雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

京の桜2

2010年04月30日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう







インクラインを後して
南禅寺前から白川へと向かって歩く

       

街を散策すると
時折、美しい桜に出合えることもある
それがなんとも嬉しい

       

京でも有名な
高級料亭「瓢亭」
ここの朝がゆは奥ゆかしい味わいがある
本館では敷居が高いので別館にて
朝がゆを楽しんだら

       

さあて
歩くとしますか



早春の風に舞う柳を見ながら

       

   

訪れたのは白川界隈

   

ここは都会の中にある桜の名所

   

疏水の川沿いに
多くの飲食店が軒を連ねる一角に
桜の風景が広がっている

       

多くの品種が楽しめるのも嬉しい

   

次回は白川の風景を紹介
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京の桜

2010年04月28日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






   

年に二回
京都の街が喧騒に包まれる

   

もちろん、年間を通じて観光客が訪れる
有数の観光地ではあるが

  

桜の時期と、紅葉の時期は
街が喧騒に包まれる

   

京都の桜の名所は多い
その中でも蹴上と南禅寺界隈
インクライン周辺は美しい

       

久しぶりに訪れ眺める

       

定番中の定番の風景には違いないが
定番だからこそ美しい

   

桜の風景を見ながら歩くと
歩みは遅くなる

   

のんびりと
淡い花の色を楽しんだ

   
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徳川園

2010年04月27日 | 愛知散策
愛知県は江戸時代、尾張藩があった

   

   

徳川御三家は
尾張
紀州
水戸

   

御三家のなかでも
筆頭格であったのが尾張藩であった
石高は約62万石

       

明治期になり
尾張藩は廃藩置県によって解体されたが
徳川家所縁の品は数多く残され
現在では
徳川美術館に所蔵されている

       

徳川美術館
蓬左文庫
徳川園
と3つで観覧券が1,350円するが
是非とも見ておきたい風景と
所蔵品

   

徳川園、元は屋敷跡

  

尾張藩二代藩主である
徳川光友が
隠居所として
大曽根御屋敷を造営した場所

  

公園であったものを
平成16年に大名庭園風に造営したもの

       

木曽山脈
木曽三川
伊勢湾
濃尾平野の景観に見立てて造営された徳川園

   

四季折々訪れてみたいものである
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大垣市郷土館

2010年04月26日 | 岐阜散策
大垣の街
大垣城のすぐ脇にある郷土館

   

郷土館には有名な桜がある
そう聞いて訪れた
見事な糸桜が迎えてくれた

       

       

桜の品種は数多い

  

その中でも一番可憐に見えるのが
糸桜だと勝手にそう思っている

   

桜は晴れた日に見上げるのが良い
枝を広げ
青空を背景に広がる風景は
なんとも言えない艶やかさがある

  

今日のためと
思ひて標し
あしひきの
峰の上の桜
かく咲きにけり

      

万葉集でも数多く読まれる花


  

来年の春はきっと美しい風景が見られるだろうと
心に記憶を留めておいた
忘れずに訪れ
写真に収める

       

これも
春の風物詩
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芭蕉元禄の街

2010年04月23日 | 岐阜散策
月日は百代の過客にして
行かふ年も又旅人也

      

松尾芭蕉はそう書き出して
「おくのほそ道」を綴った

        

芭蕉がこの旅を始めたのは
元禄2年の3月の事だった
東北から
日本海側を南下し
やがて大垣の地まで
半年に渡る旅であった

    

芭蕉が大垣の地に至ったのは
旧暦の8月
そろそろ
秋の風景へと移行し始めた頃だったという

   

約2週間ほど大垣で養生
再び伊勢へ向けての旅へと出立するのだが
その時には
蛤の ふたみにわかれ行く 秋ぞ
と詠んで旅立った

      

芭蕉は大垣の地を4度踏んでいる
おくのほそ道から遡ること5年前
のざらし紀行の折にも
大垣の俳人
谷木因を訪ねている

       

谷木因は大垣の豪商
芭蕉との師弟関係が無い人物で
俳人として交友があったらしい
前出の「のざらし紀行」の折にも
わざわざ伊賀から大垣へと足を運んでいる

      

芭蕉も歩いた
大垣の町

水門川沿いに
桜の季節の頃

    

    

ふらりと歩いてみた
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2010年04月22日 | 写真
サクラ
二つの漢字が充てられる


この二文字だ

   

日本人で桜の花を知らないものは居ないだろう
日本全国
津々浦々

   

桜無くして日本の春は語れない
普段は見向きもされない観光地でも
美しい枝ぶりの桜があるとなると
この時期は賑わう

   

