雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

龍源院

2007年11月30日 | 京都散策
高桐院拝観を終え、時計を見るとまだ特別拝観までは時間があります
あと一つは拝観出来そう
それなら龍源院かな

ぶらぶらと大徳寺境内を散策
芳春院の前まで

    

この塔頭
入口の門には拝観謝絶に関するものは何もない為、拝観出来るのかな?
なんて思ってしまいます
でも特別拝観以外は拝観謝絶
少し木々が色付いていたので吸い寄せられるように入ってみました

        

初秋の時期が好きです
緑と赤のコラボがステキだから

    

お地蔵様にお参りして

        






        

さて本題の龍源院です

        

畠山義元と大友義長が創建したと伝えられています

    

畠山義元は全く人望がなかった人物
父、義統の後を継いで当主となるが3年も経たないうちに謀反により越後に追放されるというお粗末な人物
しかし人生とは解からないもの
追放から6年後、大規模な一向一揆が発生
家臣の中から復帰の声が...
また、室町幕府10代将軍、足利義稙と交友があったこともあり、当主に返り咲いた人物

大友義長は見識ある人物
室町幕府11代将軍、足利義澄から豊後・筑後・豊前の守護に任じられ
後に義澄が上洛の折には資金的な援助も行って、戦国大名の確固たる地位を確立した有能な人物

そんな対照的な二人の豪傑によって創建された寺院

        

ここは、寺院内の空間全てを庭園にしています

    

方丈前庭の一枝坦を無我で見つめます
蓬莱という山
甘露が授かると言われている山
古来より願い叶わない不老長寿

甘露とは漢語で、元のインド神話ではアムリタと呼ばれています
飲んだ者を不死とする妙薬

一枝坦の庭園にも蓬莱山があります

    

時の権力者が求め、現実に探索もさせたと伝えられる蓬莱山
ほら、ここで見つけました
雪だるまもアムリタを飲み、時の移ろいを末永く写真に収めたいものです




龍源院の庭園で一番小さいのが東滴壺
箱庭の最高傑作の一つだと思います

    

覗き込むと

        

ほら
そこに
壺庭の最高傑作が
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高桐院

2007年11月29日 | 京都散策
今年何度目かな
大徳寺を訪れるのは
塔頭の特別拝観の時期になると、無性に訪れたくなります

11月初旬京都へと足を向けました

境内東端の駐車場へ車を停めたのは9時を少し回った頃

境内は着物姿の女性がぎょうさん
何でも茶会が催されているとのこと

茶道と繋がりの深い寺院

    

金毛閣は千利休が切腹する原因となったことで有名
上層には千利休の木像が今も安置されているとか


秋の特別拝観は総見院、興臨院、黄梅院
看板を見ると拝観受付は10時~
暫く時間があるので、高桐院を拝観することにしました

    

足利将軍家の一門として南北朝時代の動乱の中で台頭した細川家
室町時代の有力守護大名および管領家
しかし室町時代末期には三好氏や陪臣の松永氏に権力を簒奪され衰退

戦国時代に入って、織田信長と豊臣秀吉に従ったことから家運を回復
細川忠興が家長の折には再び盛隆を取り戻し、江戸時代末期まで熊本藩54万石の石杖を築くことになります

その細川忠興が埋葬されたことで以後細川家の菩提寺となった高桐院

        

紅葉の時期の参道が有名
訪れたのは10月末
まだ、紅葉には少し早い時期でした

         

さっそく本堂へ
幾人かの先客

少し色付いた楓と緑の絨毯(苔)

    

そして影の主役
竹林

簡素な庭園ですが、見れば見るほど味わいのある庭園

    

高桐院の楓の中で、最初に色付くのがガラシャの墓へ向う道にある楓
毎年ここの楓が最初に色付きます
晴天をバックに映える楓

    

この楓が散り始めるころ楓の庭も紅く染まります

高桐院は紅葉真っ盛りよりも散紅葉のころの方が美しい

さあ、今年も華麗なる散り姿をみせておくれ

    

京の趣
何気ない演出にも心を奪われます

        

世間では紅葉真っ盛り
雪だるまのブログではまだ紅葉前
もう少し待ってね

    
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宇津江四十八滝

2007年11月28日 | 岐阜散策
高山から更に奥地に進むと、清流が町を流れることで有名な飛騨古川があります
その古川の少し手前を山に入っていくと宇津江四十八滝
四十八滝という名は全国にありますが、決して四十八の滝があるのではなく、沢山滝があるという意です

少し前の写真ですが、今年の写真は今年のうちに
という訳でアップします



四十八滝前には土産物屋と軽食屋があって結構賑わっています
そこから入っていく訳ですが、愛犬家の方ご用心
犬は入れません(赤目はいいのに何故?)

