雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

吉城園

2006年12月30日 | 奈良散策
奈良といえば、東大寺
と、勝手に決め付けて奈良は奈良公園周辺に出掛けました

県庁駐車場に車を停め、東大寺方面を目指します



京都と同じように、ここでも人力車が走っていました

東大寺へ向う前に途中にある、吉城園に立ち寄りました

吉城園は、興福寺塔頭摩尼珠院の跡地に造られた庭園で、明治以降の建立だそうです

園内の庭園は、三つに分かれています
池の庭・苔の庭・茶花の庭と呼ばれています



京都の庭園とは違う趣がありますね

雪だるまがこの庭園を訪れるのは、実は2回目です
初めて訪れたのは2年前の紫陽花の時期でした

新緑も素晴らしかったですが、落葉の時期もまた別の趣がありました



建物の影にあったのか、僅かばかりのもみじが出迎えてくれました



苔庭にある茶室の建築様式は、一味で言って大柄

でも、どこか機能美が漂っていました



もみじの様にみえますが、寒椿の落花です
落葉の季節を過ぎ、この吉城園は寒椿の季節が来訪していました



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京都紅葉散策日記18

2006年12月29日 | 京都散策
高台寺へ戻って来ました

先ほどよりは拝観客も減少しており、少しほっとしました

圓徳院で購入した共通拝観券を持参して、進みます

高台寺の拝観券売り場には、まだ行列が出来ていました
方丈前庭には近代アートのようなライトアップがされていました



境内東側には偃月池・臥龍池という2つの池をもつ庭園が広がっていますが、この内の臥龍池周辺を撮影しました

というのも、この時間(夜8時半過ぎ)奥の茶室へ向う階段では、拝観希望の長い列が出来ていたので、ギブアップしたのが正直な処です

圓徳院・天授庵の拝観と違い、ここでは傘片手での撮影でした





まだ青い楓と赤い楓が、織りなす光の祭典です







撮影に夢中になっていましたが、ふと茶室方面を振り返ると...





こっちも美しいぞ、と自己主張していました
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京都紅葉散策日記17

2006年12月28日 | 京都散策
圓徳院を辞し、円山公園へと昼に通った道を逆にたどります



知恩院までやってくると三門がライトアップされてました
こうやって、夜の闇に浮かびあがっています
昼の三門よりも圧迫感が強く大きく見えます

向かいには、お土産屋さんがまだ営業中です
京都の夜はみんな夜更かししています



青連院を通過して昼に訪れた天授庵に再びやってきました



まずは、池泉回遊式庭園から観賞しました





昼間の景色がまだ記憶に残っていましたが、夜見る景色はまた違った印象を感じました

紅葉も心なしか進んで見えます
赤い葉っぱがより赤く、黒いキャンパスに映えます



拝観客も少なく、ゆったりと拝観できました

枯山水庭園の方に回りました







夜の京都は幻想的で素敵です

天授庵で暫しの時を過ごし、本日最後の拝観地「高台寺」へ向いました
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京都紅葉散策日記16

2006年12月28日 | 京都散策
夕食を終え、高台寺へ向いました
高台寺に着く頃には雨は本降りになってしましました



こんな日だから、拝観客は少ないだろうと思っていましたが~

なっ何とすごい人出です

高台寺南のおおきな駐車場に収まりきらない拝観希望の列は、ねね参道にまで連なっていました

これは駄目だと思い、まずは圓徳院へ向うことにしました
圓徳院は多少空いていました
並ぶことなく拝観券を購入できました

 ※ここで、豆知識です 高台寺と圓徳院には共通拝観券があります
   この共通拝観券を圓徳院で購入すると高台寺で拝観券を買い求める列に並ぶ   ことなく入れます

圓徳院は、豊臣秀吉の正室北政所ねね(のちの高台院)の発願で創建されたました
高台寺の塔頭の一つです
木下家の菩提寺として創建され、高台院が58歳から死去する76歳までをこの地で過ごします

