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きのうのゑもの(サニーバネット)

2021年04月12日 | クルマネタ
久しぶりにどえらいクルマネタに遭遇したので、ここに掲載してみましょう。

撮りバスの最中に、白い角ばった物体が道路を走ってるのが見えたんですが、なんと…。

サニーバネットが現れるではありませんか!


日産のキャブオーバーワンボックスカーのバネットは1978年に登場しました。それまで販売されてたサニーキャブ/チェリーキャブの後継車でした。

初代バネットは販売チャンネルによって車名が異なっており、サニー店(サニー販売会社)扱いのサニーバネット、チェリー店(パルサー販売会社)扱いのチェリーバネット、日産店(ブルーバード販売会社)のダットサンバネットの3姉妹構成となってました。
商用モデルのバンとトラック、乗用モデルのコーチ(ワゴン)がラインナップされてました。

画像のサニーバネットはコーチの上級グレードとなるSGLとなります。1982年にマイナーチェンジされた後期型のようです。
SGLは本格的な乗用仕様で、当時のワンボックスワゴンの神器のひとつでもある回転対座シートをいち早く採用されました。また、他のグレードはヘッドライトが丸型になりますが、SGLは角型ヘッドライトを採用して差別化を図られてました。

画像をトリミング。見えにくいですが、フロントガーニッシュにサニーバネットの車名ロゴ。


同じくトリミング画像。ピラーにサニーのSエンブレム。



1970年後半くらいから、多人数乗車のワンボックスワゴンがパーソナルユースで注目されるようになり、バネットはその先駆ともいえる存在でした。ファミリー層を中心に幅広く支持されました。

後年、バネットコーチはセレナに発展していきました。つまり、セレナの御先祖様というわけです。さらに言うと、バネットコーチが存在しなかったら、セレナは登場してなかったもしれませんで。


※4月22日追記
上記本文で堂々と後期型と書いてしまいましたが、どうやら前期型が正解のようです。






三菱をあげるということで(カープラザ軍団)

2021年01月29日 | クルマネタ

先日、鳥のマークのSNSで、
見た人もなにか無言で三菱あげる
というタグが出回ってきたので、過去に撮影した三菱車の画像をかき集めて、ツイートしてみたのですが、
https://twitter.com/indigoliner/status/1353240588389289986

なんと、想像以上に反響がありました。

というわけで、我がブログでも改めてクローズアップしてみましょう。

現在は販売チャンネルが一本化されている三菱ですが、過去にはギャラン店とカープラザ店の2系列が存在していました。もともとは一種類の販売店のみが存在してましたが、1978年のミラージュの発売にあわせてカープラザ店が発足されました。後年、従来からの販売店はギャラン店に称されることになります。
前述のツイートではカープラザ店の専売車種、それもお世話にも主力とは言い難かった車種を並べてみたのでした。以下、画像掲載した4車種を。


【トレディア】

初代ミラージュ/ランサーフィオーレのコンメポーネントをベースに作られたミディアムセダンで、1982年にカープラザ店から発売されました。当時の三菱のラインナップではミラージュ/ランサー系とギャラン/エテルナ系の中間帯に位置するポジションでした。クリーンで端正なスタイリング、エンジン横置きFFの駆動方式、副変速機を備えたスーパーシフトなど、初代ミラージュ譲りの機構やパッケージングを備えていました。後年、三菱の乗用車としては初の4WDモデルを設定されたのは特筆ポイントでしょうか。
なお、トレディアの車名は3つのダイヤを意味するそうで、つまり『三菱』を名乗るクルマでもあったのでした。しかしながら、中途半端な位置付けが災いしたのか、メジャーにはなれず一世代で絶版になってしまったのでした。
姉妹車としてクーペ版となるコルディアも同時デビューされてますが、こちらも不発だったそうです…。


【エテルナ(4代目)】

エテルナは1978年のカープラザ発足のときに登場したギャラン系(当時は3代目)の姉妹車であります。登場後、概ねギャランに歩調を合わせる形でモデルチェンジしていきました。1987年にギャランが6代目にモデルチェンジするのに合わせて、翌1988年にエテルナもモデルチェンジを行い、4代目となりました。
それまでのエテルナはギャランのバッジエンジニアリングでしたが、4代目ではノッチバックの4ドアセダンのギャランに対して、エテルナは独自のデザインの5ドアハッチバックで差別化が図られました。6代目ギャランはモータースポーツでの活躍、高い走行性能やハイテク機構などで注目を集めました。当然エテルナもギャラン譲りの資質が受け継がれました。
しかし、5ドアハッチバックというボディ形態は日本国内では馴染めず、人気はいまひとつでした…。そうした事もあり、1989年に4ドアセダンのエテルナサヴァが追加されるのでした。

