に撮影した車両との重複を避けるカタチで何点か掲載してみましょう。


トヨタ車から。
2代目60系スターレット。FR(フロントエンジン・リヤドライブ)のコンパクトハッチとして人気です。


2代目40系カリーナ。セリカとコンポーネントを共有され、スポーティセダンとしても評判のクルマでした。


セリカXX(ダブルエックス)。2代目セリカの派生モデルで、フロントノーズを延長しクラウンやマークⅡと同じ直6エンジン搭載。後のスープラの始祖です。


5代目70系マークⅡ。ハイソカーとして一世を風靡、今見ても色褪せませんねえ。



日産車から。
ブルーバードのスポーツイメージを決定的にした3代目510型。数台エントリーされてましたが、中でも当時モノに近い状態の個体を掲載。



ホンダ車から。
4代目アコードのセダン。路上でもめっきり数が減ってしまいましたが、なんとこの個体、北米産の左ハンドルです。モデル末期に限定車として国内販売されました。


ビートです。軽ミッドシップオープン2シーターとしてバブル期に登場、一世を風靡しました。現在のS660のご先祖様ともいえます。



かつて存在したメーカーの車両を。
愛知機械工業の軽商用車、コニー・グッピーです。昭和30年代としては珍しいトルコンATを採用されてました。なお、愛知機械工業は現在は日産の子会社で、エンジンやミッションを製造されています。



マツダ車を。
三輪トラック、T1500です。三輪トラックはマツダの原点でもあり象徴的存在でした。


三輪トラックは複数台エントリーされました。こちらはさらに重量級のT2000。荷台にウルトラマンが載ってました。



ダイハツ車を。
三輪トラックCO型。上記のマツダと共に、ダイハツも三輪トラック業界で名を馳せてました。



福山自動車時計博物館も出展されました。
ダイハツ車を2台出展。集配用電気自動車のDBC-1(向かって右側の赤い車両)、スクーターのハローBC(向かって左側の青い車両)。

なお、この2台は次回の記事でもう少し細かくアップします。


例年同様にボンネットバスの昭和ロマン号(いすゞBX141、1957年式)の試乗会が開催される予定でしたが、今回は車両トラブルのため中止されました。オーバーヒートしたそうです。エンジンのシリンダーライナー(シリンダーが入る筒状の部分)に錆による虫食い穴が発生しており、これが原因で冷却水が漏れたとのこと。おそらく長年の蓄積と冷却水の管理が適切でなかったのかもしれません。シリンダーライナーの現物ならびに写真が展示されてました。



現在修理中ですので、そのうちに復活するかと思われます。


そのほか、エントリー車ではないですが、会場周辺で見かけたレトロカーを併せて掲載。

日産ローレル。3代目となるC230型のセダンです。見てのとおり演歌調ともいえるコテコテの外観が印象的です。


同じくローレル。5代目C32型ですが、ハードトップじゃなくてサッシドアのセダンを見たのは久しい気が。


三菱ギャランΛ(ラムダ)。1970年代の車としては先進的な外観が特徴でした。



最後に昭和の町の看板娘といえる、松田はきもの店のゆきちゃんの姿を。最近は歳をとったため、表には出てこなくなり居間で過ごすことが多くなってるそうですが、たまたま散歩中だったところをお会いできました。人とのふれあいを喜ばれてるゆきちゃん、これからも元気で過ごしていただきたいですねえ。



あっという間の1日でしたが、またこの地に訪問できたらと思います。


3月25日、4月1日追記
前日より現地入りされてたあきじさんも自身のブログで昭和の町の訪問記を書かれています。併せて御覧くださいませ。
https://wind.ap.teacup.com/akiji/1260.html

https://wind.ap.teacup.com/akiji/1261.html

https://wind.ap.teacup.com/akiji/1262.html




2日前のゑもの(ルーチェバン)

