雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

天授庵

2008年12月31日 | 京都散策
東山界隈の寺院で
紅葉の名刹として知られている天授庵
最近
少し例年とは違った流れの中に天授庵はある

    

南禅寺は今も昔もよく知られる紅葉の名所
秋の京都散策で
外したくない場所として
観光ガイドで取上げられない事は無い

   

当然訪れる人も多く
雪だるまが京都紅葉散策を始めて以来
閑散としていた事が無い場所

       

観光バスが次々と訪れて
多くの人が境内に足を踏み入れている
それでも
ここ天授庵境内はひっそりとしていた

       

それが最近
訪れる人が飛躍的に増大
方丈前庭の前は
記念撮影する人と
縁側に座して庭園を眺める人で
溢れている

      

寺院が本格的に宣伝を始めたのか
ガイドブックが穴場情報を満載し始めたのか

  

今年の天授庵は驚くほどの人が訪れていました

  

ちょうど紅葉見頃
いい時期に訪れることが出来たのは僥倖
それでも
朝一番に訪れなかった事を後悔

       

天授庵の歴史は暦応2年に遡る
虎関師錬が創建したと伝えられている

      

南禅寺を開山した無関普門の塔所として建立されたと云う

       

細川幽斎により再興された天授庵

ここの風景を毎年見ているが
今年の紅葉は見事

      

方丈庭園だけでなく
書院の南庭も
色付いた木々が艶やかに美しく在った

    

鯉が泳ぐ池畔を巡り

       

秋の天授庵の景色に
凝縮された美しさを見つけました

   





今年は天授庵の風景でラスト記事となりました
今年も多くの方に見て頂き感謝しております
来年もまだ紅葉の写真が続きますが在りし日の風景と思いお付き合い下さいませ


当ブログを訪れて頂けた方々
良いお年を迎えられますように
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水路閣

2008年12月30日 | 京都散策
水路閣
とにかく登場回数が多くて
取り立てて書くこともない

それでもと書いてみよう

      

水路閣は琵琶湖の用水を
生活用水や灌漑、電力と商業用水として利用する為に
明治時代に大事業によって完成をみた琵琶湖疏水の一角として今日も利用されている

  

学術的には用水といい
疎水とは通称
元々は灌漑が目的で用水技術が発達した

       

日本では弥生時代に用水技術が考案されるようになった
農業用水として歴史はスタート
規模は小さく
現在の用悪水路のような存在であった事だろう

   

世界史ではもっと大規模で
最初に水道が建設されたのが
紀元前のローマ帝国
全長480kmにも及ぶものだったという

    

ローマ時代に発展した用水技術が
現在の用水技術の基礎となっていて
ここ南禅寺境内を流れる琵琶湖疏水水路閣も
ローマ水道の技術を発展させて造られている

  

紅葉の名刹として
秋には押すな押すなの人混みになる水路閣前
訪れた日も
人が溢れかえっていました

        

西洋文化と日本文化の交差点
水路閣を紹介しました
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南禅院

2008年12月29日 | 京都散策
当ブログで掲載回数の多い寺院
南禅寺塔頭
南禅院

   

南禅寺の発祥の地に建つ

       

元は亀山上皇離宮跡
上皇自ら作庭したと伝えられている庭園が訪れる人を出迎えてくれる
紅く染まった庭園を眺めるのも素敵だが

   

緑も残る庭園を眺めるのも素晴らしい

   

庭園はぐるりと巡る事ができる池泉回遊式庭園

   

池の周囲を巡ってみると
木々が織成す風景は見事の一言に尽きる
最近訪れる人が増え
喧騒感が増したとはいうものの

        

この庭園は静かに訪れる人を包んでくれる

  

水路閣を越えて訪れてみては如何でしょうか

     
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南禅寺方丈

2008年12月28日 | 京都散策
太平興国南禅禅寺

    

そう呼ばれる事は少なく
大抵は南禅寺と呼ばれている寺院

    

京都五山・鎌倉五山の上におかれる別格寺院

   

それが南禅寺

  

