雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

神護寺2

2011年12月30日 | 京都散策
神護寺
寺号を正式には神護国祚真言寺という



奈良時代から平安時代にかけ
政治を司った和気氏の私寺であった
神願寺と高雄山寺の合併が
この寺の始まりとされている



この寺が
歴史的にも有名になったのは
弘法大師空海による



八幡神の加護を受け
国家鎮護を祈念

弘法大師空海が神護寺に住じたのは大同元年
15年ほど後の天長元年には
先に記した神護国祚真言寺へと寺号を変える



真言宗として
一切を弘法大師に託したのだ



以後
神護寺は
実慧
真済といった高弟が
別当として従事



平安末期には衰退もするが
後白河法皇の口添えなどもあり
武家出身の僧
文覚が再興してゆく



秋の始まり



ひと足早く紅葉が始まった高尾から
秋の紅葉巡りを始めた

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神護寺

2011年12月28日 | 京都散策
2011年の紅葉
昨年は一県一紅葉と題して
各県独断と偏見チョイスの紅葉を巡ってみた
今年は原点回帰、京都の紅葉にのみ注目

紅葉巡りの最初は高尾からだった



清滝川の畔に愛宕山山系が連なっているが
山系のひとつ
高尾山の中腹に鎮座する神護寺



この寺を参拝したければ
長く続く石段と坂道を登らなければならない
夏のひと時なら苦にもなるが
紅葉する木々の色づき具合を確かめながら登ると
不思議と疲れが出ないのが不思議



楼門が見えてくればもう寺領域内
元和9年の築とされている楼門
どれだけの人の参拝を見つめ続けてきたのだろうか



境内はまだ朝靄の霧の中
金堂への石段がとかく有名だが
個人的には
こちらの毘沙門堂周辺の景色が好み



良い具合に色づいていた



撮影のメッカになる金堂への石段



未だ早朝はひっそりとしていた



続く
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小江戸彦根の城まつりパレード2

2011年12月27日 | 滋賀散策
小江戸彦根の城祭りパレード

二回目の紹介は時代絵巻
平安の旅衣装から戦国時代
江戸時代までをパレードで紹介している





最初は井伊家
赤備えの火縄銃



後ほど堀の天守側で
火縄銃の実演を見せてくれた



参勤交代の行列に



太秦の人気俳優が登場





パレードで女性たちが華やかさを演出し









少年少女たちが
活躍する





華やかなパレードは
やがて





俳優
的場浩二氏が
井伊直政公に扮して登場



2時間にわたったパレード



以外にも楽しめた
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名古屋モーターショー2011

2011年12月24日 | 写真
久しぶりに
タイムリーなアップは名古屋で開催されたモーターショー



2年に一度の車の祭典



実は毎回訪れているが
こうしてブログにアップするのは初めて












一昨年の世界的な自動車業界低迷以来
派手な演出が減った



かつては歌って踊っての派手なショーがあり
コンセプトカーがずらりと並んでいたが
前回以来、現実的なショーへと様変わり













コンパニオンの写真の後は
車とバイク
今年はバイクの展示が多かった































望遠のみでの撮影
全景は
公式サイトか
他のサイトでご確認を






一挙の公開
大量アップ
時間がかかった方
申し訳ありません
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小江戸彦根の城まつりパレード

