雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

醒ヶ井2

2009年07月31日 | 滋賀散策
醒ヶ井
古事記や日本書紀にも登場する地
地蔵川には日本武尊が熱を冷ました伝説も残っている

   

地蔵川に咲く梅花藻

       

梅花藻はキンポウゲ科
双子葉植物キンポウゲ目に属する科
シュウメイ菊やニリンソウ、クレマチスと同じ科である

  

梅花藻の名前の由来
漢字で見たまま
藻が梅のような花を咲かせるから付いた名前

       

地蔵側沿いに沿って
梅花藻だけでなく色々な花を愛でながら進む

   

水の音が暑い夏には心地良い

  

古い町並みは
時として懐かしい風景にも出会える
昭和の名残

       

ほんの数百メートルの街道ではあるが
ここの風景はいつ訪れても
美しい

       

街道に暮らす人々の生活感もあり
清らかな清流が生活と密接している事を再認識させてもくれる

       

和める風景
楽しみました

      
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醒ヶ井

2009年07月30日 | 滋賀散策
中山道の宿
醒ヶ井
清流が美しい事で知られる宿場町

       

    

毎年
夏になると多くの観光客で賑わう
片田舎の宿場町

   

観光客が集まる理由は
宿場町を流れる地蔵川にある

  

居醒の清水

   

街道沿いに続く
川というよりも用水という感じの地蔵川
夏場に見るこの川の情景は
日本の夏そのものの風景を魅せてくれる

  

川沿いには街道に住む人たちによって
丁寧に育てられた草木も植わり

  

夏の時期は地蔵川にも梅花藻が咲く

   

   

写真を撮るのもよし
絵を描くのもよし

   

続きます
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結婚式

2009年07月29日 | 写真
結婚しました
といっても雪だるまではなく
親戚の従兄弟

   

お祝いする為に
式と披露宴へ参加
神戸まで出掛けました

       

       

といっても式への参加ですから
観光は無し
おまけに礼服やら帰りに頂く引出物で
荷物だらけになるので
今回はすべてコンデジでの撮影

       

式の2時間前に到着したので
ホテル内を撮影して楽しみました

      

      

こういう場所を撮影するのは久しぶり
やっぱりデジイチを持ってくればよかったと
少し後悔しながら

  

ラウンジなどを撮影して楽しむ

   

展示された披露宴式場の風景
洋食の皿やナイフ、グラスは絵になる

      

さて
式が始まると
雪だるまは初めてお会いする花嫁さんが入場

       

聖書の前で
二人の門出を祝いました

     

お二人ともお幸せに

 
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紫陽花

2009年07月28日 | 写真
紫陽花
Hydrangea

   

英語の直訳は「水の容器」

今年は数多くの紫陽花の種類を愛でる機会があったので
紫陽花の花々を御紹介

       

花の名前は御容赦のほど
なお記事も今回はサボってます

   

こちらも御容赦のほど

       

      

   

  

   

以上、艶やかな紫陽花でした

  
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明治村1丁目 聖ヨハネ教会堂と学習院長官舎

2009年07月27日 | 愛知散策
明治村
不定期に紹介しています

   

今回は1丁目の目玉
聖ヨハネ教会堂をメインにご紹介

       

江戸時代が終わりを告げ
明治時代に入ると
禁制であったキリスト教の布教も認められ
各地に教会堂が建てられるようになった

   

これはその一つ
京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会

  

一階は日曜学校や幼稚園に使われていたスペースで
今でも子供達が遊ぶ事が出来る
そして会堂は二階

      

かつてここで
賛美歌が流れていた
どこからともなく
賛美歌が聞こえてきそうな感じでした

        

和風とも西洋風とも
どちらも感じられる教会でした

       



さて
教会から先へと進むと見えてくるのが
学習院長官舎
東京都豊島区目白に建っていた
学長の官舎

   

この時代
和洋折衷の建物が全国各地に数多く建設されている
ここも公の場は洋館
学長の私宅は日本建築

       

今では珍しくも無いが
紅茶やコーヒーが
舶来品として振舞われた事でしょう

 
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木津川 流橋

2009年07月26日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






   

木津川
やがては桂川と宇治川とつながって
淀川となる川

       

その合流地点から暫く遡ると
見えてくるのが
木津川流橋

       

木造の全長356mほどの橋

   

特徴は
名前の通り
流れる事

       

大雨などで
水位が上がると
橋は流される

   

橋板は幾つにも別れていて
パーツごとに橋脚にワイヤーで縛られている

      

流れた橋板は
増水が終わった後
引き寄せて
再び橋脚に乗っければ
復旧

   

   

夏の時期
木津川は水位が低い
というか
河川敷の多くは砂地となっている

      

下から眺める流橋
という面白い風景を見る事もできる

       

観光客だけでなく
日常の橋としても使われ
徒歩で
自転車で通り過ぎる
人の往来がある

       