秋の京都
紅葉散策の名刹で
訪れる人は数知れず
広い境内は観光客で埋め尽くされる

      

境内の人の多さに反して
南禅寺方丈拝観を希望する観光客は少ない
そういう意味では穴場

       

慶長度の御所建て替えの折
天正年間建設の旧御所の建物を下賜されて造営された方丈

      

方丈の外の喧騒を尻目に
佇んでほっこりするのも良いし
南禅寺の歴史に触れてみるのも良い

  

喧騒渦巻く南禅寺界隈で
静かな時間を求めるのなら
ここはお勧めの場所です

 
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岡崎別院

2008年12月27日 | 京都散策
    

   

丸太町通り沿い
西は嵐山まで
東は岡崎の地で白川通りにつながる

        

平安神宮から東へほんの少し
歩いて1~2分程度
バス停「岡崎神社前」にあるのが
今回紹介する岡崎別院

   

元は親鸞が庵を結んだ地である

  

建仁元年の春
叡山と決別した親鸞は叡山を下山

       

法然の元へと尋ねる為に
ここに草庵を結んだという

      

親鸞屋敷という名で後には呼ばれている

       

やがて時が流れ
1801年
東本願寺第二十代 達如上人の時
堂宇が建立され寺院となり
岡崎御坊の名が与えられた

      

明治9年になって
「岡崎別院」と改称され今日に至っている

      


見事なイチョウが境内に枝を伸ばしていて
一際目を引きます

    

観光客が訪れない寺院
京都観光のちょっとした休憩に訪れてみては如何でしょうか

     
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くろ谷さん2

2008年12月26日 | 京都散策
くろ谷
金戒光明寺を訪れた人は皆
ひとつ不思議に思うことがある

    

それが城郭構造
このお寺
どう見ても寺院の造りではない

       

山門に至る道はさながら古城
その石堤に驚かされる

      

まるで城塞
身の丈を越える
巨石の石塁

   




       

それには訳がある
ここは徳川家康が造営した京都守護職が居た地でもあった

   

  

豊臣政権が終わり徳川政権へと移行して間もない京都の地
治安と公家の動向を探る為
歴代の京都守護職が訪れている

    

幕末にはこの金戒光明寺が駐屯地となったことでも有名

  

会津藩主松平容保公
幕末の文久2年
京都守護職に就任したことで
ここ、金戒光明寺は
京都守護職会津藩の本陣となる

  

幕末の京都で一番名を馳せたのが新撰組

    

隊長の近藤勇もこの寺院で松平公に拝謁している

   

幕末の歴史の一ページとしての顔も持つ金戒光明寺
お帰りにはカエルが見送りしてくれます

    
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くろ谷さん

2008年12月25日 | 京都散策
金戒光明寺

   

通称くろ谷さんという愛称で知られている寺院
今回はくろ谷さんの名前で紹介します

創建は法然和尚
この地を訪れた折
とある事が起こり、この地に草庵を結んだという

   

それはある日の事

   

比叡山黒谷の叡空に師事し
浄土宗の基礎を得た法然和尚
43歳の時
比叡山を下る

       

叡山を辞し
下野して教えを広めることを胸に刻み
丁度、吉田山付近に近づいた頃
休憩の為
とある大きな石に腰掛けた

        

共の者も無く
身一つで俗世と相対する
その行為に対する恐れと期待と不安を胸にしまい
降りた地で
とった休憩

       

すると
先程まで晴天だった空が
急に曇り
淡い紫に覆われたと云う

    

異様な光景が続いたが
やがて西の空に
金色の光が差し込み
さぞや幻想的な風景だったと云う

      

法然はその天気にお告げを見た

   

この地に庵を結び
やがてこの地が浄土宗の始まりの地となった

       


続きます
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真如堂

2008年12月24日 | 京都散策
京都の紅葉の名刹は数多い
ここもその一つ

        

鈴聲山真正極楽寺
それがこの寺の正式名称
通称、真如堂という名で知られている

   

創建はこの地ではない

東三条院詮子の邸宅あった場所に創建されている

比叡山の僧
戒算が本尊阿弥陀如来を離宮に安置したのが始まりだと云われている

       

真如堂は天台宗のお寺

摩訶般若波羅蜜経が聞こえてくるような気がする

    

ここは京都屈指の紅葉の名刹
境内には楓の木々が林立し
そこかしこで美しい紅葉を見せてくれる

      

至福の風景

緑と黄色と紅の
三色に境内が支配されていた

  

      

未だ緑の楓も
やがて時の移ろいを悲しむように
紅に染まり
散っていく

       

散る間際の木々もあれば

    

これから色付く木々もある

   

三色揃うと
その美しさは格別なものとなる

       
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竹中稲荷社

2008年12月23日 | 京都散策
吉田神社の境外末社
それが竹中稲荷社

       

ここは桜の隠れた名所でもある

桜の時期
訪れる人の多くが地元の人

   

吉田山の中腹
人知れず佇む神社は
隠れた紅葉の名刹でもある

  

宇賀御魂神・猿田彦神・アメノウズメノカミを祀る神社

ここは在原業平とも縁が深い神社でもある
歌人であった在原業平

六歌仙、三十六歌仙

       

世の中に たえて櫻の なかりせば
        春の心は のどけからまし

もしかしたらここで謳ったのかもしれない

   


真っ盛りの京都で
こういう人のいない
いい場所に佇むと
自然に心が和みます

   

赤と緑の
こんな景色を見てしまうと
ただただ感動

  

在原業平の話しはまた別の機会に

子供の遊ぶ声が聞こえてきそうな
参道でお別れです

        
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茂庵へ

2008年12月22日 | 京都散策
京都大学の東
左京区には吉田山という山がある
標高は125mと
山というよりも岡と言ったほうが正しい山

神楽岡通り沿いを歩くと
茂庵入口という看板がある

   

民家の間の路地裏みたいな階段の道
どこか懐かしい風景
昭和の香が漂う石段

道がまだ徒歩を主役とした時代の
懐かしい風景

        

路上で子供達が遊んでいた時代の風景が垣間見える景色
どこか懐かしく
どこか切ない
古きよき時代の
日本人が忘れてしまった風景

   

長屋風の建物が並んでいる
ノスタルジックという言葉が似合う
そんな裏路地

   


途中

子供達が遊ばなくなった路地で
子猫たちが遊んでいました

  

犬好きな雪だるまが
ついカメラを向けたい衝動に駆られた
子猫たち

   

近寄っても逃げず
擦り寄ってこそこないものの
座り込んでカメラを向けると
面白いものを見つけたように
傍をうろうろ

        

   

見上げると
木塀にも子猫

    

とっても心和む猫との遭遇を楽しんだ後は
再び石段を登る

   

路地を登り詰めると
吉田山の山中への道へと変わる

サクサクと落葉を踏締めながら
山頂へと歩く

       

そして辿り着くのが
茂庵

    

山中にあるのに
訪れる人が絶えないカフェ

    

少し待って
カプチーノとロールケーキで
茂庵を楽しみました

        
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白沙村荘3

2008年12月21日 | 京都散策
風が立ち浪が騒ぎ無限の前に腕を振る

  

その間小さな紅の花が見えはするが
それもやがては潰れてしまふ

       

風が立ち浪が騒ぎ無限のまへに腕を振る

       

もう永遠に帰らないことを思つて
酷白な嘆息するのも幾たびであらう

      

私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる

 

それはしづかできらびやかでなみなみと湛へ
去りゆく女が最後にくれる笑ひのやうに

      

厳かでゆたかでそれでゐて佗しく
異様で温かできらめいて胸に残る

    

あゝ胸に残る

   

風が立ち浪が騒ぎ
無限のまへに腕を振る

       

白沙村荘
最後は
中原中也の詩で綴りました
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白沙村荘2

2008年12月20日 | 京都散策
白沙村荘には三つの茶室がある
芙蓉池に面して建てられている

   

三つの茶室とも
橋本関雪が妻のために建てたという

      

