雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

南禅院

2008年08月31日 | 京都散策
南禅寺発祥の地に在る南禅院
創建当時の建物は応仁の乱で焼失
現在の建物は元禄16年に再建されたもの
池泉回遊式庭園が美しい事で知られる塔頭

  

作庭は無窓疎石作と伝えられています

    

無窓疎石は伊勢の出身ではあるが幼少時代は甲斐で過ごしている
母方の一族争いで伊勢の地を追われた過去を持つ
出家して程なくは、真言宗・天台宗を学ぶが
建仁寺の無隠円範に禅宗を学んだ事から禅宗の僧侶となる
甲斐の地の他、土佐国・上総国・相模国と各地を巡っている
後醍醐天皇の要望により上洛、南禅寺の住持となったのは
無窓疎石50歳の時

      

生涯にわたり
夢窓国師
正覚国師
心宗国師
普済国師
玄猷国師
仏統国師
大円国師
7度も国師号を歴代天皇から賜与されている

七朝帝師、無窓疎石

   

疎石作庭の庭を巡ると
四季折々
素晴らしい風景に出会えます

  

庭園中央の池を囲むように
枝を伸ばした楓
見つめるほどにため息が出る

      

離宮時代の面影も残すという庭園

      

訪れる人も少ない庭園ですが
ここは京都の名勝史蹟庭園の一つ
喧騒の境内とは違い
南禅院はいつもひっそりとしています

   

緑を愛でに
南禅院へと足を向けてみませんか?

      
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南禅寺 水路閣

2008年08月30日 | 京都散策
琵琶湖疏水事業
明治18年に着工した公共工事
着工当初は水利事業として始まったが
途中、議会の動議があり
発電施設も併設される事となった

       

水路閣
何とも粋なネーミングの水道橋
延長93.17m
幅4.06m
水路幅2.42m

      

煉瓦造、アーチ構造の水道橋
南禅寺境内を横切る水路閣は
建築当初は物議を醸し出したものの
今では南禅寺観光の名所の一つとして数えられるほどになっている

日本文化と西洋文化が交じり合った
独特の景観
記念撮影の定番スポットとなっている

   

赤レンガ造りのレトロな半円アーチ式の橋
下から見上げると
明治時代の建造とは思えないほど精密で
半円が美しい

       



南禅寺を訪れた時
必ず撮ってしまう水路閣
どう撮ろうか?
試行錯誤の被写体です

      

レンガの壁には緑の楓が似合う
紅葉の時期よりも
緑の時期の方が美しいと感じる

  

楓の葉と水路閣
また一つ美しい風景を発見しました

    

   
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天授庵

2008年08月29日 | 京都散策
南禅寺を開山した無関普門の塔所として建立された天授庵
創建は、南禅寺の第15世、虎関師錬
南禅寺を訪れた折には必ず拝観している塔頭

    

南禅寺境内を歩く人の数は多いものの
天授庵は静かな佇まいを見せてくれる
訪れる人も疎らな境内へと足を踏み入れます

方丈前庭からの拝観

       

枯山水庭園
かの、小堀遠州発案とされる
苔に囲われた菱形の畳石が庭園を横切っている

秋には紅葉が美しい庭園

        

縁側に座し
心穏やかに眺めれば
直線美が目に飛び込んでくる

異色の庭園
直線
日本庭園ではほとんど採用されない構図
大胆に直線が横切る枯山水庭園

  

小堀遠州
遠州は俗称
本名は小堀政一
慶長13年
駿府城普請奉行となり
従五位下遠江守に叙任された事から
官位を採って、小堀遠州と呼ばれるようになった人物

       

作庭の美を愛で
書院南庭へと移動

       

対照的な二つの庭園があるのも
ここ天授庵の魅力の一つ
書院南庭は池泉回遊式庭園

        

楓に覆われた庭園は
紅葉の名所でもある

        

細川幽斎が再興したと伝えられている天授庵
池泉回遊式庭園は明治時代に改修されている
南北朝時代の面影も残っているが
近代的な印象もある庭園

       

    

庭園周囲は竹林に囲われ
秋には紅葉した葉と竹林の緑の対照が美しい

     

庭園を巡り

        

