♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■泣かなくてもよい② / 大嶋重徳

2024年10月08日 | Weblog

2024/07/02放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今週は一人息子が先に死んでしまった女性の悲しみを見た時、イエス様が「かわいそうに思われた」という箇所から学んでいます。

 この「かわいそうに」ということばは、「はらわたがちぎれるほど」という意味があります。ある意味、私たちにとって神とは超越した存在で、神が人間の悲しみになど引きずられることはないと思います。しかしイエス様という方は、悲しみのなかにある私たちを見て、心が揺さぶられ、内臓に痛みを覚えられるのです。
 そして言われました。「泣かなくてもよい」「もう泣かなくてもよい」と言われました。
 「泣くな」ではありません。「もう泣き続けるな、泣くのはこれで終わりだ」という響きではありません。「いつまでも泣いていても仕方がないから、いいかげんに泣き止んで日常の生活に戻りなさい」というような虚しく響く叱咤のことばでもありません。イエス様は「十分泣いて良い」「しかし、泣き続けなくて良い」

 旧約聖書には『哀歌』という箇所があります。悲しみの歌と記されています。聖書はきちんと泣くこと、嘆くこと、悲嘆に暮れることを大切にしているのです。嘆きを神様に聞いていただくこと、嘆きを神様に届けようとすること。それが祈りとなっていくのです。私たちの信じる聖書の神は、私たちの悲しみをきちんと悲しむように促されます。

 私は学生時代、失恋したことがあります。その時に思ったことは「これはやがて失恋した人に出会ったとき、『俺もその気持わかるよ』と言えるようになるための経験なんだ。神様の与えてくださった良い経験として、やがて用いられるんだ」と思い込もうとしました。不健全な感情だったと思います。本当は悲しいんです。本当は泣きたいんです。本当は怒りたいことだってあるんです。そこでイエス様は一緒に悲しんでくださる。「ちゃんと泣け」と言ってくださるのです。そして「私があなたの涙を拭うよ。十分泣いたら、もう泣かなくてよいようにするから」と言われます。

 今日、皆さんは本当は泣きたいことがありませんか? イエス様はあなたの涙を受け止めてくださいます。イエス様の前で泣いてみませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.7.2放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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