♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主が告げられた/福井 誠

2015年05月21日 | Weblog
2015/5/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主が告げられた」です。 それではイザヤ書21章17節から読んでみましょう。

 「イスラエルの神、主が告げられたのだ。

 21章はバビロンやその周辺諸国についての裁きについて語っています。紀元前689年、セナケリブが率いるアッシリヤ軍がダビデを陥落させたことを預言するものですね。その時、人々はいつものように飲み食いをしていました。つまりいつも通りの生活をしていたのです。そこにアッシリヤ軍が攻めてきました。この緊急事態に非常招集がかけられて兵士が集められるのですが、それは虚しい応戦となりました。バビロンの兵士はなぎ倒され、殺戮の惨劇が繰り広げられるのです。

 すでにイザヤは13章から14章で、バビロンに対する裁きのメッセージを伝えています。しかしここ21章は単なるその繰り返しではなく、イザヤの人間的な感情つまり悲しみの思いを加えた強いメッセージになっていますね。 つまり、どんなにあらかじめ警告されていてもその警告に耳が傾けられずそれが現実に起こると、余りにも悲しい事にイザヤはその幻を見て心を打たれて叫ぶのです。心乱れて聞くに耐えない、恐ろしさの余り見るに耐えない、そんな裁きを受けてはならない、と声を大にして語るのです。

 かつて私の母は不幸のどん底にあった時、キリスト教の救いを説き明かす牧師に向かって、もし神がいるのならどうして私はこんなに不幸なのか、と食ってかかったと言いますが、その後神様の憐れみによって救いに導かれてからは、もっと早く神を信じ悔い改めておくべきだった、と言いました。まさに私たちは神を信じもしないのに不幸が起こると神を怨んでしまうものでしょう。

 しかし神様は、不幸になってはいけない、とあらかじめ聖書において警告しているのです。聖書は私たちに、思慮を欠いて自ら災いに飛び込むことなく幸いの中に生きる道を語り伝えています。既に神は人の道の幸いのあり方を聖書によって告げ知らせているのです。あらかじめ語られている神のことばに耳を傾け、神の幸いを得るものでありたいものですねえ。ぜひ聖書を読みましょうね。

(PBA制作「世の光」2015.5.21放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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