楽しいひと時を過ごしました

     
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金地院

2008年08月28日 | 京都散策
南禅寺塔頭のひとつ
金地院を訪れました

当初は鷹ヶ峯に創建された寺院
創建は室町幕府4代将軍足利義持の頃とされています

現在の地へと移ったのは
徳川政権時代
「黒衣の宰相」との異名を持つ以心崇伝によって
移転したもの

        

一色家の次男として生まれ
若くして仏門に入る
南禅寺の玄圃霊三に師事
才覚があったのか
36歳の時には、南禅寺270世住職となっている

      

僧としてだけでなく
政治向きの事にも才能があったらしく
徳川家康に呼ばれて、駿府へと移り
外交往復文書の書記を務めるが
やがて、頭角を顕し
次第に重職へ就く様になる

    

キリスト教禁止令
武家諸法度
禁中並公家諸法度
諸宗寺院法度
など多くの法令制定に関与

   

そして
彼の名を世に知らしめたのは
方広寺鐘銘事件
「国家安康」
「君臣豊楽」

        

家康の名を切り
豊臣を君として子孫の殷昌を楽しむ

言いがかり
この事件にも
以心崇伝は関与したと云われている

    

金地院を巡ると
歴史の裏が見えた気分になれます

       





金地院の一番の見所は
鶴亀の庭

    

小堀遠州作庭の庭園

   

縁側に座し
じっくりと眺める鶴亀の庭
京都の美
堪能しました

        
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無鄰菴

2008年08月27日 | 京都散策
山縣有朋の別邸
無鄰菴を訪れました

秋の紅葉の時期以来の訪問
緑に包まれた庭園を見たくての訪問です

       

長州藩の藩士だった山縣有朋
彼が歴史の舞台に姿を現したのは安政5年の事

京都の実情を把握する為に
長州藩が派遣した6名の藩士の一人として
京都の地を踏む事になる

        

彼がそこで
何を見て、何を感じたのか?

   

文久3年
長州藩は、武士・庶民混成の部隊
奇兵隊を設立
奇兵隊へ参加した山縣有朋は
隊長の高杉晋作に見出され出世する事になる
高杉晋作が失脚すると
奇兵隊軍監に就任
長州征伐の前には四代目総管に就いている

       

長州征伐では、高杉晋作と共に活躍
幕府軍を全面降伏に至らしめている

      


明治時代になると
武官として陸軍元帥にまで上り詰め
政界へと転進すると
要職を歴任した後
明治22年には内閣総理大臣に就任
日本軍閥の祖となった

  

庭園は緑に覆われ
柔らかな木漏れ日が差し込む庭園内を散策すると
山縣有朋も見たであろう景色に感嘆できる

 

琵琶湖疏水から引き込んだ水は
庭園内でセセラギを作り
庭園美に一役買っている

        

緑豊かな庭園は
やがては秋の訪れと共に
紅の景色へと変貌を遂げる事だろう

山縣有朋の伝記を思い出し
歴史に触れながら
巡る庭園、楽しめました

     
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建仁寺2

2008年08月26日 | 京都散策
建仁寺は臨済宗建仁寺派の総本山

臨済宗は
唐の臨済義玄を宗祖とする宗派
中国禅興隆の頂点を極めた臨済義玄が教えの始まりとされる

     

看話禅を第一義としているところが
他の禅宗と異なる

看話禅とは
悟りを拓く為
課題として問題が与えられ
会話(問答)を通して、答えを導き出す
問答によって、研究・理解を深め
悟りに至ろうとする禅の事

  

ただ座禅するだけでは悟りに至らないとするのが臨済宗

鎌倉時代に日本に伝えられた臨済宗
栄西のもたらした教えで、日本における臨済宗は確立したと云われている

 

禅宗の教えは
日本では大きくは二つの勢力によって支持が分かれる

地方豪族や一般民衆に広まったのが曹洞宗
武家政権に広まったのが臨済宗

 





庭園を巡り
禅宗の一部に触れ

       

心穏やかに庭園を見つめれば
日常の雑多を忘れ
無我で時を過ごせる

       

祇園傍の喧騒の街にあって
喧騒とは無縁の境内には
きっと、訪れる人の心を和ませる
何かがある

       

訪れる度に、心の平穏を与えてくれる建仁寺

       

坐禅
してみようかな?

