日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
青山通りは
国道246号線の事
渋谷駅から表参道へむけて
散策歩き
江戸時代
この道は脇往還だったらしい
神奈川県に大山という山があるが
その昔
大山は雨降山という別名で呼ばれ
山岳信仰の山であったと云う
その大山への参詣が
流行になり
往来する人のため
整備された
青山通りも
当時は大山道と呼ばれていたそうだ
周囲の風景に
覚えは無い
知らない街を歩くと
時に
ふっと見たような光景に出合うことがある
デジャブー
というやつだ
日本最大の都市
東京へ向け出発
本来の目的は親戚の結婚式の参列
しかし時間は有効に利用するもの
どちらがメインか判断不能の撮影旅行となった
新幹線に乗るのも久しぶりなら
東京入りも久しぶり
降り立ったのは渋谷駅
おそらく
上京者だと
すれ違う人は思ったことだろう
目的地は表参道
青山通りを目指したが
立体の街だった為
渋谷駅界隈を右往左往
なんとか
目的の通りを発見し
次回は青山通りを紹介
続く
はるかな昔
ここは難波長柄豊埼宮という場所だった
宮は
住吉津
難波津
という二つの港が前身
当時の
日本を代表する国際湾口から
発展し
人を集め
やがて町となっていった
当時の律令政治の中心は
飛鳥・平城宮
現在の奈良県から
一番近い港として
要職が管理していたという
その頃は
難波潟と呼ばれる湿地帯で
半島状の陸地だった此処が
地形の変化もあっただろうが
埋め立てや開墾で広がり
今では関西圏一番の大都市へと発展した
一日巡って楽しんだ大阪歩き
そろそろ夜の帳の時間
お土産も買ったことだし
帰る事にしよう
昔は
とても危なくて立ち入ることが躊躇われた街
大阪
浪速区の新世界
何時の頃からか
観光客で溢れかえるようになり
ちょっとした観光名所に変わっていった
街のそこかしこには
未だ
かつての雰囲気を思い出させてくれる風景も
ちらほらと残っているが
今
商店街を歩くと
目に留まるのが
粉ものばかり
串にたこ焼き
大阪のソウルフードが並ぶ
この雑然とした街
以外にも好きで
年に一度以上
訪れている
雑然とした雰囲気を味わいに
目的もなく
この街をふらついてみた
今宮戎神社
商売繁盛の神様「えべっさん」
毎年1月9日から11日にかけ
大阪は浪速区の今宮戎神社で
催される
十日戎に足を向けた
早朝から
電車を乗り継いでの大阪入り
公共交通機関利用は
最初から飲んで歌えのつもりの
旅行
軒を連ねる
屋台が
待っていてくれた
四天王寺建立の際
西方の守護神として
建立されたと伝えられている今宮戎神社
商売の街大阪
天下の台所大阪
十日戎のころ
今戎神社の周辺は活気に満ちる
境内では
「商売繁盛で笹持って来い」の掛け声が
何とも懐かしくもあり
不思議な感慨に浸らせてくれる
もう何年も訪れている
十日戎
こうして
記事にするのは初めてのことだった
琵琶湖の東岸沿い
滋賀県を代表する
和菓子から洋菓子までを手掛ける
たねやグループの
パン工房
ジュブリルタンを訪れた
白い洋風の建物が特徴的で
異国情緒あふれる風景が広がる
1Fには
工房で作られたパンの数々が並び
美味しそうな匂いと共に
目でパンを楽しめる
そのまま
2Fのオープンテラスで
楽しむこともできるし
カフェに行けば
ドリンクとオリジナルスウィーツを味わえる
窓辺から見る
夕日に包まれた
琵琶湖の景色
美しい
地中海のような雰囲気と
美味しいパンを求めて
ジュブリルタンを訪れてみた
お伊勢参らばお多賀へ参れ
お伊勢お多賀の子でござる
お伊勢七度熊野へ三度
お多賀さまへは月参り
前の事になるが
新年の初詣として訪れた
多賀大社
延喜式神名帳には
近江国犬上郡多何神社二座と記載がある多賀大社
二座と云われるように
伊邪那岐命
伊邪那美命
を祀っている
新年の頃
沿道には
露店が立ち並び
賑やかに
訪れる人の目とお腹を楽しませてくれる
お好み焼きに
たこ焼きに
串焼きにと
あれもこれもと
買い求めては
食べ歩く
新年の初詣は
賑やかな方がいい
遅ればせながらの
初詣の記事となった
両界山横蔵寺の2回目
この寺
実は史料が乏しく
創建時期や沿革がよく判っていない
ただ寺伝によると
創建したのは最澄だとも云われている
比叡山延暦寺を開創する際
最澄は霊木より
薬師如来像を自ら彫ったとされている
この時
まだ余っていた霊木を使い
もう一体の
薬師如来像を彫ったというのだ
薬師如来像を携え
行脚の途中
この山麓まで来た折
薬師如来像が動かなくなったので
その場所に安置するため
一寺を建立したと云うのが
両界山横蔵寺だと云うのだ
実際には
最澄がこの地まで行脚したというのは
史実や他の史書から判断するに考え難い
ただ
建立後は山間の隠れ里のような場所に
38坊もの僧坊が建ち並ぶほどの
大寺院となったという
最澄とも何らかの縁はあったようで
時代が下って
安土桃山時代の頃
織田信長の叡山焼き打ちは
