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雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

花菖蒲

2010年07月31日 | 三重散策
アヤメ科アヤメ属

   

花菖蒲の花が咲き誇る頃
気候は一気に真夏へと向かう

       

非常に多品種で
絞りや覆輪などとの組み合わせで
5,000品種を超えるという
花菖蒲

      

ギリシア語で
虹の名を与えられている花で
学名をIris ensataという

   

Irisは虹の意

       

湿地帯に好んで繁殖する品種で
全国各地に菖蒲園が存在する

       

晴れた日よりも
少し曇りの日のほうが

   

この花には合う

       

今にも雨が落ちてきそうな
曇天の中

   

撮影を楽しんだ
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集真藍

2010年07月29日 | 三重散策
先の記事で
紫陽花は誤って表記されたと書いた

       

そう
紫陽花とは
藍が集まる
と、書くのが正しい

       

では
紫陽花という漢字はというと
そこに誤りが隠れている

   

中国に白居易という有名な詩人が居た

   

白氏文集が日本に伝わると
その後の平安文化に大きな影響を与えている

       

紫陽花とは白居易がおそらく
ライラックを差して充てた漢字だという
それを源順という学者が
誤ってアジサイに表記した

   

これが冒頭に書いた
誤りの意である

   

集真藍
藍色が集まって為す


   

       

そういえば
梅雨の季節には
藍という色は似合う
ふと、そう思った
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紫陽花

2010年07月27日 | 三重散策
紫陽花

   

学名で書くと
Hydrangea macrophylla form. macrophylla

       

漢字でなら
集真藍と表記するほうが正しい

   

紫陽花という書き方は
誤りから定着した

   

というのも
紫陽花
白居易が名付けた花なのだが
実はアジサイではない花の名前

   

平安時代の学者
源順が誤ってアジサイに紫陽花と書いた
誤ったまま定着してしまったというもの

       

多くの詩人の題材ともなっている紫陽花

  

紫陽花や 藪を小庭の 別座敷
とは松尾芭蕉の句

  

晴れた日よりも
雨の日が似合うこの花は
淡い光と水滴で輝く
不思議な花である

   

今年も紫陽花の魅力にハマった

   
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初夏の散策

2010年07月26日 | 三重散策
初夏の散策は
水と共に

      

うだるような暑さの夏の前の儀式

そう
梅雨時

   

木々の隙間に
ひっそりと咲く紫陽花
夏の訪れを告げる花

   

   

夏を告げると言えば
半夏生

       

七十二候で
唯一、花の花を冠する
かつては夏至から数えて11日目を差し
今では
天球上の黄経100度の点を
太陽が通過する日

       

緑が美しく輝き

   

木々の隙間には
可憐な百合も共演する

  

アガパンサスは
南アフリカの花

       

日本の地にもずいぶんと定着した

   

そしてこの頃
忘れてはならないのが
紫式部
秋に実る紫の実は
この花で宿る
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百合 2

2010年07月23日 | 写真
ユリの2回目

       

ユリというと
西洋伝来の花のような気もするが
古来種である

  

ただ
観賞用として育てられていた訳ではなく
専ら食用や薬用としてだが

   

茶碗蒸しの具材として有名
と書けば判ると思う
そう、ユリ根である

  

観賞用として育てられるようになったのは
実は明治時代になってからの事
シーボルトが日本のユリを祖国のドイツへ持ち帰り
復活祭のイースター・リリーとして紹介したことから
鑑賞という概念が日本で生まれたという皮肉な花である

   

明治の終わり頃には
輸出商品として
絹に次ぐ輸出商品であったという

      

それに比べると
西洋ではユリの扱いは最上級

      

聖書にもユリの記述は多くみられ
純潔の象徴として
聖母マリアの象徴とされている

 

フランスでは
ユリは国花の一つにもなっている

   

山間の一角に咲く
可憐な花
ユリの撮影を楽しんだ

   
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百合

2010年07月22日 | 写真
初夏の頃

        

それまで快適だった日々が
ある日
無性に暑くなり
日差しを避けたるなる頃

   

山間の一角で
咲きだす花
ユリ

   

亜熱帯から亜寒帯まで
幅広い地域に自生する花

   

最近では
夏場のスキー場のゲレンデを利用して
ユリ畑が見られるようにもなった

       

強い日差しの下ではなく
少し薄曇りの天候が
この花には似合うかもしれない

  

日本ではそれほどでもないが
欧米では
格別に重宝がられると云う

  

森林の中で
見付けたユリの園

      

つい夢中になって撮影

  