北書院北庭が有名です
この北庭は伏見城にあった北政所の化粧御殿前庭を移したものだそうです
豪快な石組みや築山の滝石組が、まさに桃山期の庭園様式です

まずは南庭から拝観します







そして北庭です







北庭はたくさんの拝観客が座して拝観しており、なかなかシャッターチャンスが訪れませんでした
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京都紅葉散策日記(番外)

2006年12月26日 | 京都散策
青連院を出た頃には、雨は本降りとの境目をうろついていました

円山公園を抜けて、建仁寺方面へ向います
舞妓さんも小走りに通り過ぎて行きます



途中、面白いものを見つけました
(と言うか、単に道に迷っただけです)
安井金毘羅宮です
ここは、縁切り・結びで有名で、恋愛事に限らず酒・タバコ・不運といった縁?も切ることができるそうです



そして、本日の夕食の目的地に到着です

そう、天ぷら料理の名店「天ぷらの八坂圓堂」です

お財布君が、清水の舞台から飛び降りてしまいました

そして頼んだメニューはというと、、、

天ぷら会席「八坂」というコースでした
予約していませんでしたが、快く入店させていただきました

献立は以下の通りでした

季節の先附
造 里
おまかせ天ぷら12品
(活車海老2尾/魚介4品/京野菜2品/旬の山菜や根菜4品)
圓堂特製サラダ
小天丼または天茶
香の物・赤だし
水 物

さすが、名店...  「とても美味しゅうございました・・」?!(岸朝子風に)











という様な料理でした

本日は、京都に宿泊しライトアップを撮影することになっていました

夕食の後、高台寺に向います
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京都紅葉散策日記15

2006年12月25日 | 京都散策
南禅寺周辺を抜け、円山公園へ向う途中に青連院に立ち寄りました

青蓮院門跡は、天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられています

五箇室というのは、青蓮院門跡・妙法院門跡・三千院門跡・曼殊院門跡・毘沙門堂門跡の五ケ寺を指します

門跡寺院というのは、住職が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のことを指すそうです



ここを訪れた時には、空は黒い雲に覆われだしており、空気にも湿気を感じるようになっていました

もうすぐ雨です、、

夕食の前にと、立ち寄りました



時間はまだ3時頃でしたがとても暗く、拝観中に雨がついに落ちてきました

おまけに、池泉回遊式庭園の紅葉はごらんのとおりですっっ、



これは、神様が「夕食を摂りなさい」って言っていると解釈し、一路建仁寺方向に向いました
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京都紅葉散策日記14

2006年12月24日 | 京都散策
天授庵に着きました



天授庵を建立したのは、南禅寺の第15世であった虎関師錬

南禅寺を開山した無関普門を祀る開山塔を建立を願い出た折に、その庵として創建されたのが始まりです

応仁の乱で焼失してしまいますが、慶長7年に細川幽斎が再建します

特別拝観で方丈に入ります





この天授庵にはふたつの庭園があります

方丈の東側には 、枯山水庭園
白砂の庭を苔に縁取られた菱形の畳石があり、切石を組み合わせた直線的な構成は小堀遠州の発案だそうです





菱形の畳石にあるシミは、あの応仁の乱の火災の名残だそうです



また書院の南側には、池泉回遊式庭園
杉やカエデが鬱蒼と茂っており、明治期に改修されました





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京都紅葉散策日記13-2

2006年12月23日 | 京都散策
南禅院に入ります

秋の特別拝観では、普段は入れない方丈へ入れます

この方丈は、応仁の乱で荒廃し焼失しています
その後1702年に徳川綱吉の母、桂昌院らの寄進で再興をはたします



方丈の特別拝観では、茶室の拝観もできます



縁台より池泉回遊式庭園を座って眺めました





鎌倉時代後期の池泉回遊式庭園で、無窓国師の作庭と伝えられています

方丈の西は苔の庭が広がり、南には曹源池があります

吉野の桜と難波の葦、そして龍田のカエデなどを移植して作られたということで、当時の風流を伺うことが出来る庭園です



しばらく風流を楽しんだ後、池泉回遊式庭園を歩きました







素晴らしい景色でしたので、ちょっと欲張ってアップしてしまいました


南禅院の庭園を満喫した後、南禅寺の塔頭「天授庵」に向いました
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京都紅葉散策日記13

