諍いはイヤですね。どんな些細なことでも、あとに残ってしまいがちです。
國と國との諍い、これは戦争。永遠になくならないもののようです。
どっちが勝っても、火種は残ってしまいます。
国連は肝腎のときに、役に立たないかもしれません。拒否権を有する國が5か国もあるのですから、すんなりと和解成立ができる例は少ないでしょう。
國の中での民族紛争や宗教紛争も、厄介な争いごとですね。局外者が介入しても、なかなか真の解決には進まない。
「理解もできていないクセに、お節介はよしてくれ!」
そのように言われかねません。
日本国内での「政治ごっこ」は、始末に負えませんね。税金の無駄遣いです。
国民をそっちのけにして、誰もが正義面ではしゃいでいます。
大きな声では言えませんが、正義なんてどうでもいいんです。国民の生活を守ってくれさえすれば、私なんぞはどっちにだって転びます。
正直なところ、何をしてくれようとしているのかよく見えません。
癒着やら私利私欲などが錯綜していて、これが果たして政治なのでしょうか。
地域社会や親族などの諍いも、かなり厄介ですね。
なにしろ狭い範囲内でのことですから、火だねが残ったら再燃します。
再燃しそうな雰囲気が続いたのでは、当事者の神経は参ってしまいます。
だからこそ、「時の氏神」が必要なのです。
もっとも、それらしき人でなければ、仲裁人は務まらないでしょう。
金銭が絡んでいる揉め事に、借金まみれの仲裁人では形にもならない。
男女の揉め事だったら、浮気男が仲裁に入ったってまとまるわけがありませんね。
それなりの人でないと務まらないのが、「時の氏神」たる仲裁人のようです。
腕っ節だけが取り柄というタイプも、いっときの納めには役立つかもしれません。
「オレの言うことをきかねえと、腕をへし折るぞ!」ってな気合いですね。
理屈なんぞはどっちでもいいんです。
「まあまあ、ここのところは私の顔を立てて……」
揉め事の当事者も、そんな仲裁人が出現したら、さっと乗った方がいい。
もともと黒白がはっきりしている場合は、長くは揉めないものです。あっさり決まってしまいます。
51点と49点だからこそ、長く揉めるのです。五十歩百歩なのですから、仲裁人が出たら、双方とも引いた方がトク。
イヤな感じが残らない「分かれ」を作るべきなんです。
もちろん、仲裁人たる者、タイミングを外してはなりませんね。
はやる心を抑えながらじっと待って、時を得たと思ったらサッと手をあげる。
気合いがむずかしい。「時の氏神」たる所以です。
諍ひを鎮めし夕べ木瓜まっか 鵯 一平
わが家には今、ちっちゃな怪獣がきています。
プラチナ世代の二人、てんてこ舞いになっている状況です。
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