日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
山号を五百佛山と称する
京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院
この寺院は
元々、紀伊国根来山の塔頭寺院であった
天正13年の根来攻めで全山炎上
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/63/733792b903f88c5e6d8d387c6c141658.jpg)
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再興叶わず15年余
治世が豊臣家から徳川家へと移り
豊国社の付属寺院の土地建物を徳川家康から与えられ
京の地へと移転し再興する
社家の街並の先には由緒ある神社が鎮座
通称、上賀茂神社
ユネスコの世界遺産に登録されている
神武天皇の御代
賀茂山の麓の御阿礼所に
賀茂別雷命が降臨した
それがこの社
古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社
こちらへは毎年
大田神社を訪れた流れで立寄る
季節は何時も春の頃
新緑が眩しい季節だ
賀茂別雷神社の境外摂社
大田神社
賀茂最古の神社として知られ
長寿信仰されている
祭神は天鈿女命
参道には
大田ノ沢のカキツバタ群落がある
歴史は古く
平安の世の書物に登場する
神山や
大田の沢の
かきつばた
ふかきたのみは
色にみゆらむ
千載和歌集の編者
藤原俊成の唄にである
雪舟寺とも呼ばれる
東福寺塔頭寺院
庭園は雪舟の作
紅葉見事な東福寺にあって
この寺は緑
静かに縁側で庭園を眺める
信心とは
こういう風景から得られるかもしれない
我が魂長くこの地にとどまるべし
この地は
かつては菅原道真の所領であった
宇多天皇のもと
寛平の治を支えた一人であり
醍醐朝では
右大臣にまで上り詰めた人物である
しかし
昌泰の変で謀反人として処断された
大宰府へ左遷されるとき
この地に立寄り
冒頭の句を詠んだと云われている
立寄ったのは
旧暦1月の頃
ツツジではなく梅の季節であったことだろう