雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

リトルワールド4

2009年08月31日 | 愛知散策
リトルワールド最終章

       

お金と時間がないあなたでも
世界一周した気分にさせてくれるテーマパーク

       

売店を見つける度に
その地方のアルコール飲料を飲みながら進み続けたリトルワールド
食事を食べようと訪れたのが
南イタリアのアルベロベッロ
そこの郊外にあったという農家

   

イタリアといえばパスタ

    

そしてピザ

        

ワインとともに頂きました

    

アルベロベッロとは「美しい木」という意味をもつ言葉
とんがり帽子の石積みの屋根が並ぶ
素朴な村だそうだ

       

建物の中の風景は
フェルメールの世界
あの巨匠が描いた風景を見た気分

       

足元のワンコにも見えたであろうか

    
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リトルワールド3

2009年08月30日 | 愛知散策
リトルワールドの3回目

        

たった半日で世界を巡った気分になれるテーマパーク
3回目はインドネシアの風景から

        

レンガ塀が独特の景観を見せてくれる
バリ島の貴族・僧侶階層の屋敷を再現したという建物

    

        

南国の気分にさせてくれる

そして
その次は
スマトラ島北部の家

        

大きな高床式の家は
そこが熱帯地方で
雨季には家の下まで水が流れる立地である事を偲ばせる



ここまで巡って
ようやく食事の時間になりそうな雰囲気
次に見えてきたのは
ドイツバイエルン地方の民家

   

ほらビールの匂いがしてきそう

   

のどかな美しい村の情景

       

農家にもあったマリアの祠を見てから

    

ビールを楽しみました

       
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リトルワールド2

2009年08月28日 | 愛知散策
リトルワールドの2回目

        

たった半日で世界を巡った気分にさせてくれるテーマパーク
東南アジアムード
園内バスもこの通り

    

東南アジアゾーンを抜けると
今度はペルー

        

    

大農園領主の館
移築したというよりも
それらしく建てたという感じだが
楽しむテーマパークなので
御愛嬌

       

リトルワールドの建物の中でも
特に大きいこの領主の館

    

巡ってみてここが一番撮りやすかった場所です

        

ここでもペルーのビールを頂き

        

演奏を聴いて

   

ワンコの記念撮影
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リトルワールド

2009年08月27日 | 愛知散策
90日間世界一周というのがある
90日で世界を巡れるというのが
文明が発達した証としてもてはやされた時代の言葉
今ではもっと短時間で世界を巡る事が出来るだろう
でも
お金と時間がない庶民が巡るには

    

愛知県にはリトルワールドと呼ばれるテーマパークがある
ここはもっと短く
半日で世界に触れることができる施設

        

明治村に引き続き
愛知県のテーマパークを御紹介

        

本館から先
時計と反対方向でテーマパークを歩くことにした
最初は、沖縄石垣島の家から

   

同じ日本なのだが
日本で無いような風景
売店で求めた「泡盛」を飲みながら
景観を観賞

       

続いては日本最北端のアイヌの家

    

そしてその先は台湾の農家

       

台湾も漢字文化なのだと
改めて認識

    

ここで小休止

        

台湾ビールと
上海小籠包を頂きました

        

       

続きます
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上高地(番外編2 帝国ホテル昼食)

2009年08月26日 | 長野散策
上高地を紹介する写真を掲載するのももう何度目か
上高地の雄大な自然を何度も紹介してきた

        

上高地を訪れる時
どうしても一緒に訪れたいのが
上高地帝国ホテル

        

ここで昼食
毎年の楽しみになっている

       

11時からレストラン「アルペンローゼ」は開店する

      

開店と同時に
外で待っていた人達が入店するので
11時に行くと少し待つことになる

   

11時半ごろがお勧め

   

さて
実は当ブログ
数多くの記事を紹介しているが
その中で
一番閲覧が多いのが
前回紹介した「帝国ホテル」の昼食

    

