三重県桑名市の旧豪商
諸戸氏の住居遺構を楽しみに
今年も出掛けた
所有者は代われど
鎌倉時代から
此処には庵があったと云われている
それを
織田家の家臣筋である
矢部家が屋敷を造営
江の奥殿
などと呼ばれていた時期もあったようだ
桑名は江戸時代
交通の要衝として位置づけられ
関ヶ原の戦いの後は
徳川四天王の一人
本田氏を藩主に据えたこともある
尤も
本田家は大坂の陣での功績もあり
後に播磨姫路藩へと移ってゆくが
その後も徳川家康の異父弟
松平定勝が城主を務めるなど
徳川家にとっては重要な地となっている
そんな地に
当時の豪商
山田彦左衛門が山田長者屋敷を造営
それが
今日に言う、諸戸氏庭園
明治期に桑名を拠点に活躍した諸戸氏
林業をして
豪商となった家系である
全盛期の当主
諸戸清六が購入した庭園
財団法人が管理しているが
今日でも
春と秋の時期
庭園を特別公開してくれている
残念ながら
花の時期の谷間に訪れてしまい
花々との対面は出来なかったが
今年もこの庭園を楽しんだ
諸戸氏の住居遺構を楽しみに
今年も出掛けた
所有者は代われど
鎌倉時代から
此処には庵があったと云われている
それを
織田家の家臣筋である
矢部家が屋敷を造営
江の奥殿
などと呼ばれていた時期もあったようだ
桑名は江戸時代
交通の要衝として位置づけられ
関ヶ原の戦いの後は
徳川四天王の一人
本田氏を藩主に据えたこともある
尤も
本田家は大坂の陣での功績もあり
後に播磨姫路藩へと移ってゆくが
その後も徳川家康の異父弟
松平定勝が城主を務めるなど
徳川家にとっては重要な地となっている
そんな地に
当時の豪商
山田彦左衛門が山田長者屋敷を造営
それが
今日に言う、諸戸氏庭園
明治期に桑名を拠点に活躍した諸戸氏
林業をして
豪商となった家系である
全盛期の当主
諸戸清六が購入した庭園
財団法人が管理しているが
今日でも
春と秋の時期
庭園を特別公開してくれている
残念ながら
花の時期の谷間に訪れてしまい
花々との対面は出来なかったが
今年もこの庭園を楽しんだ