稀代の画家が描いた日本庭園美
キャンバスではなく
自然に描いた日本画
それが白沙村荘の庭園

   

池畔に沿って
眺める景色は絶妙

     

数々の庭園を眺めてきた雪だるまですが
宗教色がない庭園の美
この白沙村荘の庭園には驚かされました

 

眺める角度で
見える風景が変わるのは当たり前だが
どの角度から眺めてみても絵になる風景が広がる

   

感嘆する風景が広がる白沙村荘
随分と長い時間
池畔に佇み堪能しました

     



次回ラストです
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白沙村荘

2008年12月19日 | 京都散策
橋本関雪
日本画家

  

銀閣寺参道を下ると
今出川通りに至る
それまで鹿ヶ谷通りに沿って北上していた琵琶湖疏水が
今出川通りに沿い西進する

    

その角にほど近い場所に白沙村荘は建っている

  

今まで訪れたくて機会がなかった白沙村荘
ようやく念願叶っての訪問

        

敷地面積3,400坪の広大な白沙村荘
庭園の敷地面積だけでも2,200坪にもなるという

       

その広大な敷地をキャンパスにして
橋本関雪が描いたのがこの庭園

庭園の前半は茶道を感じる庭園
庭園奥へと続く小径は小川を渡る

     

蔽い茂る木々の隙間から
差し込んだ日差しが
色付いた楓の葉を照らし輝いていました

     

小径に沿って先へと進むと
やがて芙蓉池に至る

   

かつては琵琶湖疏水から引水して造られた池
現在では今出川通りや鹿ヶ谷通りに遮られ
地下水で池は存続している

池畔に建つのが存古楼

  

橋本関雪が大作を描くために建てたアトリエ

 


続きます
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法然院2

2008年12月18日 | 京都散策
法然院を訪れるとき
ここは早朝と決めている

   

最近では観光雑誌も広く行渡り
法然院を紹介する記事も増えた
以前は閑散としていたが
最近では多くの人が訪れるようになった寺院

       

哲学の道から少しだけ山際へと入るのと
駐車場が二台分しかないので敷居が高かったのだが
何時の頃からか人が絶えない寺院になった

   

ガイドブック片手に訪れる人が増え
今では銀閣寺から続く観光コースの一環となっている

   

さて白砂壇
二度ほど
僧房の人が白砂壇を仕上げている時に訪れる機会があったのだが
毎度
この白砂のキャンパスに描かれる模様にため息が出る

       

四季折々
描かれる模様が替わり
秋の時期は楓の葉が描かれるのが定番となっている

  

年に二回
法然院は特別公開がある
春と秋
開催期間はそれぞれ一週間
美しい庭園が迎えてくれる

 

法然院
夏も秋も美しい

  

それまで曇天だった天候が
青空が広がりだしていた

   


さあ
次は何処へと行こうかな

        
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法然院

2008年12月16日 | 京都散策
鹿ヶ谷

  

紅葉の名刹としてだけではなく
観光コースの定番となっている銀閣寺から南へ徒歩約5分程度
鬱蒼とした木々に囲まれた場所に在る法然院
善気山法然院萬無教寺
というのが正式名称

   

参道は木々に覆われ
昼間でも尚暗い
先へと進むと
苔むした山門が見えてくる

    

暗い参道から
山門の向こう側
紅葉した木々が見えてくると自然と歩幅が広がる

    

数段の石段を登って
山門をくぐるとその先には
美しい景色が待っていてくれている

       

さあこの秋の白砂壇にはどんな模様が描かれているのだろう
毎度訪れる度にそれが楽しみ

    

早朝の境内
法然院の朝は早い
山門は日の出と共に開門される

  

一心専念弥陀名号
行住坐臥不問時節久近
念念不捨者是名正定之業
順彼佛願故

      


いつでも時間の永さに関係なく
一心に弥陀の名を唱える
それが阿弥陀の本願

  


まだ紅葉には早い時期であったが
法然院の景色は素晴らしい

   

訪れる度
この景色に癒される

     

白砂壇で身を清め
振り返ってはまた撮影

  


続きます
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