2019年02月12日 | クルマネタ
場所は伏せておきますが、2日前に大ネタといえるクルマネタを捕獲したので、ブログで取り上げてみましょう。

コレです。


マツダルーチェの2代目モデルです。マツダの上位車種となるルーチェは1972年9月、2代目へモデルチェンジを実施、当時のクルマに見られる装飾過多気味といえる派手な外観が印象的でした。乗用モデルとなるセダン、ハードトップに加え、商用モデルとなるバンもラインナップされてました。今回見かけた個体はバンです。
当時の乗用車はバリエーションのひとつとして、バンも併せてラインナップされる傾向が強かったですが、ルーチェもそんな1台でした。この型のルーチェはマツダの顔ともいえるロータリーエンジン(12A=573cc×2、13B=654cc×2)をメインに売り出されてましたが、経済性を重視したオーソドックスなレシプロエンジン(1.8リッター直4)も設定されてました。さすがに商用目的のバンはレシプロエンジンを搭載されてました。もっとも、後にバンと車体を共通化したロータリーエンジン搭載のステーションワゴンもラインナップに加わりました。

2代目ルーチェ自体もお目にかかれる機会は少ないですが、特にバンは貨物車ゆえに酷使、消耗される確率が高いことから、残存数は極めて少ないかと思われますが、原型を留めた個体が残ってるのは奇跡といえるでしょう。

余談ながら、旧車の話をすると必ず出てくるのが車体サイズの感覚です。ルーチェは当時は上級車種に位置づけられるクルマでしたが、隣のムーブラテが軽自動車ながら巨大なクルマに映ってしまいますねえ。もちろん、現在の基準のクルマと40年以上前の基準のクルマを同列に比較する意味はないんでしょうが、時代の変化というのを強く実感してしまいます。



昭和63年(1988年)のマツダ車 PART2

2019年02月07日 | クルマネタ

昭和最後、1988年頃のマツダ車特集の後半です。

ポーターキャブ

当時のマツダでは唯一の軽自動車でした。軽商用車として1969年に登場しました。1976年の550規格変更によって大型化、1980年代に入っても改良を重ねながら継続され、息の長いモデルとなりました。なお、エンジンは規格変更以降は三菱製を搭載していました。しかしながら、当時でも旧態化は隠しきれなくなり、1988年には生産終了に。翌1989年、スズキからのOEM供給となる軽商用車スクラムが登場、ポーターキャブの後継車に位置づけられました。


ボンゴ





長い歴史を誇るキャブオーバー型ワンボックス/トラックで、当時は1983年登場の3代目でした。乗用車登録のワゴン、貨物登録のバンとトラックをラインナップされてました。極めてオーソドックスな構造で機能性やスペース効率に優れ、街中でも扱いやすいサイズで乗用から商用まで幅広く重宝されました。バンとトラックの後輪は小径のダブルタイヤを採用、低床化、フラット化、重積載で好評を博しました。なお、2019年現在販売されているボンゴも基本的にこの時代からの構造を踏襲されてます。


ボンゴブローニィ





上記ボンゴのロング版で1983年に登場しました。ボンゴをベースに全長&ホイールベースを延長し全幅も拡大されました。ボンゴ同様にワゴン、バン、トラックをラインナップ。車体の大型化による容積の増大でワゴンは最大10人乗りがラインナップされ、バンとトラックは積載量が大幅にアップされました。大きな車体に対して非力なエンジンが泣き所でしたが、使い勝手の高さから幅広く支持され、2010年までロングセラーでした。


タイタン



2トン3トンクラスのトラックで、1980年登場の2代目モデルの末期でした。積載量1.5トン~4トン積までラインナップし。荷台は平ボディやダンプ、キャビンはシングルキャブにダブルキャブなどボディ形態も多岐に渡りました。副変速機付2ウエイシフト、エンジンのターボ化、4WDのラインナップなど機構面も充実されました。堅牢な設計であることからダンプでは特に重宝されました。なお、派生モデルとしてウォールスルーバンもラインナップされてました。


パークウェイ

上記のタイタンをベースにしたマイクロバスで、当時は1982年登場の2代目でした。タイタンをそのままバスにしたという成り立ちで、西日本車体工業で製造されてました。トラックベースということで助手席にもドアが付いてました。ほとんどが自家用でしたが、画像のように事業用での実績もありました。西日本車体製ということもあり、西日本鉄道でも路線バスとして使用されてました。