なので今回は当ブログでは珍しい
食べ物の写真を少し多めに掲載

   

前回と同様の女性にはたまらない
オムライスと
そして
雪だるま一押しの帝国ホテルハヤシライス

   

    

ちょっと高額ではあるが
旅行先の食事は旅の友

   

プチ贅沢も良いものです
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上高地(番外編1 ウェストン祭)

2009年08月25日 | 長野散策
上高地には
毎年数多くのイベントが催される
雪だるまが毎年訪れているウェストン祭もそのイベントの一つ

  

ウォルター・ウェストン

      

日本の山岳史において
偉大な功績を残した人物

   

前回も書いたが
ウェストン祭は手作りの記念式典

      

日本の山岳写真を世界に初めて紹介したウェストンを称え
世界でも有数の高地にある平原として
上高地を再発見したウェストンを喜ぶ式典

        

昨年と同じ
何も変わらないが
何ともほのぼのとした式典

   

報道カメラマンに混じっての撮影

       

参加記念には一つ1,000円の
手作りブローチと手ぬぐいを買い求め

    

市長代理の挨拶を聞き

   

子供達の歌声が日本アルプスに木霊する

   

好天候に恵まれ

   

今年もウェストン祭を訪れる事が出来た
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上高地7

2009年08月24日 | 長野散策
上高地も7回目
記事とは関係なく
写真は穂高橋を越えて
一番人が歩く河童橋周辺ゾーンまで移動している

   

      

さて
世界最高峰については前回までで
測量史、初登頂までの歴史について書いた
今回はそれ以外の山々についてほんの少しだけ

       

世界には8,000mクラスの山が14座ある
標高順に並べると以下の通り
エベレスト
K2(別名ゴッドウィンオースティン)
カンチェンジュンガ
ローツェ
マカルー
チョ・オユー
ダウラギリ
マナスル
ナンガ・パルバット
アンナプルナ
ガッシャーブルムI峰
ブロード・ピーク
ガッシャーブルムII峰
シシャパンマ

    

多くの登山家がジャイアンツと呼ばれる8,000m峰に焦がれ
登頂を志し
登頂を果たしたものも断念した者も居る
または登頂したものの
下山途中に果てた者も数多く居る

       

これら8,000m峰
登山家の命を奪った数で一番多いのが
やはり何と言ってもエベレスト
ただし死亡率となると少し違い
アンナプルナが一番死亡率が高い
実に登頂を目差した者の4割が死亡している

   

標高8,091mと8,000m峰としては低い部類に入るが
登頂の難しさは8,000m峰としては最高難度

        

人の活動限界点を越えた位置に
山頂を持つ山々

  

多くの登山家を魅了し
そして命を奪い
それでも遠望は美しい

死の山と呼ばれてもそれでも尚
今日も登頂計画は錬られ続けている

  

高地を訪れたのなら
非日常の
登山史にも思いを馳せてみるのも一興

      

歴史に触れただけで
登った気分になっている
雪だるまが
上高地の風景と共に紹介しました
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上高地6

2009年08月23日 | 長野散策
上高地の6回目


   

前回まではエベレストを語る上でどうしても避けることができない
マロリーのドラマを語った
今回は世界初登頂について

      

マロリーがエベレストで行方不明になり
第三次遠征隊が不成功に終わった後
9年間は遠征隊は組織されていない
一つには第三次遠征隊が立ち入り禁止とされていたロンシャール谷に入ったこと
二つには第三次遠征隊が記録していたチベット人の映る映像が正しくなかった事を
ダライラマが咎めた為と云われている

   

第四次遠征隊は1933年だった
1934年、1935年、1936年、1938年と相次いで遠征隊が組織されているが
何れもエベレストの厳しい自然に登頂は遮られている

      

その後幾度もの遠征隊を退けてきた
世界初登頂が成功したのは初挑戦から32年後のことだった

 

1953年
ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)が
世界最高峰を落としている

       