訪れてみる価値ある橋です
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松花堂庭園2

2009年07月25日 | 京都散策
松花堂庭園
前回は松花堂昭乗について記したが
今回は
一番有名な松花堂弁当について

       

松花堂弁当を世に広めたのは
吉兆創業者である
湯木貞一

   

湯木貞一は明治時代の料理人
彼が30歳の時
大阪市西区新町に割烹料理屋「御鯛茶処 吉兆」を創業

   

開業当時は客もつかない
閑散とした店だったというが
徐々に彼の料理は認められ
その後の吉兆の礎を築いていった

      

その彼が編み出した弁当が
松花堂弁当

   

名前の由来となった松花堂昭乗は
農家の種子入れ用の器を、小物入れとして愛用していたと云われ
この小物入れを
アレンジしたのが松花堂弁当

       

   

田の字形の器を
寸法などに手を加え
料理を収めたのが松花堂弁当

  

刺身
焼き物
煮物

見栄え良く配置された弁当は
食べる人の目も楽しませてくれる

   

ここ
松花堂庭園に併設された
吉兆松花堂店で
松花堂弁当を楽しめる

       

訪れた折には
優雅な食事を楽しんでみては如何
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松花堂庭園

2009年07月24日 | 京都散策
松花堂弁当で知られる
松花堂

   

やわた市民文化事業団が経営する
松花堂美術館にある
松花堂庭園を訪れた

   

松花堂とは
江戸時代初期の僧侶であった
松花堂昭乗が1637年に
構えた草庵の名称の事

    

       

草庵は元々は
現在の地ではなく
石清水八幡宮のある男山の東麓にあった

   

明治時代になって
神仏分離で
現在の地へと草庵と庭園は移されている

       

庭園と美術館が併設された
6,600坪にもおよぶ広大な敷地
広大な庭園は見所も多い

       

松花堂昭乗
江戸時代初期を代表する文化人である
書道
絵画
茶道
能書家
さまざまなジャンルで高名であった

       

俗名は中沼式部といい
豊臣秀次の子息だったという
信じ難い俗説もある

  

近衛信尹
本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」
としても知られ
松花堂流という書風を編み出している

     

雅な庭園
茶室でお茶を楽しむのも一興
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神応寺奥の院

2009年07月23日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






石清水八幡宮の建つ八幡の男山
その麓に神応寺は山に抱かれるように
ひっそりと建っている

       

八幡神男山に勧請した行教律師が創建したと伝えられている

       

ここは石清水八幡宮へと至る散策道の一つでもある
長く続く石段

       

緑を愛でながら石段を登ると

    

やがて見えてくるのが神応寺
曹洞宗の寺院で
山号は糸杉山
本堂は安土桃山時代の遺構だと伝えられている

   

さて本日の目的地はその奥
奥の院

      

途中
石清水八幡宮へと向う
男山ケーブルの下を歩く事になる

       

木漏れ日に輝く竹林を脇に見ながら

   

先へと進むと
ほうら、見えてきた

       

秋の紅葉が美しい事でも知られるが
新緑の時期も美しい

  

地元の老婆が二人
境内で噂話に興じていた

      

ここは地元のお寺
訪れる人も少ない神応寺を紹介しました
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石清水八幡宮2

2009年07月22日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






石清水八幡宮
京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神社として
崇拝されたと云う

       

天皇や上皇の行幸も数多く
創建以来栄えた神社でもある

  

またこの石清水八幡宮は
清和源氏が崇拝した神社としても知られている

       

武神・弓矢の神・必勝と
武士の神社でもあった

  

現在は石清水八幡宮として知られているが
幕末までは石清水八幡宮護国寺と呼ばれていた
京都の市中の有名な寺社ともつながりが深い神社
明治時代の神仏分離が行なわれるまでは
参道には宿坊が軒を連ねていたという

       

明治初期
神仏分離でここは一時期
男山八幡宮と改名される

  

しかしそれまでの石清水の名があまりにも浸透していた為か
大正時代に石清水八幡宮に戻されている

    

ここはまた
エジソンとも縁がある神社
白熱電灯のフィラメントが竹を利用したというのを知っている人も多いと思うが
その竹を供出したのがここ
記念碑がその歴史を伝えている

   

散策とプチ登山

       

ここを訪れる楽しみは尽きない

   

男山は猫たちの楽園でもあった
帰り道の表参道には
猫の愛らしい姿を見る事が出来た

   

石清水八幡宮を紹介しました
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石清水八幡宮

2009年07月21日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






京都の八幡市
男山山上には石清水八幡宮が鎮座している
日本三大八幡宮のひとつ

        

標高143mの山上までは
徒歩かもしくは男山ケーブルで
もしくは、裏山の住宅街を抜けて車で行けるのだが
今回はお金を使わずにということで
裏参道の石段を登ることにした

       

南都大安寺の僧行教
弘法大師空海の弟子である
行教が宇佐八幡宮に詣でた折の事
一つの神託を得た

  