      
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建仁寺

2008年08月25日 | 京都散策
日本最古の禅寺
建仁寺


達磨がインドから中国に伝え
中国で宗教として成立した大乗仏教の一派

   

臨済宗は
中国禅宗五家の一つ
禅宗五家とは
臨済
潙仰
曹洞
雲門
法眼
以上の五つを指す

       

日本へと伝えられた禅宗は
全部で24派
その中でも
曹洞宗と臨済宗が有名

坐禅で修行

      


坐禅を修行の主体とする人たちを指し
禅宗と呼ぶようになったのは、中国・唐の時代末期頃から
達磨大師を始祖として
禅宗は発展を遂げることになる

       

人は
心の中に必ず仏性を持つという
その仏性を
坐禅と呼ぶ禅定の修行で引き出す
坐禅によって仏的真理に近づこうとする修行

      

修行の目的は
生滅の因縁を得る事
生滅の因縁が判ると
因縁を滅ぼす事が可能となり
六道を解脱できると云う
六道は苦の道
六道を離れる事によって涅槃に至れる

    

庭園を眺めただけでは
無我の境地に達する事はできませんが
潮音庭を眺めると
少しだけ解かった気分になれます

  

庭園の中央にある
三尊石
石の佇まいが坐禅する僧侶の姿に見えてきます

       

涅槃への道
庭園を見ながら見つけ出せる??

  


続きます
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建仁寺 両足院(半夏生2)

2008年08月24日 | 京都 特別公開
織田有楽斎が造作した茶室 如庵
如庵を模して造られたと云われているのが水月亭

残念ながら水月亭には入れませんが
隣に立つ臨池亭で抹茶を頂けます

       

茶席に座し
抹茶を待つ間
毛氈の向うに見える池泉回遊式庭園を眺めます

   

臨池亭は
茶道 藪内家五代 竹心紹智の作と伝えられています

灯篭がアクセントとなっている風景
茶室で頂く抹茶は格別でした

庭園に降り立ち
再び、半夏生の撮影を再開

     

この時
庭園には雪だるまのみ
庭園を独り占め

  

半夏生
半化粧
片白草
色々な呼び名がある

   

日本だけでなく中国にも半夏生はある
中国では
半夏生のことを三白草と呼んでいる

       

七十二候の半夏生
この日は日本では
毒気が降ると言い伝えられている
いっさいの野菜を食べず
竹節虫を生じる時だといって竹の子を食べないなどの俗習が残っている
風習は地方でさまざまに違い
関西ではこの日に蛸を食べ
讃岐では饂飩を食べ
福井県では焼き鯖を食べる
という風習がある

      

一方中国では
一枚が白化した時には小麦を食べ
二枚目が白化した時には梅や杏を食べ
三枚目が白化した時には黍を食べる
と云う

       

七十二候の中で
唯一
草の名を冠した半夏生

      

両足院の庭園で

   

半夏生を堪能しました

   
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建仁寺 両足院(半夏生)

2008年08月23日 | 京都 特別公開
半夏生
雑節の一つ

七十二候の一つ「半夏生」
現代暦で7月2日にあたる

      

別名をカタシログサ
漢字では、半夏生
別の当て字で、半化粧

花としては見るべきものが少ない半夏生
しかし
葉が一番の見所

 

上の三枚の葉だけが
白く変色する
それも葉、全部が白くなるのではなく
葉の裏は緑
この事から
半分だけ化粧した姿として、半化粧の異名も持つ

      

水辺に群生する草として
昔はあちらこちらで見れたのですが
開発が進み
今では、見かけることが少なくなった半夏生
今年の一般公開では
この、半夏生の時期に合わせての公開となりました

 

庭園の全てが緑で縁取られている

   

その中で
半夏生の白が
その、存在感を増す



飛石を伝いながら
撮影を続けていると
次の拝観者が入ってきました

     

そろそろお茶を頂く時間かなと
茶室 臨池亭へと向います
早朝の雨で濡れた露路
何処をどう撮っても絵になる庭園

   

橋を渡ると水月亭

       

  

庭園深部から振り返る本堂
池に逆さ映りする姿を眺め
感嘆

      


続く
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建仁寺 両足院2

2008年08月22日 | 京都 特別公開
両足院の二回目です


両足院は臨済宗の寺院
禅宗の庭園といえば、枯山水庭園
しかし、両足院には池泉式庭園もある


方丈前庭は枯山水
しかし方丈の裏手には池泉回遊式庭園
隣接する方丈東庭の一部には池も配されている

       

両足院の庭園は緑の庭園
花を配さず
緑で魅せる

      

