12月8日

2019-12-08 | 政治・経済
よく

「8月15日は“終戦記念日”というのはおかしい」

そして

「“敗戦記念日”にしないのはおかしい」

という言葉を聞きます。

私はやっぱり“終戦記念日”だと思います。

夜電気を点けられるようになった、無理やり死にに行かなくてよくなった日です。

(不謹慎ながら、我々鉄道ファンが鉄道で遊べるようになっていくスタートの日です)

「敗戦の日」と考える人、その人は主張する割には日米戦争について爪の先ほども興味が無い人です。

常識として知っていて良い話ですが、戦況が日本に有利だったのはせいぜい半年位で、その後三年以上日本は一方的にと言っていいほど負け続けるのです。

「8・15」の頃は“絶望的抗戦期”のかなり行き着いたころです。

では、何時からが日本が負けていたのか?

昭和19年6月19~20日のマリアナ沖海戦の一方的な殺戮とマリアナ諸島の玉砕?

昭和19年のトラック島空襲の一方的な状況?

そんな話ではなくズバリ昭和16年12月8日真珠湾奇襲攻撃がまさに敗戦なのです。

「12-08」ハワイ時間では「12-07」

調べてくれる方がいれば直ぐにわかってくる事ですが、米軍はほぼ日本の暗号を解読が成っており、真珠湾から重要な空母は全て退避させていたわけです。 真珠湾配置の空母のうち“サラトガ”はサンディエゴで修理中、“エンタープライズ”はウェーキ島から帰投途上、真珠湾への入港を1日延ばして生還。“レキシントン”は米国海軍数百年の歴史上唯一回限り行なわれた日曜日の演習の為出港していたのです。(正式にはミッドウェイへの航空機輸送ですが、日曜日の休日を潰された水兵の証言・・・そして帰還した水兵が目にした惨状が手記として出ているのです)

12/7に日本が何かやることが解った事から太平洋地域の米軍基地には暗号で情報は送られ、真珠湾だけは普通郵便で郵送されたそうです。
米国世論のコントロールの為生贄とされた米国旧式戦艦群の乗組員があまりにも可哀想すぎます。

F6F(昭和13年から開発開始)とか、ビッグボーイ(対日戦のため昭和13年国家命令で開発開始・・・戦争に間に合う)とか機雷の開発に比べ、日本が全く準備が無かった事、大東亜共栄圏という言葉ですら開戦時に無かった事など哀れとしか形容できません。

戦前の日本が良かったのか悪かったのかはわかりませんが今の(主権がないのは残念ですが)日本は好きです。

まあ12/8(12/7)を何というかという話ですので興味のある方は調べていただく事としてイモンの主張は

「敗戦記念日は昭和16年12月8日だ」という事です。