新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

仏の功徳

2007年06月26日 19時02分00秒 | 身辺雑記

 福島県いわき市の叔母が亡くなった。享年87歳。胆道ガンと糖尿病で、長い闘病生活を送っていた。
 葬儀・告別式は今日の11時から、いわき市において執り行われた。
 いわき市とは言っても、茨城県との県境付近なので、電車利用の場合、「便がいい」というわけにはいかない。上野駅7時30分発の「フレッシュひたち5号」で行った。柏市に住んでいる妹と乗り合わせた。終点の高萩駅で電車を降り、弟の車で会場へ。
 私の実家は、茨城県最北の北茨城市だ。墓参などの場合、常磐高速道を自動車で行くのを常としていたので、電車利用は久しぶりだった。高速道をマイカーで行く場合とはかなり風景が異なり、県南地域の急ピッチな住宅開発には、改めて驚いた。
 私の故郷は、その昔、茨城県多賀郡磯原町と言ったが、終戦後、周辺の町村と合併して市制が敷かれ、広い面積の北茨城市となった。
 その後、山林開発が行われ、高等学校の開設や工場誘致が目論まれた。そのころから、私たちが親しんだ「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」は、無惨にも大きな変貌を遂げ始めた。樹木から落下して足に怪我をした思い出の山は、もう跡形もなくなった。
 それに追い打ちをかけたのは、区画整理であった。郵便局と電話局以外は、大移転となった。鎮守の森が姿を消し、小さな祠が、申し訳程度にチョコンと置いてあるだけだ。「神国日本」が聞いて呆れる。子供のころに走り廻った小道や田畑や小川も、まったく姿を消してしまった。淋しい限りだ。
 町の発展に、センチメンタリズムは邪魔になる。将来を見越せば、やむを得ない仕儀だったのだろう。だが、常磐線の「スーパーひたち」や「フレッシュひたち」が、わが故郷を通り過ぎて行ってしまうのだから、どこか腑に落ちない。もともとは、「準急」が必ず停まってくれた駅であったのに……。
 葬儀は盛大だった。片田舎の老婆の葬儀にしては、多くの人々が会葬に来てくれていた。同じような顔つきのグループが幾つもあったし、幼い子供の姿もあったので、親類縁者が多かったのかもしれない。「少子化」どこ吹く風の頼もしい風景であった。
 私も多くの従兄弟たちに会うことが出来た。
「変わらないねえ」などと言っているが、変わらないわけがない。自分と同じように歳をとっているので、安心のあまり、「変わらないねえ」と言い合っているのだ。
 私も20年ぶりに会った従兄弟に、「いやあ、変わらないねえ」とエールを送った。その従兄弟も、「変わらないねえ」と、返してくれた。まさに、この風景は、仏の功徳なのだろう。
 弟や妹たちとも、多くの時間が持てて、それも「仏の功徳」であった。合掌。
 
 
 

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