雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

青山通り

2011年02月28日 | 東京散策
青山通りは
国道246号線の事



渋谷駅から表参道へむけて
散策歩き



江戸時代
この道は脇往還だったらしい





神奈川県に大山という山があるが
その昔
大山は雨降山という別名で呼ばれ
山岳信仰の山であったと云う



その大山への参詣が
流行になり



往来する人のため
整備された
青山通りも
当時は大山道と呼ばれていたそうだ



周囲の風景に
覚えは無い



知らない街を歩くと
時に
ふっと見たような光景に出合うことがある



デジャブー
というやつだ
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東京の街

2011年02月24日 | 東京散策
日本最大の都市
東京へ向け出発



本来の目的は親戚の結婚式の参列
しかし時間は有効に利用するもの
どちらがメインか判断不能の撮影旅行となった





新幹線に乗るのも久しぶりなら
東京入りも久しぶり



降り立ったのは渋谷駅



おそらく



上京者だと
すれ違う人は思ったことだろう



目的地は表参道
青山通りを目指したが
立体の街だった為
渋谷駅界隈を右往左往



なんとか
目的の通りを発見し



次回は青山通りを紹介

続く
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大阪の街

2011年02月22日 | 大阪散策
はるかな昔
ここは難波長柄豊埼宮という場所だった



宮は
住吉津
難波津
という二つの港が前身



当時の
日本を代表する国際湾口から
発展し
人を集め
やがて町となっていった



当時の律令政治の中心は
飛鳥・平城宮
現在の奈良県から
一番近い港として
要職が管理していたという



その頃は
難波潟と呼ばれる湿地帯で
半島状の陸地だった此処が



地形の変化もあっただろうが
埋め立てや開墾で広がり



今では関西圏一番の大都市へと発展した



一日巡って楽しんだ大阪歩き
そろそろ夜の帳の時間



お土産も買ったことだし
帰る事にしよう

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新世界

2011年02月21日 | 大阪散策
昔は
とても危なくて立ち入ることが躊躇われた街





大阪
浪速区の新世界



何時の頃からか
観光客で溢れかえるようになり
ちょっとした観光名所に変わっていった



街のそこかしこには
未だ
かつての雰囲気を思い出させてくれる風景も
ちらほらと残っているが




商店街を歩くと
目に留まるのが
粉ものばかり



串にたこ焼き
大阪のソウルフードが並ぶ



この雑然とした街



以外にも好きで
年に一度以上
訪れている



雑然とした雰囲気を味わいに
目的もなく
この街をふらついてみた
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十日戎

2011年02月20日 | 大阪散策
今宮戎神社



商売繁盛の神様「えべっさん」
毎年1月9日から11日にかけ
大阪は浪速区の今宮戎神社で
催される
十日戎に足を向けた



早朝から
電車を乗り継いでの大阪入り
公共交通機関利用は
最初から飲んで歌えのつもりの
旅行



軒を連ねる
屋台が
待っていてくれた



四天王寺建立の際
西方の守護神として
建立されたと伝えられている今宮戎神社



商売の街大阪
天下の台所大阪





十日戎のころ
今戎神社の周辺は活気に満ちる



境内では
「商売繁盛で笹持って来い」の掛け声が
何とも懐かしくもあり
不思議な感慨に浸らせてくれる



もう何年も訪れている
十日戎



こうして
記事にするのは初めてのことだった
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クラブハリエ ジュブリルタン

2011年02月17日 | 滋賀散策
琵琶湖の東岸沿い



滋賀県を代表する
和菓子から洋菓子までを手掛ける
たねやグループの
パン工房
ジュブリルタンを訪れた



白い洋風の建物が特徴的で
異国情緒あふれる風景が広がる





1Fには
工房で作られたパンの数々が並び
美味しそうな匂いと共に
目でパンを楽しめる



そのまま
2Fのオープンテラスで
楽しむこともできるし





カフェに行けば
ドリンクとオリジナルスウィーツを味わえる





窓辺から見る
夕日に包まれた
琵琶湖の景色



美しい



地中海のような雰囲気と
美味しいパンを求めて
ジュブリルタンを訪れてみた
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多賀大社

