新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

魂の一行詩

2008年05月26日 07時32分00秒 | 写真俳句・エッセー

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葉桜の明るき闇やおのが胸

 あれほど妖しく私を沸き立たせた桜が散って、今は葉桜が茂っております。

 でも、「鬱蒼たる」と表現できる状況とは言えません。むしろまだ明るい感じの茂りです。

 それでいながら、その葉桜の内側には、空虚さを感じさせる明るい闇がありました。

 まるで、私の胸の内とそっくりなのです。

 希望を失っているわけではありません。

 失恋の深い傷を負っているわけでもありません。

 しかし、葉桜の茂りに、明るさの中の虚ろな闇を感じます。

   葉桜の明るき闇やおのが胸   鵯 一平

 俳句とも言えぬ私の五七五は、角川春樹氏の「魂の一行詩」運動に共鳴しての作句です。

 角川春樹氏といえば、もと角川書店社長であり、コカイン問題で刑務所生活を送ったことのある、あの俳人角川氏です。

 氏の運動は、日本文化の根源とも言える『いのち』と『たましひ』」を、「一行詩」として詠もうというものです。

 運動に共鳴したものの自信があるわけではありません。

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平凡なしたたかさ

2008年05月25日 11時16分45秒 | 写真・エッセー

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 荒れ地や道端では、ノゲシ(ハルノゲシ)やシロツメクサが、咲いては散り、散っては咲いている。

 一見したところ、なんの変哲もない野草。だが、一向に衰えの様子は見せない。

 気にしなければ、踏んづけられそうな平凡な花。

 どこにでも咲いているので、気遣いもされない花。

 しかしそれでいて、決して弱気ではなさそうだ。生きて行けそうな土地であれば、臆面もなくどんどん世界を拡げて行っている。

 ノゲシの綿毛作戦。あの頼りなさそうな一毛ずつの種が、巧みに風に乗って、無数に吹かれている。

 一毛の生命を風に委ねた姿。

 確固たる計算に裏付けられているとでも言うのだろうか。それとも諦念か。

 シロツメクサの驚くべき地下茎。

 踏んづけられても刈られても、そこから姿を消すことはない。諦念とはほど遠い。

 派手な自己主張は見せないのだが、打つべき手はしっかりと打っている。恐るべきしたたかさだ。

 私も派手なパホーマンスを控え、平凡な中に少しばかりのしたたかさを身につけて、生きにくいこの現世をまっとうしたいものである。

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当世喫煙事情

2008年05月24日 07時10分48秒 | コラム・エッセー

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 無粋にも、恋路の邪魔をしてしまいました。

 撮影側としては、実のところ、離ればなれの睦み合いを望んだのです。

 しかし、テントウムシにも事情があったらしく、こちらの要請には応じてくれませんでした。

 その結果がこの「デバカメ」でした。

 写真は、今日の記事と関係ありません。

 

 昨日は暑い一日であった。

 特に東京は風もなく、かなりの高温だったように思う。

 昼食後、仲間たちと一緒に、仕事場近くの喫茶店に入った。そこは某コーヒーメーカーのチェーン店で、サラリーマンの昼食の場でもあった。彼らは、コンビニで買ったパンを持ってきて、ささやかな昼食を摂るのだ。いささか質素過ぎる食事のように思うが、これがサラリーマンの「当世昼食模様」なのだ。

 その店に入ったのは12時20分ごろ。

 入ってすぐに、いつもと異なる雰囲気を感じた。いままでだったら、この時間、かなり窮屈なほどの混みようのはず。ところが、それほど混んではいなかった。

 私たちは煙草をすわないので、お定まりの禁煙席を目指した。いつもなら満席に近いのに空いていた。

「あれっ、……?」 そこに陣取っていた幾人かは、喫煙中。

 喫煙と禁煙の席を入れ替えたのだろうと思い、反対側の方へ行ったが、そこでも喫煙中。

 その店から、「禁煙席」が姿を消していた。いつもより空席が目立った。

 どのような事情があったのか、店の人に聞いたわけではないが、全店を喫煙席に変えたのは事実のようだった。

 この店は群れて入る人は少ない。たまに、2~3人グループの男性が1~2組。女性はほとんど1人。

 女性の多くは、食事と喫煙目的だったように思う。

 この付近は、歩行喫煙を禁じているエリアなので、喫煙者は肩身が狭い。

 食事をする店ぐらいしか、煙草をすえる場所がなくなってきている。

 そのような事情から、この店の営業姿勢を「全店喫煙可」に変えたのだろう。喫煙者に対する便益の方に舵をきったのだ。その方が客足がいいと踏んだのだ。

 禁煙席を狙って入ってきた人は、もうこの店には来ない。反面、喫煙の場を失っていた喫煙者が、大手を振って入れるようになった。

 一方的に勝手なことを言えば、時代に逆行しているように思う。営業上は有利と踏んで変えてのだろうから、それはそれで仕方がない。私はもう来ないだけ。

 しばらくして、私はタクシーに乗った。

 タクシー料金値上げに合わせて、東京や近郊都市のタクシーは全車を禁煙車となった。この頃のタクシーは気持ちがいい。煙草の匂いが一切ない。

「禁煙車になってから、客足に変わりがありましたか?」

 タクシードライバー氏に、私は要らぬことを聞いてみた。

「やはり減りましたねえ。特に女性の方が減ったようです。一人で乗ってくる女性の多くは、煙草が目的でしたから……。女性の2割は減った感じですね」

 なるほどなあ。納得できる話であった。

 私が禁煙してから約30年。途中に半年間ほど喫煙癖に戻ったこともあったが、その時期からでも20年は過ぎた。もう喫煙は考えられない。

 しかし一方では、煙草を吸う目的でタクシーに乗る女性もいたのだ。

 健康や出産に対する煙害が、これほど姦しく言われているのに、まだ離れられない人がいる。私も禁煙に到るまで、大変な苦労があった。(だから、途中で戻ってしまったのだが)