ツイートには載せてなかった画像ですが、こちらがエテルナサヴァです。

4ドアセダンということで結局ギャランと同じじゃないかとツッコミたくなるかもしれませんが、しかし、単なるバッジエンジニアリングではなく、ギャランより屋根が低くリヤピラーの傾斜が強いなど、ギャランとは異なる独自のボディでした。

エテルナは1992年に5代目へモデルチェンジされますが、販売が振るわなかったエテルナは5代目を最後に絶版になってしまうことに…。


【カリスマ】

1996年、エテルナの実質的な後継車としてカープラザ店から発売されました。
カリスマはボルボとの共同開発によって生まれた欧州戦略車で、三菱とボルボとオランダ政府の合弁事業によってオランダのネッドカー社で生産されることに。したがって、オランダからの輸入車として日本国内へ導入されました。
ミラージュ/ランサーとギャランの中間サイズの乗用車で、上に掲載したトレディアのような位置付けともいえました。欧州仕様車は5ドアハッチバックもラインナップされてましたが、日本国内向けはノッチバックの4ドアセダンのみの展開でした。
質実剛健な実用車だったんですが、いささか地味だったのと、同じく1996年に登場した8代目ギャランの影に隠れてしまい、残念なことに販売は盛り上がりませんでした。結局、わずか数年で日本国内からカタログ落ちしてしまいました。
一方でカリスマとプラットホームを共有したボルボS40/V40も同じく日本国内に導入されたのですが、カリスマより100万円以上高価だったにもかかわらず、こちらの方は販売は好調だったという、皮肉な結果となりました。

なお、カリスマは欧州では2004年頃まで販売されていました。欧州ではロングセラーでした。


【アスパイア】

どう見てもギャランじゃないか!と言われそうでですが、これはギャランではなくアスパイアという車です。1998年、当時の8代目ギャランのカープラザ版として登場しました。ある意味エテルナの再来ともいえるわけですが、カープラザ店においてカリスマ亡き後のエテルナの代替需要をカバーするために登場したのでしょう。
外観はギャランそのものですが、わずかな違いとしてヘッドライトのリフレクターの色(ギャラン=ブラック、アスパイア=クリア)、リヤコンビランプのウインカーレンズの色(ギャラン=クリア、アスパイア=アンバー)が異なってました。差別化というより間違い探しの領域ですねえ。
ただ、ギャランよりバリエーションは大幅に絞りこまれており、1.8リッター直4エンジン搭載モデルのみの展開でした(後年、2リッターにアップ)。ギャランに設定されてたホットモデルのVR-4(2.5リッターV6ターボ)や、2.4リッター直4搭載モデルは未設定でした。
登場の経緯が経緯なだけに、非常に地味な存在で細々と販売されてたのですが、2003年にギャラン店とカープラザ店が統合されて、販売店が一本化されるとアスパイアは存在意義がなくなり、消滅となったのでした…。





ニッサン チェリーキャブ

2021年01月21日 | クルマネタ
また過去に撮影したクルマネタから。

画像のトラックは日産の小型商用車のチェリーキャブです(おそらくですが)。島根県内某所で寝ていました。




このシリーズは1969年にサニーキャブの名称で登場しました。車名が示すとおり、サニーのコンメ[ネントをベースにされたキャブオーバー商用車でした。トラック、バン、コーチ(ワゴン)をラインナップされてました。当時の日産のキャブオーバー型商用車では最小のモデルに位置付けられました。
ところが、登場1年後の1970年には車名がチェリーキャブへと変更されました。併せて、販売店もサニー店からチェリー店へ変更されることになりました。そして、1975年にサニー店扱いのサニーキャブが復活。チェリーキャブとサニーキャブの2姉妹モデル化されました。

上に画像掲載したトラックですが、ドアに『1200』のシールが貼られていたので、おそらくエンジンが1.2リッター化された1975年以降のモデルでしょうか(最初は1リッター)。表題はチェリーキャブとしながらも、樹脂部品の脱落もあり実際にはチェリーキャブなのかサニーキャブなのか判別しにくいですが、ヘッドライトとフロントグリルがつながっているので、おそらくチェリーキャブでしょうか。

