雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

高台寺

2014年12月29日 | 京都散策
臨済宗建仁寺派寺院



山号は鷲峰山
寺号は高台寿聖禅寺



高台寺は豊臣秀吉の菩提寺として知られているが
没後8年の年月を経ての開山となった



当初は曹洞宗の寺院であったと云う



夏場は閑散とした境内も



秋のころは
人混みとなる



特に
夜間ライトアップの時間帯は
入場者の列が数百メートルにもなる



ゆっくりと静かに鑑賞したいものだが



秋の京都は
そうも言っていられない

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圓徳院

2014年12月26日 | 京都散策
高台寺塔頭



豊臣秀吉の正室
北政所
終焉の地とも云われている



北政所の甥
木下利房が



伏見城の北政所化粧御殿を
この地に移築



邸宅として
住んだのが
圓院の始まりであり



圓院とは
木下利房の院号でもある



この塔頭で
見ておきたのは
北書院の旧円徳院庭園



枯池泉座視式庭園だ



夜のライトアップでは
さらに見事な景色となる

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豊国神社と方広寺

2014年12月24日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
神号「豊国大明神」を下賜された
豊臣秀吉を祀る神社



入り口には
銀杏の巨木が秋のころは出迎えてくれる



江戸時代には
廃絶していたが



明治期に入り
明治天皇の命により再興した



再興場所は
折りしも
方広寺大仏殿跡地



そう
あの
曰くの方広寺鐘銘事件の地



今日でも




「国家安康」
「君臣豊楽」
の八文字が拝める



秋の散策に
久しぶりにここを訪れてみた

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法然院

2014年12月22日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
善気山法然院萬無教寺



山門の茅葺が葺き替えられ



どうにも情緒は減った気がするが



逆に人気はうなぎ上りで



かつての静かな境内を
懐かしく感じる



法然院といえば
白砂壇



山間の古刹であり
紅葉が遅く
色付いていなかった事もあり



白砂壇をメインに撮影した



今年は
ここの絶景は拝めなかった

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禅林寺

2014年12月19日 | 京都散策
山号を聖衆来迎山
院号を無量寿院と称する



と書くよりも



紅葉の永観堂と
そう記したほうが
知っている人が多い



秋の拝観料
1000円にも驚かず
これほど
と言うほどの人が訪れる名刹



空海の高弟
真紹僧都が開基であるが



中興の祖とされる
7世住持の律師・永観が
寺の通称となっているのも面白いが



読み方が
「ようかん」から
「えいかん」と変わったのは
もっと面白い



紅葉狩りというよりも
人見学のような境内



方丈池のカモさんには
どう映っただろう

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天寿庵

2014年12月17日 | 京都散策
南禅寺塔頭



境内を歩くと
土塀越しの燃えるような紅に誘われる



南禅寺開山無関普門の塔所として
建立されたが



細川家の菩提寺
としての色合いのほうが濃い



そうだ京都へ行こう

ポスターに登場して以来



人気のスポットとなった



枯山水庭園と
池泉回遊式庭園と
二つの庭を持ち



そのどちらもが
美しい紅葉で彩られる



絶景には少し早かったが
今年も
天寿庵の紅葉を楽しんだ

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長浜鉄道スクエア

2014年12月15日 | 滋賀散策
明治15年に完成した駅舎



1世紀以上昔の駅舎は
現在、鉄道博物館となっている



現存する駅舎としては
日本最古だそうだ



当時
どのような装いで
どのような目的で
この駅舎から旅立っていったのか



駅舎を巡りながら



感慨に耽ることが出来る



旧駅舎の奥に建つ
北陸線電化記念館には
D51形蒸気機関車と
ED70形交流電気機関車が展示されている





規模は小さいが
家族連れには丁度いい

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姫路モノレール

2014年12月12日 | 兵庫散策
姫路市にモノレールはあるのか?
と、聞かれると
無い、と答えるのが正解



ただ
かつては存在した



現、JR姫路駅前から
駅南西約1kmほどのところにある
手柄山まで
中間に大將軍駅のみ3駅だけの路線



昭和41年に創業し
わずか8年ほどの運用



老朽化が激しく
取り壊しが決まっているそうだと聞き
一目見たくてかつての路線を歩く



たどり着いた先にあった
手柄山の展示施設



モノレールが残されていた



昭和の香りが漂う車両内
嬉しいことに
壁のポスターまで昭和だった



レトロな気分に浸れる施設である

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好古園

2014年12月10日 | 兵庫散策
正式名は
姫路城西御屋敷跡庭園好古園



好古とは
藩校の名前
かつてこの庭園入口に在ったそうだ



西御屋敷
武家屋敷等の遺構を
残したかたちで
9つの庭で構成されている



##御屋敷の庭からは
姫路城天守も見れる





訪れたのは
紅葉が始まったころ



所々の色づきが
嬉しい時期であった



時代劇などでも
登場する庭



幾つもの顔を持つ庭園
花の季節にも
訪れてみたくなる

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姫路城

2014年12月08日 | 兵庫散策
日本における
近世城郭の代表的な遺構



姫路城



現存12天守の一つ
であると同時に
国宝四城
三名城
三大平山城
三大連立式平山城
にも選ばれている



平成5年には
ユネスコの世界遺産にも登録された



天下の名城といっていい



平成21年から始まった平成の大修理
平成27年にはようやく天守の一般公開となる



公開まで待てばよかったのだが
しばらく見ていなかった姫路城を
再び見ようと訪問



中では大河ドラマとコラボした展示もあり
概観だけではあったが
それなりに楽しめた



関ヶ原の戦いの後
城主となった池田輝政が作り上げた名城



現在に至るも
大天守をはじめ
多くの城郭建築が現存している
奇跡的な存在



一般公開されたら
再び訪れるとしよう

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竹生島2

2014年12月04日 | 滋賀散策
竹生島は小さな島
滞在時間80分は丁度の時間ともいえる




入島料金は大人400円

本坊、護摩堂を左に見ながら
石段を登っていく
石段は165段
登った先には弁才天堂、三重塔、宝物殿

ここからはその続き

観音堂へと続く唐門
桃山様式の遺構だ



豪華な唐門を経て



観音堂へ



残念ながら
豊臣秀吉の
御座船の建材を使用した
船廊下は修繕中



撮影はしたものの
今回は掲載を見送る



伏見桃山城の束力使殿を移築したと云われる
竹生島神社



かわらけ投げが有名
鳥居をかわらけが通過すれば
願いが叶うとか



竹生島へは観光汽船で至るのだが
乗る船によっては滞在時間が違うので事前に調べてから訪れてほしい

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竹生島

2014年12月02日 | 滋賀散策
葛籠尾崎の南約2kmにある島



住所は
滋賀県長浜市早崎町となる



神の棲む島



江州の湖中に小島がある
その島は弁才天の聖地であるから
寺院を建立せよ
すれば
国家泰平
五穀豊穣
万民豊楽となるであろう



そうお告げを受けた
聖武天皇が
僧行基を勅使として遣わしたことで
この島に
堂塔が建った



すぐ近くの漁港
長浜の主となった豊臣秀吉も



この島を厚く保護し
書状
宝物が寄贈されている



島へは
長浜から渡った
往復3,070円
午前9時から1時間15分後との運行



島の滞在時間は約80分



続く
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尾山神社

2014年12月01日 | 石川散策
先に紹介した
長町の北側に鎮座する



尾山神社は
金沢城の一角であったことだろう



主祭神は
加賀藩の藩祖
前田利家



この時代
偉業の主を
神仏として合祀することがあるが



さすがに



時は徳川家と豊臣家の鍔迫り合いの最中



表立っての合祀を忌避した
二代目、前田利長は



越中国射水郡の式内社物部神社に併祀されていた八幡神を勧請
卯辰八幡社を建て
合祀するという手法をとった



神門が独特の神社である

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