雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

勧修寺

2008年07月31日 | 京都散策
勧修寺
「かじゅうじ」と変な読み方をする寺院

前回の随心院と同じ門跡寺院

       

勧修寺は元々
宮道弥益の邸宅跡
醍醐天皇が右大臣藤原定方に命じて造営させたもの

    

   

今昔物語には
勧修寺の名前の由来ともなった物語が綴られている

    

藤原高藤という人物が居た
藤原冬嗣の孫に当たる人物である
正三位内大臣にまで登りつめた人であったが
若い頃は、狩が好きで
特に鷹狩りを趣味としていたという
ある日
南山階にまで狩に出掛けた折の事

    

南山階といえば、現在の山科周辺の地
当時は未だ未開地が多い鬱蒼とした森に囲まれた土地であった
狩に夢中になって野を駆けていた
ふと、
気が付くと空が曇天となっている
やがて
大粒の雨が落ちてきた

雨を避けるため
四方に目を向けると
果たして
一軒の屋敷が雨で歪む景色の向うに在る

        

宮道弥益の邸宅であった
宮道弥益は山科の大領
郡司としては最高の地位を得ていた人物
高藤は暫しの雨宿りを申し込むことにした


偶然雨宿りに訪れた高藤
雨が降頻る縁側か門下で
二人は出会ったはずである
その折の会話については
今昔物語には記載されていないものの
弥益はこの若者を気に入ったようで
食事と、一夜の宿を申し出たのかもしれない


弥益はもてなし
一夜の宿と食事を振舞った

    

高藤は
この雨の中
洛中まで馬で帰るのが躊躇われた

気がかりなのはただ一つ
父の存在

高藤の父、藤原良門は藤原冬嗣の六男
従四位上、内舎人の位を持つ人物
早世したようで
史書にも彼についての記載は少なく
詳しくは良く判っていない人物だが
厳格な性格の人物だったようである

高藤も父には頭が上がらなかった
鷹狩りで
連絡無いまま家を空けると
きっと怒るに違いない

しかし、弥益の勧めが上手だったのか
後に記載する彼の娘が気になったのか
勧められるまま
一夜を過ごす事にしてしまう


酒の席ももうけられた事だろう
弥益はそれなりの家財をもっていた人物
季節が夏であったなら
きっと鮎料理も出たに違いない
もしかしたら
家人の誰かは、高藤の前で一句詠い演舞も披露した事だろう
偶然の
そして突然の来訪にも関わらす
堪能した高藤


その家で
高藤と列子は出合う

   

列子に一目惚れ
一目見たとき
その心に響くものがあったのか

やがて
二人を結びつける時間は十分にあった
高藤と列子は一夜の契りを結ぶこととなる

   

翌日
礼をいい
弥益の邸宅を辞した高藤

帰京の折
心に思い浮かんだのは
父の顔か、列子の顔か
はたして...


不安のとおり
父、良門は
連絡のないまま戻らない高藤に対し激昂

        

二度と鷹狩りに行かない旨
高藤に約束させてしまう
それ以降
高藤は狩に出掛けていない
南山階の地へと訪れる事が出来なかった高藤
列子との連絡も途絶え
二人が再会するまでには6年の歳月を必要とした

      

再会は偶然であったのか
父、良門の死を待って
高藤が南山階を訪れたのか
その辺の事情も不明のまま

    

判っているのは
その再会の時
列子が一人の娘を連れていた事
6年前の夜
二人の間に出来た娘だった

       

この娘こそ
後に宇多天皇の女御となり、醍醐天皇の生母ともなった藤原胤子である

   

後になって
早世した藤原胤子を悼み
醍醐天皇が母を弔う為に寺院を興す

   

寺院の場所は胤子が生まれた家
弥益の邸宅
そして寺の名前は高藤の諡号から

   

勧修寺
今昔物語と共にお伝えしました

  
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随心院

2008年07月30日 | 京都散策
真言宗善通寺派

小野小町ゆかりの寺として有名な随心院を訪れました

        

うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをもると見るがわびしさ

随心院は京都府山科にありますが
この周辺は小野氏の所領だったことから
小野小町の邸宅もあったとされています

    

開基は仁海
創建当時は仁海が創建した牛皮山曼荼羅寺の塔頭であった
牛皮山曼荼羅寺から独立したのは
第5世住持の増俊の時代

   

7世住持の親厳になると
後堀河天皇の宣旨を受け
門跡寺院となっている

    

この時より後
随心院と称されるようになった

門跡寺院となって
寺領は拡大
一時は、山城・播磨・紀伊にも寺領をもつ一大寺院となった

    

随心院も伽藍が立ち並び
七堂伽藍は壮美を誇っていたと云う

        

しかしながら
その後に起こった戦
承久應仁の兵乱で伽藍の全てを焼失

    

寺領も失い
再建を果たすも
九条唐橋
相国寺近辺
と転々とすることとなる

        

再興が叶うのは後の事
慶長4年になってから

   

24世住持増孝
曼陀羅寺の故地である
現在の地に本堂が再興されています

   




喧騒とは縁遠い境内

        

ここは静かに
庭園を眺めるのがお勧め

       

    

四季を愛でるのが楽しい寺院
この日も花菖蒲が庭園に彩を添えていました

      

次はどの季節に訪れようかな

       
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一言寺

2008年07月29日 | 京都散策
真言宗の寺院
一言寺を訪れました
寺号は正式には「金剛王院」

    

一言寺の名の由来は
本尊、千手観音菩薩にある

    

この寺で千手観音菩薩へ
ただ一心に祈ると言下に願いが叶うとされ
この事から一言寺と呼ばれるようになった

    

ここは隠れた紫陽花の名所でもあります
境内右手
と、本堂右手には紫陽花園

    

訪れるのが少し早すぎたようで
紫陽花は開花前
少し残念でしたが
静かな境内に立つと
心が和み、まあこれはこれで良いかな

       

一言寺の創建は12世紀
藤原通憲の娘阿波内侍が開基と伝えられています
昔は広大な庭園があったようですが
創建後、次第に荒廃
江戸時代に醍醐寺の塔頭となって復興している

   

本堂前に一人の老人が居ました

   

撮影していると
老人が話しかけてこられました
以外にもカメラに興味があるようで
幾つかのメーカーを揚げられ
カメラの特性について語られました

将来の雪だるまの姿だったりして...

   

一つだけ願いを叶えるという千手観音
さて
何をお願いしようかな

    




境内奥の紫陽花も未だ開花前

本堂奥、立ち入り禁止の場所に
ぽつんと蹲がありました

   

日差しを浴びて
光る姿がとても荘厳に見えました


観光客も少なく
ひっそりとした佇まいを見せる一言寺

       

拝観自由の境内
京都の別の魅力を見せてもらったような気分

   
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三室戸寺2

2008年07月28日 | 京都散策
本山修験宗の別格本山
紫陽花園の見学を終え
境内を巡ります

紫陽花園から本堂へと向う途中
石庭と池泉回遊式庭園に立ち寄りました

    

三室戸寺といえば広庭
ツツジ、石楠花、紫陽花と
広庭を埋め尽くさんばかりに
季節の花を咲かせます

でも
折角訪れたのなら
石庭と池泉は眺めておきたいもの

        

本堂に参る前に
庭園を眺めて
美を感じるのも一興

        

木々の作り出す
自然美の造形

   




庭園を眺めた後
石段を登って本堂へとお参り

石段には未だサツキが花咲かせていました

       

紫陽花の撮影に夢中になっているうちに
いつの間にか
多くの人が
訪れていたようです
本堂前は参拝客が大勢みえました

    

本堂前には蓮の花壇
雨を湛えた蓮の葉
開花のための準備は着々と
次の主役は蓮

   

花の寺
三室戸寺

       

次は蓮の季節に訪れたいものです

        

