♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り 16 / 大嶋重徳

2015年05月19日 | Weblog
2015/5/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には、イエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。「主の祈り」は、「我らの父よ」と複数形で祈ります。ここにキリスト教信仰を理解するための重要なポイントが表されています。

 日本人の宗教心は、「鰯(いわし)の頭(あたま)も信心(しんじん)から」と言われて、個人個人の信じる心が重要だとされます。信仰心は個人のものだと理解されやすいのです。そしてそれはクリスチャンになってからも理解が変わらないことがあり、自分は神様との個人的な関係をもっているから教会のような場所には行きません。お祈りも一人で致します、ということになってしまうことが時にはあります。

 しかしそれは祈りの本来の道筋ではないのです。 聖書では神様が人間に語りかけることばの殆どが「あなたがた」と呼ばれていることを御存知でしょうか。 旧約聖書でアブラハムやモーセという人たちに神様が「あなた」と単数形で呼びかけられていますが、基本的には彼らの向こう側にいるアブラハムの家族やイスラエルの人々を含めて「あなた」と語りかけられているのです。

 イエス様も弟子たち一人ひとりと関わられただけではなく、12人の弟子たちを選び、使徒たちの共同体を形成されました。

 また聖霊なる神様が降られたペンテコステという出来事は朝の9時に起こり、ユダヤ教の伝統では集まって祈る祈りの時間でした。聖霊なる神様は弟子たちが集まって一緒に祈りをなした時に降られたのです。ここにも初代教会の「我ら」があり、祈りの「我ら」があるのです。 ペンテコステは「教会の誕生日」と言われています。

 主の祈りが今日私たちに教えてくれる「我ら」という姿勢は、祈るとは絶えず誰かのことを覚え、思い出し、執り成して祈ることへと導かれていきます。誰かに祈ってもらうことを私たちは求めるようにもなります。私たちは誰かのために祈ることも大切ですが、誰かに祈ってもらうこともまたとても大切なことです。

  「我ら」という交わりで祈るとき、私の祈りが自分中心になっていた事に気づきます。もちろん神様は私個人の祈りにも答えてくださいます。しかしそれは「我ら」に広がっていくようにと求められているのです。ここに主の祈りの「我ら」という心があるのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.5.19放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■新しい言葉 / 関根弘興

2015年05月18日 | Weblog
2015/5/18放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは十字架につけられ三日目に復活されました。そして40日の間弟子たちに現れて、ご自分が生きていることを示された後、オリーブ山という所に登られ、そして何と天に上って行かれた、と聖書に記されているのです。

 その時弟子たちは、「イエス様、イエス様、なぜ私たちから離れていくのですか? なぜ一緒にいてくださらないのですか?」とは言いませんでした。なぜなら、イエス・キリストが、一人ひとりにもう一人の助け主・聖霊が与えられるのだ、と約束してくださっていたからです。

 その約束通り、イエス・キリストが天に上られてから10日目に、弟子たちに約束の聖霊が注がれたのです。この時から弟子たちは全世界に出て行って、イエス・キリストは今も生きておられる、と宣べ伝え始めたんですね。そしてそれはエルサレムから始まってそして全世界に広がっていきました。

 ところでこの出来事は、ユダヤ人たちが過越しの祭りが終わってから50日目に行う祭り・ペンテコステと呼ばれる時に起こったんです。イエス・キリストが過越しの祭りの時に十字架につけられ復活され40日目に天に上り、それから10日後つまり復活から50日目に聖霊が下ったということで、このペンテコステの日を聖霊が降られた日そして教会の誕生日としてキリスト教会では記念しているんです。

 さて、このペンテコステの日に不思議な出来事が起こりました。それは「天から激しい風が吹いて来るような響きがあり、炎のような分れた舌が現れ、一人ひとりの上にとどまった。」と書かれているんです。そして弟子たちは何と他国のことばで神様のみわざを語り始めた、というのですねえ。びっくりするようなことが起こりました。イエス・キリストを信じ生きていくということは、私たちに新しいことばが与えられるということでもあると思うんですねえ。

 考えてみてください。弟子たちは以前どんな人たちだったでしょう。俺たちの中で一番偉いのは誰だ?!という議論ばかりしていた人たちですよね。自分を誇り、人を見下すことばを語っていました。しかし今、彼らは神様を誉めたたえることばを語り始めたというのです。実は私たちも同じです。イエス・キリストに出会う前には、神様あなたを誉めたたえます、主に感謝します、そんなことばを語ったことはありませんでした。生かされること、愛されていること、恵みの中で憩うことができることを感謝します、そんなことばを語ったことはありませんでした。でも、聖霊が心に宿るとき、あなたに新しいことばが与えられていくのです。

