勧修寺
「かじゅうじ」と変な読み方をする寺院
前回の随心院と同じ門跡寺院
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/40/41d97a6f4ac662c04e814892d5547353.jpg)
勧修寺は元々
宮道弥益の邸宅跡
醍醐天皇が右大臣藤原定方に命じて造営させたもの
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6d/a8fc1c0f2ae5808a061cbc1ce29fa09e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/18/778db79e9855f2a69b633cc3d7e912bf.jpg)
今昔物語には
勧修寺の名前の由来ともなった物語が綴られている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/88/f35b39007d51f920053cfb6815ce96f5.jpg)
藤原高藤という人物が居た
藤原冬嗣の孫に当たる人物である
正三位内大臣にまで登りつめた人であったが
若い頃は、狩が好きで
特に鷹狩りを趣味としていたという
ある日
南山階にまで狩に出掛けた折の事
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/6c/4eadd6fe63932990969bdaff958af1e3.jpg)
南山階といえば、現在の山科周辺の地
当時は未だ未開地が多い鬱蒼とした森に囲まれた土地であった
狩に夢中になって野を駆けていた
ふと、
気が付くと空が曇天となっている
やがて
大粒の雨が落ちてきた
雨を避けるため
四方に目を向けると
果たして
一軒の屋敷が雨で歪む景色の向うに在る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/aa/3406f5c9b640468a42f9260e8293ca94.jpg)
宮道弥益の邸宅であった
宮道弥益は山科の大領
郡司としては最高の地位を得ていた人物
高藤は暫しの雨宿りを申し込むことにした
偶然雨宿りに訪れた高藤
雨が降頻る縁側か門下で
二人は出会ったはずである
その折の会話については
今昔物語には記載されていないものの
弥益はこの若者を気に入ったようで
食事と、一夜の宿を申し出たのかもしれない
弥益はもてなし
一夜の宿と食事を振舞った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/41/7650b3f4a04579fdca47ef0208493f05.jpg)
高藤は
この雨の中
洛中まで馬で帰るのが躊躇われた
気がかりなのはただ一つ
父の存在
高藤の父、藤原良門は藤原冬嗣の六男
従四位上、内舎人の位を持つ人物
早世したようで
史書にも彼についての記載は少なく
詳しくは良く判っていない人物だが
厳格な性格の人物だったようである
高藤も父には頭が上がらなかった
鷹狩りで
連絡無いまま家を空けると
きっと怒るに違いない
しかし、弥益の勧めが上手だったのか
後に記載する彼の娘が気になったのか
勧められるまま
一夜を過ごす事にしてしまう
酒の席ももうけられた事だろう
弥益はそれなりの家財をもっていた人物
季節が夏であったなら
きっと鮎料理も出たに違いない
もしかしたら
家人の誰かは、高藤の前で一句詠い演舞も披露した事だろう
偶然の
そして突然の来訪にも関わらす
堪能した高藤
その家で
高藤と列子は出合う
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/e0/24f54eca728d2edc3ffaf81f2ac69a0b.jpg)
列子に一目惚れ
一目見たとき
その心に響くものがあったのか
やがて
二人を結びつける時間は十分にあった
高藤と列子は一夜の契りを結ぶこととなる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3e/d0a8162215f599a7e01479e4679526b3.jpg)
翌日
礼をいい
弥益の邸宅を辞した高藤
帰京の折
心に思い浮かんだのは
父の顔か、列子の顔か
はたして...
不安のとおり
父、良門は
連絡のないまま戻らない高藤に対し激昂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b9/ddb76513074682f8cc87e10a787a89f8.jpg)
二度と鷹狩りに行かない旨
高藤に約束させてしまう
それ以降
高藤は狩に出掛けていない
南山階の地へと訪れる事が出来なかった高藤
列子との連絡も途絶え
二人が再会するまでには6年の歳月を必要とした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ec/b1da044e3789870693ccdbfd09fa275e.jpg)
再会は偶然であったのか
父、良門の死を待って
高藤が南山階を訪れたのか
その辺の事情も不明のまま
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/e1/39661956ef0d9681ae61aa88ddbbaa43.jpg)
判っているのは
その再会の時
列子が一人の娘を連れていた事
6年前の夜
二人の間に出来た娘だった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/7f/5c0e4895c2251397e62e56bd01607d18.jpg)
この娘こそ
後に宇多天皇の女御となり、醍醐天皇の生母ともなった藤原胤子である
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/4f/835f791b58044b8f978eae0288e66fbc.jpg)
後になって
早世した藤原胤子を悼み
醍醐天皇が母を弔う為に寺院を興す
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/75/201d0d5142568114cad464a866772652.jpg)
寺院の場所は胤子が生まれた家
弥益の邸宅
そして寺の名前は高藤の諡号から
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/2f/dccca986ffd8565f8b5aa18b86bc2b00.jpg)
勧修寺
今昔物語と共にお伝えしました
「かじゅうじ」と変な読み方をする寺院
前回の随心院と同じ門跡寺院