本堂を去る頃から
日差しが差し込み始めていました

紫陽花園を抜けて出口に向かう途中
陽光に照らされた紫陽花を再び撮影
三室戸寺を後にしました

  

       

  
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三室戸寺

2008年07月27日 | 京都散策
初夏の京都への旅
暫く前の事ですが
三室戸寺を訪れました
西国三十三箇所にもなっている三室戸寺
拝観は8時半からなので
早朝からお出かけ
到着は8時頃でした

車を駐車場へと停め
早速
拝観受付前まで進みます

    

まだ誰もいない参道

訪れたのは紫陽花の時期
参道には前日から降った雨で濡れそぼつ紫陽花が出迎えてくれていました

       


8時半が拝観開始時間でしたが
10分くらいから受付が開始され
いそいそと園内へ

        


一万本の紫陽花が彩る庭園
未だ五分咲きと残念でしたが
それでも見える景色は圧巻

    

咲き始め
まだ色を纏っていない紫陽花
産湯に浸かったばかりみたい

      

満開時期でなかった事と
公示拝観時間前だったこともあって
後続の方は誰も入ってきません

        

Hydrangea
水の容器

       

見頃はこの後1~2週間後でしょうか
それでも
雨に濡れた紫陽花園
感動的な風景が広がっています

    

紫陽花は七変化とも呼ばれています
それは
色の事
植わっている土壌によって
色が変化するから

   

土壌の酸性度が上がると
青色が濃くなる

  

咲き始めは淡く
終焉に近づくほど
色は濃くなる

紫陽花とは藍色が集まる事
日本古来種も原色は藍色

     

用水路沿いは今年も
藍色で染められていました

   

色とりどりの紫陽花

紫陽花という名の出典は如何
それは中国の白楽天の詩が元である
そしてその詩は

何年植向仙壇上
早晩移植到梵家
雖在人間人不識
与君名作紫陽花

  

恥ずかしがって
人目を避けるように
葉の間から
ご挨拶

     

今年初めて撮った紫陽花でした

        
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上高地 ラスト 帝国ホテル~バスターミナル

2008年07月26日 | 長野散策
10回に渡り
上高地散策にお付き合い頂きありがとうございます
今回が上高地散策紀行のラストです

1933年創業の日本初山岳リゾートホテル
高い石組壁と赤い屋根が特徴のホテル
昼食を終え
帝国ホテルを撮影

        

ホテル向って左側のアルペンローゼ前には行列が
皆さん食事を楽しみに待っておいでです
一足先に頂いた雪だるま



帝国ホテルは1933年の創業と書きましたが
創業当時の建物は残っていません
現在の建物は1977年建築

   

創業当時の建物を忠実に再現しているそうです

   

赤い屋根が特徴の建物
1階部分の壁は石組になっていることから
冬季、豪雪に埋もれる事が想像できますね

        

宿泊料金は少し高め
レギュラーで4万円弱
テラス付の部屋では更に1万円程度プラス

んんっ
庶民の夢

   

いつか
その日が来るまで
待っててください
今年もいつかを夢見てしまいます

       

   

果たせぬ夢を残して
上高地帝国ホテルを後にします

   

バスターミナルへの帰り道
林道の脇に
ニリンソウでしょうか?
可憐な花を見つけました

   

楽しかった上高地の旅
これでラストです

       

穂高連峰に別れを告げ
バスに乗り込みます

  


とほほでしたが
この日のバスは混雑しており
待ち時間1時間でした
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上高地 帝国ホテルの昼食

2008年07月25日 | 長野散策
上高地「帝国ホテル」
その歴史は古く創業は1933年

河童橋から帝国ホテルまでは徒歩で約15分

   

バスターミナルの脇を通り
森林浴をしながら歩きました
途中
岳沢を見ながら歩く事になります

  

雄大な風景を眺めながら
でも足早に進みます

      

再び小径に入り

    

木々の間から
赤い屋根が見えてきたら
もうそこが帝国ホテル

    

帝国ホテルに到着したのは11時を少し過ぎた頃

目的は昼食
気軽に帝国ホテルの食事を楽しむことができます
和食のあずさ庵
洋食のアルペンローゼ

昨年に引き続きアルペンローゼに入ります

   

    

すこ~しお高めの料金ですが
上高地帝国ホテルの料理はとても美味しい

昨年は昔ながらのハヤシライスを頂きましたので
今年は、オムライスとハッシュドビーフを頂くことにします

    

座席に案内され
前菜のサラダを頂く頃には
もう来店を待つ人が列をなしていました

観光シーズンに訪れるなら
11時半までがお勧め

足の疲れが癒えた頃
メインディッシュの登場

   

牛肉の香がしっかりとするハッシュドビーフ
とろけるプレーンオムレツが乗ったオムライス
極上の味わい

料金は2800円程度と高めですが
是非とも食したい一品です
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上高地 河童橋

2008年07月24日 | 長野散策
上高地のシンボル的存在
それが
河童橋

ウェストンレリーフからおよそ1km
梓川に沿って奥へと進むと河童橋へと至ります

    

それまでの風景と違い
この辺りは建物が立ち並んでいます

   

ホテル
旅館
山荘
上高地の中で一番人が集中する地帯
人の声が賑やかに聞こえてくると
もう
その先が河童橋

    

当初は跳ね橋として架けられ
その後吊橋へ
風雪に耐え、現在で4代目の吊橋

   

橋の上から
下流を見れば焼岳
上流は穂高連峰、岳沢

   

 

上高地の美しさを一点に凝縮した場所

澄み渡る梓川の流れを見ながら
眺める連峰は圧巻

       

そして
岳沢と河童橋の定番撮影です

  

この位置からの撮影はもはや定番
といっても
やっぱりこの風景の美しさは格別
撮らずにはいられない景色です



好天に恵まれた
上高地散策

最後の目的地
帝国ホテルへ向け
河童橋を後にしました

    
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上高地 ウェストン祭

2008年07月23日 | 長野散策
上高地に人が住み始めたのは1800年代になってから
当初は樹木の伐採が目的

       

その後
牧場なども作られたそうです

上高地という土地が世間に知れ渡るようになったのは
ウォルター・ウェストンの功績によるもの

    

Walter Weston
イギリス生まれの宣教師
彼が日本の地を踏んだのは
1888年の事
当初は神戸に在住していた彼

   

趣味であった登山
渡航間もない頃から再開します

彼に先立つ事十数年前
英国冶金技師ウィリアム・ガウランドが槍ヶ岳に登頂しています
その時の記事
「japan alps」を読んだウェストン
彼もその後、槍ヶ岳に登頂することとなります

   

因みに、信州の峰が日本アルプスと呼ばれているのは
ウィリアム・ガウランドの記事によるもの




話は戻って、ウェストン
彼は、槍ヶ岳登頂の折の記憶を
「日本アルプスの登山と探検」MOUNTAINEERING AND EXPLORATION IN THE JAPANESE ALPS
という本で書いています
本は彼の母国、イギリスで出版され
海外に日本の山が紹介された初めての記事となります

    

日本近代山岳史の祖となったウォルター・ウェストン
彼の偉業を称えて
毎年6月の第一週末に
上高地でウェストン祭が開かれています

    

開催は午前10時~
開催を前に多くの人が訪れていました

    

日本山岳会信濃支部支部長の挨拶でウェストン祭は始まります

    

続いて
地元児童による合唱が行われます

    



昭和12年に設けられたウェストンレリーフ
第一回目のウェストン祭は昭和22年
以来毎年続けられ
今年で62回目を迎えます

  

    

  

    

ウェストン祭
今年も訪れる事が出来ました

    
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上高地 散策紀行3

2008年07月22日 | 長野散策
田代池から
一路ウェストンレリーフへと向かう事にします

上高地の基本は人の手をなるべく加えない事
冬季の積雪で
倒木しそうな木があっても
添え木せず
倒木するならするで
自然に任せる

   