酸素ボンベ技術はマロリーが使用したものから格段に改良され
登攀技術の躍進と共に
イギリス隊の意気込みはかなりのものだったそうだ
それというのもこの回の遠征が不発に終われば
次回の遠征は数年後を余儀なくされる事が決まっており
万が一登頂を逃せば
その後に続く各国の遠征隊がもしかしたら登頂に成功するかもしれないという焦りもあった

   

遠征隊隊長は
第60ライフル連隊のジョン・ハント大佐
災厄に見舞われること無く
隊は最終キャンプ設営に成功
ここから2隊のアタックが行なわれた

     

第1次アタックは
5月26日、チャールズ・エバンスとトム・ボーディロンが行なった
南陵は征したものの
携行する酸素ボンベの残量不足で登頂を断念

   

5月29日
エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが第2次アタック
午前11時30分
ついに世界最高峰は人類に登頂を許したのである

   

選ばれた者だけに許される
世界最高の絶景
あのマロリーは見たのだろうか

エベレストの話しはこの辺で一度終わりにしよう
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上高地5

2009年08月21日 | 長野散策
上高地の5回目
記事はさておき
上高地の雄大な自然の写真をお届けしています

   

前回
マロリーの最後の目撃情報を紹介した
彼らの最後の姿を見たのは
ノエル・オデール

 

時間は12時50分くらいだったと彼は伝えている
登頂アタックをするには少し遅い時間
予想以上に第一ステップでもたついたのか

   

オデールは当初証言した時
第二ステップの上に二人を見たと言った
しかし、後に第一ステップだったかもと証言を変えている
オデールはそれでも
二人は登頂に成功したと確信していた

   

それから75年の歳月が過ぎ去った
マロリーは遺体となって
頂上付近の北壁でうつぶせとなった姿で発見された

        

マロリーは登頂アタックをした時
Vest Pocket Model B
という当時のカメラを持参して行った
もし登頂に成功していたら
きっと頂上の写真を撮ったはず
しかし
このカメラは現在も発見されていない

  

果たしてマロリーは登頂に成功したのか
下山時に滑落したのかそれともアタックに失敗して滑落したのか

       

何十年経っても
たとえエベレストの過酷な自然環境でも
現像は可能だとコダック社は語っている

  

かの8,000m峰全山無酸素登頂に成功した偉大な登山家
ラインホルト・メスナーは
「マロリーは二度死んだ」の著で、やはりマロリーは登頂していない
との結論に達してる

   

一つには当時の酸素ボンベは重く
その重量から、酸素ボンベを携行する不利益と酸素がもたらす行動力が相殺されている事
もう一つは、当時の二人の装備で
第二ステップは攻略できなかったであろうという登山家としての結論

   

さて
真実は未だ闇の中
果たして彼の携行したカメラが見つかる日が来るのだろうか

   

次回は公認として認められている
世界初登頂について語ろう
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上高地4

2009年08月20日 | 長野散策
上高地の4回目
誰がなんと言っても上高地です(これで良いのか...)

      

エベレストで伝説となったジョージ・マロリー

       

それは第三次遠征隊での出来事であった
1924年の事である
第一次、第二次とエベレスト遠征隊に参加したマロリーは
第三次遠征隊にも参加を要請されている
隊長はブルース将軍
副隊長はノートン大佐

   

3月
ダージリンからエベレストを目差した
途中、マラリアでブルース将軍が隊を離脱するというアクシデントもあったが
4月28日にはベースキャンプを
ロンブック氷河に設営している

  

そこから順にキャンプを設営し
7,000m付近に第4キャンプを設営
ここから登頂隊のアタックが開始された

   

計画では第4キャンプから先に
二つのキャンプを設け最終アタックをかけることになっていた
最初の登頂アタックは失敗
そして二度目のアタック
これが伝説となった

       

