新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
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禁煙、節酒、減塩について

2014年12月13日 10時56分00秒 | 身辺雑記

 お医者の指示で、「減塩」と「節酒」をしています。「禁煙」は、ずっと以前から実行中です。

 お陰さまで、病状はほぼ安定、つまり、目立つほどには悪化はしておりません。

 「減塩」や「節酒」は私の意思だけで叶うものではなく、周囲の人たちの温かい協力があってのこと。

 「減塩」に関しては、特にカミさんの力によるところが大きい。80パーセント以上かもしれません。

 もちろん、酒席などにおいては、ほぼ私の意思によるものです。

 大皿に盛りつけられた料理は、ほぼ敬遠します。ましてや、席上で調味料が振りかけられたら、いっさい箸をつけません。

 同席の友人たちは、きっと怪訝に思っていることでしょう。やむを得ないことなのです。

 それぞれの皿に取り分け、好みに応じて食べるという風潮は、まだ不徹底なように思います。

 「節酒」は意外に簡単です。呑まなければいいだけのハナシなのですから。

 「まァそんなことを言わず、もう一杯だけ!」

 ときにはそんな場面にも遭遇します。多くの場合、なんとか逃げ切れます。呑んだフリというテもあります。

 その点、いい友人たちに恵まれていると思っています。ありがたいことです。

 この頃、世間では、「禁煙」、「節酒」、「減塩」のかけ声が大きくなりました。

 医療費や社会保障費の軽減という意味合いからも、さまざまな機関のスローガンになってきているようです。

 「禁煙」については、おおかたは本人の意思で決まりですね。

 今もって「禁煙」していない人は、「できない人」ではなく、「しない人」だと思います。

 極端に言えば、「禁煙するくらいなら、死んだ方がいい!」 とでも言える生き方かもしれません。つまり、「生き方」の問題です。

 「受動喫煙」の害について、さまざまな論議を引き起こしています。まだ、結論が出ていないのでしょうか。

 大衆的な料理店の場合、「喫煙席」と「禁煙席」とに区分されていますが、どれほどの効果があるのか疑問です。

 そんなに気を配ってまで、長生きをしたいのか?

 時折はそのような質問を受けます。

 80歳の私。まだしばらくは生きていたい。しかし、長生きしたいから努力しているのではありません。病気がイヤなのです。

 「長生きしたい」と「病気をしたくない」は、同じようで異なります。くどくなりますので、別の機会に述べることにします。

 とりとめのないことを、長々と書きました。この辺りで終わりにします。

 写真は、親しい知人から頂いたお銚子です。今では使う機会がなくなってしまいました。 寂しいかぎりです。

 

 

 

 

  

コメント (4)
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