人の歩く場所も最低限で留める

   

そうやって守られてきた自然
訪れる人達も
マナーを守り
何も足さず、何も引かず

後の世に自然を残してもらいたいものです

       

散策道に白樺の木が目立ち始めます

        

鳥の囀りの音だけが聞こえる
歩くに従って
自然と同化していく気がして
人であるということを忘れる

        

時間の流れが少しゆっくりとなる
見上げる木々が生きている悠久の時

 

田代池から穂高橋まではおよそ10分
道は二つ
森林の中を通るか
梓川沿いの湖畔道か

今回は湖畔沿いを選択

    

        

湖畔に出ると
焼岳の雄姿が見れます

    

延長65kmの梓川
上高地を下り
松本市で奈良井川と合流して犀川と名前を変える川

       

清流の流れ
別天地の風景です

      
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上高地 田代池

2008年07月21日 | 長野散策
森林に覆われた林道を進むと
木が少しずつ大きくなってきます

幹にも陽光が差し込み
蒸発が始まりました

      

その風景に見惚れ

更に先へと進むと
突然視界が広がります
木々の間から再び見えだす穂高連峰

      

湿原の入口に到着した合図

  

太陽の日差しを直接受けるこの辺りの植生は豊か
光合成を始める葉
緑が鮮やかに輝いていました

    

田代池も
焼岳噴火の影響で出来た池
池というよりもセセラギと言った方が適当

    

大正池から田代池へと散策道を進むと
道の突き当たりにあるのが田代湿原

   

こちらも湿原というよりも
草原という感じ

季節によっては山ツツジの花が風景に一輪を添えます

此処から見る穂高連峰も素晴らしいもの

   

穂高連峰の展望から右へと進めば
田代池
伏流水が流れ
透明度は上高地随一

       

雨季で
梓川が濁流となる時も
田代池は美しい水面を見せてくれたりもします

  

背後にそびえる六百山

   

清流の流れ
思わず身を委ねたくなるが
水温は10℃以下
ちょっと冷たすぎる

      

美しい景色を堪能するだけで
終わらせましょう

       
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上高地 散策紀行2

2008年07月19日 | 長野散策
   

大正池から田代池まで
徒歩で15分程度
のんびりと歩きながら
撮影を続けました

       

街では夏服
この日、朝は未だ冬服が必要

    

前日までの雨で濡れた森林からは
朝日が差し込むと
緩やかに
水蒸気となって
水が上空へと帰っていきます

   

標高1500m

ここは地上の楽園

  

夜には満天の星空を仰ぎ
昼は高山植物が営み
人は
邪魔にならないように
自然の傍らに身を措き
自らも自然の一部であった事を
再認識する

  

只の人になる為に
「そうだ上高地に行こう」

   

針葉樹もあれば高山植物も混在
ブナ・ミズナラ・ウラジロモミ・トウヒ・シナノキ・シラビソ
亜高山帯針葉樹林の森を歩きます

    

羊歯も葉を広げる最中
間抜けな王冠みたいなその姿

   

降雪の積雪で痛んだ葉を落とし
緑豊かな風景を取り戻し
グリーンシーズンが到来

     




大正池から田代湿原まで
徒歩で15分程度の行程を
45分以上かけて歩きながらの撮影でした

  
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上高地 散策紀行

2008年07月18日 | 長野散策
大正池の撮影は
対岸に観光客が現れだした時点で終了となります
あっという間に
カメラマンは消え去っていきます

    

上高地から流れ出る川
梓川
梓の産地として知られています

梓は神事などで使用される梓弓の原料
花が桜に似ている事から
水目桜の別名も持つ木

        

あの山々に降った雪が
やがては清流となって梓川を下る

    

悠久の流れを感じさせずにはいられない風景
ここはまさに自然の宝庫
訪れる度
雄大な自然に抱かれている気分にさせてくれます

   

日本で一番面積の大きい高地平野
その中央を流れる梓川

流れを変化させているのが焼岳の噴火

    