同伴者はアンドリュー・アーヴィン
若く経験の浅い登山家だったが
当時の扱いにくい酸素ボンベの扱いに長けていた為
マロリーは彼を同伴者に選んだと云われている

       

マロリー達が選んだ登頂ルートには
二つの難所があった
第一ステップと第二ステップと呼ばれた
切り立った岩場

   

二人の登頂を助けるべくノエル・オデールは単身
最終キャンプである第六キャンプへと登っていた
下山する二人をサポートする為である
丁度8,000mを少し越えたあたりで
ふと見上げると
それまで、霧の中だったエベレスト山頂付近が
青い空に浮かび上がった

      

そこでオデールは
第二ステップに取り付くマロリーとアーヴィンの姿を見ている

 

そしてそれが彼らを見た最後となった

      

まだまだ
エベレストの記事は続きます
(本当にこれで良いのか...)
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上高地3

2009年08月19日 | 長野散策
上高地の風景をお届けしている3回目
でも
何故か記事はエベレスト

   

エベレスト登頂史のなかで
一番ドラマになるのが
ジョージ・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)

   

彼の名言は今でも語り草
ある記者の「なぜあなたはエベレストを目差すのか」と聞かれたことに対して
Because it is there(そこに山があるから)
と応えた言葉がそれだ

   

マロリーは牧師の子供だった
長閑な田園地帯が広がる英国北西部の田舎で育った彼が
ウィンチェスターカレッジの教師から登山を教わり
登山家としての歴史が始まった

   

といっても
直に登山家として名声を得たわけではない
彼は学位取得後
暫くはチャーターハウス校で教鞭を取っている
その後第一次世界大戦で従軍し
ソンム戦役にも参戦している

  

戦後
彼は登山家としての道を歩み始めている
モンブランへの登頂
ピラー・ロックへの登頂では彼の登ったルートは
今でもマロリールートとして知られている

      

そんな折
前出のエベレストが世界最高峰であるとのニュースがもたらされた

       

1921年
エベレスト委員会によって組織された第一次エベレスト遠征隊に
マロリーは招聘される

       

第一次遠征隊は登頂が目的ではなく
登頂ルートの選定と
エベレストの地図作成が目的だった
一行は7,020mのノースコルまで登っている

     

第二次遠征隊では
登頂を狙ってマロリーはエベレストを登るが
8,225mで悪天候と日没で登頂を断念している
  
      

次回は
マロリーの伝説となった記事について書こう
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上高地2

2009年08月18日 | 長野散策
上高地の2回目
(あくまで上高地の写真、記事との差異は無視してください)

     

前回まではエベレストの標高について書いた
今回はその歴史について

        

      

エベレストは正確な測量で世界最高峰の山であるとの認識が得られるまでも
標高の高い山である事は知られていた
当初、ピークBと名付けられた山
その後測量を行なう基点としてピーク15と名前が改められ
前回記したように
測量の結果、世界最高峰ということが証明され
測量局の偉大な長官の名前を冠して
エベレストと名付けられた

      

山はまた
登山家の戦いの場所でもある

        

エベレストを登頂しよう
そう最初に思い立った人物が
東アジアの勇将、フランシス・ヤングハズバンドと
グルカ連隊の准将、チャールズ・グランヴィル・ブルース
時は1893年の事
その後
1907年
英国山岳会の創立50周年記念行事として
エベレスト遠征隊の派遣が提案されている

 

それは北極点到達と南極点到達で
遅れをとった英国が国の威信をかけ
初登頂を計画したものだった

     

初めて登頂の遠征隊が組織されたのは1921年の事だった
尤もこの時の遠征は
登頂が目的ではなく、周辺地図の作成と登頂ルート選定が目的だった為
ノースコルと呼ばれる7,200m付近までの登山となっている

       

登頂を目差したのは
その翌年の遠征から
最終キャンプから
三度の登頂をかけたが
いづれも失敗
多くのシェルパの命を奪い
アタックは失意のうちに失敗に終わる

  

   

