日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
横山光輝の代表作
「鉄人28号」
大人から子供まで
名前の認知度はかなりの存在
細かい設定は知らないが
ものの本によると
なんでも
太平洋戦争末期が製造年月日で
製造者は大日本帝国陸軍
敗戦色濃い戦時下において
起死回生の秘密兵器として
開発していた巨大ロボット
なんだそうだ
しかもリモコンで動くらしい
阪神大震災後の復興や
商店街活性化活動の一環として
「KOBE鉄人PROJECT」が
長田区の松公園内に立った鉄人28号
実物大モニュメント像は迫力満点
ちょっとレトロな感じが
なんとも堪らない
ちょっと面白い
玩具を手に入れた
デジカメとコンデジの
中間の
ハーフのような存在のカメラ
街をふらりと散策しながら
撮影するに
最適のサイズと機動性
簡単に絞りを変更できるのが
また嬉しくて
つい撮影枚数が増加
街の撮影は
お手軽が一番
でも
撮るのが楽しくなければ
ダメ
適当なボケ味
そこが醍醐味
撮影は楽しく
老朽化した古いオフィスビル群
そう認識されていた
旧居留地区だったが
1988年
旧神戸商工会議所ビルの保存運動が興り
様相が一変
保存運動そのものは
会議所ビル解体で幕を閉じるが
街再生はそこから始まった
居留地の一角
百貨店大丸神戸店が所有している
近代建築をLive Lab Westとして店舗化
高級ブティック店が
周囲ビルにオープンしてゆくと
一帯全体の風景が
まるで西洋の街に迷い込んだかのような
雰囲気に再生していった
旧居留地連絡協議会は
日本都市計画学会の最高賞も受賞している
最も神戸らしい洗練された街
最後のおまけは
元町の有名なビル
神戸港を訪れたのなら
ベイエリアを周遊してくれる
「神戸ベイクルーズ」に乗りたいものだ
所要時間約45分
乗船料は大人1000円
割とリーズナブル
川崎重工の海自基地も
すぐ近くを通り
軍艦や潜水艦などを
遠目ではあるが
見ることが出来る
造船技術や
軍港を見たら
ほんの少しだけ外洋へ
こちらからは
明石海峡大橋が
遠望できる
神戸港を
ぐるりと一周
楽しめた
ポートタワー
神戸港の象徴的存在
湾口施設としてではなく
港の景色を楽しめるようにと
1963年に
中突堤に建設された
展望用タワー
世界初のパイプ構造
遠目には
和太鼓を引き延ばしたような外観で
鉄塔の美女
とも称されている
先に
突堤と記したが
建築当時は突堤だった
現在は
80年代にメリケンパーク造成
90年代に中突堤中央ターミナル造成
により、中途半端な位置に立つ
タワー内のレストランで
頂くハヤシライスは格別
展望台からの風景もまた
楽しみの一つだろう
震災後
復興を遂げた神戸の街だが
震災を忘れないようにと
当時の記憶を残した
神戸震災メモリアルパークも近くにあるので
立ち寄ってみた
元三田藩士
小寺泰次郎
幕末の混乱期に実業家として活躍した人物
実業家として財を成し
明治時代末期に落成した
広大な土地を所有する邸宅である
元々は「蘇鉄園」と称し
敷地の一角には蘇鉄の園もある
総面積は19,566㎡
池泉回遊式の日本庭園が見事である
1941年
神戸市に寄贈された折
園の名を
中国易経の一節
「和悦相楽」からとり
相楽園と名を変えている
創建当時の屋敷は
神戸大空襲で大半が焼失し
西洋風の旧小寺家厩舎を残すのみであり
現在庭園内に見る
旧ハッサム住宅は北野町から
船屋形が垂水区から
それぞれ移築され
相楽園会館と
茶室「浣心亭」は
迎賓施設として新たに建築され
今日見る姿になっている
早春の頃
この庭園を歩いてみた
早春の頃
歩いた奈良公園周辺
鹿が放し飼いにされている事で知られており
鹿にせんべいをあげる姿が
そこかしこで見られる
愛くるしい眼
お辞儀する仕草
ついつい撮影してしまった鹿たちの写真を掲載
今回は手抜き記事で
ご容赦
金光明四天王護国之寺
と記載して
それが
東大寺であると理解できるだろうか
開山は良弁僧正
聖武天皇渾身の建立であったと
そう伝えられている
創建当時
大仏殿を中心堂宇に据え
東西には
2つの七重塔が鎮座
大伽藍であったと伝えられている
しかし
その後、2度の兵火で伽藍は焼失
現存する大仏殿も
江戸時代の修復によるもの
大仏自体も
創建当時の大仏が現存するのは
台座の一部のみとか
若草山麓に在った金鐘寺が
起源の東大寺
ユネスコの世界遺産に登録されるなど
創建当時の人は
想像もしないことだろう
高畑サロンと呼ばれた館
昭和13年当時
転居が趣味のような
そんな男が
約10年の時を過ごした館である
