雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

雲龍院

2012年10月31日 | 京都散策
泉涌寺別院



山号を瑠璃山と称する寺院



泉涌寺山内にありながら
別格本山という
高い寺格が与えられている寺院



後光厳天皇の勅願により建立されたと云い



勅願の寺院で
皇室との縁が深い



勅願された後光厳天皇の他
後小松天皇
称光天皇など
幾人かの皇室の帰依を受けており



その事から
別格本山という地位を得ている



静かに庭園を愛でるなら
ここはお勧め



どの季節でも
静かに迎えてくれる

コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東福寺に架かる橋

2012年10月29日 | 京都散策
東福寺には
洗玉澗という渓谷が渡り
境内を
南北に分かっている

渓谷にかけられた橋

臥雲橋
通天橋
偃月橋





臥雲橋は
境内にはあるが
いわゆる道路に架かる橋で
拝観の有無に関わらず
多くの人が行き交う道に架かる





秋の頃は
この橋の周囲は真っ赤に染まり
見事な景観を見せてくれる

通天橋は
春屋妙葩が架けたと伝えられるが
当時の橋は現存していない
当代3代目
橋脚部分は
鉄筋コンクリート



この橋の上に
何百人もの人が並ぶのは秋の風物詩



それ以外の季節は
閑散としている



コンクリート製だが
周辺の木々に囲われ
外観はそれを感じさせない



偃月橋
本坊の裏手の橋
秋の頃も
この橋を渡る人は少なく
風情が最もある橋



以上
東福寺の橋を紹介
コメント (13)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分陀院

2012年10月26日 | 京都散策
東福寺塔頭



東福寺を訪れた折は
必ずといっていいくらいこちらの塔頭を訪れる



緑が艶やかな寺院



作庭は雪舟等楊禅師
造作は寛正、応仁の頃



禅宗らしい
枯山水庭園を
縁側に座り静かに眺めるのがお勧め



夏の訪れる人が疎らな時期も
秋の喧騒渦巻く東福寺境内にあっても



分陀院は
静かな時を刻んでいる



心にちょっとした隙間が出来た時など
縁側に座り
時の流れを感じるのがお勧め



ようお越しやした
雪駄にお礼を言われた

コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車折神社

2012年10月24日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
車折神社
「くるまざきじんじゃ」と読む
変わった社名の神社