 (PBA制作「世の光」2015.5.18放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■歴史に働かれる神 / 羽鳥頼和

2015年05月16日 | Weblog
2015/5/16放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今、世界では様々なことが起こっています。神はそんなこの世をただ見ておられるだけなのでしょうか。何もされないのでしょうか。聖書を見るならば神は歴史に働かれるお方であることが分ります。今日は旧約聖書の列王記第一の11章に記されているソロモン王の晩年に神様がなさったことをお話しします。

 神から地位を与えられたソロモン王は神のための立派な神殿を建て、国を確立し、繁栄させました。しかし晩年に彼は大きな失敗をします。ソロモンには700人の妻がありました。その外国人の妻たちの影響で彼は外国の神々に心を向けてしまったのです。

 神は二度彼に現れて、他の神々に従ってはならない、と言われました。しかし彼は神の命令に従いませんでした。そこで神はソロモンに仰せられました。「あなたが命じたことを守らなかったので私は王国を分裂させる。」 こうして神はソロモンに敵対する者たちを起こされました。王国はこの敵対する者たちによって分裂することになるのです。

 歴史に働かれる神は、この世の悪や罪を見過ごされることはありません。必ず裁かれるのです。しかしそれだけではありません。神は人を救おうと歴史に働かれるのです。

 二つに分裂したイスラエルに神は働き続けられました。
 旧約聖書のエレミヤ書で、神はイスラエルに対する計画を語られました。
 「わたしはあなたがたに対してわざわいを考え、あなたがたを攻める計画を立てている。だから、悪の道から立ち返り、行ないとわざとを改めよ。」(エレミヤ書 18章11節参照)
 神は悔い改めることを勧められました。

 そして更にこう言われました。
 「わたしはあなたがたのために更に計画を立てている。それは災いではなくて平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものだ。」(エレミヤ書 29章11節参照)

 神は今も働いておられます。あなたを救おうと働いておられます。神は人に罪があることを教え、悔い改めるように勧めておられます。そして神は人を救うために神の独り子であるイエス・キリストを世に遣わされました。キリストによって人々を救うことを神は計画されたのです。

 明日は日曜日です。神の救いを得るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2015.5.16放送でのお話より )

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■ちょっと分かりにくい用語(42)~ペンテコステ / 岩井基雄

2015年05月15日 | Weblog
2015/5/15放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「ペンテコステ」です。今年は5月24日金曜日に教会で祝われるがこのペンテコステです。五角形をペンタゴンと言うように、ペンタということばは5を表しますが、ペンテコステは五旬節と呼ばれるユダヤの祭りの一つです。

 大麦の初穂の束を捧げる日から50日目に行われ、大麦の収穫を終えいよいよ小麦の収穫となる時で、刈り入れの祭りとも呼ばれる収穫感謝の祭りでした。しかし後に、神の民イスラエルは収穫感謝だけではなく、自分たちが犯した罪や過ちの数々を神様の前に告白し、赦しを受ける時ともしました。更にこの五旬節は神の人モーセが神様から律法を与えられたことを記念するものとなっていきます。恵みと救いの感謝、神のことばを受ける喜びの時だったのですね。

 イエス・キリストの十字架と復活の出来事の後、このペンテコステ・五旬節の日に集まっていたイエスの弟子たちの上に聖霊なる神様が降り、力強く神様のことばを彼らが証しすることになり、イエス・キリストの教会が誕生したのです。

 聖書を読んでみます。
 「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
                  新約聖書 使徒の働き 2章1節から4節

 様々な国からこの祭りに来ていた人々は驚きました。彼らはこう言っています。「あの人たちが私たちのいろいろな国のことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」 11節 

 主の弟子たちが伝えたのは神の大きなみわざでした。それはイエス・キリストの十字架と復活の出来事であったでしょう。弱く小さな恐れやすい弟子たちによって神様の恵みと救いの感謝そして神様のことばが大胆に証しされ、キリストの体なる教会は誕生していったのです。すべてが神様の恵みでした。どんなに弱い小さな存在でも、神様が共にてくださることを通して強められ用いられていくのです。

