昭和50年12月24日、日本最後の現役蒸機列車‘夕張線6788列車’追分到着を見届けた5人が追分の旅館で第1回6788会を開いて36年、今年も第37回6788会が開かれました。
その時の参加者;増田泉、土屋宝土、奥井伴彦、長島良成、井門義博が卒業、就職の時期、周囲の仲間も同じ境遇で6788会危機の時期が数年続きましたが、年を経るごとに充実して第37回を迎える今年は廣田尚敬先生を迎えて25名程で盛大に開かれました。
ほかならぬ50年12月24日夕方蒸機による最後の下り列車D51241牽引9799レを川端~滝ノ上で廣田さんと4人並んで撮影したのが長島、奥井、井門だったのです。
日本蒸機最後の力行列車だったのです。
パンダレストランのホール掛の女性従業員に入ってもらって花を添えた記念写真です。
高野陽一さんが12月24日夕張駅の6788列車の写真を全紙パネルに作って来ました。
この日参加の全員のサイン、寄せ書き付パネルの出来上がりです。
蒸機は復活しますが、それは現役時代と比較するようなものではなく、我々は海外に主戦場を求める傾向が強くなりました。
第5回6788会辺りからこのノートに毎年寄せ書きを書いています。
今年の1~2ページです。
僅かに3ページ目に溢れてしまいました。
約25名居た参加者には書き損なった人も居るかもしれませんし、ダブって2回書いて居る人も居るようです。
今年は屋鋪要さんと被災C5816(南三陸町)の再会を実現したいと考えています。
今年が日本にとって、日本と世界の蒸汽機関車にとって良い年になることを祈っています。
その時の参加者;増田泉、土屋宝土、奥井伴彦、長島良成、井門義博が卒業、就職の時期、周囲の仲間も同じ境遇で6788会危機の時期が数年続きましたが、年を経るごとに充実して第37回を迎える今年は廣田尚敬先生を迎えて25名程で盛大に開かれました。
ほかならぬ50年12月24日夕方蒸機による最後の下り列車D51241牽引9799レを川端~滝ノ上で廣田さんと4人並んで撮影したのが長島、奥井、井門だったのです。
日本蒸機最後の力行列車だったのです。
パンダレストランのホール掛の女性従業員に入ってもらって花を添えた記念写真です。
高野陽一さんが12月24日夕張駅の6788列車の写真を全紙パネルに作って来ました。
この日参加の全員のサイン、寄せ書き付パネルの出来上がりです。
蒸機は復活しますが、それは現役時代と比較するようなものではなく、我々は海外に主戦場を求める傾向が強くなりました。
第5回6788会辺りからこのノートに毎年寄せ書きを書いています。
今年の1~2ページです。
僅かに3ページ目に溢れてしまいました。
約25名居た参加者には書き損なった人も居るかもしれませんし、ダブって2回書いて居る人も居るようです。
今年は屋鋪要さんと被災C5816(南三陸町)の再会を実現したいと考えています。
今年が日本にとって、日本と世界の蒸汽機関車にとって良い年になることを祈っています。