2011年02月15日 | 滋賀散策
お伊勢参らばお多賀へ参れ
お伊勢お多賀の子でござる



お伊勢七度熊野へ三度
お多賀さまへは月参り



前の事になるが
新年の初詣として訪れた
多賀大社



延喜式神名帳には
近江国犬上郡多何神社二座と記載がある多賀大社



二座と云われるように
伊邪那岐命
伊邪那美命
を祀っている



新年の頃
沿道には
露店が立ち並び
賑やかに
訪れる人の目とお腹を楽しませてくれる



お好み焼きに
たこ焼きに
串焼きにと



あれもこれもと
買い求めては
食べ歩く



新年の初詣は
賑やかな方がいい



遅ればせながらの



初詣の記事となった
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横蔵寺2

2011年02月14日 | 岐阜散策
両界山横蔵寺の2回目



この寺
実は史料が乏しく
創建時期や沿革がよく判っていない



ただ寺伝によると
創建したのは最澄だとも云われている



比叡山延暦寺を開創する際
最澄は霊木より
薬師如来像を自ら彫ったとされている





この時
まだ余っていた霊木を使い
もう一体の
薬師如来像を彫ったというのだ



薬師如来像を携え
行脚の途中
この山麓まで来た折
薬師如来像が動かなくなったので
その場所に安置するため
一寺を建立したと云うのが
両界山横蔵寺だと云うのだ



実際には
最澄がこの地まで行脚したというのは
史実や他の史書から判断するに考え難い



ただ
建立後は山間の隠れ里のような場所に
38坊もの僧坊が建ち並ぶほどの
大寺院となったという



最澄とも何らかの縁はあったようで
時代が下って
安土桃山時代の頃
織田信長の叡山焼き打ちは
100キロほども離れたこの横蔵寺にも及んでいる

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横蔵寺

2011年02月10日 | 岐阜散策
濃尾平野の奥に
西国三十三箇所観音霊場
最後の札所として
以前当ブログでも紹介した
谷汲山華厳寺があるが



華厳寺から更に奥の
隠れ里のような盆地に
両界山横蔵寺は建っている



美濃の正倉院との別名も持ち
紅葉の時期には多くの観光客で賑わう場所へ



雪景色の頃
訪れてみた



山寺らしく
野積みされた石垣と
白い土塀が印象的で



傍目には
山城と見紛う



多くの文化財を有する寺として知られ
平安時代末期の銘が残された大日如来像や
金剛力士像には鎌倉時代の銘がある



山に遮られて
濃尾平野からは一望できない人里離れた山里に



これほどのと言わせる
文化財を有する両界山横蔵寺



続く
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郡上の町並

2011年02月08日 | 岐阜散策
郡上八幡



日本三大盆踊りとして400年を超える歴史を持ち



お盆の時期には
盂蘭盆会と呼ばれる
明け方まで夜通し踊り続ける
徹夜踊りが有名な場所である



浸食により出来た
山間の盆地には古くから人が住みつき



江戸時代には郡上藩として
幾回かの改易で
藩主が変わり
明治時代以後は
郡上郡として
周辺の地域の中心地となっている



城下町として
治水と防火目的で巡らされた水路が有名で



水の町として
観光資源ともなっている



日本名水百選第一号は
この町にある
宗祇水



石畳の町を散策すると
盆踊りの
祭り囃子が
聞こえてきそうな気がする

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郡上八幡城

2011年02月07日 | 岐阜散策
岐阜を代表する河川
長良川を遡上してゆくと
山間の町が点在
そのうちの一つ
徹夜踊りで有名な郡上八幡を訪れた



雪が降る頃の訪問となる
雪を抱いた郡上八幡城を撮影
遠藤盛数という人物が
築いた砦がそれである



この遠藤盛数と云う人物
余り知られてはいないが
織田信長の三男
織田信孝の家臣である



織田信孝が賤ヶ岳の戦いに連呼し挙兵
しかし柴田勝家が自刃すると
頼みの綱を失い敢え無く降伏
野間の地で自刃している
辞世の句は何とも無念
昔より 主を討つ身の 野間なれば
        報いを待てや 羽柴筑前