 喫煙も一つの人生観。だが私は、知人に対して常に、かつ強く、禁煙を勧めている。

 当世の喫煙者は、ひどく肩身が狭くなった。

 それでも、「オレは、禁煙するほど意思は弱くねえ!」

 そう言って粋がっている人もいたっけ。 

 恒例の外出へ

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ありがとうの一言

2008年05月23日 06時47分23秒 | 写真俳句・エッセー

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母の日やただひとことの贈りたき

 昨日、自動車運転中のこと。

 NHKのラジオ放送を聞きながら走っていた。

「ラジオビタミン」という番組で、男女二人のアナウンサーによって、「ありがとうの一言」?という内容の放送をしていた。

 一つの「ありがとう」は、娘が母親に対し、「生んでくれてありがとう」というものであった。

 もう一つは、若いお母さんが4歳の娘に対し、「生まれてきてくれてありがとう」であった。

 それぞれが苦労の末の「ありがとう」だったので、アナウンサーが声を詰まらせるほど感動的な内容だった。

「そう言えば、母親に『ありがとう』を言ったっけ?」

 自問自答するまでもなく、私は「ありがとう」を言ってはいなかった。

 母が死んだのは50年前。当時の日本は、まだ戦後の混乱から立ち直っていなかった。

「胃癌だったら手術をしないよ」と抵抗する母を、騙すようにして手術をした。案の定、手遅れの状況であった。

 手術後、2~3週後たったころのこと。

 はかばかしく回復しない病状を感じた母は、「退院したい」と強硬に言い始めた。

「子供たちを家に置いたまま、ご近所のお世話になっているのだから、是非お礼を言いたい。一晩でいいから、帰りたい」 いつになく、母の姿勢は強硬だった。

 もう助からないことを承知しながら、父も私も応じなかった。一日でも長く生きていてほしいとの願いがあった。

 母は自分の弟を呼んだ。駆けつけた弟に、「家に帰りたい」と訴えた。私たちも納得せざるを得なかった。

 当初は病院側も許可を出してくれなかった。それをなんとか説得して、「看護婦が付いていく」という条件で、退院することとなった。

 今でこそ高速道でひとっ飛びだが、当時のガタビシ道路をトコトコと家路を急いだ。

 戸板の上に敷いた布団から、母は近所の人たちにお礼を言った。笑顔すら浮かべていた。

 しかし今思うに、母が会いたかったのは、幼い妹と弟だった。

 なんと心ない私だったかと、後で悔やんでも間に合わない。もっと会わせる機会を作ってやるべきであったのだ。

 一晩だけ家で寝て、次の日は近所の病院へ入った。そこで二晩(?)過ごし、母は帰らぬ人となった。

 その時ですら、私は「ありがとう」を言っていない。そんな余裕ある心ではなかった。ただひたすら、「少しでも長く……」と思っていたのだ。

 今も悔いが残っている。もっと母と妹弟との時間を作るべきであったこと。母と色々な話をしたかったこと。

 妹にも時々責められている。

 延命をのみ念じていて薄っぺらだった私。今も責めている。

 そんな思いに浸った今年の母の日のことを、運転中に思い出した。

 いまさらどうにもならないのに。

 父もすでに他界している。

   母の日やただひとことの贈りたき   鵯 一平

 

 写真はハハコグサ。これから 仕事場へ。

 ここまでお読みいただき、恐縮に存じます。

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世代間を揉ますな

2008年05月22日 07時13分11秒 | コラム・エッセー

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 ジャガイモ畑では、黒々と葉っぱがしげり、薄紫の花も咲き始めていました。 

 野菜の花々もきれいです。

 観賞用の作られた花には及びませんが、野草よりはしっかり咲いている花が多いように思います。 

 記事と関係のない写真です。 

 民主党が今ごろになって、「後期高齢者医療制度」の廃止法案を提出するそうです。

 この制度について、私は幾つかの異論はありますが、民主党の「廃止法案提出」についても、いささか腑に落ちません。

 なぜ今ごろになって、「廃止法案」なのでしょうか。選挙目当てが見え見えでしょうに。

 3~4年前の国会審議が強行採決だったとしても、すでに審議がなされたもの。民主党もその審議に加わっていたのですから、その時点で問題点は把握できていたはず。いままで動かずにいて、国民の空気が読めた今、選挙対策として動きだしたのに違いありません。

 そんな民主党の動きに対する、福田首相のコメント。

「若い人は、それでいいのでしょうかねえ」

 つまり、「民主党の廃止法案は、若い人が損になるのですよ」、と言っているのです。まるで世代間の不協和を、煽り立てているように聞こえるではありませんか。

 ある民放では、さっそく若い人の意見を聞いていました。

「民主党は廃止法案を提出するそうだ。若い人はそれでいいのかと首相が言っている。あなたはどのように思うか?」

 街頭で質問を受けたサラリーマン氏。

「その分私たちが苦労するので、いやですよねえ」

 これは当然の答えでしょう。だからこの制度は初めから良くなかったのです。

 親と子や、世代間の断絶を招きかねない「心を知らない制度」としか思えません。

 今の制度のままでは、今後若い世代(74歳以下)の負担が大変になるので、医療費が嵩む75歳以上の高齢者を、「後期高齢者として区分し、別扱いにしよう」、という制度なのです。

 制度としてはコマゴマと定めています。その定めにも意見があるのですが、今日はこの世代間の損得問題について意見を言いたいと思います。

 少子高齢化の結果、財源不足問題が生じるのは当然でした。高齢者にも応分の負担をしてもらう。これもわかります。だが、別扱いにすることがわからないのです。今の制度の中で、高齢者の負担増をはかればいいではありませんか。

 頭でっかちで「心知らず」のエリート坊やが、金勘定だけを考えて作った制度ですから、世代間の損得感情に発展することまでは考えが及ばなかったのでしょう。いや、そのような感情など、とっちでもいいと思っていたのかもしれませんね。

 高齢者たちも若いころは、子供を育てながら先輩たちを支えてきた。その自負があります。

 今になって、「あなたたちは医療費がかかり過ぎる。別の制度の方へ出て行ってくれ」と宣告されたのです。自負心は見事に砕かれてしまいました。

 若い人は、「高齢者と同じグループでは大変だから出て行ってくれ」と不満を言い始め、高齢者たちは子供たちに裏切られ、自負心も砕かれてしまいました。

「後期高齢者医療制度」とは、そのような制度なのです。

 民主党が「廃止法案」を提出すれば、年代間で「損得感情」のバトルが起こります。

 麗しい「国民皆保険」の考え方に、亀裂が入りそうに思えてなりません。

p> ここまでお読みいただき、恐縮に存じます。

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