続く
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菖蒲

2010年07月21日 | 写真
初夏の頃
水辺は色に縁取られる

       

昔は畔の一角に
田に張られた水の恩恵をもらい
ひと固まりの束になって
咲いていた菖蒲

      

一番花が咲いて
緑の細長く立った葉の間から
紫の花びらが
目を引くようになると

   

暑い夏が
また、始まったと
思わずにはいられない

       

涼しげに
見えなくもない畔だが
菖蒲が咲き誇る頃には

   

湧き立つように
水蒸気となる田の水が
周囲の湿度を上げ

       

蒸し暑さと共に
日本の夏を連想させる

       

二番、三番と
花を咲かせ
その後は緑の塊へ

  

次に注目するのは
トンボが休憩所として
留る頃かな

      
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城南宮2

2010年07月20日 | 京都散策
城南宮

       

前回の記事で
方除の大社と記した

       

方除とは
陰陽道の考え方で
方違え、方忌みとも書く

   

陰陽道とは
自然界の陰陽と
五行の変化を観察するところにある
瑞祥・災厄を判断
事の吉凶を占う

       

その陰陽道により
ある方角が凶と判断された場合
一度別の方角へ進み
そこで一夜を明かし
翌日、改めて
違う方角から目的地へ向かうという技術

   

京都御所の裏鬼門を守る神とされた
ここ、城南宮

   

多くの貴族が
ここを方違えの宿としたという

   

白河上皇の離宮と
貴族の別荘地の点在したこの地
かつての
賑わいが
陽光の下でも聞こえてきそうな気がした

       

初夏の頃
ふらりと
城南宮を訪れてみた

       
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城南宮

2010年07月16日 | 京都散策
城南宮

       

名神高速道路
京都南ICのすぐ脇に鎮座している
方除の大社として知られる神社

   

城南宮は
鴨川に臨む水郷の景勝地
伏見の地にある

       

自然風景豊かな地であったことから
貴族の別荘が多く建てられた地でもあった

   

平安時代の末期には
白川上皇が
城南離宮と
鳥羽離宮を造営

  

上皇を訪ねて訪れる
天皇や、貴族が歩く様は
さながら都通りと同じだったと云う

       

創建時期の不明な城南宮
離宮内には
式内社である
真幡寸神社が鎮座していたと云われている

   

この社に
八千戈神の神霊を
添えて奉斎したのが始まりかもしれない

   

かつては
都の副都心として
栄えたであろうこの地の
庭園を巡ってみた

   

続く
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釘抜地蔵

2010年07月15日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






京都の街中には
少し変わった寺も存在する
ここは、そのうちの一つ

       

観光寺院ではないこの地蔵様は
地元の方
遠方はるばるの方が
一心に祈りをささげている

      

ここは苦しみとの離別を祈る寺院
釘抜きを捩って
苦抜き
トンチのような気もするが
至って真面目な話

       

釘と釘抜きを奉納するお寺で
おそらく他に例はないだろう

   

苦しみとの離別を
お堂を廻りながら
ひたすらに祈る

       

何故釘抜きと釘なのかと言うと
先程の話、シャレではなく
一つの伝承に因る

   

京都でも有数の大商人
道林
ある日、両手が痛みどんな治療をしても
苦しみが続いたという
そんなある日
「苦抜地蔵」に願掛けで出掛けてみると
その夜、夢を見る
夢に出てきた地蔵尊が
二本の釘が刺さっていると伝え
その釘を抜いてくれたと云う
その翌日から痛みは無くなり
その話が伝わり
以後「苦抜地蔵」の名前よりも「釘抜地蔵」が通称になってしまったとか

       

千本通り沿いの商店街から
細い路地を進むと佇んでいる釘抜地蔵

   

京都の珍スポットとして
結構お気に入りの場所で
時折、訪れてしまう

   

この日は珍しく静かな境内で
お茶を頂きながらのんびりと過ごした
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アサヒビール大山崎山荘美術館 3

2010年07月13日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
アサヒビール大山崎山荘美術館
最後の記事は
庭園から

       

この美術館
館内は有料(大人700円)だが
併設する庭園は
自由散策となっている

       

四季折々
色々な花々が咲き誇り

   

立体的に配された庭園内を散策すると
豊かな日本の自然をも満喫できる

   

訪れた時は
春から夏へと向かう端境期
花々は少なかったものの
輝く緑が楽しめた

      

話は戻るが
ここのテラスでは
リーガロイヤルホテルから
運ばれてくる焼き菓子も楽しめるので
ドライバーや酒を嗜まない方もお勧め

       

