日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
昨年の秋は
そうだ京都へ行こうの
秋のポスターの舞台となり
数多くの人を魅了した塔頭
新緑ころ
夏盛りのころ
艶やかな落葉の季節
この庭園を見てきたが
未だ見れてなかったのが
白に染まる風景
その昔
この塔頭を
光厳上皇から勅許を得て開山した
虎関師錬も見たであろうか
いやいや
この庭園は
ずっと後の世の作であった
訪れる人も疎らな
音ひとつ聞こえない庭園を
音を立てずに静かに彷徨い
雪景色の妙を
この庭に見た
雪が多く降る年
京都の街も
幾度かの降雪があった
例年なら
休みと降雪が合わず
雪景色の京を楽しめないのだが
今年は運よく
何度かの降雪に出会えた
この日
南禅寺界隈に降った雪は
時間とともに
雨まじりの雪となり
少々
残念な感じではあったが
普段見慣れた景色が
ただ
白いというだけで
これだけ味わいが変わるものかと
改めて
雪景色の面白さを
味わうことが出来た
京の冬の旅
真田家所縁の寺として知られる塔頭
信州松代藩主
真田信之が菩提寺である
庭園の様相は少々異なり
露地庭園である
庭園の奥に控える
草庵風茶室
有隣軒を見事に引立たせている
江戸時代初期の
障壁画も数多く所蔵し
見所の多い塔頭であった
京の冬の旅
東陽英朝を
勧請開祖として建立された塔頭
聖澤院
狩野派の書画を
数多く所蔵し
特別公開で
惜しげもなく
拝見することが出来た
方丈奥の
書院には
巧みを凝らした空間が広がっている
雅な造りは
安土桃山時代の
数寄屋風建築様式を今日に留めている
坪庭も様相を異にし
石畳造と
意外な造作を見せてくれた
京の冬の旅
妙心寺塔頭
龍泉菴
7年ぶりの特別公開
妙心寺四派の一つ
龍泉派の本庵である
白洲と
苔丘を配する
独特の枯山水庭園
庭園のほかにも
昇龍図
種々東漸図
といった
数々の画も楽しめる
山内塔頭の中で
最大規模と称され
建物に
庭に
書画にと
楽しめる拝観であった
京の冬の旅
特別公開の寺院
妙顕寺
山号を具足山と称する
日蓮宗の大本山である
門下唯一の勅願寺
大伽藍の中心建つ本堂は総欅造
天井には信徒の家紋をあしらってある
四海唱導の庭は
夏場に見たい庭である
客殿を通り抜け
その先には
一番拝見したかった
孟宗竹の坪庭がある
6坪ほどの庭であろうか
竹林が清々しい
光琳曲水の庭を巡り
特別公開を楽しんだ
大徳寺塔頭の中では
一番古いとされる塔頭である
永正年間の創建というから
1500年代初期のころ
畠山家
大友家
大内家
三家合同の菩提寺である
方丈を取り囲むように
龍吟庭
東滴壷
一枝坦
と趣の異なる庭がある
訪れる人も少なく
静かな時間を堪能
臨済宗大徳寺派には
北派と南派がある
北派の本庵は大仙院
南派の本庵はこちら龍源院
瑞峯院殿瑞峯宗麟居士
とういのが
大友宗麟の法名
大友宗麟といえば
豊後の武将
現在の大分県付近
それまで領土を蝕んできた
島津家
龍造寺家
秋月家
といった隣接する戦国武将に対し
天正14年
豊臣秀吉に大坂城で謁見
傘下に入る事と引換えに
軍事的支援を懇願
豊臣軍10万もの大軍で行われた
九州征伐の最中
豊後国津久見にて
島津家敗北の報を聞く前に
病没したと
伝えられている
大友宗麟は
キリシタン大名
庭には
ある角度から見ると
十字架に模した
石組みが見られることでも
知られている
第48回
京の冬の旅
特別公開の塔頭
畠山家菩提寺
大徳寺には
戦国時代の
武将家の菩提寺が建ち並ぶ
畠山家は没落し
その後、前田利家が
この塔頭の改修を行っていることから
前田家の菩提寺ともなっている
前田家といえば
この大徳寺境内に芳春院があるが
こちらは前田利家の妻
まつが建立した塔頭
ということなれば
こちらが前田家の菩提寺といっても良いだろう
特別公開時には
前田利家公の所蔵絵も公開される
蓬莱世界を模したとされる庭園
感慨に耽るには
まだ欲が大きすぎた