お医者の指示で、「減塩」と「節酒」をしています。「禁煙」は、ずっと以前から実行中です。
お陰さまで、病状はほぼ安定、つまり、目立つほどには悪化はしておりません。
「減塩」や「節酒」は私の意思だけで叶うものではなく、周囲の人たちの温かい協力があってのこと。
「減塩」に関しては、特にカミさんの力によるところが大きい。80パーセント以上かもしれません。
もちろん、酒席などにおいては、ほぼ私の意思によるものです。
大皿に盛りつけられた料理は、ほぼ敬遠します。ましてや、席上で調味料が振りかけられたら、いっさい箸をつけません。
同席の友人たちは、きっと怪訝に思っていることでしょう。やむを得ないことなのです。
それぞれの皿に取り分け、好みに応じて食べるという風潮は、まだ不徹底なように思います。
「節酒」は意外に簡単です。呑まなければいいだけのハナシなのですから。
「まァそんなことを言わず、もう一杯だけ!」
ときにはそんな場面にも遭遇します。多くの場合、なんとか逃げ切れます。呑んだフリというテもあります。
その点、いい友人たちに恵まれていると思っています。ありがたいことです。
この頃、世間では、「禁煙」、「節酒」、「減塩」のかけ声が大きくなりました。
医療費や社会保障費の軽減という意味合いからも、さまざまな機関のスローガンになってきているようです。
「禁煙」については、おおかたは本人の意思で決まりですね。
今もって「禁煙」していない人は、「できない人」ではなく、「しない人」だと思います。
極端に言えば、「禁煙するくらいなら、死んだ方がいい!」 とでも言える生き方かもしれません。つまり、「生き方」の問題です。
「受動喫煙」の害について、さまざまな論議を引き起こしています。まだ、結論が出ていないのでしょうか。
大衆的な料理店の場合、「喫煙席」と「禁煙席」とに区分されていますが、どれほどの効果があるのか疑問です。
そんなに気を配ってまで、長生きをしたいのか?
時折はそのような質問を受けます。
80歳の私。まだしばらくは生きていたい。しかし、長生きしたいから努力しているのではありません。病気がイヤなのです。
「長生きしたい」と「病気をしたくない」は、同じようで異なります。くどくなりますので、別の機会に述べることにします。
とりとめのないことを、長々と書きました。この辺りで終わりにします。
写真は、親しい知人から頂いたお銚子です。今では使う機会がなくなってしまいました。 寂しいかぎりです。
私も病気はもういらないです。元気で笑顔で暮らしていきたいと思っています
チョット離れていてもこちらまで匂いが漂ってきます。
息をしないで追い越すようにしています。
お酒は他人にまでは害を及ぼさないです。
飲みたいだけ飲めばいいのでしょう?
減塩は難しいですね。
私は生野菜などは何もつけないでいただきますよ。
それでも血圧が上がったりしますものねぇ。
私は一日6グラムと指示され、ほぼ達成できていると思っています。
もちろん、日々によって違っているでしょうし、今は量ってはおりません。
カミさんの目分量です。
しかし、種々のデータからみて、お医者からは厳守していると認められています。
ぜひ頑張ってください。
私は臆病なので、お医者の指示には従っています。
減塩だけは、カミさんの協力がないとできません。
その点で、内心では感謝しています。
人間は直ぐに堕落します。
闘病は病気との闘いではなく、自分との闘いなのですね。
友だちが減っていくおそれもあり、とても孤独な闘いです。それもこれも、自業自得。
幸いにも私は、友人に恵まれているように思っています。