さて次回
エベレスト登頂の謎について
(これで良いのか上高地の記事は???)
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上高地

2009年08月17日 | 長野散策
上高地
毎年、初夏の時期に訪れている山岳地帯
今年も上高地の風景を楽しんだ
暑い夏の盛り
写真で涼をお届けします

      

上高地の写真の紹介もこれで何度目?
上高地について紹介する記事も限界なので
少し違った話をしながら上高地の景勝を紹介します

   

上高地は山岳地帯
ということで山についてあれこれ
実は山の歴史が大好きな雪だるまです

  

まずは、山といえば何といっても一番はエベレスト
世界最高峰の山を紹介

 

この山、三つの名前を持つ山である
一つ目は一番有名な「エベレスト」(Mt.Everest)
二つ目は中国名「チョモランマ」(Zhumulangma)
三つ目はネパール名「サガルマータ」(Sagarmatha)

     

エベレストは英国人によって世界に紹介された
インドはかつて英国の植民地だった過去を持つ
その時代
インドに設けられた「インド測量局」
1830年から1843年まで長官を務めたのが
ジョージ・エベレスト(George Everest)

     

このインド測量局が1854年
エベレストの周辺12ヶ所で測量を行い
その平均値から標高を8,848mと発表し
この山が世界最高峰であると世界に知れ渡った
ジョージの苗字から、この山をエベレストとした

 

標高については実は色々と違う数値が出ている
先に書いた最初の測量
その時は8,839m
発表時は8,840m

   

じゃあ8,848mはというと平均値

 

その後幾度もの測量が行なわれ
1975年に中国政府が測量した結果は8,849.05m
1999年にアメリカがGPSを持ち込んで山頂で計測した結果は8,850m
今でも続く隆起と自然(雪が削り取ったり、雪そのものの降雪具合)によって
正確な標高は年々変化しているので一般的に8,848mが定説となったままである
最新機器を使用して
中国政府が威信をかけ、2005年に測量した結果は
8,844.43m
これが現在の正確な標高

       

今でも年4㎜で隆起し続けるエベレスト
正確な標高は霧の中

     

次回もエベレストの記事と共に上高地を紹介します
(これで、良いのか???)
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明治村 1丁目 西郷從道邸

2009年08月14日 | 愛知散策
不定期で
何度も掲載している明治村の風景
今回は1丁目の西郷從道邸に注目

       

まず始めに
感想を述べると
西洋式の木造建築
地中海に面した町の建物か
アメリカフロリダ周辺の南国の風景がバックに見え隠れする建物

   

こんな建物だから
きっと鹿児島か何処かに建っていたのだろうなと連想していたが
実は
東京都目黒区上目黒にあった建物

  

木造総二階建銅板葺

   

設計はフランス人の建築家レスカスだと云われている

       

室内には
この建物が接客用に使用されていた
歴史を感じさせられる展示がある

   

当時の晩餐会の様子が
テーブルに並べられた
食器の数々から連想できる

   

西郷從道は、陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任した人物
資産家であったようで
彼の家の敷地は広大であったと伝えられている

       

華やかな明治時代の文明開化の様子

    

西郷從道邸で見つけました
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夕闇迫る大阪の街

2009年08月13日 | 大阪散策
歩いて周り
久しぶりに楽しんだ大阪の街
帰りの電車までの待ち時間
近くのビル群を撮影する事に

      

活気に満ちた昼間から
夕暮れが迫ると
立ち並ぶビルたちも紅く染まり
悲しい雰囲気を醸し出し始める

       

  

夕闇を喜ぶ人も居れば
家路を急ぐ人も居る

    

夜の街へと繰り出す人が
出勤の時間帯

        

夜になると街は昼とは違った顔を覗かせる
ネオンには
歩く人の気持ちを高騰させる何かがあるのかも?

      

   

ナイトウォーカーの時間に向けて
空が紅く染まる

   

雪だるまは
電車で帰るとしましょう

       
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