高桐院拝観を終え、時計を見るとまだ特別拝観までは時間があります
あと一つは拝観出来そう
それなら龍源院かな
ぶらぶらと大徳寺境内を散策
芳春院の前まで
この塔頭
入口の門には拝観謝絶に関するものは何もない為、拝観出来るのかな?
なんて思ってしまいます
でも特別拝観以外は拝観謝絶
少し木々が色付いていたので吸い寄せられるように入ってみました
初秋の時期が好きです
緑と赤のコラボがステキだから
お地蔵様にお参りして
さて本題の龍源院です
畠山義元と大友義長が創建したと伝えられています
畠山義元は全く人望がなかった人物
父、義統の後を継いで当主となるが3年も経たないうちに謀反により越後に追放されるというお粗末な人物
しかし人生とは解からないもの
追放から6年後、大規模な一向一揆が発生
家臣の中から復帰の声が...
また、室町幕府10代将軍、足利義稙と交友があったこともあり、当主に返り咲いた人物
大友義長は見識ある人物
室町幕府11代将軍、足利義澄から豊後・筑後・豊前の守護に任じられ
後に義澄が上洛の折には資金的な援助も行って、戦国大名の確固たる地位を確立した有能な人物
そんな対照的な二人の豪傑によって創建された寺院
ここは、寺院内の空間全てを庭園にしています
方丈前庭の一枝坦を無我で見つめます
蓬莱という山
甘露が授かると言われている山
古来より願い叶わない不老長寿
甘露とは漢語で、元のインド神話ではアムリタと呼ばれています
飲んだ者を不死とする妙薬
一枝坦の庭園にも蓬莱山があります
時の権力者が求め、現実に探索もさせたと伝えられる蓬莱山
ほら、ここで見つけました
雪だるまもアムリタを飲み、時の移ろいを末永く写真に収めたいものです
龍源院の庭園で一番小さいのが東滴壺
箱庭の最高傑作の一つだと思います
覗き込むと
ほら
そこに
壺庭の最高傑作が
あと一つは拝観出来そう
それなら龍源院かな
ぶらぶらと大徳寺境内を散策
芳春院の前まで
この塔頭
入口の門には拝観謝絶に関するものは何もない為、拝観出来るのかな?
なんて思ってしまいます
でも特別拝観以外は拝観謝絶
少し木々が色付いていたので吸い寄せられるように入ってみました
初秋の時期が好きです
緑と赤のコラボがステキだから
お地蔵様にお参りして
さて本題の龍源院です
畠山義元と大友義長が創建したと伝えられています
畠山義元は全く人望がなかった人物
父、義統の後を継いで当主となるが3年も経たないうちに謀反により越後に追放されるというお粗末な人物
しかし人生とは解からないもの
追放から6年後、大規模な一向一揆が発生
家臣の中から復帰の声が...
また、室町幕府10代将軍、足利義稙と交友があったこともあり、当主に返り咲いた人物
大友義長は見識ある人物
室町幕府11代将軍、足利義澄から豊後・筑後・豊前の守護に任じられ
後に義澄が上洛の折には資金的な援助も行って、戦国大名の確固たる地位を確立した有能な人物
そんな対照的な二人の豪傑によって創建された寺院
ここは、寺院内の空間全てを庭園にしています
方丈前庭の一枝坦を無我で見つめます
蓬莱という山
甘露が授かると言われている山
古来より願い叶わない不老長寿
甘露とは漢語で、元のインド神話ではアムリタと呼ばれています
飲んだ者を不死とする妙薬
一枝坦の庭園にも蓬莱山があります
時の権力者が求め、現実に探索もさせたと伝えられる蓬莱山
ほら、ここで見つけました
雪だるまもアムリタを飲み、時の移ろいを末永く写真に収めたいものです
龍源院の庭園で一番小さいのが東滴壺
箱庭の最高傑作の一つだと思います
覗き込むと
ほら
そこに
壺庭の最高傑作が
とってもステキですね。
建物の中心くらいに位置しているのかなぁ?
こんな空間って、趣はもちろんありますが、
楽しさみたいなものも感じちゃいます♪
青い空と塀、手前から奥に続く道。
吸い寄せられるように入っていくという表現にピタリとくる一枚です^^
何となく分かりますよね
小宇宙なんて言葉がありますが
庭園は寺院の小宇宙
この場所を活かしてどう表現しようか
小さな壺庭は
書院と方丈の間の空間を利用して造られています
いい庭園ですよ