2011年12月22日 | 滋賀散策
小江戸彦根の城まつりパレード



総勢1,000名の時代絵巻のパレードが
文化の日に
彦根城城下で催された







二回に分けて
パレードの模様を紹介
順不同であるが
時代絵巻パレードと
それ以外とで紹介する









一回目は
所謂パレード





パレードとはいえ彦根
ゆるキャラ人気の立役者
ひこにゃんが登場しなくては始まらない

続く
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慶雲館

2011年12月20日 | 滋賀散策
伊藤博文が命名したと伝えられている
長浜の迎賓館



明治20年に造営されている



わずか4カ月の
突貫工事で造営された迎賓館である



というのも
孝明天皇御式年祭で
明治天皇が行幸したのだが
当時の長浜には
迎い入れる施設が無かったのだ



太湖汽船の頭取を務めていた浅見又蔵が
行幸計画を知り
自らが所有していた
大通寺別殿跡地に
行在所を私費で建設したのだ



建物が竣工したのは明治20年2月21日



明治天皇・昭憲皇太后夫妻が京都を発ち
東京へと向かう
まさに当日だった



明治天皇・昭憲皇太后夫妻がこの地に到着するのは
13時頃
それまでに後かたずけを終わらせ
無事にこの屋敷に向かい入れることに成功する



明治天皇・昭憲皇太后夫妻が滞在したのは
わずか45分ほどの時間
そこに日本人の美徳を見いだせる



それから25年後
名匠7代目小川治兵衛が池泉回遊式庭園を作庭し
今日、名勝庭園として
訪れる人の目を楽しませている
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玄宮園

2011年12月19日 | 滋賀散策
ようやく
当ブログでも
秋の候の掲載を始めます

最初は初秋も初秋
色づき始めた葉もあったかなという程度の彦根から




大名庭園



江戸時代初期
西国の大名に睨みを効かす為に
徳川四天王の一人
井伊直政が石田光成の居城に入封



石田光成の居城を嫌い
佐和山城から更に琵琶湖に近い
磯山に新たに城を築くことを決めたものの
戦傷が元で直政が死去して後
直正から数えて4代目
井伊直興が造営したと伝えられている庭園



当時の風景が残されているかどうか
この庭園は後の11代藩主
井伊直中が隠居屋敷として
再度、手直しをしている
それが今日に伝わっている
玄宮園の風景



天守を借景にして
近江八景の風景を参考に作庭されたと云われ



当時はこの庭園から
琵琶湖へと船を漕ぎ出すことも出来たそうだ



当ブログで
何度も登場しているここ玄宮園



紅葉が始まり出したころ



紅葉狩りは
ここ玄宮園でスタートした

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水都 大阪フェス

2011年12月16日 | 大阪散策
水辺のまちあそび



そう題して
大阪の街で
10月1日~11月30日にかけ
さまざまなイベントが行われていた



ウィーク期間のなかでも
10月22日~30日にかけては
チャレンジウィークと名付けられ
イベントが目白押し







中之島のイベント会場には
好評につき
ラバーダックも再びお目見え





震災チャリティーグッズとして
ミニラバーダックを入手するため
一時間以上並んだりもした





展示作品を眺め





飲食ブースに並ぶB級グルメを楽しみ
ワインの試飲で暴走し
毎度の悪酔いで



船に乗れなかったのは
笑い話



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大阪マラソン

2011年12月14日 | 大阪散策
大阪マラソン2011
参加したわけでなく
街歩きをしていて
偶然遭遇



地下鉄御堂筋線
淀屋橋駅で下車し
地上へと向かったのだが



いつも見慣れた御堂筋に
人の垣根



はて、何だろうと近づき
マラソン大会の日だと思いだした次第



付近は交通規制が成され



目的地であった中之島へ向かおうと
御堂筋を渡るために
再び地下道へと進み
あっちの出口はダメだ
こっちの出口はなど
周囲の人も右往左往



再び地上に出てみれば
目の前をランナーが駆けていた



走る皆さんも大変



見る皆さんも
大変?