方丈庭園への名残もありますが
両足院へと訪れた一番の目的はこの先

        

池泉回遊式庭園が一番の目的地なんです
方丈庭園と池泉回遊式庭園を隔てるのは木戸
その木戸の先が半夏生の群生地

      








まずは
池泉回遊式庭園の全景です

  

書院東側に広がる庭園
中央に池を配し
水月亭
臨池亭
といった茶室が配されています

池畔に沿って打たれた飛石が庭園の雰囲気を引き上げています

そして池畔に面して
群生しているのが半夏生

        

書院へと続く縁側を歩きながら
半夏生を観賞

書院では、庭園の解説をしてもらえます

   

赤い色を捨てた庭園
池の奥には石を配し
周囲を覆うのは笹
楓、花といった緑の色以外を配さず
夏の風景を見事に表現した庭園

  

拝観券で見れるのはここまで
庭園に下りるには
抹茶券が必要です
拝観料500円、抹茶券500円

当然、抹茶券も購入して
庭園に下りる事にします




続く
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建仁寺 両足院

2008年08月21日 | 京都 特別公開
建仁寺は日本初の禅寺
境内にはいくつもの塔頭が並んでいます
摩利支天堂を辞し
境内を歩きます

   

祇園に隣接する地でありながら
境内はひっそりとしていて
いつ訪れても、喧騒とは無縁

       

早朝まで降った雨で石畳が濡れ
静寂感を際立たせていました
三門を横目に見ながら境内東方向へ
目的地は両足院


臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です
通常は予約拝観しか受付ていない両足院
6月に一般公開をしていたので
訪れた訳です

        

開基は、龍山徳見禅師
創建当時は知足院と称していた寺院

       

場所も現在の位置ではなく
すぐ南、開山堂・護国院にあったそうです
その後の大火で焼失した後
再建された訳ですが
その時に、両足院と名を換え現在の位置に再建されました

      

両足院は、文学の寺
室町時代中期「五山文学」の寺として隆盛を極めます

        

その後
江戸時代になってからも、10世雲外東竺住職が
「碩学禄」を授与されています
「碩学禄」は学徳抜群の高僧に与えられる最高の名誉禄

    

両足院の庭園は四つありますが
最初が唐門前庭
白い砂と緑の木々のコントラストが美しい庭園

唐門をくぐると
そこから先が方丈前庭

        

石畳が美しい庭園

        

方丈では案内の方から
両足院の歴史が聞けます
時間はおよそ10分
椅子に腰掛け
歴史を耳にすると
庭園の素晴らしさが増したような気がします

       

庭園の所々に配されている松
絶妙な松の配置に感服

       

方丈の東側は通称、方丈東庭と呼ばれていますが
こちらの松も見事

   

方丈庭園を堪能しました

        
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摩利支天堂

2008年08月20日 | 京都散策
建仁寺塔頭のひとつ
禅居庵にある摩利支天堂を訪れました

    

ここは狛犬ではなく、狛いのしし

    

正慶2年
1333の創建と伝えられています
開祖は建仁寺第23世の清拙正澄

応仁の乱で荒廃し
再建されたのは1547年
現在の建物はその当時のもの

   

清拙自作と伝える摩利支尊天像が祀られています

摩利支天
陽炎を神格化した神

陽炎は実体がない
その為
捉えられない
焼けない
濡らせない
傷付かない

隠形の身であり
つねに日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされている

   

この事から
古来、武士の間で摩利支天が信仰されてきた

昨年の大河ドラマ「風林火山」でも
山本間助が摩利支天を信仰する姿が描かれている

       

先ほど
狛犬ではなく「狛いのしし」と書いたが
これは
摩利支天が
三面六臂または三面八臂で猪に乗る姿として描かれている為

    

摩利支天に護身を祈りました

        
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ゑびす神社

2008年08月19日 | 京都散策
随分前の事になってしまいますが
京都を訪れた時の記事を紹介します





ゑびす神社
日本三大ゑびすの一つ
建仁寺西隣にある、京都ゑびす神社を訪れました

    

建仁寺建立の折
鎮守として
建仁寺周辺の伽藍の中で
最初に建てられた神社

    

家運隆昌、商売繁盛
今ではお金の神様となっているようで
境内には財布塚もあります

        