豊かな自然の風景

   

ここは美術館と併せて楽しめるのが嬉しい

  

次回は紅葉の頃
訪れてみたいものである

       
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アサヒビール大山崎山荘美術館 2

2010年07月12日 | 京都散策
ここは
名前の通り
アサヒビールが経営する美術館である

   

バブル経済崩壊前の華やか成し頃
この山荘は取り壊しされる予定であった
とある開発業者がここにマンションを建築しようとしたのだ

   

反対する地元住民の熱意は
当時の京都府知事を動かし
知事の知己であったアサヒビール社長をも巻き込んだ
企業メセナ事業の一環として
この山荘はアサヒビール所有となる

       

テラスに座し
風景を眺めながら

       

頂くとすれば
それは、やはりアサヒビールだろう

       

この山荘がアサヒビール所有となると
建物や内装は
加賀氏が建設した当時の
クラシックな姿に修復された

       

この美術館のアピールポイントは
なんといってもモネ

       

山荘に付属する
コンクリート廊下とガラスで覆われた
シリンダー状の新展示室

   

触れるくらい
近くで
世界の名画を見られるのは
ここくらいのものだろう

       

続く
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アサヒビール大山崎山荘美術館

2010年07月09日 | 京都散策
山崎の地を訪れた目的は
ここ

   

アサヒビール大山崎山荘美術館
1996年にオープンした
私設美術館である

       

美術館というよりも
素敵な洋館のある場所というイメージが強いのは
ここが
元々は実業家、加賀正太郎氏の山荘だからである

       

美術館らしく
山荘内には、アサヒビール創始者山本為三郎氏が収集した
陶磁器
染織
絵画
といった展示物が並び
クロード・モネの作品も展示がある

       

山本為三郎氏は
明治期から昭和にかけての実業家
朝日麦酒、現在のアサヒビール
新大阪ホテル、現在のリーガロイヤルホテル
の代表を務めた人物である

   

その彼が
日本民藝運動に賛同する

   

日本民芸美術館設立趣意書という書物が大正15年に発刊されている

       

日常の暮らしの中で
実際に使われた
日用品
その日用品に「用の美」を見出すというもの

       

日本独自で日本でしか広まらなかったが
そんな趣旨に従って収集された美術品を眺めるのがここの流儀

   

続く
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離宮八幡宮

2010年07月07日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
京都の南の西の端の一端
かつて
豊臣秀吉と明智光秀が
存亡をかけ戦った古戦場付近
山崎の地を訪れた

   

駅前ロータリーの少し手前
県道67号線
西国街道に寄添うように
離宮八幡宮は鎮座

       

八幡大神が祭神の神社
古くは
清和源氏が武運の神として祀っていた
応神天皇と同一とされる神である

       

小さな神社であるが
石清水八幡宮の
元社にあたる神社
であれば
と、納得する

       

ここはまた
大山崎油座の地でもある
鎌倉時代前期頃から
戦国時代末期頃まで

       

   

荏胡麻油の販売権を独占し
富を蓄えた

       

訪れる人も少ない
ひっそりとした神社

   

かつての栄光と繁栄

       

この神社の風景に見た気がした
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六華苑

2010年07月06日 | 三重散策
前回までは
図らずも出会えた雅楽についてであった

       

午前の部の演目が終わったので
当初の目的であった六華苑を巡る

   

大正2年竣工の洋館と和館
池泉回遊式庭園と数棟の土蔵
そして、茶室も配する
総面積は18,000㎡を誇る
広大な敷地を持つ邸宅である

       

当初は新居として建築されたが
やがて別に新居を建築すると
諸戸家関連会社の事務所として利用されることとなった

   

平成に入り
建物が桑名市に寄贈され、敷地も売却されると
平成5年からは観光資源として
一般公開されるようになった

   

本館は
先程の記事のごとく
洋館と和館の二連結合

      

当然製作者は違う
和館はお抱え大工だった
伊藤末次郎が棟梁を務め
完成させている

   

奥へ向かうに従い
畳敷が数を増す構造
家人と女中が渡る廊下が異なる構造
封建的な思考に基づき
和館は造営されている

   

それとは正反対のように
洋館は
鹿鳴館の設計で、日本では知名度が高かった
イギリス人建築家
ジョサイア・コンドル氏の手によって
建築されている

       

ヴィクトリア朝住宅の様式
しかし内部には
和風の襖が設けられ
和洋折衷の香りも漂う

       

折々訪れているが
何度見ても飽きない六華苑であった
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