日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
祇園祭
山鉾巡行は今年から
前祭と後祭とが執り行われる
という言い方よりも
後祭が復活したと言ったほうが正しい
半世紀ぶりの復活だそうだ
午前九時
四条烏丸から長刀鉾を先頭にし
巡行は始まる
四条通をそのまま東進
四条河原町で辻回しをおこない
河原町通りを北上
河原町御池で辻回し
今度は御池通りを西進
巡行の終着は烏丸御池まで
そののち
各山鉾各々が
各町内へ戻ってゆく
先頭をゆく長刀鉾は
御池通りをさらに西進し
新町通りで辻回し
南進して四条通へと戻ってゆく
四条河原町と
河原町御池の辻回しは
大変な人気だが
新町通りへの辻回しは比較的空いている
おおよその時間は11時25分ごろ
稚児を鉾から下ろす神事の後の辻回しを楽しんだ
四条烏丸通
交差点からスタート
平成26年度から
約50年ぶりに前祭と後祭に分けられた
前祭の四条通
7月2日に執行われたくじ取りに基づき
各辻から
鉾や山、傘や船が
くじ取り順に並び
順次出発してゆく
先頭の
くじ取らずの
長刀鉾が出立してから暫く
後に続く
およそ
4時間ほどの行程
巡行終了後
各山鉾町に戻った山鉾は
即座に解体・収納される
束の間の魂
山鉾を曳く男達に見た
祇園祭の最高潮は
17日の前祭・山鉾巡行
10日より四条界隈の各所で
鉾・傘鉾・船鉾・曳山・舁山の建てが始まる
各山鉾町ごとに
おはやしを奏し
町内で試し曳きが行われるが
一番の目玉である
鉾が試し曳きを行う時は賑わいをみせる
午後2時ごろ
函谷鉾は四条通で
午後2時半ごろ
鶏鉾は室町通で
午後3時ごろ
月鉾と菊水鉾がそれぞれ四条通と室町通で
そして毎年山鉾巡航の先頭をゆく
長刀鉾は午後3時半ごろ四条通を試し曳きする
山鉾の中で
唯一生稚児が乗り
くじ取らずで
先頭をゆく長刀鉾
長刀は疫病邪悪をはらうものとして重用される
厄祓いの祭り祇園祭
先頭の鉾が長刀鉾なのは必然なのだろう
祇園祭
7月一ヶ月間をかけ行われる
明治までは祇園御霊会と呼ばれていた
祇園祭の歴史は古い
内陸地にある京は
夏場、疫病が流行る
863年
神泉苑で初の御霊会を朝廷は執り行うが
全く効果をみせず
全国の国の数を表す
66本の矛に
諸国の悪霊を移し宿らせ諸国の穢れを祓い
神輿3基で
薬師如来の化身
牛頭天王を祀り
御霊会を執り行ったのがその起源
今日
祭りは7月1日の吉符入で始まり
7月31日の疫神社夏越祭で終わる
ハイライトは
10日から始まる
前祭の山建て鉾建て
14日から16日までの
前祭・宵々々山
前祭・宵々山
前祭・宵山
そして17日の前祭・山鉾巡行で最高潮を迎える
写真は12日の山建て鉾建ての一コマ
二リア鉄道館
恒例の二回目は
いつもの在来線の写真
日本に何箇所かある鉄道博物館
リニア鉄道館は
新幹線の展示がメインであるが
在来線の展示も
充実している
車内の風景に
ノスタルジックを感じる人も多いだろう
座席に灰皿がある
もはや
過去の歴史になってしまっている
扇風機と
解放された窓で
涼しさを感じれた時代
その主たる区間を
列車が200キロメートル毎時以上の高速度で
走行できる幹線鉄道
これが新幹線の定義
全国に拡大した新幹線網には
踏切区間もあり
最初の文言
「その主たる」の部分を拡大解釈した結果
新幹線と呼称される車両も出てきた
しかしここ
リニア鉄道館はJR東海の経営
本来
新幹線と呼ばれた車両しか展示していない
そんな展示の中に
つい先日まで
一線で働いていた
700系の車両の展示が始まったと聞き
再訪
普段見れない角度から見れる
700系を堪能した
先斗町
京都で
街撮りスナップを楽しむのなら
こちらを歩いてみるといい
横に広がって
三人では歩き辛いほどの
細い一本道であるが
通りの左右には
置屋から
飲食店から
雑貨店まで
和食から西洋料理まで
実に幅広い店が並ぶ
広角でも
望遠でも
好みのレンズを持参して撮影してみると好いだろう
個人的に
この通りを歩くときのレンズは
なぜかいつも50㎜単焦点
この画角が
この通りには合う
京都観光の箸休めに
訪れてみると
いいだろう
元は
三菱倉庫の倉庫跡地
平成4年のオープン以来
神戸ハーバーランドを代表する
一大商業スペースとして
人気を博してきたが
幹線道路を渡った南側
という立地が災いし
集客力が低下
2012年
神戸阪急閉店を受け
阪急グループが
ハーバーランド圏内の
商業施設の運営からの撤退を表明
一時は
モザイク閉店かと思われたが
建物を所有する三菱倉庫に
株式全部譲渡し
経営権が三菱倉庫へと移行
翌年
umie MOSAICとして
全面リニューアルオープンしている
この地に
煉瓦倉庫が建てられ
はや
一世紀以上が経過した
往年
賑やかな神戸港に
次々と到着した
貨物が
この煉瓦倉庫に運び込まれた
現代
湾口としての役目は
人工島の埠頭へと譲り
デザイン文具
家具屋
レストランなどが入店する
商業スペースに姿を変えた
レストランの換気扇から流れ出る
オリーブオイルの焼けた香りが漂う
そんなスペースは
撮影に最適な空間ともなっている
国指定
登録文化財の異人館
元は高級借家だった屋敷
元々は
旧居留地区にあった建物が
明治期後期に
現在地へと移築されている
外壁を覆う
天然石のスレートが
いかにも魚の鱗の様だと
うろこの家の愛称は
ありきたりな
ネーミングから名付けられた
しかし
さすが
高級借家
屋敷内の調度は
アンティーク家具
逸品置物
欧州の王室が愛用していたらしい
豪華な陶磁器などが並ぶ
贅沢な空間
貴族気分を味わうのなら
この屋敷がお勧め
サターンの椅子がお出迎え
この椅子に座り願えば叶うという
チューダー様式の三連式塔屋のこの館
館内には
近代彫刻の父ロダンや
ブールデルといった
彫刻家の名作が並ぶ
ほかにも
入口上部の
ステンドグラスの美しさは有名だ
二階へと進めば
ガンダーラ
タイなどの
仏陀や菩薩像が鎮座しており
前出の坂の上の異人館並みの
オリエンタル感が味わえる
しかしここは西洋の異人館
ドン・キホーテとサンチョも見参
屋敷に差し込む日差しが
ちょうどいい季節
山手八番館で
ロシナンテを探した
文人
石川丈山の山荘跡
隠居のため造営した
山荘であった
詩の仙人
中国の著名な詩家たちの
肖像を掲げた間が
この山荘にはある
詩仙の間
と、名付けられているが
それがこの山荘の名の由来
尤も
石川丈山自体は
詩仙とは
呼んでいなかったようで
でこぼこの土地であったこの地に
建てた住居
という意を用い
凹凸窠と呼んでいたようだ
染入る緑の庭園
存分に楽しめた