 (PBA制作「世の光」2015.5.15放送でのお話しより)

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■この始末だ / 福井 誠

2015年05月14日 | Weblog
2015/5/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「この始末だ」です。それではイザヤ書20章6節から読んでみましょう。

 その日、この海辺の住民は言う。
 『見よ。アッシリヤの王の手から救ってもらおうと、助けを求めて逃げて来た私たちの拠り所は、この始末だ。私たちはどうしてのがれることができようか。』」

 紀元前711年のこと。エジプトの呼びかけに応じて反アッシリヤ同盟に加わったアシュドテという国はアッシリヤに派遣されたタルタンつまり王に次ぐ最高司令官の報復によって滅ぼされてしまいました(イザヤ書 20章1節)。この時のアッシリヤの王はサルゴン二世であったとされています。

 そこで預言者のイザヤは裸になり、裸足で歩き預言するように神に命じられています。裸になり裸足で歩く、これは捕虜の姿を象徴するイメージで、エジプトの呼びかけに応じてエジプトに頼る愚かさを人々に伝えようとしたのです。聖書に出て来る預言者、エレミヤやエゼキエルもそうですが、しばしば旧約時代の預言者たちは神のことばを自らの行為によって伝えました。イザヤは裸になって裸足で3年間、公衆の面前を歩き回ったのですから、さぞ誤解され、気でも触れたのだろうと思われたことでしょう。しかし、助けを求めて逃げてきた私たちの拠り所はこの始末だ、と裸になり裸足歩き叫び続ける異様な行動を通して、イザヤは一つのことを分からせようとしたのです。つまりアッシリヤの攻撃から逃れようとしてエジプトに助けを求めることは愚かであると言うことであります。

 それから48年経って、イザヤが演じた通りのことが起こりました。紀元前663年にエジプトの一部エチオピアがアッシリヤに占領されます。しかし当時、ユダ王国の人々はエジプトが滅びるなど考えもしませんでした。しかしこれは歴史的教訓です。人生には考えもしないことが起こるものですし、私たちは勝ち組に属していると思っていても結果は負けであることが起こるのです。人生に「この始末だ」と思うようなことがあったならば、それは悔い改めて神に立ち帰るべき機会です。神のことばほど確かなものはないことを知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2015.5.14放送でのお話より )

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■九死に一生(第七の災害)/板倉邦雄

2015年05月13日 | Weblog
2015/5/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「九死に一生」という題でお話ししましょう。私たちは一生の間に何度か死にそうになることがあります。しかし不思議とここまで生かされて参りました。そこには目的があると聖書は語っています。

 さて、強情なエジプト王様に対して忍耐深い神様は優しく語りました。主なる神はモーセに仰せられました。「朝早く起きて、パロ王様の前に立って、こう言いなさい。『ヘブル人の信じている神、主はこう仰せられる。わたしの民を去らせてわたしに仕えさせなさい。わたしがもし本気で手を伸ばして伝染病をもってあなたとあなたの国民を打っていたら、あなたも国民も滅びたでしょう。しかし、わたしがあなたと国民を生きながらえさせたのは、あなたにわたしの力を見せるため、またわたしの名が全世界に宣べ伝えられるためにほかならない。』」 

 国王が強情になって次から次へと災害を受けても元気なのは二つの目的のためでした。要するにエジプト国王は主なる神様の道具となって神様の素晴らしさを表すために用いられたに過ぎないということです。自分の権力ではなく神の力を見せつけられ、神の名を宣伝するために生きてこき使われたのです。残念なことですが、本人はその事を知らないまま人生を過ごし死んでいったということです。

 マザー・テレサはこう言っています。「私は神の手にある鉛筆に過ぎません。神が考え、神が描くのです。」

 パウロ王様とマザー・テレサの違いはどこでしょうか。それは神様と信仰によって繋がっているか、それとも信仰によって繋がっていないか、の違いです。しかしその違いは大きいのです。パウロ王様は神の手にありましたが、神を認め神を信じて従いませんでした。一方、マザー・テレサは神の手の中にあることを認め信じ従いました。私たちはどちらの人生を歩みたいでしょうか。もちろん神が考え神が描いてくれる人生を自分で確かめながら歩みたいものですね。

 聖書のことばです。
 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」 
                      ローマ人の手紙8章28節

 (PBA制作「世の光」2015.5.13放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■主の祈り -15 / 大嶋重徳