100キロほども離れたこの横蔵寺にも及んでいる
濃尾平野の奥に
西国三十三箇所観音霊場
最後の札所として
以前当ブログでも紹介した
谷汲山華厳寺があるが
華厳寺から更に奥の
隠れ里のような盆地に
両界山横蔵寺は建っている
美濃の正倉院との別名も持ち
紅葉の時期には多くの観光客で賑わう場所へ
雪景色の頃
訪れてみた
山寺らしく
野積みされた石垣と
白い土塀が印象的で
傍目には
山城と見紛う
多くの文化財を有する寺として知られ
平安時代末期の銘が残された大日如来像や
金剛力士像には鎌倉時代の銘がある
山に遮られて
濃尾平野からは一望できない人里離れた山里に
これほどのと言わせる
文化財を有する両界山横蔵寺
続く
郡上八幡
日本三大盆踊りとして400年を超える歴史を持ち
お盆の時期には
盂蘭盆会と呼ばれる
明け方まで夜通し踊り続ける
徹夜踊りが有名な場所である
浸食により出来た
山間の盆地には古くから人が住みつき
江戸時代には郡上藩として
幾回かの改易で
藩主が変わり
明治時代以後は
郡上郡として
周辺の地域の中心地となっている
城下町として
治水と防火目的で巡らされた水路が有名で
水の町として
観光資源ともなっている
日本名水百選第一号は
この町にある
宗祇水
石畳の町を散策すると
盆踊りの
祭り囃子が
聞こえてきそうな気がする
岐阜を代表する河川
長良川を遡上してゆくと
山間の町が点在
そのうちの一つ
徹夜踊りで有名な郡上八幡を訪れた
雪が降る頃の訪問となる
雪を抱いた郡上八幡城を撮影
遠藤盛数という人物が
築いた砦がそれである
この遠藤盛数と云う人物
余り知られてはいないが
織田信長の三男
織田信孝の家臣である
織田信孝が賤ヶ岳の戦いに連呼し挙兵
しかし柴田勝家が自刃すると
頼みの綱を失い敢え無く降伏
野間の地で自刃している
辞世の句は何とも無念
昔より 主を討つ身の 野間なれば
報いを待てや 羽柴筑前
話が逸れた
郡上八幡城の話であった
砦を築いたとされる遠藤盛数が
郡上を支配していた東氏を滅ぼしたのは1559年
同年、八幡山に砦を築いたという
先に書いたように
反豊臣側勢力に属してたため
一時は追放の憂き目となっているが
関ヶ原の戦いで武功を挙げると
再びかの地を与えられ
郡上藩の祖となっている
現在見る郡上八幡城は
再建である
明治維新の廃藩置県で取り壊された後
昭和8年になって
同じく岐阜県の大垣市にある大垣城天守を模して
再建されている
模擬天守としては珍しい
木造の天守
現在は歴史資料館として解放されているのだが
訪れたのが年末だったため
休業中であった
清州城
清須とも表記される
室町時代の守護
斯波義重が築城したのが始まりとされ
元々はすぐ北の市
稲沢市に城郭を囲まえていた
下津城の別郭として建築された経緯があるが
守護代であった織田家で
内紛が起こると
下津城は焼失
以後は長きに渡り
清州城が織田家の居城となっている
織田信長も
この城を居城としており
織田家存亡の戦いとなった
桶狭間の戦いも
清州城から出陣している
尾張を平定した後
美濃へと進軍を始める頃になると
より美濃に近い
小牧山城へと居城を移し
清州城は番城となり
史書の記載も少なくなるが
再度
表舞台に登場するのは
本能寺の変の後
清州会議での事
天下のすう勢がやがて徳川家康に移る頃
清州城を廃し
名古屋城の築城が始まると
清州城は資材として解体され
廃城となってしまった
現在の清州城は
町制100年を記念して
平成元年に再建されたもので
天守からは
名古屋駅ビルが望める
すぐ隣には
東海道本線と新幹線が走り
鉄道ファンの撮影スポットともなっている
名古屋の商店街
当ブログで登場する頻度が高いのが
大須や栄だが
名古屋城のすぐ近くにもある商店街
円頓寺商店街を散策
長久山圓頓寺の門前町
円頓寺商店街
名古屋の下町という表現が
一番正しいと思わせる風景が広がる
かつては
瀬戸電鉄堀川駅が近くにあり
市電も走っていた
瀬戸電鉄と市電の廃止の後
交通の便を失い
衰退し続けた過去がある
近年
城下町の風情を残す通りとして
四間道(しけみち)が脚光を浴び
また
独自のイベントを催すなど
復興に努めているが
商店街を歩くと
かつての賑わいを偲ばせる
風景がそこかしこで
目に付く
昭和の雰囲気を残し
高度経済成長期の日本の風景を味わいたかったら
この商店街を歩いてみるといい
懐かしさを
感じること請け合いである
名古屋市中区の中心「栄」
名古屋を代表する商業エリア
南北の
大津通りと久屋大通り
東西の
桜通りと若宮大通りに囲まれた
広いエリアを指して栄と呼ぶ
松坂屋
丸栄
三越
と百貨店が並び
パルコ
ナディアパーク
ラシック
といった大型ショッピング施設もある
近年では
大津通りに高級ブティック店が
相次いで出店
日本屈指のブランド街になった
夕闇迫る頃
ウィンドショッピング
電飾で
昼よりも華やかな風景に変わる頃
ふらりとカメラ片手に散策
街を撮影するなら
やはり夜は映える