♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り 20 / 大嶋重徳

2015年06月16日 | Weblog
2015/6/16放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。主の祈りが「天にまします我らの父よ」と神様に呼びかけて、まず最初に祈るように教えられたのが「御名をあがめさせたまえ」という祈りです。

 ここで最初に気がつくことは、神様には名前がある、ということです。既に神様が私たちに知らせてくださった名前は「父」という名前でした。聖書の他の所ではモーセという預言者に「わたしはある」と言う名前をお知らせになったことがありました。神様は名前をもっておられる方です。決して抽象的な「匿名 神」というような方ではありません。

 旧約聖書において名前とは実体そのものを表しました。つまり名前に表れている神様はその名前に神様ご自身のご性質が現れているんです。

 では、あがめられる神様の名前にはどんな意味があるのでしょうか。「わたしはある」と言う名前を聖書の意味する所を正確に訳すと、「わたしはこうあろうとする者となるものである」となります。神様は「こうあろう」とする具体的な思いや願いを持っておられる方なのです。

 ではどうあろうと神様は願っておられるのでしょうか。それは今まで祈りで見てきたように、私たちの父であることを願われる神様だということです。また他の箇所では、インマヌエル・「神は私たちと共におられる」という名前も教えてくださいました。神様は私たちと共にいることを願っておられる、そういう名を持っておられます。

 名を持っておられる神様は、私たちの名前も大切にしてくださる神様です。この神様が今日も私たちの名前を呼んで、「わたしはこうあろうとする」と言う願いを語りかけておられます。それと同時に、今日の一日を「こうあろうと思っているんです」と祈ることも許されています。しかし、ともすると祈りは、私たちの願いが実現するようにと祈りやすい私たちです。その時、御名があがめられますように、という祈りによって神の願われることが第一にされるように願うことが私たちの祈りとなっていきます。その時、私たちの祈りが神様の前に整えられていくことを経験します。何よりもまず願うべきなのは、神様が願っておれる願いが実現するように、と祈ること。これが主の祈りの一番最初に、御名があがめられるように、とされていることの意味なのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.6.16放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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