2006年12月22日 | 京都散策
南禅寺には、北側から入りました



南禅寺の正式名称は、瑞龍山太平興国南禅禅寺というりっぱな名前です

皇室の発願になる禅寺としては日本で最初のものだそうです

京都五山の上位の別格扱いの寺院で、京都五山の第一位、天龍寺よりさらに上とされています
つまり、日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇っていると言う事になります

現在の南禅寺が建立される前、この地には亀山天皇が文永元年に造営した離宮・禅林寺殿があったそうです

この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれておりました

現存する南禅寺の塔頭「南禅院」、元は上の御所の後身です



この南禅寺敷地内には、有名な三門があります
かの、歌舞伎の「楼門五三桐」で石川五右衛門が「絶景かな」と見栄を切るシーンに登場する門です



残念ながら、石川五右衛門がこの門に上ったというのは架空の話です
と言うのも、三門は五右衛門の死後に建ったものだからです

ちょっと残念です...

この山門から、「絶景かな」と言ってみたかったのですが拝観希望の人達がトグロを巻いており、諦めて、、、、、

南禅院の方を目指しました

南禅院へ向かうと、琵琶湖疎水の水路閣がまず出迎えてくれます
南禅寺の代表格の景色ですね



明治以降政治の主体が完全に東京へ移行し、産業衰退の危機が京都を襲います
人口増加と産業復興を目的として建築されましたが、びっくりなのは今日でもその機能を果たしていることですね

近代的なレンガ建築の水路閣と日本建築が織りなす景色は、京都広しと言えどもここ南禅寺だけです

水路閣を背景に撮りました





次回は、南禅院に入ります


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京都紅葉散策日記12-3

2006年12月21日 | 京都散策
永観堂、庭園です



庭園内の散策道は楓のトンネルの中を進むようになっています
紅葉真っ盛りの時に拝観できれば、東山随一の紅葉を満喫できます

最盛期には少し早かったですが、雪だるまの前を行くカップル(夫婦?)も楽しそうに散策していました

御影堂の周辺が一番紅葉していてそこで、パシャパシャと撮影しました





ここの庭園のメインは放生池の周辺でしょうね
今年はアップ出来るような写真は撮影できなかったので、懲りずに昨年撮影分をアップします







この庭園内には、抹茶を頂ける茶店があります
その建物の裏手には、放生池から流れ出るセセラギがあります
このセセラギの寿橋と楓橋の間に鴨が数羽いました



永観堂から南へ、南禅寺に向かいました
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京都紅葉散策日記12-2

2006年12月20日 | 京都散策
永観堂の方丈に入ります

鶴寿台から拝観
沢山の拝観客の背中に続いて、拝観路を進みます



波打ったガラスにもみじが写りこみ、、素敵です

この永観堂の室内拝観は距離が長いのが特徴
あちこちで撮影スポットがあります

庭園を眺めながら進むと、御影堂(大堂)に至ります



御影堂の裏手には臥龍廊という階段廊を昇ると、開山堂へ至ります
また、御影堂の横の通路を進んでも、開山堂の傍までは行けます



これが臥龍廊です
(時々拝観可能で、雪だるまはかつて2回ほど臥龍廊を昇っています)



御影堂の先には、阿弥陀堂があります
この阿弥陀堂には、国宝・重要文化財である「みかえり阿弥陀」があります

みかえり阿弥陀については、以下の言い伝えがあるそうです

≪永観堂ホームページより抜粋≫
永保2年、永観50歳のころである
2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた
すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた
永観は驚き、呆然と立ちつくしたという
この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、
「永観、おそし」
と声をかけられた
永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている

残念ながらこの「みかえり阿弥陀」は撮影禁止です

次回は、庭園に進みます
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京都紅葉散策日記12

2006年12月19日 | 京都散策
白川通を渡って、永観堂へ至りました

永観堂の正式名称は、禅林寺

開祖である真紹僧都は真言宗の僧侶であり、禅林寺は真言密教の道場として始まります
当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観5年になってようやく、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となったそうです


永観堂の歴史は、大きく三つの時代に分けられます

最初は真紹僧都から永観律師が住職になるまでの約220年間は真言密教の寺院としての時代を過ごします

次は永観律師から静遍僧都までの約140年間
この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院となります

その後は浄土宗の寺院となり今日に至ります



入口の風景です
多くの拝観客の皆様方
さすが、東山随一の紅葉の名刹です
拝観料が1,000円とこれも随一です

中門から、境内に入ります

放生池周辺の紅葉はかなり進んでいました
また、この周辺は絶好の記念撮影スポットで、多くの方々が記念撮影をしています


その中で、素敵な兄妹がちょっと気取って「ハイポーズ」
あまりに可愛いのでつい雪だるまも撮っちゃいました
(でも、そこのおじさん邪魔ってば・・・)

物見台のまわりは大混雑
でも、紅葉が美しかったです





大玄関から、方丈への拝観のため靴を脱いで入ります
ここも入口から大混雑です

続く・・・

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京都紅葉散策日記11

2006年12月18日 | 京都散策
真如堂から、永観堂へ向う為に金戒光明寺を抜けました



金戒光明寺はまさに、「お墓」のお寺です

浄土宗七大本山の一つです
山号は紫雲山といいます

法然上人が師叡空から譲り受けた地に建立されました

室町時代末期にあった大戦乱の応仁の乱によって焼失してしまいました

しかし、織田信長や豊臣秀吉らの庇護を受けることが出来たことで再興の足がかりとなります

江戸時代に入り、徳川家の援助を得て復興を果たしました

明治維新後に、一時衰退してしまいますが、その後寺院整備が行われ今日に至っています


観光シーズンでもお墓参りの檀家の方々も多く、観光で通り抜けるだけの雪だるまとしては、ちょっと気が引けました





(昨年の写真です。。今年は・曇りで・紅葉が遅く・おまけに目の前で工事してるやん、、)

それから、東山で紅葉が最も有名な永観堂へ向いました
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京都紅葉散策日記10

2006年12月17日 | 京都散策
真如堂に徒歩でやってきました



このお寺の正式名は称真正極楽寺

真如堂のある場所は古くから神楽岡と呼れています
仏法有縁真正極楽の霊地とされた場所です

この地に寺を建立したのは開基の戒算上人

戒算上人は比叡山延暦寺の僧

永観2年に延暦寺常行堂にあった阿陀如来像を、安置したのが真如堂千年の歴史の起源だそうです

法然院側から訪れたので、入口は万霊堂の方からとなりました

たくさんのカメラマンが訪れていて思い思いのアングルで撮影していました
って、ここって三脚OKなの?

持ってくれば良かったと思いましたが、この後南禅寺まで行く予定だったので、重い三脚持参では辛かったでしょうと、自分自身を慰めました

本堂の横を抜けて、三重塔に向います



段々と天気が怪しくなってきています
昨年は、青空の下で満喫したのに、、
でっ、昨年の写真です


さらに近寄って一枚と、去年の一枚





最後に正面から本堂を撮影してみました

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京都紅葉散策日記9-2

2006年12月17日 | 京都散策
白砂壇です

四季折々で模様が替わり、訪れる人々の眼を楽しませてくれます
雪だるまも、何度もこの法然院を訪れ百砂壇を拝観しています

















でもっっ・・・
雪だるま。。この法然院の紅葉真っ盛り時期の撮影が出来ていません

他の用事があったり、時期を逃したりと、、、とほほです

blogの流れとはちょっと異なりますが、12月に入って今日こそはと訪れましたが、もみじが散ってしまっていてごらんの通りです。。



でも、参道で素敵な紅葉に出会いました



次回は真如堂に向います
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