♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ 日ごとの糧 / 福井 誠

2011年06月16日 | Weblog
2011/6/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「日ごとの糧」です。 それではマタイの福音書6章11節から読んでみましょう。

 「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

 「日ごとの」と訳されたことばは、聖書のもともとの原語・ギリシャ語では「エピゥーシォン」ということです。このことば、実は意味がよく分からなかったことばです。ラテン語訳の聖書では「超物質的な」という意味に訳されています。「日ごとの糧」というのは超物質的な糧つまり単に胃袋を満たす食物ではなくて心を満たす霊的な食物というわけです。「主よ私たちの霊的な食物を今日も与えてください」というのです。なるほどこの方が信仰者にとっては味わい深い祈りに思えますねえ。

 しかし16世紀の宗教改革者マルチン・ルターは、主の祈りは信仰的な祈りであってももっと日常的な祈りのはずだ、として思い切ってこのことばを「日ごとに」と訳しました。それ以来ずっとこの訳が定着してきましたが、実際にはこれが霊的な糧なのか日ごとの糧なのか議論が重ねられてきた歴史があります。皆さんはどのように考えるでしょうか。

 さて近代に入ってエピゥーシォンということばを含む古代の借用証書が発見されました。それによれば、明日のいついつまでに何々を返すという借用証書の文言の「明日の」という部分にそのことばが使われていたというのです。それでこのことばは「明日の」と訳すのが本当だったのではないかと考えられるようになりました。しかし今だに決定的なことは言われていません。

 ともあれこの主の祈りは日常的な祈りです。具体的な食物を想い描きながら「日ごとの」と祈っても間違いはないでしょう。大切なのは「私たちの日ごとの糧を今日も与えてください」と単純に願うというのではなくて、神様が日ごとに私たちを養ってくださるのだという信仰を言い表すことですね。神様が私たちを日々養ってくださっているのだという、そういう信仰をはっきり持って「日ごとの糧を与えてください」と祈りたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.6.16放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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