日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
今年最後の掲載は
錦市場の風景
京の台所
延暦年間にこの市場の基礎は作られた
最初は具足小路と呼ばれていたものを
後冷泉天皇が錦小路と改めた
と伝えられている
名前からすると
今のような食料品街ではなく
武具屋が多かったのであろうか
魚屋が立ち並ぶ今の姿からは想像できない
今日見る錦市場の前身は
江戸時代に始まる
幕府が初めて魚問屋の称号を許したのだ
上の店
錦の店
六条の店を
京都の特権的鮮魚市場として
三店魚問屋と称し
魚市場として
錦市場は賑わうことになる
現在のアーケードは
平成5年から
肩を寄せ合い
歩くのが楽しい
今年も数多くの方々にご訪問頂き
感謝感謝の一年でした
来年もまた
飽きずにご訪問頂ければ幸いです
秋の頃
特別公開される尼寺
かつては
藤原定家の山荘であったらしい
荒廃し荒れ果てていたものを
安永年間に
冷泉家が再興
霊元法皇から
厭離庵の寺号を賜り
臨済宗天龍寺派の寺院となった
この寺を語る時
必ず登場するのが
先に記した藤原定家
小倉山の山麓に
時雨亭という山荘を設けていたのは事実らしい、が
その時雨亭跡とされているは
実は3ヶ所ある
この厭離庵のほか
常寂光寺
二尊院にも時雨亭跡地がある
さて
何処の説が正しいか
歴史は黙して語らないままだ
悲話が残されている
平家物語に登場する
白拍子の祇王と仏御前の物語だ
白拍子とは
男装の遊女や子供が
今様や
朗詠を
歌いながら舞う
今日でいうところの芸人の事
祇王は
平清盛に見染められ
寵愛を受けるも
自らが取成した仏御前に
寵愛を奪われ
失意の中
この寺で仏門に入ったと云う
一方
仏御前もやがては寵を失い
この寺を訪ね祇王に習い
仏門に入ったとか
庭に立ち
一面の苔を愛でながら
そんな悲話を思い出した
君を初めて見る折は
千代も経ぬべし姫小松
御前の池なる亀岡に
鶴こそ群れ居て遊ぶめれ
常寂光土の風景が広がる寺
小倉山の山麓にある
紅葉が美しいことで知られている
この寺は
紅葉の名刹
見事な紅葉を見ようと
多くの人が訪れ
その景色に見とれる
見所はなんといっても
仁王門の周辺
石段と石畳
周囲は
緑の苔に覆われ
見上げても
見下ろしても
絶景が広がる
日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が
隠棲の地とした当寺院
早秋の風景を堪能した
天龍資聖禅寺
開基は足利尊氏
開山は夢窓疎石
平安の時代
この地には
亀山殿という離宮があった
亀山とは小倉山の事
遠目の姿が亀の背に似ていることから名付けたとか
亀山殿を
寺に改めたのが
先に記した足利尊氏
後醍醐天皇の菩提を弔う為である
その後
応仁の乱の折も
立地が市中から離れていたことで
戦乱に巻き込まれる事は無かったが
幕末の禁門の変では
この寺が戦場となり
伽藍は尽く焼失
現在の伽藍は
明治期の建築である
臨済宗天龍寺派
天龍寺の塔頭として
境内に在る
紅葉が美しいことで知られる名刹
山号を大亀山と称す
創建は寛正2年
聖仲永光を開山に招聘して
細川頼之が建立したと伝えられている
この地でなく
現在の上京区に建立されたが
応仁の乱で焼失し
天正年間に再興
現在の天竜寺境内へは
明治期に入ってから
河川工事で寺領が買い上げられたのがその理由
庭は平成14年に現在地を購入してからのもの
だからか
以外にも宗教色が無いようにも見える
今年の紅葉は
嵯峨嵐山めぐりから始めた
五摂家のひとつ
九条家縁の茶室
数寄屋風書院造り
茶会のための離れとして
江戸時代後期に建てれたと伝えられている
二階建ての造りが
よく映える