洋風サロンが
日本家屋が雑然と並ぶ町並みに在り
おそらく
違和感ある建物として
認知されていたことだろう
立地から
若草山が一望でき
この屋敷の二階からは
野焼の風景が
特等席のように拝める
暗夜行路は
家主の代名詞ともなった作品
このサロンで執筆したと云う
この屋敷はまた
当時の文豪たちの集いの場所でもあった
武者小路実篤
小林秀雄
亀井勝一郎
桑原武夫
等々
文学論や芸術論などを語り合う声が
屋敷の周囲にも漏れ聞こえた事だろう
その事からか
いつしか
高畑サロンと呼ばれるようになったこの屋敷
久しぶりに訪ねてみた
神戸の町
坂道の町
港から山裾まで
ほんの数キロメートルしかない
猫の額ほどの斜地に
ひしめく様に建てられた家々
通路は細く
車の往来どころか
オートバイでの往来も困難な道は数多く
左右に建つ
異国情緒ある建物を眺めながら歩くと
ふらふらとカメラ片手で
右へ左へ
戻っては進みを繰り返してしまう
そんな
異人館を中心とした風景を
適当にスナップした写真で綴ってみた
淡いグリーンの外観が美しい邸宅
アメリカ総領事
ハンターシャープ氏の邸宅として
この建物は建築されたと伝えられている
この建物
昔を知る人なら
白い外壁の建物としての印象が残っているだろうし
以前は
白い異人館との異名も持っていた
こちら
今の色になったのは昭和62年の事であるが
そう記述するのも実は間違いで
創建当時は
この萌黄の建物であったそうな
修復工事で
往年の姿に戻った
2階建のベランダが特徴的な建物
ベランダからは
神戸の港が見渡せ
デートコースには最適な
景観を見せてくれる
薄いレース越しに
柔らかく差し込む日差し
存分に撮影を楽しみ
館を後にした
神戸の異人館街における
シンボル的な建物といえば
こちらの風見鶏の館だろう
建築設計は
ドイツ人建築家
ゲオルグ・デ・ラランデ
元はドイツ人の貿易商
ゴッドフリート・トーマス氏の自宅であった
異人館街に数多く現存する建物は
異国情緒を漂わせているものの
資材は日本で調達しているため
木造建築物が多いが
こちらは煉瓦の外壁
石積玄関等々
唯一の外観を持つ建物である
館内も
広い室内と高い天井
これまで紹介したどの建物よりも
雄大な造りである
館の名前の由来ともなっている風見鶏は
北野町の象徴であり
異人館の代名詞ともなっている
館内はドイツ伝統様式であるのだが
どこか違う雰囲気も混じっていて
文化の交流が本格的に始まった時代に
この建物が建築されたことを
強く印象付けてくれる
季節がらの桜の写真の紹介も終わり
再度、神戸の異人館巡りの写真の続きに戻ります
写真が季節と合っていない分は
平にご容赦
(まだ、冬の撮影分がかなり残ってます)
この館
大正時代の中期ごろに建築されたらしい
元は旧オランダ領事館
こちらは香りの館とも呼ばれている
館内には女性の憧れである
オリジナル香水を調合してくれる店がある
10mlで3,100円が
相場として安いのかどうか
不案内で不明だが
訪れた日も
幾組かの女性客たちが
香水を求めていた
一階はショップの装いであるが
二階は異国情緒ある風景が楽しめる
調度
衣装
民族服
こちらでも
異国情緒を
存分に楽しんだ
大阪の桜の名所
数多く在るであろうが
一番知名度が高いのが
造幣局の通り抜け
知名度が高いだけあり
訪れる人も多い
天満橋北詰から
造幣局南門までの沿道も
両脇には屋台が並び
食べ物の匂いがあふれている
門から入って最初の見事な桜の前では
記念撮影する人の渋滞が発生していたりと
かなりの混雑ぶり
ここの桜
とにかく数多くの品種が植わっており
歩くたびに
いろんな品種に出合え
楽しめるのが良い
しかし
いかんせん
さすがに人が多すぎる
結局見上げての撮影に終始
内国勧業博覧会という催しがある
新しい文明の成果
他国の文化
そうったものを
人々に伝える
啓蒙的な役割を果たす事業
西洋文化が一気に流れ込んだ明治時代
明治4年
九段下西洋医学所薬草園にて
大学南校主催の物産会が催されたのを皮切りに
第一回の博覧会は
西本願寺の京都博覧会
以後
東京や大阪でも開催され
明治36年の大阪での博覧会は
海外からの出品もあり
万国博覧会の様相も呈してきた
平安神宮は
そんな内国勧業博覧会開催の一環として
平安遷都1100年を記念し復元が計画された
本当に
内裏があった位置に建築しようと
千本丸太町に朱雀門が位置するように設計されたが
さすがにそれには無理があり
当然に、用地買収は失敗
紆余曲折を経て
当時の郊外
岡崎の地に
規模を縮小して造営されたのが平安神宮
春の頃は
神苑に桜が咲き誇り
桃源郷を再現してくれる