アメリカの大統領選挙が終わった。
初めての黒人大統領が生まれた。
あの勝利宣言は感動的だった。「我々には民主党も共和党もない。黒人もヒスパニックも白人もない。アメリカ合衆国だ」
アメリカ大統領らしい言葉だ。日本の党首たちに、その見識があるだろうか。
仕事場の社内報に、子供の「夏休み作品展」が掲載された。
小学生の息子や娘たちが、思い思いの作品を手にした写真で構成されている。
みんないい顔で写っている。若い頃の社員たちの顔を思い起こした。
工作、絵、書道、植物の観察日記などなど。作品は時代の移りを感じさせるものが多かった。私の子供たちの時代とは、やはり違っていた。
時代の移り変わりをもっとも感じさせられたのは、子供たちの名前だ。
時代とともに、名前が大きく変わってきた。
私が生まれた時代は、男の子には、「・・男」、「・・夫」、「・・雄」が多かった。「・・郎」も珍しくなかった。
女の子は圧倒的に「・・子」が多かった。「・・江」、「・・枝」もいた。
すでに他界した父親の話によれば、私の名前は、陸軍大臣にちなんだとのこと。ごくありふれた平凡な名前だが、当時、そのような軍人がいたらしい。
そのせいかどうか、私の名前は、「○ちゃん」と呼びにくい。つまり、「○△さん」とか「○△ちゃん」となってしまう。大多数に「○△さん」と呼ばれて育った。
それでも、「○△ちゃん」と呼んでくれた人はいた。2人だけだ。
だから私は、子供の名前には、「○ちゃん」と呼びやすいことにこだわった。もちろん、「名前の本」を買ってきて、「画数」の勉強もした。
今の子供たちの名前は、個性に溢れている。個性が親のこだわりとなっている。
10年か20年ほど前、子供に「悪魔」と命名しようとして、評判になったことがあった。役所では、「将来、子供が差別されたら困る」という理由で、出生届を受け付けなかった。その後どんな結果となったか、もう覚えてはいない。
先日、若手男性社員HS君の奥さんが、第二子を出産した。
色々と心配事もあったようだが、無事元気な赤ちゃんが生まれた。私もホットした。
階段でHS君と出会った。「名前を決めたのかい?」と聞いてみた。
私の質問に対し、「◎○にしようと思っています。本当は◎◎にしたかったのですが、画数を考えたので、◎○にしました」という答えが返ってきた。
たまたまKS君も通りかかった。彼の男の子2人が、作品展に出品している。だから、子供たちの名前も知っていた。
KS君からも、名前のこだわりを聞かされた。
この時代になっても、若い親たちは、「画数」と言ったりしている。この2人は、ソフトウエアの技術者なのだ。その彼らが、古くさい「画数」という言葉を使っていることに、私はビックリもし、微笑ましくも感じた。
彼らは単に個性だけでなく、「画数」にもこだわっている。時代の感覚とバランスしていないかもしれないが、子供の命名にあたり、「科学以外の何か」を意識している。ある種の感動を覚えた。
社内報の「子供の作品展」には、子供たちのあどけない顔と個性的な名前が載っていた。
この企画は素晴らしい。久しぶりに心が温もった。時にはこのように、家庭の温もりも記事にしてほしいものだ。
今もまた社内報を眺めて、頬を緩ませている。
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みんな一文字です。
自分が気に入った字を当てました。
三人目は3つに絞って長男にドレが良い・・・
私の時代では当たり前に読めた名前が、今の子供たちには読めないようです。
「スーさん、ケンさん、ユウさん いますかと」電話がかかってきます。
「タカシ マサル ユタカ」なのですが。
知らない人間というのがすぐわかります。
○ちゃんとは呼びにくいですね。
親は ター マー ユー と呼んでいました。
名前をつけるのは難しいですね。
わが家の息子と娘には2字を使っております。
「呼ばれやすい」を念頭に、平凡な名前となってしまいました。
親は呼んでほしい呼び方で呼んでいましたので、親戚の人たちも同じように呼んでくれています。
友人関係は別でした。
思いもよらない愛称になっています。
親や祖父母などは産まれた子の幸せを祈って付けてくれるのですから、どの子も有りがたく思えればいいですね。
我が家では、息子も嫁も3人の孫もみなちゃん付けて呼んでいます。
私の孫たちも、親がやはり画数にこだわり悩みに悩んで
やっとの思いでつけた名前です
若い人たちが、こんなに画数や何かにこだわるとは・・ととてもいがいでしたが・・
親の思いはいつの時代も変わらないものなのだと思いました
時代にあった流行りの名前である程度年齢がわかる名前もありますが・・
我が家は一人は広島で生まれたので「広」が付き
長男は親の名の一部を次の子は書きやすいのでと一文字で簡単につけています
それでもその名前がその子に一番ピッタリのような気がします
作品を手にした子たちの得意そうな顔が浮かびます
氏名。そうですね、自分の名前を「いいな~」と思ったことは余りありません。
五十音順で発表などを遣らされるとき、後の方だったので準備する時間があり、良かった位です。
戦時中だったので、こんな名前が付きました。祖父は浄瑠璃に出てくる武将が好きで、その名前に決めましたが、父が「ごつすぎる」と思い、戸籍申請のときに前後ろを逆にして届け出ました。
母方が「喜多」なので、離婚して、母方にならないかな~と思いましたが、両親は思いのほか仲が良く(?)、そうは成りませんでした。
子供の頃は私の地方では、1字で「ま~ちゃん」と呼ばれました。
成人になったら、改名またはあだ名(ペンネーム)で呼ぶ制度があっても良いですね、・・・・?
M.N
考えてみれば我が家でも私達が子供に名前をつけたときのほうがいい加減だったよう泣きがします
息子や娘達は結構画数とか苗字との釣り合いとか考えていたようです。
家では平凡な名前にしているが個性的な名前も最近は多いですね。
お願いがあるのですが11月3日のバラの花ですが
とっても綺麗で気に入ってしまったので
お借りしてPC水彩で描きました
もしお許しだ漏られましたら絵日記ブログに載せたいのですがどうでしょうか
絵日記ブログのアドレスですhttp://inko2.seesaa.net/
一度開いてみてください。
私の名前もありきたりのものです。
しかし不思議なもので、そのアリキタリが自分にピッタリなものに思えてきますね。
「ちゃん」を付けて呼び合うのに憧れておりました。
呼び方は人を引きつけたり離したりします。
温もりを感じ合う呼び名がいいですね。
科学万能の世の中で、「画数」を考えての命名を、抵抗感なく実行しているのですから不思議です。
もっとも、それは私の偏見で、「画数」には科学的な根拠があると反論されるかもしれません。
とにかく親は、子供の将来の幸せを望み、やれることはなんでもやるってことでしょうか。
それが楽しみでもありました。
幾つかの候補をあげ、その中から一次予選で選び、さらに絞っていく。
そんなことがありました。
書きやすさも条件の重要な要素でしたね。
子供たちの顔は、一様に「誇らしげ」でした。