世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
えー、聖書に出て来ますパウロという人は、「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」(ピリピ 3章13節 )っていうふうに言っていますけれども、同じ生きるにしても、後ろ向きに生きるか前向きに生きるかで随分違ってくるんだと思いますね。あるいはそれを、マイナス思考で生きるかプラス思考で生きるかという言い方にすることができるかもしれません。
えー、前にも御紹介したことがありますが、九州で長寿学の研究をしている方が日本の千人以上の長生きした人を調査してですね、その結論をこう出したそうです。元気で長生きした人は、人生を前向きに生きているって言うんですね。例えばこう自分の年齢を聞かれるとします。「おじいちゃん、お年いくつ?」「まだ七十だよ。」「おばあちゃんはいくつ?」「私?、まだ八十だよ。」っていったぐあいにですね、「まだ」「まだ」と答え、人生を前向きに捉えているのが分るって言うんですね。それに比べてあまり長生きしない人は、「あなたはいくつ?」「私はもう六十を過ぎました。」「あなたは?」「もう七十だもの。先はもうないよ。」とかいうようにですね、どうも言い方が暗いっていう訳ですね。「まだ」と「もう」が人生の分かれ道ということになりそうですねえ。
パウロという人はつくづくプラス思考だったんだなあと思わされるんですけれども、ある手紙の中で、「何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」(コリント人への手紙 第二6章10節)っていうふうに言っているんですねえ。無いものねだりという言い方があるように、客観的に見たら十分いろいろ持っているのに、あれもない、これもないと、わざわざ無いものだけを捜してつぶやいたり自分を卑下していたりというふうなこともあったりしますけれども、パウロは、「何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」って言うんですから、こういう人こそ前向きに生きている最もリッチな人というふうに言えるんではないでしょうかね。
あのう、昨年亡くなりましたけれども、田原米子さんという方は十代の少女の頃、世をはかなんで自殺しようとして走っている電車に飛び込んだんですね。幸い命はとりとめたものの、両足は切断、左腕も無くなって、残るは右手しかも三本の指だけ。「私の三本の指しか無い。これでは生きられない。」と、その後も何度か自殺を試みたというのも無理はありませんねえ。でもこの方は見舞いに来てくださったクリスチャンによってついにイエス・キリストを救い主として信じるに至ったんでいねえ。そして、こう変ったんですねえ。それまで「三本の指しか無い」と思っていたのに、今度は「指が三本もある」と思えるようになった。実際にこの方はその三本の指も人一倍上手に、裁縫も料理もそれはみごとにやってのけるのを私も見たことがありますけれども、私たちもともかく前向きに生きたいと思いますね。
( PBA制作「世の光」2006.07.24放送でのお話しより)
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