日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
明治36年開催の
第5回内国勧業博覧会
会場となった一帯
博覧会後は
日露戦争で陸軍軍事施設を経由して
東側一帯は天王寺公園となり
西側一帯が
大阪土地建物会社に払下げられる
大阪の新名所として
明治45年に
通天閣とルナパーのある新世界が誕生する
鉄材確保のため
第二次世界大戦中に解体された通天閣は
昭和31年に再建されるが
あいりん地区に隣接する新世界は
労働者の町となり
昭和36年
釜ヶ崎暴動の後荒廃
街頭には娼婦が立ち
そこかしこに路上生活者が座り込み
家族連れの往来は皆無となり
昼間でも歩き辛い町と成り果てた
やがて
昭和の名残を残す町を愛しむように
小説・映画・漫画などで紹介されるようになると
テレビや雑誌で街が紹介される機会が増え
今日では
外国人観光客が大挙して押し寄せる
有数の観光地となった
前回は見学した大道芸の方々の写真
今回は
半分没ネタの写真を集めてみた
大須大道町人祭
2015年で38回を数える
伝統行事となっている
始まったのは昭和53年
開催当初は
ジャグラーやパントマイムをする芸人が少なく
現在とは違って
多少おどろおどろしいものだったらしい
その後
大道芸も
精錬され
パフォーマーの数も増え
今年も楽しませてもらった
今年も
繁華街にステージが出来た
大道芸の祭典
名古屋大須の商店街一帯に
15の会場が設置され
今年は39組のパフォーマーが
ステージを飾った
開催会場の位置と
スケジュール表とを睨めながら
見たいパフォーマーを探して
商店街を行ったり来たり
途中で不思議な芸にも出会う
大道芸は見学者も参加する
多くの芸で
前列に座る人たちが
ショーに参加することもあり
それを楽しみに
最前列に座る人も居る
今年は10組ほどの芸を堪能
また会えたパフォーマーも居て
楽しい時間を共有できた
伊勢のレトロ商店街
最後に紹介するのは
河崎商店街
伊勢駅と宇治山田駅の間の
県道201号線を
踏み切りを渡って北上すること
約300m
どんな需資があって
ここに商店街が形成されたのか
想像が難しい
商店街の東側には
五十鈴川に沿って
陸運で賑わった河崎の街道があるが
微妙な距離感がある
かつては
もう少し規模が大きかったであろう商店街も
一部建物が取り壊され
50mほどが残っているのみ
紹介した3つの商店街のなかで
最初に消滅するとしたら此処だろう
懐かしい風景を味わいたかったら
ここがお勧めである
伊勢市のレトロ繁華街
第二弾
次は近鉄宇治山田駅の正面
伊勢市観光文化会館の建物の
周囲を囲うように
この商店街はある
規模はそこそこあり
延べ300mはあるだろう
ほぼシャッター街だが
時折営業中の店舗もあり
曲がりくねった路地と併せて
散策を楽しめる
昭和のダンジョン
明倫商店街とは違うが
宇治山田駅のすぐ南には
駅ビルのショッピングセンターがある
といってもほぼ空テナントばかりの
シャッター街だが
伊勢を代表するB級グルメの店
まんぷく食堂は賑わっていた
唐揚げ丼がお勧めだとか
伊勢駅周辺には3つのレトロな商店街が残っている
それをシリーズで紹介
まずは伊勢駅前商店街
JR伊勢市駅の改札から真南
世木神社の正面に
ほんの30mほどの商店街が見えてくる
バラックのような建物が両脇に建ち
間の空間に屋根がある
商店街というよりも
そう表現したくなる
一本西には
伊勢神宮外宮へと続く
煌びやかな参道がある
その脇にひっそりと
昭和の風景を残す
宇治橋から五十鈴川に沿って
石畳の参道が続く
通りの左右には
様々な店が軒を連ね
詣でる人を労う
距離は約800m
切妻・入母屋・妻入の木造建築
景観は見事で
へーベルハウスが点在してしまった
どこぞの宿場町よりはらしい風景が広がっている
参拝の後は
おはらい町を
歩くのが定番
皇大神宮
祭神は
天照坐皇大御神
光華明彩しく
六合の内に
照り徹らせり
2000千年の昔より
五十鈴川の畔に鎮座
正宮
別宮
摂社
末社
所管社
全てで125の宮社
その中心へ
5500haの敷地は
すべて神域
夏の特別公開を
今更ながらに紹介
青物問屋を営んでいた旧家
屋号は「よろずや」
江戸末期の築で
京町家の特徴を残す
有形文化財である
近年修復が行われ
屋敷内は
どこか真新しい雰囲気を残す
二階では
刀剣展示もあった
おくどさんのある土間が
町家らしい雰囲気が残されていた
元は白鳥貯木場の跡地
埋め立てて造った
壮大な庭園
世界デザイン博覧会のパビリオン
渓谷を造り
流れ出した河を
木曽川に見立て
湾を造りだす
回遊式日本庭園
都市公園内の庭園としては東海地方随一
久しぶりに訪れてみて
東海道五十三次
東海道における
唯一の海上路
宮宿から
桑名宿まで
およそ4時間の船旅
7里の行程
天候の悪化などで
しばしば海難事故が発生した
難所の一つ
あまり知られていないが
ここには脇往還があった
佐屋街道とよばれ
宮宿から佐屋宿まで陸路で六里
桑名宿までは川船による三里の渡し
当時の旅人の往来を
脳裏で想像しながら
堪能
五七桐竹紋
古くは伊勢湾に突出した岬上
立地は変わらねど
干拓が進むと内陸となった
草薙剣を祀る
熱田の森に囲まれ
伊勢神宮に次いで
権威ある社とされた
ふらりと迷い込み
参拝
朝の熱田は
ひっそりとしている