ワンコを連れて行っていたのですが、ワンコは車で待機となりました

        

この際だとばかりに、絞りに絞っての撮影です
めいっぱい絞って、シャッター速度は1~8秒
ちょっとやりすぎたかなという写真になりました

        

訪れたのは10月中旬だったので、紅葉も期待していたのですが残念ながらまだ緑
渓谷は紅葉が遅れるのは知っていたのですが、ちょっと残念

        

でも、落葉もあるのでアップで撮影すると晩秋のようですね

        

というわけでアップの写真をもう一枚

        



水の流れ
シャッター速度を遅らせて撮ると、白い塊のようになって写ります

        

人の目では見れない風景がそこに出現

    

四十八滝の魅力は、次から次へと滝が見れる事
大きな滝から滝とは呼べないほどの小さな落差の滝まで

        

狭い散策道
他の見物客の邪魔にならない様
三脚を担ぎながら
撮影しては移動
移動しては撮影

        

振り返るとまた違った印象を見せてくれる渓流

        

滝つぼの畔でちょっと休憩

先ほど次から次へと滝が見れると書きましたが
一つの滝を見て
次の滝へと移動するということは
つまり
滝と同じ高さまで登るから次があるということ
当たり前ですが、移動は結構大変

        

落ち葉で滑りやすい道
撮影は休憩を兼ねて

    

たっぷりとマイナスイオンを浴びながら

        

滝を堪能しました

        
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せせらぎ街道

2007年11月27日 | 岐阜散策
岐阜県の郡上八幡から高山まで
郡上八幡~明宝~高山清美町

秋の時期よくここを訪れます
道路沿いの紅葉した楓を求めて

        

走っては車を停め、撮影してまた走る

    

標高差があるので、紅葉している場所もあればこれからの場所も

    

街道沿いは杉の植林が多く、常緑樹の緑をバックに撮影できるのでお気に入り

        

おなじみのせせらぎ渓流公園に車を停めて散策
足音がカサカサと鳴ります
落葉が散策道を埋め尽くしています

        

グリーンシーズンが終わりを告げる刹那
季節の移り変わりを眼で楽しめる時期

    

そんな瞬間を切り取ってみました

        


四季
好きな言葉です
気候も同じ位置に留まることなく流れている
急ぐでもなく
移ろいを忘れるでもなく
ゆっくりと
でも着実に

        

ほ~ら
眺めてごらん

みんなで一緒って言ったのに
少しだけフライングした葉っぱがいますよ

    

夏と秋が混ざり合い

    

最後は散って終わる紅葉も
暫し留めて楽しませてくれる



まだ夏を思わせる場所もあれば

    

これから秋へと向う場所もあれば

    

秋が始まった場所もある

    




雪だるまにとって今年初となったもみじ狩りでした
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化野念仏寺

2007年11月26日 | 京都散策
浄土宗の寺

境内には8000体の石仏、石塔が並ぶことで有名な寺院
「あだし」とははかない、むなしいの意

        

弘法大師が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのが化野念仏寺の始まり
弘法大師とは空海のこと
真言宗の開祖

俗名は佐伯 真魚

        

讃岐国多度郡屏風浦の豪族・佐伯直田公と玉依御前の子として、香川県善通寺市に生まれた
御蔵洞で修行をしている時に、口に明星が飛び込んできて悟りを開いたと伝えられています

    

無名の一沙門として遣唐使に随伴
空海の乗った船は、途中で嵐と遭遇
大きく航路を逸れて福州長渓県赤岸鎮に漂着
その後たった一年で遍照金剛の灌頂名を与えられる等天才ぶりを発揮

        

そんな空海が弘仁2年
長岡京市、乙訓寺の別当を務めた時期
この化野念仏寺を訪れたのです



        

境内を巡り、竹林に至ると...

        

静寂に包まれたその場所で
空海の教えが聞こえてきそうです

        

化野に散在していた多くの無縁仏
掘り出して一箇所に集め
寺院とした

空海の優しさが伝わってきます

        













番外編

嵯峨野を歩いていて撮ったスナップも掲載します

        

        

    

        
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鳥居本

2007年11月25日 | 京都散策
鳥居本

    

伝統的建造物群保存地区に指定された地域
室町時代末期ごろから人が住みだします
農業、林業そして漁業を中心とした里村として

        

一之鳥居が印象的

    

化野念仏寺までは観光客も多いですが、ここまで来るとめっきり歩く人の姿が減ります

        

一之鳥居近辺には二つの料亭

一つは平野屋

        

もう一つはつたや

        

どちらも庶民の財布ではちと厳しい場所

撮影のみで我慢しましょう

        

雪だるまの財布が言っています

歩いているとワンコを発見
飼い主の方がテニスボールを投げると、飛びついて咥えています

        

雪だるまも投げさせてもらいました



嵐山からここまでは結構な距離
歩いての散策もいいですが、レンタサイクルでの散策もお勧め

        

秋の京都は時間が足りない


いろんな国の人が訪れる京都
文化交流の街

        
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愛宕念仏寺2

2007年11月24日 | 京都散策
稱徳天皇の開基により建立
平安朝の初め鴨川の洪水で堂宇が流失
天台宗の僧、千観内供により再興
その時から、比叡山の末寺となった寺院です

当初は、現在の位置ではなく、東山の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建されました

        

醍醐天皇の命により復興した千観内供が念仏を唱えていたことに因んで、愛宕念仏寺と寺号を改めます
その後、荒廃を繰り返し明治時代には、本堂、地蔵堂、仁王門のみがかろうじて残るのみの廃寺となってしまいます

1922年に現在の位置へと移築されますが、それでも荒廃
天台宗本山から住職を命じられた西村公朝は、仏師として全国を飛び回る傍ら精力的に再興を図ります
昭和の羅漢彫りが始まり、参拝者によって彫られた羅漢が境内を埋め尽くすこととなりました

        

        

境内で静かに見守っている羅漢さまたち

    

中にはこんな羅漢さまも...

        



本堂を囲むように配された羅漢

        

一番奥の多宝塔の周囲も羅漢だらけ

        

豊穣を喜ぶ羅漢もいれば

    

共に酒を酌み交わす羅漢もいます

    

羅漢さまのお寺でした

        
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愛宕念仏寺

2007年11月23日 | 京都散策
愛宕念仏寺と書くと「あたごねんぶつじ」
と読みたくなりますが、このお寺
じつは「おたぎねんぶつじ」と読みます

鳥居本を越え更に奥へと進むと清滝トンネルに至ります
そのすぐ寸前の山寺が愛宕念仏寺

    

境内には羅漢さまがいっぱい

釈迦の教えを広めた僧侶のことを羅漢と呼びます
釈迦が入滅した時見守った羅漢は5百人と伝えられている
そしてその百年後、再び涅槃の地に集まります
釈迦の教えを忠実に守る為に

    

その時集まった羅漢は7百人

愛宕念仏寺ではこの数字に因んで12百人の羅漢さまの像が並んでいます

    

仁王門から境内に
すぐ石段が続いています

        

石段を登る人を草陰から羅漢さまが見守っています
優しい笑みで

        

上の本堂までは二つの順路があります
一方は仁王門正面の階段を登る道
もう一方は仁王門から右へ進んで登る道

        

結局は途中で一緒になるのですが...

二つの道が一緒になったところから先はというとまた二つに分かれます

一つは三宝の鐘へ

    

もう一方は地蔵堂へ

        

三宝の鐘の方から登ることにしました
ここの鐘
みっつ並んでいますが、それぞれ「仏」「法」「僧」と刻まれています
ぐるりと回しながら鐘を鳴らすと、鐘のハーモニーが境内に広がりました

そして本堂前まで来ると...

    

羅漢さまの行列


続く...
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滝口寺

2007年11月23日 | 京都散策
二つの悲劇が祭られた寺院
滝口寺は祇王寺のすぐ奥
祇王寺の入口から先ほんの5メートルも進めば佇んでいます

        

横笛に恋した斎藤時頼
叶わなかったその恋と横笛の悲しみ

山深み思い入りぬる柴の戸のまことの道に我れを導け

        

現代では滅亡した淡い切ない恋がまだあった時代のこと


嵯峨野は世をはかなんだ人々の隠棲の地


        

そこが滝口寺
本堂は静かにそんな地に佇んでいます
本堂には二度と会うことがなかった滝口入道と横笛の像が安置されています
長い年月を経て、ようやく巡り合ったふたつの像

    

本堂から嵯峨野の四季を眺めながら何を思う
入水したとも伝えられる横笛
彼女の悲劇を修行の糧として滝口入道は高僧へと位を上げます

源平時代の秘話でした

        

高野聖と賞された滝口入道
平家の滅亡を見届ける

かつての主筋である平重盛の嫡男
平維盛の入水自殺に立ち会うこととなります

その為滝口寺には平維盛を祀った小松堂が佇んでいる

悲劇の連鎖反応のような寺院

    

ここには、平家一門の供養塔もあります

        

ちょっと湿った記事になりましたので
話題を変え

帰り道、石段に猫が一匹

    

となりの祇王寺の「まろみ」ちゃんです
でも、祇王寺で出会うよりもこの滝口寺で出会うことのほうが多いです

人懐っこくて触ってあげると咽を鳴らして喜んでくれます

お顔も撮りたかったのですが眠たそうでしたので取止め

行かれた方はまろみちゃんを撫でてやってください
きっと喜びますので
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祇王寺

2007年11月22日 | 京都散策
嵯峨野の道を歩くのが好きです
四季折々の風景が旅心を掻き立ててくれるから

歴史的景観保存地域に指定され、多くの観光客が歩く地域

    

景観を堪能しながら歩きます
常寂光寺を出て祇王寺まで
途中、二尊院の前を通りますが今回はパス
一路祇王寺まで

木漏れ日の差し込む祇王寺に出会えました

    

平清盛の寵愛を受けた白拍子祇王
白拍子祇王は近江国野洲郡中北村の出身
父は橘時長、母は刀自、妹は祇女

        

保元の乱で橘時長は戦死
母と妹を養うため祇王は白拍子となります
白拍子とは男装して男舞を踊る巫女のこと

        

ずば抜けた美貌を持っていた祇王
華麗な舞姿で京都で評判の白拍子となります

この噂を聞きつけた時の権力者平清盛

噂以上の祇王の美しさ

        

あまりの美しさに我を忘れた平清盛
独占欲の強い彼は祇王を我が物とします

屋敷内に邸宅を建て毎月米百石と銀百貫を与え寵愛

やがて3年
寵愛の最後は悲しく訪れます
仏御前という名の白拍子が改に平清盛の寵を受けることとなってしまいます

        

「もえ出るも かるゝもおなじ 野邊の草 いづれか秋に あはではつべき」
祇王が屋敷を去る時に詠んだ歌

    

その彼女に更なる試練が訪れます
平清盛に呼び出された屋敷で、席次を大きく下げられた席で歌を強要されます

「仏もむかしは凡夫なり我等も終には佛なりいづれも仏性具せる身をへだつるのみこそ悲しけれ」

一時は自殺をも考えた祇王ですが、出家することで精神の安定を図ることとなりました

    

そんな悲しい物語がこの寺にはあります

苔の絨毯を眺めながら祇王秘話を思い出しました
祇王寺は竹林に囲まれた寺院

        

ここは静けさが似合う場所です

近年人気となり世間話が庭園内に響きますが、是非とも静かに拝観してもらいたいものですね

    

祇王の秘話を苔むした庭園が静かに語ってくれますので...



        

小さな寺院ですが、反比例するように長い滞在時間
ここは時間の流れが速いのかな?

        

そんなことはないですよ
あなたがゆっくりしているだけ

紫式部が教えてくれました

        

祇王寺、堪能いたしました

        
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常寂光寺

2007年11月21日 | 京都散策
雪だるまにとって嵯峨嵐山散策の拠点的場所

嵯峨嵐山を訪れるときはいつも此処を中心に何処から何処へ巡ろうかな
って考えています

訪れた時はまだ紅葉も進んでおらず、観光客の方もまばら
紅葉的にはちょっと残念ですが、撮影目的での拝観なら十二分な時期

    

前回は本圀寺から移築された仁王門を中心に撮影しましたが、今回は全体を撮影したいと思い訪れました

でも、
やっぱり
仁王門を見てしまうと外せません

拝観料を支払い境内に踏み入れると真っ先に眼に飛び込んでくるのが仁王門

    

楓を従え、木々のトンネルの奥に鎮座
やっぱり何枚も撮影してしまいました

        

仁王門に近づくと本堂へと向う階段が見えてきます

        

門をくぐって
石段を登り
振り返ると
絶景です

        

前回はここまででしたが、本日は多宝塔まで向います
今年の秋のJRの宣伝ポスターに選ばれた場所ですから
見ないわけにはいかないでしょう

開山堂の脇から登ります

        

不思議と誰もここまで来ておらずひっそりとしています
途中、一部の楓が紅葉していました
ああ、こんな色だった
一年前に見た紅葉の風景が脳裏に再現されます

        

心躍る季節の始まりを見つけました

    






ここは歌人藤原定家と関連のある場所
藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地
彼が編纂した小倉百人一首
摂関家藤原北家道兼流・宇都宮蓮生の京都嵯峨野の別荘、小倉山荘の襖色紙に載せるために依頼を受けたのが編纂の理由
完成当時は百人一首という呼び名ではなく「小倉山荘色紙和歌」とか「嵯峨山荘色紙和歌」と呼称されていたそうです

        

百人一首いくつ思い出せるのかな?
なんて考えていてふっと見上げると多宝塔が見えてきました

ここが先に書いた今年のポスターのモチーフ
同じような場所に立って
似たような構図で撮影してみました

    

まあ、撮影した人はきっと脚立を使って上から見下ろす感じで撮影したでしょうから同じにはなりませんが...
でも満足


最後に再び仁王門を撮影し常寂光寺を後にすることにしました

        

定番位置からも撮影

    

常寂光寺、また来ますね

    
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大河内山荘、最終章

2007年11月20日 | 京都散策
大河内山荘の魅力は数多い
芸術的に配置された楓は秋の時期に素晴らしい景観を見せてくれます

        

グリーンシーズンも紅葉も雪を抱いた冬も
どの季節でも庭園の美を損ねません

滴水庵は苔と楓の庭園に佇んでいます

        

苔がびっしりと生えそろい、緑の絨毯の様

        

滴水庵から眺める庭園はとても素晴らしく暫し時を忘れて見つめてしまうこと請け合い

    

当ブログの最初の写真がここ滴水庵
久しぶりに訪れて懐かしさ倍増
最初の写真は紅葉の時期でしたが、今回はまだ緑
似た構図で再撮影

        





月香亭は山荘の高台にあります
京都の街が一望できる場所

訪れた日は大気の状態も良く比叡山がキレイに一望できました

    

素晴らしい景色

    

広大な庭園はじっくりと見て周ると小一時間必要
嵐山に行くなら是非とも訪れたい場所です

        

さあ、
帰りましょう

        
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大河内山荘2

2007年11月19日 | 京都散策
    

大河内山荘は造園当時女人禁制だったとか
その禁を初めて破ったのが高峰秀子
丹下左膳で共演していた彼女を「まだ女性ではない」という理由で招待します

後年「わたしの渡世日記」という手記で彼女が、ふてくされながら招待に応じたと記しています

        

大河内傳次郎は福岡県築上郡岩屋村で、医者の息子として生を受けました
青年期は実業家を目指しますが
就職した兄の会社が関東大震災の影響で倒産すると
実業家の夢も潰え、劇作家の道を進むことになります

    

彼の人生一大転機となった時期です
第二新国劇に入団した当時の芸名は室町次郎
大河内傳次郎の芸名を使うようになったのは日活に移籍した頃
伊藤大輔監督に見出されトップスターへの階段を駆け上がることになるのです

    

往年は時代劇六大スターの一人にも数えられ
最高給俳優のあだ名も付けられます

敬虔な仏教信者であった彼は、持仏堂という名のお堂を小倉百人一首を選定した小倉山の山麓に建築します
これが大河内山荘の始まり
後年の東映時代まで彼の得たギャラは全てこの山荘造園に費やされることとなったのです

    

全盛時代も終わりを告げ、もはや彼が主演では客を呼べなくなったと悟ると
彼は脇役に徹し
晩年を汚すことなく俳優人生に終わりを告げることとなるのです

そんな彼が残した山荘
侘びの心を庭園が物語っていました

    

更に続きます...
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大河内山荘

2007年11月18日 | 京都散策
時代劇などで知られる偉大な俳優
大河内傳次郎が別荘として造営したのが大河内山荘
山荘造営に着手したのは傳次郎34才の時

        

山荘を造る為、映画出演料の大半を注ぎ込みました
大河内傳次郎が64才で亡くなるまで造園は続けられることとなります
造営期間は30年
じっくりと歳月をかけてこつこつと作り上げました

見学料は1000円
ちょっと高いですが、抹茶券も付いてくるので納得のいく金額

入口から坂を上がると広場に出ます

    

ここから大河内山荘の庭園が始まります
どの季節に訪れても素晴らしい景観を見せてくれる庭園
すぐ傍の嵐山や、遠方の比叡山、西には保津峡があり、それぞれの山を借景に使い庭園の奥行きを出しています

        

庭園見学をする前に、お抹茶を頂くことにしました
ここは庭と建物の中、どちらでも抹茶を楽しむことができます
当然、庭で頂くことにしました
毛氈の引かれた席に座ると、お抹茶を届けてくれました

    

庭園を眺めながらの一服
格別ですね

        

銀幕の英雄、大河内傳次郎
彼がどんな思いでこの庭園を設計したのでしょうか
その思いを想像してお抹茶をいただきました

        


さて、庭園見学に戻ります

    

石段を登っていくと大乗閣
大河内山荘最大の建築物です

大河内傳次郎が自ら設計した数寄屋造の建物

    

何度も拝見していますが、その度に建物の美しさに感銘を受けます
雪だるま的には平屋作の建物が好み
建物から眺める景色は絶景でしょうね

    

続く...
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天龍寺から竹林へ

2007年11月17日 | 京都散策
曹源池の撮影に夢中になっていましたが、まだまだ撮影するスポットはあります
多宝殿までのスノコの敷かれた渡り廊下も撮影する場所は盛り沢山

毎朝僧侶の方々が納経で歩いているであろう廊下

        

ここは禅宗のお寺
禅宗といっても、日本に伝わった禅宗には、臨済宗と黄檗宗、そして曹洞宗があります
ここ天龍寺では禅宗3派のうち、臨済宗と黄檗宗の流れを汲んでいます

日本へ禅がもたらされたのは、鎌倉・室町時代
日本へ渡来した禅は、46伝あったと言われています
弟子が付き、流派として後世に伝えられたのが24伝

臨済宗には妙心寺派、南禅寺派などの大本山があります

        

多宝殿までの回廊の脇にはいくつかの清流の流れがあります
ちょうど金木犀が花を咲かせていたので思わず撮影

    



方丈拝観を終え、庭園拝観に向うことにしました
一旦方丈を出て南脇の入口から庭園に向うことになります

そろそろ一般客が動きだす時間

        

人の居ない庭園を撮影出来るのもあと僅か

急いで庭園に向いました

    

大方丈を周って庭園に

    

    

この世の楽園かも


天龍寺の庭園はとても広い
全て見て周るには結構な時間が必要

庭園を巡っていたら芙蓉を発見
空に向って咲き誇っていました

        



庭園北出口を出ると竹林
野宮神社から大河内山荘まで続いています

        

キレイに整備された竹林

        

木漏れ日が竹の青さを引き立てていました

    

さあ、次は大河内山荘へ向いましょう

    
コメント (8)
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