1970年代を長く生き抜いたチェリーキャブとサニーキャブの名称は一代で終了となりましたが、1978年に後継モデルとなるバネットに世代交代されました。バネットはサニー店扱いの『サニーバネット』チェリー店扱いの『チェリーバネット』、日産店扱いの『ダットサンバネット』の3姉妹車体制に強化され、1980年代に突入するのでありました。











フィアット ムルティプラ

2021年01月18日 | クルマネタ
過去に撮影した画像からクルマネタをひとつ。

画像はイタリアのフィアットが過去に販売していたムルティプラです。



今から20年以上前の1998年に本国で登場し、後年に日本国内にも正規輸入されていました。
位置付けとしては乗用車ベースのトールワゴンであります。全長は4メートルを切るコンパクトな寸法である一方で、全幅は1.9メートルに迫るというワイドな寸法で、国産車ではなかなか見られない縦横比です。全高は1.7メートル近くあります。
幅広く背の高いパッケージングによって、広々した室内と荷室空間や2列シート6人乗りという独特なレイアウトを構築されるなど、高い実用性を誇りました。

ところが、デビュー直後から世界中から悪い意味で注目されてしまうことに。理由は分からなくもないでしょう。上に載せた画像を見てのとおり、クルマに興味がない人でも目を疑ってしまうような姿カタチは、物議を醸してしまいました。
なんといっても不自然な段差のあるフロントノーズはデザインとしての整合性は皆無といえたでしょう。さらにヘッドライトの配置も奇妙そのもので、ロービームはフロントノーズ先端ですがハイビームはフロントガラスの下のAピラー根元あたりに位置してました。自動車の常識を逸脱、いや、自動車というよりは車輪のついた昆虫といった出で立ちで、カルトカーの仲間入りを果たしてしまったのでした。

さすがにフィアットも問題視したのでしょう。2004年にマイナーチェンジで問題のフロントノーズを丸ごと一新するという大手術を決行したのでした。後期型の画像は撮影出来てはないのですが、前期型の姿が想像できないくらい、平凡なデザインに変身しました。しかしながら、皮肉にも後期型は販売がさらに低迷する結果に。どうやら、無個性になったゆえ存在感がなくなってしまい、市場で埋もれてしまったようです。

奇抜でも平凡でも受け入れられないという、不幸なクルマだったのでした。合掌。





マツダとひろしまの100年(展示車両から)

2020年11月30日 | クルマネタ

ヌマジ交通ミュージアム(広島市交通科学館)にて、10月8日から11月29日までの期間中、マツダとひろしまの100年と題した秋季企画展が開催されました。11月上旬に見に行ってきました。






マツダは1920年に東洋コルク工業として広島の地で創業開始されました。もともとは経営難だった個人経営のコルク製造業者の事業継続のため、メインバンクだった広島貯蓄銀行によって会社組織を立ち上げられたのが始まりでした。技術者ならびに実業家として名を馳せていた松田重次郎氏が取締役の一員として設立に参加、ならびに経営トップを担われることになりました(翌年、社長に就任)。
当初はコルク事業でしたが後年に機械事業を開始、それを機に東洋工業へ名称を変更。海軍工廠の製品生産から始まり、さらなる事業拡大ならびに安定した需要が見込める商品開発の一環で自動車の製造に挑戦されました。1931年に松田重次郎氏の苗字とゾロアスター教の最高神のアフラ・マズダーから命名された『マツダ』の名称のオート三輪が販売されました。これがマツダ車の始まりとなりました。
1951年に松田重次郎氏の息子の松田恒次氏が社長に就任、1950年代後半には4輪車の生産も本格化され車種ラインアップを拡大、1960年代にはロータリーエンジンを実用化され、世界的な自動車メーカーへと発展していきました。1984年には社名をブランド名と同じマツダに変更。2020年、つまり、本年で創立100周年を迎えられました。この100年間、創業地でもある広島と共に歩んで来られました。

今回の企画展は、1階では車両の展示、2階の特別展示室では写真や映像、資料などで100年の歩みを紹介されました。
我がブログ上では1階に展示した車両を紹介してみましょう。