鳥居には箕とゑびす様
箕の下の部分にはネットが付いていて
下から小銭を投げ上げ
ネットに入れるという賽銭があります

        

箕の下には熊手がありますが
熊手には入らないように
えいっ、と投げ上げた小銭が見事、箕に入りました

さて
その後に本殿へのお参り

       



ここゑびす神社ではもう一つ変わったお参りの仕方があります
本殿の左奥

        

壁越しにゑびす様をお参りするのですが
何故か、板を叩いてお参り

        

トントン
ゑびす様
お参りさせて頂きますね

    

初詣
十日ゑびす
などの時期には狭い境内に入りきらないほどの人が集まるゑびす神社

早朝だったので
雪だるまの他に参拝する人が居ない境内

       

お願い事を独り占め

       
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夜花輝以光

2008年08月18日 | 写真
再び花火の写真を割り込ませます
花火の三回目です





日本における花火の歴史はそれほど古いものではない
戦国時代に鉄砲が日本へ伝来し
それに伴い、火薬が伝来した事に始まる

     

尤も
伝来当時から昭和初期に至るまで
火薬とは呼ばず焔硝と呼ばれていた

当時の火薬は黒色火薬
原料の硝石は湿潤気候の日本には無く
硝石を輸入
火薬を製造していた

      

国内で自給の火薬はというと

      

        

これが少し汚い話で
汲み取り便所から取り出していた

糞尿に含まれるアンモニアに
亜硝酸細菌と硝酸細菌が作用
硝酸カリウムが蓄積
これを原料とすることで硝石を生産

厠から火薬
洒落の様な話

      

さて
本題を花火に戻して

       

当初は軍事目的として使用されていた火薬
江戸時代に入り軍事目的の利用が無くなり
花火を専門に扱う火薬屋が登場することになる

江戸を代表する火薬屋といえば
「鍵屋」と「玉屋」

      

鍵屋弥兵衛は奈良県吉野郡の出身
江戸に出てきた弥兵衛は玩具花火を売り出す
両国横山町に店を構え
「鍵屋」を創設する

一方の「玉屋」はというと
鍵屋の手代であった清吉が1810年に暖簾分けをしたもの

       

花火の時に「玉屋」と掛け声を上げるのは
この両老舗の屋号から

       

今日
玉屋と掛け声を上げる事は知っていても
あまり鍵屋とは言わない

何故に??

というと
どうも、両国で行われていた花火大会で
川上側で玉屋
川下側で鍵屋が花火を上げていたが
玉屋の花火の方が人気があり
「橋の上、玉や玉やの声ばかりなぜに鍵やといわぬ情けなし」
という唄も残っている

      

この両花火士の花火大会

終焉はあっけない

それは1843年の事
玉屋から失火が原因

店だけでなく半町ほどの町並みを焼くという大火事となってしまう
失火は重罪である上
将軍家慶の東照宮参拝出立の前夜であったことが災いし
厳しい処分となる

玉屋は財産没収
市兵衛は江戸お構い
僅か一代で家名断絶

      

       



鍵屋は太平洋戦争まで残ったのに
何故か、花火大会では今でも「玉屋」の掛け声
ちょっとした謎です

       





花火も次回が最終とします
続きはまた不定期で...
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今西家書院

2008年08月17日 | 奈良散策
奈良の旅
ラストは、なら町

ここには幾つかの寺院、名所や旧跡があります
その内のいくつかを訪れたのですが
今回の旅ではその内の一つ
今西家書院を紹介します

    

興福寺の坊官
福智院家の住宅

代々、福智院が世襲してきた居宅
大正13年に今西家が譲り受け
以後、今西家書院として一般公開されています

    

室町時代の建築とも
大乗院の御殿を移建したとも云われているが
真偽は不明
ただ江戸時代に改築されているのは確か

   

今西家書院では飲食を楽しむ事ができるようになっています
食事は要予約
喫茶は予約不要
蕎麦茶と葛切りを頂きました

   

縁側で眺める庭園
きちんと整備された庭園で
宗教色のない
美を追求した庭園がとても素晴らしい

   

見上げれば
天井も素晴らしい
柾目杉の網代編み
規則正しい網目模様の天井

        

飲食店も兼ねているので
随所に見る人を喜ばせる装飾があります

   

    


光のアートを楽しんだ後は
庭園を歩くも良し

   

腰掛けて見るも良し

      

楽しいひと時を味わいました

       
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