2015年05月12日 | Weblog
2015/5/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった『主の祈り』という祈りがあります。主の祈りは「我ら父よ」と複数形で祈ります。この「我ら」という祈りは非常に重要です。なぜなら神様が人間を造られた使命との関わりがあるからです。

 聖書の最初にある創世記には神様が人間を創造されたことが記されています。神様は「さあ、人を造ろう。」とおっしゃられ、「我々のかたちとして、我々に似せて」と言われ、人間を創造されたとあります。しかしここで神様がご自分のことを「我々」とおっしゃっていることに気が付きます。「あれっ? 聖書の神様って唯一の神じゃないんですか? 『我々』って、何人も神様がいるんですか?」 しかし、この「我々」という表現は、神様の偉大さを表すとも言われますが、キリスト教会では父なる神・子なるキリスト・聖霊なる神の三位一体の神様をここで読んできたのです。つまり神様は永遠において「我々」と言う交わりをもっておられる神で、人間はこの神様に似せて創造されたのです。そして「我々」という交わりを持つ神様に似せられたことのゆえに人は神様と交わりを持つように創造されたのです。

 更に神様は、「人は独りでいるの良くない」と言われ、男と女とに人を創造されました。世界に最初の「我ら」が生まれます。そして神様は人間に「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」と命じられ、神様を信じる我々が夫婦となり、子どもが生まれ、孫が生まれ、村が出来て町が出来て神様を信じる「我ら」が増えていくように私たちに求められているのです。主の祈りの「我ら」とは、そのように神様の似姿に似せられた「我ら」で祈るようにと人間が造られた使命に戻っていることができる祈りなのです。

 そしてまたそのようにして造られ自分なのだと私たちが知るときに、自分の属する人間関係を見つめる目線が変えられていきます。ああ、自分の苦手なこの人との人間関係も神様の交わりに似ているんだな、と思いますし、あの人のことが大好きだなという恋愛感情も神様に似せられて与えられた思いなのだ、と神様の前に差し出してお祈りすることができるようになるのです。

 「我ら」で祈ることはとても大切な祈りなのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.5.12放送でのお話しより )

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■聖霊が共に / 関根弘興

2015年05月11日 | Weblog
2015/5/11放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 何度もお話をしていますようにイエス・キリストの弟子たちはある意味では私たちと同じように弱さがあり、欠点もあり、失敗もあ、思い違いもある人達でした。水と油のようなさまざまなタイプの人が集められていましたよね。そんな一見バラバラに見える弟子たちでしたが、たった一つだけ共通点がありました。それは「わたしについてきなさい」というイエス・キリストの招きに従ったということです。

 といっても、ま、イエス・キリストが十字架につけられた時、殆どの弟子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまいました。あのペテロはイエス様を3度も否定してしまいましたし、イエス様が捕えられ十字架につけられたことで弟子たちは恐れ失望してしまいました。

 しかしイエス・キリストは十字架で死なれましたけれども、何と三日目によみがえられ、弟子たちの前に姿を現してくださいました。このイエス様の復活の事実によって弟子たちの人生は一変してしまいました。イエス・キリストは生きておられる!、という事を知ったからです。

 そして弟子たちはもう一つの大切なことを知らなければなりませんでした。それはイエス・キリストは生きておられる。けれど、どこにおられるのかということです。イエス・キリストは今も生きているけど私から遠く離れた所におられる、というのでは余り慰めにも支えにもなりませんね。私たちが平安と希望を持って歩んで行くためには、イエス・キリストが私と共に私たちと共にいてくださるという確信がどうしても必要なんです。

 実はその事について、イエス・キリストは十字架につけられる前に何度も弟子たちに予告しておられました。ヨハネの福音書の14章の18節、イエス様はこう言われたんです。
 「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」と約束なさいました。

 そしてイエス様はこう言われたのです。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

 つまり、イエス・キリストが復活され父なる神のもとに上っていかれた後に、もう一人の助け主である聖霊が送られ、いつまでも私たちと共にいてくださるのだ、という約束なんです。イエス・キリストは私たちと同じ肉体を持ってきてくださいました。そのままでは一人ひとりといつも共に一緒にいる事できませんね。しかしイエス様と同じ本質をもっておられる 聖霊が信じる一人ひとりの内に来てくださると約束されたのです。

