日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
善気山法然院萬無教寺
早秋のころ
六時礼讃行を修した
草庵を訪れた
苔むし
痛んだ
山門の屋根も葺き換わり
少し雰囲気を変えた様な気もするが
白砂壇は
変わらず季節を眺めていた
訪れる人が
増え
日本語以外の言葉が
けたたましく境内に響くようになったが
ここの美しい風景は
昨年と同じように
楽しませてくれた
今年最後の更新となります
いつも当ブログへお越しくださり
拙い写真を拝見していただき
ありがとうございます
これからもご愛顧のほど
なにとぞよろしくお願いいたします
松虫
鈴虫
極楽に
生まれむことの
うれしさに
身をば佛に
まかすなりけり
今はただ
云う言の葉も
なかりけり
南無阿弥陀仏の
み名のほかには
建永の法難
所縁の寺
この寺は
法然上人の念仏道場
鹿ヶ谷草庵の後身の寺
前出の辞世の句
安楽房遵西
住蓮坊
両名の墓所でもある
年に数回
特別公開される
秋のころ
誘われるように
訪れてみた
琵琶湖疏水に大豊橋が架けられているが
橋を渡り
東へと進めば
大豊神社が鎮座している
仁和3年
宇多天皇の御悩平癒祈願として
建立された神社
尤も
建立当時は
この地よりさらに東の
椿ヶ峰山中に在ったとか
大豊神社といえば
狛犬ならぬ狛鼠
愛くるしい
その姿に
訪れた者が
団栗を拾っては
供えてゆく
年中往来の絶えない
哲学の道にほど近い位置にありながら
ここの境内は
いつもひっそりとしている
思索の小径
元々はそう呼ばれていた
琵琶湖疏水沿いの
南北に続く小径
西田幾多郎は
この道を散策しながら
何を思ったのだろうか
西田幾太郎が哲学者であったことから
いつしか
哲学の道とも呼ばれるようになり
昭和47年に
正式な呼称となった
春の桜の時期
秋の紅葉の時期
年に二回
この小径を歩く
今年は少し紅葉が遅かった
土塀から溢れるように張り出す紅葉に誘われ
今年も
この塔頭を拝観
そうだ京都へ行こう
2013年の秋のポスターとなった塔頭
昨年に増して
拝観客が増加
天寿庵は
開山の塔所
開山の無関普門は
南禅寺ではなく
東福寺龍吟庵で示寂した
このため
南禅寺には
塔所がなかった
およそ40年の後
虎関師錬が建立したのがこちら
方丈庭園と
池泉回遊式と
二つの異なる庭園が見せる風景
山号を瑞龍山
寺号は太平興国南禅禅寺
秋のころ
この寺の境内は
三色の色合いに包まれる
風の渡る場所から順に
楓は
緑から赤へと変色する
法堂へ
奥へと足を向ければ
紅葉の遅い一帯となる
法堂をぐるりと一周
多くの観光客で
賑わう境内
美しい風景を楽しめた
今年も
路上のパフォーマーを見に
大須の地を訪れた
昨年一昨年と
同じく訪れ
祭りを堪能したのだが
この祭りの一番人気である
金粉ショーを主体に見たため
他の多くのショーを見ることができなかった
何せ
金粉ショーは
撮影できる位置に陣取ろうと思えば
ショーの2時間前くらいから並んでないと
撮影は困難
見るだけでも1時間くらい前でないと
人の頭が邪魔でまともに見れない
という訳で
今年は
金粉ショーを捨て
他の多くのパフォーマーの演技を楽しんだ
そうしたら
この祭り
実に面白い
笑いと
感動の祭りであった
乙仲とは
業界用語
正式な単語では無い
海運貨物取扱業者を指す通称だ
通称の由来は
戦前の海運組合法
定期船貨物の取次をする仲介業者を
乙種仲立業と呼称してるのだが
乙種仲立業を略称して
乙仲と呼んだことに始まる
神戸は海運業が盛んな地域
海運貨物取扱業者が
数多く軒を連ねていたこの一帯を
この乙仲という通称から
乙仲通りと呼ばれ親しまれていた
平成20年に
市より正式に通りの愛称として認定され
正式に乙仲通りと呼ばれるようになった
撮影し甲斐のある通りである
Alexander N. Hansell
が手掛けたとされる異人館
元々は
北野異人館街
ラインの館の北側に
建てられていた
J.K.Hassamの屋敷
その後所有者は変わり
昭和38年に
現在の地
相楽園園内に移築された
常時公開はしておらず
春と秋の二回
約一ヵ月間
特別公開される
屋敷内全室に
暖炉がある
独特の設計
阪神淡路大震災で
煙突落下があったが
修繕され
美しい姿を留めている
兵庫県の県庁のすぐ北
都市の真ん中にある
池泉回遊式庭園
明治末期に完成したとされる
この庭園は
元は個人宅の庭園
といっても
神戸市長となった
小寺家の庭園だ
規模もそれなりだ
庭園内で
特に目を引くのが
船屋形
池泉庭園を
池に沿って
進めば見えてくる
訪れた日
内部公開がされていた
秋が始まりそうなころの訪問であった