日本の国花でもある

      

桜が何故
こんなにも愛されているのか
見事なくらい美しく咲いて
あっという間に散ってゆく

      

散り際の美

  

それが好まれるのか

      

春の天候は不順が多い
晴れた日に満開の桜が拝めたら
それだけで
幸せな気分になれる

  


まだ、寒さを感じる頃
桜を愛でに
歩き
美しい風景を撮影する

   

カメラを趣味にした人の特権

     

贅沢なひと時
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名古屋おもてなし武将隊

2010年04月21日 | 愛知散策
最近は
歴史ブームらしい
雪だるまも歴史は好きで
割と(というかかなりマイナー)掘下げて歴史探索をしている

       

今はビジュアルの時代
だからだろう
こういうのもアリだ

       

名古屋の観光PRとして
「名古屋おもてなし武将隊」というのが誕生している
名古屋に所縁のある武将が登場している

       

織田信長
徳川家康
豊臣秀吉
前田利家
加藤清正
前田慶次

   

名古屋城だけでなく
名古屋の名所、徳川美術館や大須、熱田神宮などなど
あちこちで出演して
観光PRをしているそうだ

      

尾張の地は戦国時代でも
多くの歴史が残る地である
先の6武将だけでなく、多くの武将が尾張との関わりがある

      

戦国時代を語る上で
尾張平野から京都にかけては
戦国銀座と呼んでも良いだろう

  

時流に乗り
名古屋でお目見えしたおもてなし武将隊

  

甲冑姿で今風のダンスをする姿は
違和感を感じもしたが
面白い

   

マスコットキャラクターの
はち丸

       

お疲れさまでした
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名古屋城

2010年04月20日 | 愛知散策
金鯱城とか
金城
とも呼ばれた城
それが名古屋城

       

この地に砦が築かれたのは
尾張の地がまだ奪い奪われだった頃
今川氏親が柳ノ丸という砦を築いた事に始まるとされる
丁度、応仁の乱から戦国時代へと移る混沌期の事である

   

ほどなく
織田信秀がこの砦を奪い
那古野城と名付けている
信秀とはあの信長の父である

       

那古野城は嫡男(実は三男)の信長の居城となったが
後に居城を清州城(当時は清須と書くのが正しいそうだ)
へと移ったことから廃城となっている

   

名古屋城として今日知られる城が築かれたのは
それから随分と後の事
尾張の地の中心的な城は
清州城が担っていた訳である

       

名古屋城の建築は
清州の地が水害に弱かった事と
徳川家康の開府の地が関東にあったことから
再び、那古野城跡地へと

   

九男義直の尾張藩の居城として造営されたのが
名古屋城である

       

1610年に
築城は始まったとされる
2年後
天守が完成

   

残念ながら建造当時の天守は現存していない
太平洋戦争末期、昭和20年5月14日の名古屋空襲で
降注ぐ焼夷弾により天守は焼失している

   

今日見る天守は
昭和34年に再建されたもの
残念ながら天守内にエレベーターという
近代建築ではあるが
今でも名古屋のシンボルとなっている

   

天下の名城
今でもその面影は残っている

  
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名古屋城の桜

2010年04月19日 | 愛知散策
名古屋城

   

今年は名古屋開府400年の記念の年だそうだ
訪れた名古屋城は祭り気分だった

       

広い場内を散策
多くの咲き始めの花々に出合えた

  

残念なことに満開の桜ではなかったので
場内を巡りながら
その一部を切り取って撮影した

   

  

名古屋城は思いのほか
多くの花が咲く
春は蝋梅や梅に始まり
桜はもちろん
アヤメやアジサイまで

   

二の丸跡の庭園では多くの花々を見ることが出来る

   

活気に溢れた城内を散策し

   

春の陽気を楽しんだ

   
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白鳥庭園

2010年04月16日 | 愛知散策
白鳥庭園

       

大都会の一角に
パビリオンとして造営された遺構

  

   

世界デザイン博は
名古屋市制100年を記念した式典として立案された
平成元年の博覧会である

   

名古屋港
名古屋城
そして
ここ、白鳥庭園が会場となった

   

ひと・夢・デザイン-都市が奏でるシンフォニー
そういったテーマで催された博覧会の後
ここ
白鳥庭園は
日本庭園をそのままに
市民憩いの場所となっている

   

四季折々に
美しい花々で彩られる庭園

   

  

       

桜の時期に訪れたのなら
庭園中央を陣取る清羽亭の畔に咲く
枝垂れ桜が美しい風景を見せてくれる

        
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熱田神宮

2010年04月15日 | 愛知散策
熱田神宮

   

草薙剣を安置する神社
愛知県名古屋市の区の名前
熱田区の代名詞ともなっている

   

草薙剣を安置すると書いた

   

正式には天叢雲剣と書くのが正しい
といっても
都牟刈の大刀
八重垣剣
という呼び方もあるらしく
どれが正式かという議論は脇に置いておく

        

草薙剣は三種の神器の一つ

   

神器とは神の依代
八咫鏡
八尺瓊勾玉
天叢雲剣(草薙剣)

三種の神器

    

   

三種の神器のうち
草薙剣を祀る熱田神宮
日本武尊が東国平定を果たし
大和の国へと帰る途中立ち寄ったのが
熱田神宮のある尾張の国

       

日本武尊がその折
尾張国造乎止与命の娘、宮簀媛命と結婚している
結婚だったのか
一夜の契りだったのか
おそらくは
後者だろうが

   

その時
宮簀媛命の元に留め置いたとされるのが草薙剣

    

日本武尊が没した後
宮簀媛命が社地を定めたのが熱田の地

    

以後
草薙剣は
この地を見守り続けている
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千本釈迦堂2

2010年04月14日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






千本釈迦堂の二回目

  

  

ここの本堂は
創建以来の姿を留めている
数少ない本堂である

      

  

御所にも近い位置に在りながら
応仁の乱の戦火をくぐり抜け
今日まで
その姿を見せてくれている

      

 

その傍らに
四方へと枝を広げた桜

  

阿亀桜の名で親しまれている

     

     

記事は少な目でしたが
桜の写真を堪能ください

  
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千本釈迦堂

2010年04月13日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






千本釈迦堂

       

梅と学問の神で有名な北野天満宮の東
住宅街に囲まれて千本釈迦堂は在る

        

  

正式には大報恩寺
真言宗智山派の寺院
山号を瑞応山と称する

    

創建は鎌倉時代初期のこと
義空という僧侶によって創建されている

      

義空は渡来の僧

    

ここは12月の大根焚きで有名だが
桜でも有名
境内には大振りの枝垂れ桜が3月下旬から花を咲かせる

        

枝垂れとしては開花の時期が早い桜

      

普段は簡素な雰囲気の境内が
桜の開花で一気に華やぐ

      

ここは幹の袂まで立ち入ることが出来るので
360度
桜に囲まれた空間を楽しむ事も出来る

      

続きます
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梨木神社

2010年04月12日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう






梨木神社
「なしのきじんじゃ」と読む

    

御所の東側
御所と寺町通りの間にひっそりと建つ神社

  

ここは参拝に訪れる人が意外に少ない神社でもある
萩が有名で
別名「萩の宮」として9月は込み合うが
それ以外はひっそりと佇んでいる

   

創建は明治18年と
京都の寺社のなかでは一番遅くに創建された部類に入る

   

祀るのは
神ではなく、三條實萬、三條實美父子

       

元々三條家の敷地であった当神社
明治維新で貢献した三條實萬の功績を称える為に
社殿が造営されていたという

       

静かな境内
ここは萩の咲く風景だけでなく
他にも美しい風景を見ることができる

   

秋の紅葉も美しい

でも
此処を訪れる人のほとんどが
染井の水が目的

       

京都三名水の一つ

    

帰りには名水を飲む
現存する唯一の三名水
堪能するのもここを訪れる魅力の一つ
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今宮神社

2010年04月09日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう





一条天皇治世の折
元号でいうと正暦の時代の事

        

わずか7歳(数え年)という年で即位した天皇
時代は藤原氏全盛の時代の事
この天皇が目立った治績を何一つ残していないのも頷ける

       

治績は全くなかった
しかし一条天皇治世下で
平安時代のひとつの特色である
女流文学が発展した

   

清少納言
紫式部
和泉式部
といった後世に名を残した
女性達が活躍した

  

天皇自身も
文学に深い造詣を持ち
本朝文粋に自らの詩を残している

  

話しが逸れた
今宮神社についてだった

今宮神社が創建されたきっかけとなったのが
前出の一条天皇治世下で行われた
船岡山御霊会

   

元号は長保と変わったが
同じく一条天皇治世下
1001年に今宮神社は創建されている

       

創建位置は現在の場所と同じ
神殿が造営されて3柱の神が祀られたと云う
創建場所が現在地というのは
京都では珍しい部類に入る

       

元々は疫神社があった場所

今では摂社の一つになっているが
ここ
今宮神社は
今でも疫病や病を防ぐ神として
信仰を集めている

   
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