夏には渡る風が爽やかであり
秋には静かな冬の訪れの前兆を感じることができる
勾玉形の池
湖畔に建つこちはら
なんとも粋である
大須大道芸人祭
数多くの大道芸が紹介されるが
その中でも
一番で不動の人気がこの金粉ショー
日に三度
二日で6回の公演は
いつも超満員
この日
ショーの2時間前から
場所取りで立つ
おかげて
ショーの全景を拝めた
いつもよりも
多めに
ショーの写真を公開
元々は
商店街活性のプロジェクトから生まれた企画
大道芸を街に
今では
復興の象徴ともなっている大須商店街
毎年
10月のまだ暑さが残るころ
2日間にわたり
商店街のあちこちの会場で
多くの大道芸が披露される
会場があまりに多く
披露される芸も多く
すべてを見るのは至難の業
特に計画もなく
ふらりと歩きながら
見かけた大道芸を撮影
一番客を引き付ける
金粉ショーは次回紹介
年に二度
春と秋に特別公開される
京都御所
平安の世より
明治初期まで
歴代在位した天皇が暮らした地
現存の京都御所は
土御門東洞院殿と呼ばれていた
里内裏の一つ
南北朝の時代
光厳天皇がこちらに移り住んで以来
明治天皇までがこの内裏で在位
平安様式の建物
規模と荘厳さを感じることができる
普段は事前予約をし
拝観が叶う内裏も
この日は開放され
多くの人が訪れていた
ここは月桂冠発祥の地
濠川畔に建つ酒蔵を改装し
伏見の酒造りと月桂冠をテーマとする博物館
酒造りの工程と
道具
酒瓶
ポスターなどなど
貴重な資料を拝見できる
天高くそびえる煙突と
湧き出でる
清涼水が酒蔵の証
樽一杯の酒
憧れだけにしておくのがいいだろう
酒造りの歴史
丁寧に拝見すれば
その歴史は人間の歴史にも通じるもの感じる
最後に記念館の庭で
キリシタン灯篭を拝見
千利休に茶の湯を学んだ
古田織部の発案とされている型の灯籠
お見逃しなく
京の花街
代表格は先斗町
花街としてのスタートは
正徳2年の年
というから
江戸幕府開府からほぼ一世紀が経過した頃
高瀬川を上り下りする
高瀬舟の船頭や旅客目当てに
旅籠屋が建ち始め
茶立女も居たらしい
時代が下り
安政の時代になると
芸者嫁業の公許をもらい
京都でも有名な花街になっていったという
この時代
歴史的には京都は暗雲立ち込める時代で
尊王、攘夷、勤皇、佐幕と
大いに荒れ
細い路地の先斗町にも
多くの志士が身を潜め
また待ち伏せしたらしい
南北
500mほどの路地のような通り
先斗町と知られているが
実は先斗町という町名は無く
鍋屋町
下橅木町
材木町
橋下町
若松町
などなどが正式な地名
夜歩くのもいいが
早い時間帯の
静けさが漂う時間帯を歩いてみるのも良いものである
建てられたのは
明治時代の終わり
明治45年のこと
土佐堀通の一等地
ビルの背後には
土佐堀川が悠々と流れ
ビルの景観を際立たせている
元々は
株屋の社屋
国の登録有形文化財にも登録されているこのビル
戦後は商社が使用していたらしいが
廃屋となり
朽ち果てる運命であったものを
現オーナーが買い取り
平成9年
英国式ティーサロン
「北浜レトロ」として蘇った
1Fは
自家製ケーキ
紅茶
英国雑貨の販売
2F
は純英国スタイルのティーサロン
人気の店なので
混み合う時間帯もあるのでご注意を
大阪堺筋
京阪北浜駅か
地下鉄堺筋線北浜駅下車すぐ
1935年に
建てられた当時の建物の面影は
円形のエントランスホールが
思い出させてくれる
現在の建物が竣工したのは
平成16年のこと
先進的なデザイン
と旧デザインの融合
人の手による直線と
機械による直線
人の手による曲線と
機械の曲線
その微妙な違いが
また面白く
内部撮影が楽しくなる
京阪や地下鉄堺筋線の
駅出口も兼ねるビル
人の往来のなか
撮影を続けた