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/40/41d97a6f4ac662c04e814892d5547353.jpg)
勧修寺は元々
宮道弥益の邸宅跡
醍醐天皇が右大臣藤原定方に命じて造営させたもの
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6d/a8fc1c0f2ae5808a061cbc1ce29fa09e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/18/778db79e9855f2a69b633cc3d7e912bf.jpg)
今昔物語には
勧修寺の名前の由来ともなった物語が綴られている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/88/f35b39007d51f920053cfb6815ce96f5.jpg)
藤原高藤という人物が居た
藤原冬嗣の孫に当たる人物である
正三位内大臣にまで登りつめた人であったが
若い頃は、狩が好きで
特に鷹狩りを趣味としていたという
ある日
南山階にまで狩に出掛けた折の事
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/6c/4eadd6fe63932990969bdaff958af1e3.jpg)
南山階といえば、現在の山科周辺の地
当時は未だ未開地が多い鬱蒼とした森に囲まれた土地であった
狩に夢中になって野を駆けていた
ふと、
気が付くと空が曇天となっている
やがて
大粒の雨が落ちてきた
雨を避けるため
四方に目を向けると
果たして
一軒の屋敷が雨で歪む景色の向うに在る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/aa/3406f5c9b640468a42f9260e8293ca94.jpg)
宮道弥益の邸宅であった
宮道弥益は山科の大領
郡司としては最高の地位を得ていた人物
高藤は暫しの雨宿りを申し込むことにした
偶然雨宿りに訪れた高藤
雨が降頻る縁側か門下で
二人は出会ったはずである
その折の会話については
今昔物語には記載されていないものの
弥益はこの若者を気に入ったようで
食事と、一夜の宿を申し出たのかもしれない
弥益はもてなし
一夜の宿と食事を振舞った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/41/7650b3f4a04579fdca47ef0208493f05.jpg)
高藤は
この雨の中
洛中まで馬で帰るのが躊躇われた
気がかりなのはただ一つ
父の存在
高藤の父、藤原良門は藤原冬嗣の六男
従四位上、内舎人の位を持つ人物
早世したようで
史書にも彼についての記載は少なく
詳しくは良く判っていない人物だが
厳格な性格の人物だったようである
高藤も父には頭が上がらなかった
鷹狩りで
連絡無いまま家を空けると
きっと怒るに違いない
しかし、弥益の勧めが上手だったのか
後に記載する彼の娘が気になったのか
勧められるまま
一夜を過ごす事にしてしまう
酒の席ももうけられた事だろう
弥益はそれなりの家財をもっていた人物
季節が夏であったなら
きっと鮎料理も出たに違いない
もしかしたら
家人の誰かは、高藤の前で一句詠い演舞も披露した事だろう
偶然の
そして突然の来訪にも関わらす
堪能した高藤
その家で
高藤と列子は出合う
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/e0/24f54eca728d2edc3ffaf81f2ac69a0b.jpg)
列子に一目惚れ
一目見たとき
その心に響くものがあったのか
やがて
二人を結びつける時間は十分にあった
高藤と列子は一夜の契りを結ぶこととなる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3e/d0a8162215f599a7e01479e4679526b3.jpg)
翌日
礼をいい
弥益の邸宅を辞した高藤
帰京の折
心に思い浮かんだのは
父の顔か、列子の顔か
はたして...
不安のとおり
父、良門は
連絡のないまま戻らない高藤に対し激昂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b9/ddb76513074682f8cc87e10a787a89f8.jpg)
二度と鷹狩りに行かない旨
高藤に約束させてしまう
それ以降
高藤は狩に出掛けていない
南山階の地へと訪れる事が出来なかった高藤
列子との連絡も途絶え
二人が再会するまでには6年の歳月を必要とした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ec/b1da044e3789870693ccdbfd09fa275e.jpg)
再会は偶然であったのか
父、良門の死を待って
高藤が南山階を訪れたのか
その辺の事情も不明のまま
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/e1/39661956ef0d9681ae61aa88ddbbaa43.jpg)
判っているのは
その再会の時
列子が一人の娘を連れていた事
6年前の夜
二人の間に出来た娘だった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/7f/5c0e4895c2251397e62e56bd01607d18.jpg)
この娘こそ
後に宇多天皇の女御となり、醍醐天皇の生母ともなった藤原胤子である
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/4f/835f791b58044b8f978eae0288e66fbc.jpg)
後になって
早世した藤原胤子を悼み
醍醐天皇が母を弔う為に寺院を興す
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/75/201d0d5142568114cad464a866772652.jpg)
寺院の場所は胤子が生まれた家
弥益の邸宅
そして寺の名前は高藤の諡号から
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/2f/dccca986ffd8565f8b5aa18b86bc2b00.jpg)
勧修寺
今昔物語と共にお伝えしました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/51/34c83220ab84799f13521b58958272ec.jpg)