選手の方々
お疲れさまでした
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街の垢

2011年12月12日 | 大阪散策
人の皮膚と同じように
都会にも同じようなものがある



それは
薄皮一枚隔てた姿の事
都会の表の表情



皮膚は
やがて老化して
垢となってゆく



同じように都会の表情も
老化と再生
新陳代謝を繰り返し
その過程で
多くの垢を落とす



油にまみれた飲食店
壁と言わず
アスファルトにすら長年にわたりしみ込んだ人や獣の脂



かつてはモダンと評され
しかしやがて
周囲の風景に溶け込めなくなった建物の外観
時の流れを
眼で以て知ることが出来る



露店も
繁華街に連なる店も
所狭しと並ぶ自販機も
その全てが欲望を吸い込み
歪な何かへと変貌を遂げているような錯覚に襲われる



やがて
帳が下りる頃になると
魔界の住人たちが
営みを始める



昼と夜の隙間の時間帯
街をふらりと歩き
その姿を写真に留めた



時間が近づき
そそくさと電車で退散

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大阪を歩く2

2011年12月10日 | 大阪散策
大阪で最も好きな風景は
そう聞かれ
答えるとすれば
中之島の風景が好きである



そして特に
四ツ橋筋から東側
天神橋筋までの風景がお気に入り



中央公会堂の建物はさすがの風格であり見応えもあるが
橋だって負けていない
全部で22の橋が架り





見せてくれる風景は多彩





一度
全部の橋を一挙に撮影してみたい
とも思っているが
全長3kmのこの島
歩くに結構な距離となることから
未だ実現していない





今回
御堂筋から天神橋筋まで歩いたが



引き返さず
そのまま
下って難波まで行ってしまったので
ついでに
その折の写真も紹介しておく
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大阪を歩く

2011年12月08日 | 大阪散策
街を歩く
大阪歩きに
少しこだわり何度か歩いている



何故
街歩きに楽しみを見出したかというと
それはコンデジのお陰



今まで
撮影といえば大型カメラを持ち出していた



京都の街を歩く時
大自然の中を歩きながら撮影する時
イベントなどでの撮影をする時
カメラを持って歩いていても
さもありなん
と、誰もが思ってくれるのであれば問題ないが



街歩きで
大型カメラを持ち歩くのは
何かと不便



それで最近
コンデジを購入したのだが
これがすこぶる面白い



今まで
バックと交換レンズと、と
かなりの重量を持ち歩いていたのだが



それが片手に収まる程度のカメラで
撮影するとこれが手軽



お遊びでも
一応付いている
ファインダーものぞいて
撮影もそれらしく行えば
割と納得がゆく



という訳で
コンデジ片手に歩いた大阪の記録
続く
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街歩き

2011年12月06日 | 愛知散策
街の表情
そこに生きる人の活動の舞台
そして
生活の基盤



街を形作るのは
それだけでない



そこを訪れる人たちの
欲求や要望
そして夢が
街の形成に関わる



望むものを提供し
望まれる店が生き残り
望まれる風景に変わってゆく



しかし
そんな街の
わずか通り一つ
薄皮一枚めくった裏側には



昔からそこで生活する
生の風景も残されているのが街だ



そういう



人情も生活臭も
味わうことが出来るのも
街歩きの楽しみ



歩けば



偶然、縁日に出合えたりもする
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大須大道町人祭2

2011年12月04日 | 愛知散策
大須大道町人祭の最大の人気ショウ
大駱駝艦の「金粉ショウ」の2回目



2回目は
大光院でのショウ



13時40分からのショウ
12時半に会場に至ったが
すでに撮影するために
確保できるスペースなし







という訳で
今回掲載分は
人と人との隙間からの撮影
見苦しい部分はご容赦













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大須大道町人祭

2011年12月02日 | 愛知散策
毎年
秋の便りが聞かれる頃
名古屋市中区の
大須商店街で



大須大道町人祭が開催される











その催しのなかでも
一番の人気が
大駱駝艦による
「金粉ショウ」













人気は凄まじく
撮影したければショウの2時間くらい前から場所取りする覚悟が必要かもしれない
今回は
人の隙間から
撮影したものを紹介
掲載枚数が多いのはご容赦





二回に分け
二か所の撮影分を紹介する
一回目は
ふれあい広場でのショウを紹介





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