話が逸れた
郡上八幡城の話であった
砦を築いたとされる遠藤盛数が
郡上を支配していた東氏を滅ぼしたのは1559年
同年、八幡山に砦を築いたという



先に書いたように
反豊臣側勢力に属してたため
一時は追放の憂き目となっているが



関ヶ原の戦いで武功を挙げると
再びかの地を与えられ
郡上藩の祖となっている



現在見る郡上八幡城は
再建である
明治維新の廃藩置県で取り壊された後
昭和8年になって
同じく岐阜県の大垣市にある大垣城天守を模して
再建されている



模擬天守としては珍しい
木造の天守
現在は歴史資料館として解放されているのだが
訪れたのが年末だったため
休業中であった

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清州城

2011年02月04日 | 愛知散策
清州城
清須とも表記される



室町時代の守護
斯波義重が築城したのが始まりとされ
元々はすぐ北の市
稲沢市に城郭を囲まえていた
下津城の別郭として建築された経緯があるが
守護代であった織田家で
内紛が起こると
下津城は焼失
以後は長きに渡り
清州城が織田家の居城となっている



織田信長も
この城を居城としており
織田家存亡の戦いとなった
桶狭間の戦いも
清州城から出陣している



尾張を平定した後
美濃へと進軍を始める頃になると
より美濃に近い
小牧山城へと居城を移し
清州城は番城となり
史書の記載も少なくなるが
再度
表舞台に登場するのは
本能寺の変の後
清州会議での事



天下のすう勢がやがて徳川家康に移る頃
清州城を廃し
名古屋城の築城が始まると
清州城は資材として解体され
廃城となってしまった



現在の清州城は
町制100年を記念して
平成元年に再建されたもので



天守からは
名古屋駅ビルが望める





すぐ隣には
東海道本線と新幹線が走り
鉄道ファンの撮影スポットともなっている

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円頓寺

2011年02月03日 | 愛知散策
名古屋の商店街
当ブログで登場する頻度が高いのが
大須や栄だが
名古屋城のすぐ近くにもある商店街
円頓寺商店街を散策



長久山圓頓寺の門前町
円頓寺商店街



名古屋の下町という表現が
一番正しいと思わせる風景が広がる



かつては
瀬戸電鉄堀川駅が近くにあり
市電も走っていた



瀬戸電鉄と市電の廃止の後
交通の便を失い
衰退し続けた過去がある



近年
城下町の風情を残す通りとして
四間道(しけみち)が脚光を浴び
また
独自のイベントを催すなど
復興に努めているが



商店街を歩くと
かつての賑わいを偲ばせる
風景がそこかしこで
目に付く



昭和の雰囲気を残し
高度経済成長期の日本の風景を味わいたかったら
この商店街を歩いてみるといい



懐かしさを
感じること請け合いである

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繁華街の夜

2011年02月01日 | 愛知散策
名古屋市中区の中心「栄」
名古屋を代表する商業エリア



南北の
大津通りと久屋大通り
東西の
桜通りと若宮大通りに囲まれた
広いエリアを指して栄と呼ぶ



松坂屋
丸栄
三越
と百貨店が並び



パルコ
ナディアパーク
ラシック
といった大型ショッピング施設もある



近年では
大津通りに高級ブティック店が
相次いで出店
日本屈指のブランド街になった






夕闇迫る頃
ウィンドショッピング



電飾で
昼よりも華やかな風景に変わる頃



ふらりとカメラ片手に散策



街を撮影するなら
やはり夜は映える

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