雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

山口家住宅

2018年07月30日 | 大阪散策
この屋敷が建てられたのは



大阪夏の陣のすぐ後のこと



戦場の爪痕もまだ残す頃
だったと伝えられている



室町時代の終わりごろ
戦でなく
商いで世を統べようとした堺



堺の優位性を認め
取り込んだ織田信長



踏襲し
完全に支配し頭目とも云われた千利休をも切腹に追い込んだ豊臣秀吉



歴史の暴君がこの地を過ぎ去り



徳川の治世になった時に
建てられた町屋敷



とは書いたが
実のところ
この時代の歴史すら真実とかけ離れた伝えられ方が成されているかもしれない

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京都府庁旧本館

2018年07月26日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
明治34年に竣工した庁舎



議場は
現存する日本最古の議場として



隔週で公開されている





庁舎内は
常時公開され



懐かしくも
温かみのある







不思議な空間をさ迷える

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大阪農林会館

2018年07月23日 | レトロビル内訪
大阪の南船場



御堂筋線心斎橋駅から
東北へ200mほど



碁盤の目のような大阪の中心街の一角



Josiah Conderが設計に参画したビルが今も残る



商事ビルとして建てられた建物が



後に
農林省資材調整事務所として使用されたことから



今日も
農林会館の名前で知られるようになったビルは



今でも現役



各種テナントが入居する



雑居ビルとして
多くの往来を受け入れる



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旧第四師団司令部庁舎

2018年07月18日 | 大阪散策
創設は明治21年
創設時の歩兵連隊は
第8
第9
第10
及び第20連隊からなる



西南の役での活躍で
明治天皇が直々に
勇敢勇戦さを賞するほどであった



三府の一に位して
商業繁華の大阪市
豊太閤の築きたる
城に師団は置かれたり



大阪城本丸脇に
軍司令部庁舎が建てられた



その司令部も
敗戦後は占領軍に接収される



主権を取り戻すと
司令部も返され
昭和23年から33年までは大阪市警視庁庁舎として活用



昭和35年から平成13年までは



大阪市立博物館として使用される



老朽化で博物館が移設された後は
立入り禁止の廃墟のような扱いとなっていたが



平成29年より



MIRAIZA OSAKA-JOとして復活した

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平野市場 跡

2018年07月16日 | 商店街 市場
また一つ
役目を終えた市場が消えていった



場所は有馬街道と
北野異人館街の東西の通りが交差する
兵庫区下祇園町付近



表通りの市場は
まだ多くの店が営業しているが



奥のアーケード街は
訪れた日
解体の最中だった





そこはもはや
廃墟だった





わずかに残る
アーケードだった頃の風景が





なんとも物悲しかった

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湊川隧道

2018年07月13日 | 兵庫散策
毎月
第三土曜日の午後1時から午後3時まで
一般公開されている隧道



隧道とは日本語表記で
英語で記すると tunnel となる



ここはかつて
河川トンネルだった



湊川の洪水対策として
会下山にトンネルを通した



阪神淡路大震災で
周辺護岸の崩壊とトンネル内のレンガ剥落
そしてトンネル自体の亀裂もあり



新たにトンネルを掘ることになる



残されたこの隧道は



保存会が発足し
今日
月一度の公開と
同時に各種催しが行われている



訪れた日は
アコースティックギターのコンサートが催されていた



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海外移住と文化の交流センター

2018年07月11日 | 兵庫散策
外務省神戸移住斡旋所



移民のための施設として建設され



ここから多くの日本人が
南米へと渡航していった



まるで
学校のような構造の建物



戦時中には
軍の施設としても使用され



戦後は
看護婦の養成機関となった



先に学校のようだと記したが
建物の細部を見ると
建物全体は甲板船の様にも見え



廊下や階段も
船舶を連想させる



まさに
移民ための建物である

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萌黄の館

2018年07月09日 | 兵庫散策
アメリカ合衆国総領事の舘



家人は Hunter Sharp



だが
重要文化財では
小林家住宅とされている



建てられたのは明治36年



当時の家人は
先に出てきた Hunter Sharp だったが



後に神戸電鉄の社長
小林秀雄氏が買い取り



昭和53年まで過した



この事から
小林家住宅として文化財登録されている



小林氏が居住していた頃は白い外観だったが
平成の半解体修理で
この舘が萌黄色に塗られていたことが判明し



今日
萌黄の舘として知られている
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風見鶏の館

2018年07月04日 | 兵庫散策
旧トーマス邸



ドイツ人の貿易商
Gottfried Thomas



彼の邸宅として
Georg de Lalandeが設計した屋敷



重厚な外観と
屋根の上の風見鶏から
風見鶏の舘として知られている



ネオ・バロック様式を基調とした建築



明治37年にこの舘は建てられた



Gottfried Thomas がこの舘で過ごしたのは約10年ほど



娘を母国の上級学校に進学させるために
一時帰国している最中に第一次世界大戦が勃発し



一家が再びこの屋敷を訪れる事は無かった

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竹中大工道具館

2018年07月02日 | 兵庫散策
大工道具は
その質が良いものほど使用頻度が高い



そして磨耗し



やがて消滅していく



明治期以降
大工道具は近代化し



高度経済成長期には
電気工作具が出現したが



古くから伝わる
木に合わせて作られた工具のような美しさは無い



大工道具が
この資料館には数多く残されている



日本で唯一
大工道具に焦点を向けた展示



新幹線新神戸駅から徒歩でも数分の立地



是非とも訪れてみたい資料館だ

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