現在も活動を続けている焼岳
活火山

大正時代の爆発で
梓川の流れを堰き止め
大正池は誕生しました

        

水没した木々が
そのまま朽ち
枯れ立木として残っています

       

湖岸には散策道があり
雄大な大正池の自然を散策できます
木道の道
白樺に囲われた道

   

人の手を加えず
在るがままに
朽ちるのも
倒れるのも
全て自然に任せる

   

その景色に感嘆しながらの散策
とても贅沢な時間

      

全ては自然のままに

   
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上高地 早朝の大正池2

2008年07月17日 | 長野散策
大正池の湖畔で待つこと30分
霧の中から連峰の峰がシルエットとなって現れてきました

穂高連峰の南西側に位置する焼岳
徐々にその姿を現し始めました

    

焼岳が見えるようになると
辺りは一気に明るくなります
霧が太陽光によって霧散

西穂高
奥穂高

次第に霧のベールを脱ぎ始めました

 

荘厳な自然のショーの始まり
モノクロの世界が
シルエットの風景が
色を取り戻し
緩やかに
でも着実に

  

ほぅら
見えてきた

帳が開くように
奥穂高の雪渓が
切り立つ山頂が

     

穂高連峰がその全容を見せてくれました

左から
西穂高岳、2,909m
続いて奥穂高岳、3,190m
そして前穂高岳3,090m

奥穂高岳は日本で三番目の標高を持つ山
日本アルプスの山々

 

その全容が見えてくる時
思わず鳥肌が立つほどの感動を覚えます

 

上空の雲は消え去り
初夏を感じさせる青空が主役へ
この風景が見たかった

感無量

 

上高地といえば河童橋が有名で
一路河童橋を目指した時期もありましたが
今では
必ず大正池を予定に入れています

     

霧が晴れ全容を現した連峰
大自然のショーも終焉

  

三脚を並べた方々もそろそろ片付けが始まっています
ここから三々五々
上高地の自然を満喫しに散っていきます

    

雪だるまもそろそろ散策へと歩き出すとしますか
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上高地 早朝の大正池

2008年07月16日 | 長野散策
上高地へ行こう

どこかの宣伝ポスターではありません
初夏の時期
毎年訪れている上高地へ今年も行ってきました

前日からの出発
高山側からアクセスしました
平湯温泉の駐車場「アカンダナ駐車場」に到着したのは
深夜1時ごろ
駐車場のゲートは午前4時まで閉鎖
駐車場入口に車を停め車中泊
仮眠しているとゲートを通過していく車の音で眼が覚めました

夏休みの時期以外
始発バスは午前5時20分発車

    

先ずは平湯バスターミナルまでバスは移動
そこで上高地行きのチケットを購入
(アカンダナ駐車場に発券機械がない為、平湯バスターミナルまではシャトルバス扱いとなります)
そして再びバスに乗り込み
上高地まで

いつもの通り「大正池前」で下車

湖畔へと降り立ちました
大正池への到着は午前5時50分ごろ

       

大正池は未だ朝靄の中
これから一時間
徐々に霧が晴れていく姿を撮影することにしました

       

前日から宿泊しているのか?
それともタクシーを利用したのか?
日の出前にも関わらず
湖畔にはもう多くのカメラマンが陣取っていました

  

穂高連峰は未だ霧の中
幻想的な光景が眼前に広がっています

    

大正池はその名の通り
大正時代に出来た池
大正4年6月6日
焼岳が噴火
土石流によって梓川が堰き止められて誕生した池です

誕生した当時
池の規模は今よりも大きく
上高地温泉辺りまでの大きさだったといいます
その後土石の流出によって池の規模は縮小
現在は創生当時の1/10の面積

  

誕生した頃は
「梓川湖」と呼ばれていたこともあったそうですが
何時の頃からか「大正池」の名が定着
上高地の玄関として
幻想的な光景を見せてくれる場所です

 

湖畔に立って約30分後
穂高連峰の姿が朧げながら見えてきました



続きます
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