【三輪トラックGDZA型、1955年】

マツダ車の原点ともいえる三輪トラックの一車種です。1954年にマツダの三輪トラックは全車種のモデルチェンジが行われ、2灯ヘッドライトや、えんじ色とグレーで構成されたツートンカラーなどで、マツダ三輪トラックのイメージを統一されました。現在は魂動デザインを展開されてるマツダですが、この頃からデザインへのこだわりが強かったといえるでしょう。当該車種は小型車にあたり、現在のラインナップでいえばボンゴトラックに近いャWションとなります。ちなみにこの個体は能美町の醤油店で使用されてたとのこと。

【ファミリアクーペ、1966年】

現在のMAZDA3のルーツといえる、マツダの主力小型車です。ファミリアは1963年に初代モデルが登場、バンからスタートし、1964年に乗用タイプのセダン、1965年にスペシャリティ志向のクーペをラインナップされました。この個体は1966年に東洋工業生産累計200万台を達成したときのゴールデンファミリアです。
なお、ファミリアの名称は2020年現在も商用バンとして健在です(トヨタプロボックスのOEM供給車)。

【コスモスポーツ、1968年】

マツダの歴史をたどるうえで、絶対に外すことの出来ない1台でしょう。1960年代前半、通産省主導による自動車メーカー再編構想(実際には廃案)の波が押し寄せてくる中で、当時社長だった松田恒次氏の強いリーダーシップのもと、新技術でもあるロータリーエンジン開発でブランドイメージを強化する戦略を展開されました。技術的課題はあったものの開発は成功し、1968年に初のロータリーエンジン搭載車のコスモスポーツが発売されました。高性能のエンジンと斬新なデザインで、一世を風靡されました。
1968年、西ドイツのニュルブルクリンクで開催されたマラソン・デ・ラ・ルート84時間に出場、過酷なレースながら総合4位に入賞されました。展示された個体は、マラソン・デ・ラ・ルート仕様のレプリカです。

【コスモL、1977年】

上記コスモスポーツの名を引き継いで、1975年に高級スペシャリティカーの2代目コスモが登場、当時の排ガス規制をクリアしたパワフルなロータリーエンジンと(レシプロエンジンもあり)、スペシャリティな内外装デザインで好評を博しました。今回展示されたコスモLは1977年に追加されたバリエーションで、屋根をレザー化、つまり、ランドートップ化されました。ランドートップとは高級馬車の折りたたみ屋根が語源となっています。コスモの中でも高級志向のモデルだったことが窺えます。

【RX-500、1970年】

これは市販車ではなく、1970年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカーです。FRPなどのプラスチックで作られた車体、ガルウイングドア、ミッドシップレイアウトに搭載されたロータリーエンジン、4輪ともベンチレーテッドディスクと4ポッドキャリパーを採用したブレーキなど、本格的なスポーツカーとして開発されました。1970年代後半からマツダ内で静態保存されていましたが、2008年に修復されました。なお、車体色は最初はグリーン、次はイエロー、さらに次はシルバーに順次塗り替えられ、現在に至ります。

【RX-8ハイドロジェンRE、2006年】

水素を燃料とするロータリーエンジン車で、RX-8に搭載されて2006年に広島県と広島市にリース販売されました。水素を燃料とするため、排ガスをほとんど発生しないのが特徴です。また、水素だけでなくガソリンエンジンとしても使用可能であります。
ただ、最近は水素ロータリーの開発に関する話を聞かなくなってしまっており、水素ロータリーの将来はいかに…?

【デミオSKYACTIV、2011年】

デミオの先代モデル(3代目)は2007年に登場、2011年にマイナーチェンジされ後期型に移行されましたが、このタイミングでSKYACTIV TECHNOLOGYの一環でもある新開発のガソリンエンジン、SKYACTIV-Gを初めて実用化されました。詳しい説明は割愛しますが、圧縮比を大幅に高めることで熱効率を改善し、燃費を大幅に向上されました。当時の10・15モード燃費でリッター30キロのカタログ燃費を達成されました。その後登場した新型車にも順次SKYACTIV TECHNOLOGYを展開されていきました。
なお、デミオは2014年に4代目へモデルチェンジされますが、2019年よりグローバル名と同じMAZDA2へ名称が変更されました。


なお、特別展示室は撮影禁止だったため、展示物等の画像はありません。その代わり、写真画像や解説がまとめられたパンフレットを、見学終了後に配布されたので頂戴しました。