江戸中期農村が荒れてやくざの世界が幅を利かせ若者は九十九里の漁村や銚子の醬油工場に出稼ぎにでかけた。幽学は名古屋の武士の出であったが近しい仲間を殺して父親から勘当され、さすらいの旅に出て35,6歳まで関西から長野まで歩く、その後滋賀県の寺のていしゅう住職に師事を受けお布施のない農家周りを数年おこない、徹底的に搾取される農民の苦労を感じ取り、農村の指導者として生きる方向を身に着け、若いころ先進地の農業の実態を観察し身に着けていたので千葉県に行ってからも大きく役立った。農具の開発、水田の基盤整備のしかた、農業協同組合の設立、子育てとして親子の組み合わせを変える換子教育など斬新なことをおこなった。めざましい地域の発展で江戸の役人の目に止まり、5.6年も江戸にとじこめられた。その後せっかくの実績が元の木阿弥となり、寂しく干潟の地で自害した。この地に記念館が立ち博物館となっている。農業に関心のあるかた、是非おとずれてください。旭市の東部の千葉県の図書館には大原幽学の資料がおいてありますので参考にしてください。
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