それは
「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」
というもの

   

都に帰り
この事を告げると
清和天皇はこの地に社殿を建立する事を命じたという

   

これが石清水八幡宮の創建にまつわる歴史

       

さて
この神社
ケーブルもあるのだが
健康増進のために歩いて登る人も多い
表参道は距離が長い分石段も緩やかだが
裏参道は階段の連続

       

途中の緑に癒されながら

   

ようやく辿り着いた境内

   

次回は境内を紹介します

   
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飛行神社

2009年07月18日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






京都の珍名所第2段
八幡の飛行神社を御紹介

        

饒速日命(にぎはやひのみこと)
を祀っている神社
民家の間にあり
入口にはジェットエンジンが鎮座

        

鳥居はジェラルミン製

       

境内には戦後引き上げられたゼロ戦のエンジンも飾ってある

    

二宮忠八が創建した神社
日本で最初に飛行原理を研究した人物である

   

ギリシャ風の拝殿を持つ神社
これが神社?と問うなかれ

    

二宮忠八は日本の飛行史における先達
日本初の動力付模型飛行実験に成功した人物である
それが、ライト兄弟の飛行実験成功の報を受け
ショックから一時飛行機開発から離れる

   

その後目覚しく発達した飛行機は
やがて飛行事故による死者の数も増やし
その事に心を痛めた二宮忠八は
私財を投げ打って
大正4年にこの神社を創建している

   

神社の奥には
資料館もあり
中には飛行機の歴史や
数多くの飛行機の模型が飾ってある

       

今回はお金を使わない旅なので
資料館の写真は割愛

        

八幡市駅から徒歩5分程度
近くを訪れたら
立ち寄ってみたい珍名所を紹介しました

   
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宝積寺

2009年07月17日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






真言宗智山派の仏教寺院
大山崎天王山の山中に建つ静かな寺院
宝積寺を訪れた

   

山号を天王山または銭原山と称する

   

開山は行基
聖武天皇の勅願で創建されたと云う

   

行基は奈良時代の僧
僧としての業績も凄いが
それ以外の顔として
当時としては珍しい社会事業を行なった僧でもある
架橋、灌漑などを数多く手掛けている

       

       

ここは歴史的舞台となった地

       

前出の秀吉と光秀が争った
山崎の合戦では
秀吉の本陣ともなった歴史を持つ

       

坂道が続くので
訪れるには辛い寺院ではあるが
歴史を尋ねて歩いてみるのも面白い

       

ひっそりと佇む宝積寺を紹介しました
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大山崎山荘美術館3

2009年07月16日 | 京都散策
前回も書いたが
この山荘を建てた加賀正太郎は
ここの風景を遊学時代に見たイギリスのウィンザー城から眺める風景に擬えたと云う

       

山荘にはテラスがあり
ウィンザー城の風景
テムズ川のように天王山山麓の淀川が見られる

      

テラスの席に座って
アサヒビールを飲むのも乙なもの



       

建築が始まったのは1912年の事
その後増築を重ね

       

現在見る山荘になったのは1932年
もっとも新館と呼ばれる半地下の建物はずっと後世の建築

       

ここは地域の保存運動があって再建された私設美術館
家主の加賀家の手を離れた山荘は
会員制のレストランとなった時期もあったという

  

それがバブル崩壊後
不動産業者が買収し更地にしてマンションを建てる事となる

       

ここで
長閑な大山崎の地に高層マンションが建っては景観が損なわれると
地域住民の運動が起こり

      

加賀正太郎と知己のあったことで知られるアサヒビール初代社長
山本為三郎
また加賀正太郎が興した会社
ニッカウヰスキーはアサヒビールの子会社

      

そうした縁で
山荘美術館として姿を変えた大山崎山荘美術館

        

訪れた記念のお土産は
ビールケーキ

    

これは帰ってからでも楽しめそう
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大山崎山荘美術館2

2009年07月15日 | 京都散策
正式には
「アサヒビール大山崎山荘美術館」という

       

アサヒビール運営による私立美術館
入館料は700円
外の景色を撮るのはOKだが
建物内は撮影禁止なので御注意を

  


アサヒビールは創業当時
朝日麦酒株式会社と書かれていた

       

朝日麦酒株式会社の創業者
山本為三郎が収集したコレクション
それが展示されている

      

陶磁器・染織・絵画
数多くの美術品や生活用品が陳列されている

  

イギリス・チューダー様式の山荘の中は撮影禁止だが
テラスから眺める景色は撮影できる

     

大山崎山荘は加賀正太郎が建てた山荘

       

彼が遊学したイギリスの風景を思い出しながら
テムズ川を見下ろすウィンザー城の風景を重ねあわせ
ここに山荘を建築したという

  

山荘の風景は独特
日本の風景とも言えるし
そうでないとも言える

   

雨にシットリと濡れた風景

   

山荘の風景
次回も続きます
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