 イエス・キリストを信頼し生きるということは決して独りぼっちではありません。信じる一人ひとりに聖霊が宿ってくださるからです。

 (PBA制作「世の光」2015.5.11放送でのお話しより)

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■青銅の細工師ヒラム / 羽鳥頼和

2015年05月09日 | Weblog
2015/5/9放送
 
 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。先週はソロモン王が神から知恵を与えられた事をお話ししました。今日はそのソロモン王が神殿を建てた時に外国のツロから招いた青銅の細工師ヒラムが作った二本の柱のことをお話しします。

 ヒラムはナフタリ族のやもめの子でした。ナフタリ族とはイスラエルの一部族です。彼の父はツロの人で、青銅の細工師でした。ソラムは父親の仕事を引き継いでいたのです。聖書はそのヒラムについてこのように語っています。
  「ヒラムは青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた。彼はソロモン王のもとにやって来て、そのいっさいの細工を行なった。」(列王記第一 7章14節 )
  彼の知恵も神から与えられたものだったのでしょう。彼は最初に神殿の玄関に立つ二本の柱を造りました。柱の高さはおよそ8メートル。 彼はそのてっぺんにおよそ2メートルの大きさの飾りを造ったのです。格子模様を造り、そこにゆりの花とざくろの細工を取り付けました。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけました。ヤキンとは「神は立てられる」という意味があり、ボアズとは「力をもって」という意味でした。彼らは神殿建設に携わる時、神殿は神がその力をもって建てられるのだと考えていたのです。神はヒラムに知恵と力を与えられました。ヒラムはその事を覚えて、神が神殿を建ててくださる、と告白したのです。神は同じように私たちにも必要な知恵と力を与えてくださいます。私たちがどんなに弱くても、神の力によって私たちは事を行うことができるのです。心にヤキンとボアズの柱を立てましょう。神はご自身の御力をもって私たちに事を行わせてくださる、と告白しましょう。

 最後にエペソ人への手紙2章10節をお読みします。

 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 明日は日曜日です。 良い行いを備えてくださっている神を礼拝するために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.5.9放送でのお話より )
 
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■自分の思いを神にゆだねる / 岩井基雄

2015年05月08日 | Weblog
2015/5/8放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。この第2週の金曜日は2月からヤコブの人生について学んでいますが、今日は「自分の思いを神にゆだねる」と題してお話をさせていただきます。旧約聖書に記されている家庭にも様々な問題がありました。ヤコブの家庭も例外ではなく、父イサクは長男エサウを愛し、母リベカは次男ヤコブを愛するという偏った愛情があり、子どもたちの心を傷つけていきます。既にヤコブたちの誕生の前に、神は母リベカに「兄は弟に仕える」と語られていましたが、その事を夫イサクが受け留めていく姿勢が見られません。真実な会話の不足した夫婦だったのでしょうか。歳を重ねたイサクは自分の愛する長男エサウを祝福しようとします。そのことを耳にしたリベカはヤコブを呼び寄せ、目が不自由になっていた夫イサクを騙し、父の祝福をヤコブが受けるようにと画策します。そして躊躇する息子ヤコブにリベカはこう語ったのです。「我が子よ。あなたの呪いは私が受けます。」 創世記27章13節  この彼女のことばには「兄は弟に仕える」との神様の約束を待ち望む心は見られません。人間的な思いや計画が先行する時、私たちは神様の存在や約束を忘れてしまいます。彼女の策略は見事に成功します。しかしその結果、ヤコブは父からの祝福を受けますが、後に兄エサウはヤコブへの殺意をあらわにしていくのです。人間の策略は時に深く人を傷つけます。ついにヤコブは家を出ざるを得なくなり、母リベカとヤコブは二度と会うことはありません。神様である主はあなどることは誰にもできないのです。しかしこの後、神様の憐れみによってこのヤコブ自身が神様に取り扱われ、砕かれ、変えられて行き、神様の約束が成就して行きます。神様のわざは人の画策に妨げられることなく、神様の真実と憐れみの中で進められていくのです。そしてリベカが覚悟した自分への呪いをも後に救い主イエス・キリストがすべて受け取り、私たちに本当の祝福が注がれていく道が開かれていくのです。

 聖書のことば

 「私の霊を御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私を贖い出してくださいました。」  旧約聖書 詩篇31篇5節

 自分の内にある自己中心的な罪を認め、真実に神様に信頼してゆだねていきましょう。

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 。さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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