云われは何とも妙で



この神社の前を
牛車で通りかかた人物が居たが
突然車が裂けてしまったかたとも



後嵯峨天皇が大堰川遊幸を執り行った際
突然車が前に進まなくなり
後に頼業公を祀っていると聞き
「車折大明神」の神号
正一位の神階
を贈ったという二つの説がある



こちらの神社
大国主神社
弁天神社
芸能神社
とを境内社として祀っているが



特に芸能神社は有名で
境内周囲を芸能人名を記した朱色の柵が立ち並ぶ





こちらを訪れた際
お気に入りの芸能人の柵の前で記念撮影する風景を
よく見かける



この日は雨で
訪れる人もなく
静かに鑑賞

コメント (14)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿王院

2012年10月22日 | 京都散策
開基は足利義満と伝えられる寺院



正確に云うと
足利義満が建立した
宝幢寺という寺の塔頭であった



宝幢寺は応仁の乱で廃寺となったが
塔頭寺院である鹿王院は
今日も寺籍を継いでいる



塔頭寺院としては
規模の大きい鹿王院



これは
宝幢寺が自体がかなりの規模を持っていたこと
開山の春屋妙葩の寿塔を守る塔頭であったこと
による



平庭式枯山水庭園を持つ鹿王院



一大観光名所である嵯峨嵐山にも近く
秋には多くの参拝者が訪れるが



雨の滴る
夏の頃は
静かで



室町の世を
懐かしむには最適であった

コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落柿舎

2012年10月19日 | 京都散策
をととひはあの山越つ花盛り



向井去来の庵として知られ



かつて
去来は不在の折
蓑と笠を
入口にかけたそうで
故事にちなみ
今でも蓑と笠が掛けられている



落柿とは
その字のごとくそのままの意



向井去来の庵は
40本の柿の木に囲まれていたそうで



都の商人に一貫文で柿の実を売る約束をしたが
一夜の嵐で落柿してしまったという
故事に因んでいる



かの松尾芭蕉も
門人である去来の庵を訪れ
嵯峨日記を記したとも云われている



現在でも庵の周囲には何本かの柿の木がある



尤も
落柿舎は現在の地に建っていた訳ではない



現在の庵は
俳人井上重厚が再建したもの
場所も当時とは違う

コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常寂光寺

2012年10月17日 | 京都散策
常寂光土のような風情



秋の頃
この寺の境内は
見事な紅葉に覆われ



もみじ狩りに訪れた
数え切れないほどの
観光客が境内を埋め尽くすが



夏の常寂光寺は
緑に覆われている



静かな境内は
この寺本来の姿



緑が美しいと感じる



時雨亭
藤原定家の山荘があったと伝わる地



春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら



小倉山の麓
夏の香りを
感じに訪れた

コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇王寺

2012年10月15日 | 京都散策
真夏の祇王寺



苔と
木々
そして竹林に覆われた
緑の空間となる



真言宗大覚寺派の仏教寺院
山号は高松山
院号は往生院



平家物語にも登場する寺



平清盛の寵愛を受けた
白拍子の祇王と
同じく仏御前が



出家のため入寺したと云われ



以後
尼寺として続いている



境内に立ち
周囲を眺めると



自然の尊さを
視覚に
聴覚に
嗅覚に
感じることができる

コメント (16)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

化野念仏寺

2012年10月12日 | 京都散策
風葬の地



かつてこの
化野念仏寺の建つ地は
そう呼ばれていた



平安時代
庶民は亡骸を風葬した
埋める地と余力がなく
うち捨てたというのが本当の理由



東山の鳥辺野
洛北の蓮台野
嵯峨野の化野



今では観光名所となっている地も
10世紀少し遡れば
累々と捨てられた死骸が並ぶ
この世の地獄のような風景が広がっていたことだろう



化野の地に
五智山如来寺を建立したのは
弘法大師空海



弘仁2年の事であったと
伝承されている



野ざらしとなっている
亡骸を埋葬して弔った



その後
法然和尚が念仏道場を建てたことで
化野念仏寺と称されるようになった



8000を数える
石仏石塔
境内は昔の記憶を
僅かながら留めている
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛宕念仏寺

2012年10月10日 | 京都散策
稱徳天皇治世の折



今の嵯峨野の地ではなく
東山界隈
現在の六波羅蜜寺付近
愛宕寺として創建された寺であるが
荒廃は早かった



近くを流れる鴨川の氾濫で
堂宇を流失し
廃寺となったのは
平安の世の初期



真言宗東寺派の末寺であったが
醍醐天皇の勅願により
愛宕念仏寺と改め
天台宗に属した



ここから幾度も
再興と荒廃を繰り返す



最後の再興は
大正11年のこと



東山の地を捨て
嵯峨野の地へと移転



それでも荒廃したものを
復興させ
昭和の羅漢彫で
今では1200体もの羅漢様の寺へと蘇った



羅漢様のお姿
拝みに再訪

コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直指庵

2012年10月08日 | 京都散策
嵯峨嵐山観光の中心地
京福電鉄嵐山駅から
北の方角
約2kmほど



山間の地に
直指庵はひっそりと佇んでいる



歴史は以外にも浅く
江戸時代初期



正保3年
独照性円が
没蹤庵を
この地に建てたのが始まりとされる



寺名の由来は
独昭性円が
黄檗禅を
「直指伝心」
していたことを以て名付けられたそうだ



この寺が
さも尼僧寺のように語られているのは



荒廃した寺を再興したのが
近衛家の老女
津崎村岡局であったことよりも



寺内にある
来訪者が想いを綴る「想い出草」というノートに
駆け込む女性の思いが綴られているなどと
一部書籍が報じた事に由来する



因みに
こちらの寺
尼寺ではないのでご注意を

コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大覚寺

2012年10月04日 | 京都散策
山号を嵯峨山と称する寺院



嵯峨野の北東
嵯峨天皇が離宮を営んでいたこの地に
弘法大師空海が
五大明王を安置する堂を建て
修法を行ったのが起源とされる



嵯峨天皇崩御後
数十年を経て
正子内親王が
離宮を寺に改めたのが大覚寺である



皇室にも縁のある寺院で
平安の時代の後
鎌倉時代



亀山法皇や後宇多法皇といった
歴史上知名度も高い天皇が入寺
ここで院政を行ったことから
「嵯峨御所」などとも呼ばれている



この事から
大覚寺統という言葉が生まれ
以後
後深草天皇の系統の
持明院統と
交代で帝位を分け合う
両統迭立が慣例となった



この慣例が
やがて
両統の関係悪化から



南北朝時代を生むのだが
それはまた別の話



夏の頃
久しぶりに訪れた大覚寺



半夏生が待っていてくれた

コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジオラマ京都 JAPAN

2012年10月02日 | 京都散策
JR嵯峨嵐山駅に併設するように
トロッコ嵯峨駅はあるが



その駅の構内に
日本最大級のジオラマがある



縦横・12.3m×17.3m
レール延長2.7km
と巨大なスケール



ジオラマは京都の有名処を再現



あの寺や
あの建物
あの街の界隈が再現されている





昼から夜にかけ
場内の照明も暗くなると
ジオラマは見応えを増す



場内予約で
EF66系のカットモデル車内から
ジオラマを操縦できるのも
鉄道ファンならずとも楽しいだろう



童心に帰るには



これくらいの設備が必要
かな?
コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする