雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

阪堺電車

2012年02月29日 | 大阪散策
阪堺電気軌道株式会社



南海電気鉄道の子会社で
大阪市内難波地区から堺市内へ



計2路線の路面電車を運行



阪堺電気軌というのが正式名称だが
通称、阪堺電車と呼ばれ
親しまれている



運賃は
何処まで乗っても
一回乗車200円



大阪らしく
解りやすい料金体系



阪堺線が恵美須町から浜寺駅前までの14.1km区間
上町線は天王寺駅前から住吉公園までの4.6km区間



広告電車として有名で



通り過ぎる車両は
カラフルに公告されており
眺めているだけでも結構面白い



一日フリー切符が600円で売られているので
鉄道ファンが
乗降車を繰り返し
撮影している姿をよく見かける



にわか鉄で

懐かしさあふれる
路面電車を撮影してみた
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中津

2012年02月27日 | 大阪散策
都会にも洞窟がある



浸食で造られたわけでは無い
風化や風食でもない
人が造り出した
人造の洞窟



大都会
梅田の北側に在り
幾つもの路線と
国道が立体的に交差する



立体交差の下に
人造の洞窟があった



昭和の香りも漂い
かつては
高度経済成長を支えていたと
風景が教えてくれる





今では
時代の波に取り残され
荒廃と
埃の沈殿が進む高架下



かつて
賑やかだった頃には
此処にもアーケードは在り



細い路地のような通りは
多くの人の往来があった事だろう



見かける看板や
ポスターが
歴史を感じさせてくれる



古い街は
新しい街の隣にあった
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今宮戎神社

2012年02月25日 | 大阪散策
商売繁盛で
笹持って来い

静かな折でも
十日戎の囃子が聞こえてきそうな気がする

昨年は
本えびすの時の写真を掲載したが
今年は
ちょっと趣を変え
宵えびすの前日に訪れスナップ



十日戎はその名の通り
毎年1月10日を本えびすとして
前日を宵えびす
翌日を残り福として
9日から11日までの
商人の祭典



深夜12時を回れば
毎年選ばれる福娘たちが
銭叺
銭袋
末広
小判
丁銀
烏帽子

小槌
米俵

といった縁起物を笹に括りつけてくれる
賑やかな祭りが始まる



その半日前の風景



祭りの期間
歩くのも大変な境内は
まだ静か



屋台は準備中





熊手売りも設営中







こんな風景も
良いものだ
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんばパークス

2012年02月23日 | 大阪散策
緑との共存というテーマで建築された
複合施設
なんばパークス



ここはかつては大阪球場のあった場所



Jon Jerdeが設計した
難解な建物
Jon Jerdeは六本木ヒルズも手掛けていると聞けば
名前は知らなくても
なんとなく解る気がするだろう



渓谷がテーマのこの建物



建物の天井部分は
段々畑のような外観で
階層ごとに花壇と公園があり





建物中央は
渓谷のごとく
直線ではない曲線の吹き抜け構造となっている



昼から夜にかけては
多くの人の往来があり
賑わいを見せるが
撮影が手軽な
早朝を選んで訪れた



なんとも
奇怪な空間



モダンとは
この事を指すのか
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金崎宮

2012年02月22日 | 福井散策
建武中興十五社の一社
恒良親王と尊良親王を祭神とする
建立は
室町時代の歴史的事件に遡る



室町幕府
初代征夷大将軍といえば足利尊氏
室町幕府建国の折の政治的混乱
その一番の原因は
後醍醐天皇



鎌倉幕府討幕の立役者だったのは新田義貞
鎌倉陥落の折には
新田義貞へ軍忠状が絶えなかったというが
件の天皇は
論功行賞から先
足利氏と新田氏の二枚看板の間を
右往左往



政治的手腕に欠けたとされる新田義貞
足利尊氏との戦いで
勝利と敗北を数多く重ね
最後は
九州平定を成し遂げた足利尊氏と
湊川の戦いで破れ敗走



頼みの綱であった
後醍醐天皇は
しかし
足利尊氏と和議を行い新田義貞を切り捨てる






皇位を恒良親王に譲り
恒良親王と尊良親王を新田義貞に委任
官軍であるとはした



新田軍が北陸落ちし
辿り着いたのが此処金ヶ崎
追討軍との戦いにも敗れ
新田軍に従軍していた
尊良親王は自害
恒良親王は捕縛、毒殺されたとも



金ヶ崎宮は
桜の名所として知られているが
恒良親王と尊良親王の翻弄された歴史が埋もれている

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敦賀鉄道資料館

2012年02月20日 | 福井散策
明治維新後
日本の近代化が始まる
生活様式も変革し
都市も西洋風へと変貌
交通網も整備されてゆく



日本海側の都市で最初に鉄道網が整備されたのは敦賀



日本において鉄道事業が開始されたのは
明治維新の翌年
鉄道ファンならだれでも知っている
新橋-横浜間



日本海側へ線路が敷設された場所は
というと
ここ、敦賀が最初である





そして
明治45年からは
新橋-敦賀間の列車が走り
敦賀港からは連絡船でウラジオストクへ
そして
シベリア鉄道を経由して
パリまで
欧亜国際連絡列車が走っていた



日本海に面した
小さな都市であるが
鉄道との繋がりは深い



当時は、金ヶ崎駅
この鉄道資料館は当時とは全く違う位置に
つるがきらめきみなと博21の一環として建築されたが



建物は
往年の姿を留めているという

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先斗町

2012年02月18日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう







ポルトガル語のpontoが語源だとも云われる
京都観光で有名な歓楽街



先斗町



高瀬川と鴨川に挟まれた細長い土地で
元々は鴨川の州であったそうな
それが
江戸時代の頃
護岸工事により埋め立てられた土地



茶屋
旅籠が設けられ
芸妓
娼妓なども移り住んだことから
幾度となく取り締まりが行われていたようだ



京都の花街といえば
当時は二条新地が有名であったが



二条新地の出稼ぎ地として
繁盛したようである



細い路地の左右に
軒を連ねる店



飲食店も増え
観光客も連れだって歩く



花街には違いないが
気軽に往来できる町



京都の繁華街を歩くなら
この通りは外せない
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錦市場

2012年02月15日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう









京都の市民の台所



御所の真南にある東西300mに満たない
細い路地のような商店街





丸竹夷二押御池
姉三六角蛸錦
四綾仏高松万五条



蛸薬師通りと四条通の間



この通りを歩くなら
出来るだけ身軽にして
食べ歩きをしたい



漬物に
海産物に
惣菜に



食べ歩く楽しみは尽きない



気に入った食材が見つかれば
購入する楽しみも増える



譲り譲られ
袖を擦りよせ歩く商店街

錦市場は面白い

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茂庵

2012年02月13日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう







表通りには
小さな看板が一つ



見つけたのなら
細い石段のある坂道を登ってゆこう



秋の頃なら
真っ赤に紅葉した楓が
頭上から
ようこそお越しやすと声をかけてくれる



そしたら脇道へと入り込もう



文化住宅の古い町並み
もちろん車なんて野暮な物は入ってこれない



ここは昔からの道



時折顔をのぞかせる猫たちに心和ませながら
ゆっくりと石段と坂道を登る

途中で社にご挨拶するのも忘れてはいけない



お参りありがとさん



此処まで登ってくると
また一枚の看板



ここからは吉田山の山中へ



茂庵田舎席では
月釜も催されている
普段着でマナーも良識だけの茶会
一服を楽しむのも良いが
今日の目的は
カフェ



山中を進むと

ほうら着いた



京都でほっこりは
こういう場所でなくては

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真如堂

2012年02月11日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう







正式には
真正極楽寺と称する



天台宗の寺院である



真如堂とは通称の呼び方だが
本堂を真如堂と称しており
あながち間違いでもない



秋の頃
境内が真っ赤に染まり



普段は閑散とした境内が
騒がしくなる



戒算上人が
叡山に建つ常行堂に
安置してあった本尊阿弥陀如来を
東三条院詮子の離宮があったこの地へと移したのが
この寺の始まりとされている



真如堂、実は京都市中をあちこち移っている
京都の街には元~という地名が多いが
この寺も
真如堂前町だとか
元真如堂町などといった地名を残している



現在の地へと戻ってきたのは江戸中期
元禄年間の事



今では
秋の名所として知られている

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白砂村荘

2012年02月09日 | 京都散策
京都でも有数の観光寺院
銀閣寺の参道を西へと緩やかに下ると
やがて琵琶湖疏水沿いの道
通称「哲学の道」の起点と交わる
いわゆる今出川通を歩くことになるのだが
鹿ヶ谷通を西へ渡り
50mも歩かず辿り着けるのが
ここ、白砂村荘
地図で見れば
橋本関雪記念館となっているかもしれない



戦前活躍した日本画家である



画家足らんことを志し
上京したのは15歳の年



一時経済上の理由により帰郷するも
地元で開催された展覧会でその名を知らしめる事となる



若くして才を認められ
以後、日本を代表する画家としての人生を過ごすが



この白砂村荘へと移り住むのは
33歳の時の事



地上に絵を描いたら



橋本関雪が自ら造作したと伝えられる庭園



今年もこちらの秋の景色を見に訪れましたよ
庭園奥の羅漢様にご報告



美しき庭園は
静かに坐して見るのが粋だ

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊鑑寺

2012年02月07日 | 京都 特別公開
臨済宗南禅寺派門跡尼寺



通常は非公開のこの寺院は
椿と紅葉の季節のころ特別公開される



山号を円成山と称す



寺院建立は京都に在っては新しく
承応3年というから
江戸時代初期のころ
開基は浄法身院宗澄
後水尾天皇の皇女であるからして
創建以来の尼寺である



二段に分かれた
回遊式庭園



椿の寺として有名で
特に日光椿が知られているが
紅葉の頃の風景も見事



秋の頃に
哲学の道に近く在りながら
なお、静けさをみせる庭園を
カメラ片手に静かに拝観



霊鑑寺の
紅葉狩り
お勧めの場所である

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大豊神社

2012年02月04日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
哲学の道に沿って
琵琶湖疏水の川沿いを北上すれば



やがて出合うのが大豊橋
小さな橋
哲学の道を歩く人は多いが
大豊橋を渡って先へと進む人は少ない



参道を少し進むと
鳥居の佇まいと共に見えてくるのが
大豊神社





創建当時は背後に聳える
椿ヶ峰山中にて創建されたと云う



創建は仁和3年というから
社歴は古い
移ったのは寛仁年間





治病健康
福徳長寿
学業成就
縁結び
子授け安産

として
今日も信仰されている



秋の頃



狛鼠を愛でに
立ち寄ってみた
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光雲寺

2012年02月01日 | 京都 特別公開
南禅寺の境外塔頭寺院
光雲寺

南禅寺北ノ坊とも称される塔頭である
通常は非公開であるが
秋の特別拝観で参拝



先の記事
天寿庵でも紹介した
無関普門が
南禅寺を建立する11年前に
創建した寺と伝えられている



尤も創建したのは現在の地では無い
摂津国難波の四天王寺の近辺と聞く



その後の年月で
寺領の判別も出来ないほど
荒廃していた光雲寺



中興は
英中玄賢禅師
明暦3年というから
江戸時代初期のころ



難波の地ではなく
現在の地へと移しての再興となった





多くの堂宇が立ち並ぶ広大な敷地を持つ大寺院として再興したと云うが
幕末の廃仏毀釈で敷地を失い
現在の規模となっているが



植治作庭の
池泉廻遊式庭園は
見事な風景を見せてくれる

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする