雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

瓜割の滝

2007年05月31日 | 福井散策
瓜割の滝は昭和60年環境省が選んだ「全国名水百選」の一つ
1年を通して水量・水温が変わらないそうです

夏は瓜が割れるほどに冷たいことから「瓜割」という名前になったとのこと

天徳寺から先へ進むと、馬頭観世音への参道がみえます
新緑に彩られた参道はとても美しく見えました

    

お堂は修繕中でした

    

この先長い階段を登ると八十八の石仏があります

        

でも、足首を痛めていたため階段を登るのは断念
緑の広場を抜けて、瓜割の滝の方へ向いました
八十八石仏はまた後日

    

平野では霧島ツツジは身頃を終えた時期でしたが、ここではまだ開花始めといった状態でした
きっと満開の頃はステキでしょう

再び、天徳寺から瓜割の滝へと向う道に戻ってきました
滝から流れ出た水がセセラギとなっています
そこへうちのワンコが...
撮影している隙をついて、飛び込んでいました

    

お前も水が飲みたかったんだね
でも、そこは駄目だよ!


いよいよここからが瓜割の滝ゾーンです

        

そういえば周辺の空気もヒンヤリとしてきました
夏でも冷たい水が湧き出す
冷気が辺りの森を包んでいました

        


瓜割の滝の園内へ到着です

    

駐車場からここまでおよそ300メートル
道は整備されていて気軽に歩くことが出来ます
園内にはあずまやもあり、休憩も出来る様になっていました

        

続く...
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瓜割の滝(天徳寺)

2007年05月30日 | 福井散策
国道303号線
滋賀県のマキノから福井県の小浜に抜ける国道で、あと少しで小浜という場所から宝匡山北麓に入ると瓜割の滝があります

瓜割の滝は天徳寺の境内にある名水

という事で、まずは天徳寺から拝観しました

天徳寺は高野山真言宗のお寺
白山信仰を開き越の大徳と呼ばれた泰澄大師が開祖
馬頭観世音像を刻み、宝匡山中腹の岩屋に安置したのが始まりだそうです

    

拝観は自由
「お気軽にお立ち寄りください」となっていて拝観料も不要でした

寺院はかつては隆盛していたそうで、村上天皇の在位時には勅願寺となり寺領が寄進されたほどだったそうです

江戸時代初期の作庭はかつて隆盛ぶりをうかがわせる作りでした

    


    

梅雨の時期を迎えたら、苔も緑色濃くなりもっと素晴らしい景観となるでしょう




本尊として馬頭観世音菩薩が祭られています
本堂とは呼ばず持仏堂と呼ばれているお堂も拝観自由でした

    

お参りの後、ちょっと京都の庭園を撮る時の様に撮影してみました

    

天徳寺の拝観を終え、いよいよ本命の瓜割の滝へと向いました

        
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若狭鯖街道 熊川宿

2007年05月29日 | 福井散策
熊川宿を訪れました

古い時代、若狭は朝延に食料を献上する御食国でした
日本海で魚や貝が遠路はるばる京都へ運ばれた街道です
「京は遠くても十八里」
その後、18世紀後半から大量の鯖が若狭から京へと運ばれるようになり、若狭街道が、鯖の道・鯖街道と呼ばれるようになったそうです

熊川宿の東のはずれに道の駅があるので、そこに駐車して熊川宿まで歩きます

    

ほのぼのとした宿でした
昔の面影と、昭和の香りと、現在の生活感が混在した街道
そんな印象を受けました

観光バスが着くことも時々ある程度
といった感じの観光地です

    

熊川宿の宿場町としての歴史は戦国時代に遡ります

1587年秋、若狭の領主となった浅野長政が熊川宿を整備します
藩主となった翌年、国境の熊川の地を検分
ここが大切な要害の場所であることを認め整備を始めることになったのです

        


街道宿としては、あまり観光地擦れしていない熊川宿

    

中山道に代表される街道の保存は難しい
生活環境が激変し、車社会となって、社会インフラの整備も必要で...
景観維持の難しさを感じます

    

中条橋から眺めると、鯉幟が泳いでいました

街並みの中で時々土塀の建物があります
モノクロ撮影でノスタルジックを表現したつもりです

    

熊川宿の宿場資料館はまるで学校の様な造りです
もしかしたら廃校の校舎を利用しているのでしょうか?

        

実はこの建物は元熊川村役場
役場としてはモダンな建物だったのでしょう
和洋折衷の頃の建築でしょう

街道と用水はセットみたいなもの

        

でも、生活用水としてももちろん使われています

        

これは、里芋の皮むき
見られなくなった景色ですよね
こういった昔の人の知恵を生かす機会があればいいなと思います
古いものは悪いもの
という概念はどこか間違っているのではないでしょうか

捨てられる物と捨ててはいけない物
時代の流れが速すぎて選別が間に合わない時代に生きている
実感します

街道沿いにも家主を失って捨てられた家屋があります

    

そんな忘れ去られた物を探してみたいと思います
こんな路地裏に入り込んだら、きっと何か見つかるはず

        

思いを馳せながらの散策でした

    
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曼荼羅寺公園

2007年05月28日 | 愛知散策
藤を撮り続けて気が付いたら100枚を超えていました

     

三脚を仕舞い手撮り撮影に切替
今まで撮っていない方法での撮影に挑戦しました
それは、ノーファインダー撮影
オートフォーカスにして、ファインダーを覗かずに藤の真下から

        

適当に撮ってみるとこれが意外にも面白い写真が撮れるのでつい夢中になってしまいました

        

ここら辺かな?
適当にカメラの向きを調節してパシャ

    

失敗もありましたが、これが面白い

    

光線の入り方が違うので、同じ場所での撮影でも違った印象の写真になります

        


        


        

藤じゃないような写真も撮れました

        


8時過ぎにもう開店した屋台があったので、そこで朝食がわりにヤキソバと田楽を食べ、混みだす前にと早々に切り上げることにしました


    


    


    
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曼荼羅寺の藤(縦撮)

2007年05月27日 | 愛知散策
曼荼羅寺公園内での撮影を続けていると、周りにも数人のカメラマンが撮影を始めていました
三脚を抱えて皆さんも歩き回っています
雪だるまも重い三脚を抱えて歩き回ります

        

八重黒龍藤も満開
雪だるまお気に入りの藤です
ただ、尺が短く黒っぽいので撮影には不向きかな?

晴天と白カピタン
絵になります

        

藤を撮るとどうしても縦撮になります
見上げての撮影となるのと、花全体を撮ろうとするとどうしても縦撮
帰ってからのパソコン処理で回転処理ばっかりすることになります

        


        


        

昨年も晴れ、今年も晴れ
感謝・感謝

        

次回最終章
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曼荼羅寺

2007年05月26日 | 愛知散策
曼荼羅寺に行きました
藤で有名な場所
普段は人気の少ない寺ですが、藤の時期は祭りもあり大変な盛況ぶりです

正式名称は、日輪山曼陀羅寺
西山浄土宗に属する寺院で通称「飛保の曼陀羅寺」

早朝に行くことにしました
現地に6時ごろ
まだ、駐車場の係員も来ていない時間に到着

参道から寺院に入ります

     

寺の敷地は1,300坪
檜皮葺の正堂を中心に庫裏、大書院、小書院、曼陀羅堂、地蔵堂、鐘楼、宝蔵、続いて中門、南門(矢来門)と見る場所はいっぱいあるのですが、本日の目的は「藤」
寺院は無視して藤棚に向いました

        

曼荼羅寺の藤棚を見て、まずはびっくり
昨年と藤棚の様相が変わっていました
正堂に近い方の藤棚
昨年はカピタンの棚でしたが、今年はその棚を全て排除し大掛かりな藤棚に変わっていました
もちろん藤の方は新しく植樹されたばかりなので、棚の三分の一も延びていません
解説によると、三年後を目標に育成中との事

まずは、ステージのある方の棚
九尺藤から撮影しました

        

ほぼ満開
九尺藤は一番先まで花が咲く少し前の状態です

    

野田一歳も満開でした

     

日差しを受ける藤を探しては撮影

        

新緑とのコラボを楽しみました

     

続く...
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泉涌寺 雲龍院

2007年05月25日 | 京都散策
泉涌寺の塔頭に雲龍院があります

応安5年というから南北朝時代
北朝方の後光厳上皇によって創建された別院です
本尊は薬師如来

    

創建当時の建物は応仁の乱で焼失
文亀元年に御所の黒戸御殿を移築して再建されたが地震で倒壊
後柏原天皇より後土御門天皇使用の御殿の寄進をうけ、本堂として再建
その後、後水尾上皇の援助のもとに黒戸御殿をはじめ諸堂が再建

波乱な歴史を持つ寺院です

        

拝観料は200円
ひっそりと佇む寺院に参りました
拝観者は他になし
独り占めです

        

客殿で庭園を堪能しました

    

日差しを受け新緑が眩しいくらいでした

     

額縁の様にして撮影
京都の庭園を撮る手法としては古典的かもしれませんが、お気に入りの撮影方法
後の毛氈に正座し、庭園を楽しみました

    

ツユの時期を迎えるとこの庭園の苔も色づき、きっと素晴らしい配色となるでしょう

    

京都の寺院めぐり
名所として知られていない寺院で、名所に負けない庭園を見ることが出来るので穴場拝観は止めれません



この客殿には面白い掛軸があります
これです

        

さあ、なんて書いてあるか解りますか?
答えは、是非雲龍寺に参って自分で見つけてください
客殿にある「雲龍院案内書」に書いてあります
ヒントを少しだけ
「稚児の酒......」


雲龍院では、お抹茶も頂けます(別料金)
お抹茶を頂きながら、歴史に思いを馳せるにはいい場所です

            
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泉涌寺

2007年05月24日 | 京都散策
泉涌寺は真言宗泉涌寺派総本山の寺院
仁和寺、大覚寺と同じく皇室ゆかりの寺院として知られています
何故か、草創の時期や事情についてはあまり解っていない寺院なのです

有力な説として、左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山として草創したというのがあります
その説によると当初は法輪寺と称し、後に仙遊寺と改めたということになっています

もう一つの有力説として、空海が開創者というのもあります
空海が天長年間に草創した法輪寺が起源というもので、斉衡2年に藤原緒嗣によって再興され、仙遊寺と改めたとするものです

何れにせよ、はっきりとした遡明資料がなく今日でもどちらが正しいか判らないのが本当の所

JRポスターでも取り上げられている寺院
秋の季節意外に訪れたのは初めてのこと
参道を登るのが辛いので、車で一気に駐車場まで上がりました

    

山門の目の前が駐車場というグットな場所です
山門で拝観料を支払うのですが、何故か受付の方がいない...
どうしようかと悩んでいると、なんと受付の方が後から
駐車場の清掃をしていたのですね
よかった、勝手に入らなくて

山門をくぐると、真正面に仏殿が見えてきます

    




仙遊寺と称せられていたこの寺院が現在の泉涌寺となったのはこの写真の湧き水

     

宇都宮信房が、荒廃していた仙遊寺を俊芿に寄進
俊芿は多くの人々の寄付を得てこの地に大伽藍を造営し、霊泉が湧いたので寺号を泉涌寺としたとの事



泉涌寺は皇室とも縁深い寺院
中世以来歴代天皇御陵の地
また歴代、この泉涌寺を訪れた皇室の方々が使用した建物が御座所

    

安政年間に建立され、明治天皇が使用していた旧御所の御里御殿を1884年に移築したものです

天皇・皇后御参拝のとき御休所として利用されている建物です

        

庭は枯山水庭園

    

華やかではなく、実直さを感じさせる庭園でした
濡場の水受も実直で装飾なし

    


最後にJRポスターと同じ位置から泉涌寺を撮影してみました

    
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渉成園2

2007年05月23日 | 京都散策
渉成園での撮影はいつも印月池が中心となってしまいます
不思議とここを訪れる事にした日は晴ればかり
今回も日差しが眩しいほどの日和でした

        

写真だけを見ていると真夏の様ですが、まだ季節は春
でも、落葉樹の葉っぱも出揃い、夏本番までもう少しという所まで来ていました

    

季節の移りは早いものです
木々も時間の流れに乗っていっています
ふと、足元を見ると倒れた楓の幹ムロに新しい楓の新芽が出てきていました
ああ、こうやって滅びと再生を繰り返していくのか...
死は生に、生は死に
この世は輪廻

     





ようやく回棹廊の袂まで到着
しゃがんで全景を撮影

    

この渉成園、大変素晴らしいのですが... 撮影には一つだけ問題があります
それは渉成園の立地にも問題があるのでしょうが
素晴らしい池泉回遊式庭園なのですが、背景に無機質な建物が入ってしまいます
場所によってはラブホテルの看板も...

自ずと撮影場所とアングルが限られてしまうのです
今回の撮影でも、木々で隠してみたり露出を変えて背景と共に飛ばしてみたりと大変です
    
    





縮遠亭を撮影

        

五松塢の高所に建つ茶室です




印月池の周辺にある芝生に来ると、鴨の行列が...

     

三羽が一列になって池に向って歩いていました
とっても和やかな風景を堪能しました

漱枕居は印月池の一番奥にある建物
丸太柱で軽快な入母屋造柿葺屋根

その美しさに思わず進入禁止の柵を乗り越えて撮影してしまいました

        
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渉成園

2007年05月22日 | 京都散策
渉成園は、真宗大谷派の本山(真宗本廟)の飛地境内地

見学料は500円以上
庭園施設の維持・保全のための協力寄付金です
簡単な入場チケットではなく、立派なパンフレットを貰えますよ

渉成園は枳殻を生垣に用いたことから、枳殻邸とも呼ばれていたそうです

渉成園の駐車場に車を停めて見学開始

     

滴翠軒から見学開始です
寄棟造桟瓦葺の建物

    

二方にある濡縁で食事などできたらいいでしょうね
ちょっとした納涼床でしょう

    

1858年と1864年の二度の火災によって諸殿は全て類焼
現在の建物は、1865年から明治期にかけて復元されたものです

この渉成園での一番のお気に入りは印月池と回棹廊
独特の雰囲気を持つこの廊は、どことなく中国様式を加えているようで異文化の香りが漂っているようです

    

回棹廊は桧皮葺切妻造唐破風屋根
左右に低い高欄付した廊橋です

        

特徴は中央を一段高くして、少し東西に張り出して床が設けられていること
川面と回棹廊がいい絵になります

    

平安神宮の泰平閣をミニチュアにした感じでしょうか?
新緑と紅葉の季節には映えますよ

    

        

印月池に架かる侵雪橋とバックの京都タワー
そう言えば京都タワーに登ったのは何時のことだったか?

        
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松尾大社

2007年05月21日 | 京都散策
京都最古の神社、松尾大社にお参り

松尾山の神霊を祀って、生活守護神としたのが起源といわれる松尾大社
五世紀に朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎいだのが始まりで、文武天皇の時代に社殿が創建されました

駐車場に車を停めた時は土砂降りの雨
暫く車で転寝していたら、青空がのぞき始めました

カメラ片手に拝観開始です

     

この松尾大社
大社の他に、山吹の群生でも知られている場所です

この山吹を撮ろうと訪れた訳です

境内に入るとすぐに小川が流れています
このセセラギの左右に山吹が咲き誇っていました

    

参道に架かる石橋に立って左右を撮影

        

この小川には水車があります
どう見ても使われているようには見えないのですが、撮影にはいいアクセントとなっています

    

五月雨の後の強い日差しを受けて山吹が輝いていました

        

松尾大社には結婚式場もあり、廊下がこのセセラギを渡っています
木造の欄干ごしに見る山吹がここの醍醐味

    


        


    

紋付袴で式場へ向う人の列を避けながらの撮影でした
邪魔してごめんなさい

    



最後に大社を拝観
(残念ながら撮影は禁止)
堪能させていただきました

    
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善峯寺

2007年05月20日 | 京都散策
西国33所観音霊場の第20番札所
善峯寺へ行きました

善峯寺は京都観光の中で、訪れるのが難しい場所の一つです
バスは本数が極端に少ないし、タクシーなら30分程度かかるので料金が...
マイカーだと、すれ違うのも難しい田舎道を5キロ程度も走ることになります

第2駐車場からだと、歩くのも大変な急坂を10分程度歩くことになるので、体力に自信がないとちょっとという山寺です

訪れた時は観光時期を外れていた為、第1駐車場に車を停めることができました

第1駐車場からは楽に善峯寺へたどり着くことが出来ます

        

山門は山寺ならではの造り
余分な装飾もなく、実直さを感じさせてくれます
そこから真直ぐ進むと観音堂へと至ります
振り返ると、春の陽気に芽吹いた新緑が織成す光景が楽しめます

        

観音堂に到着

    

観光シーズンでは無いのに、多くの方が参拝してみえました
西国観音霊場ならではでしょうか?

この善峯寺、平安時代末の長元2年に、比叡山の源算上人がこの地に小堂を建てたのが始まり
その後、後一条天皇から「良峯寺」の寺名を賜ります
後鳥羽天皇から「善峯寺」と改めた自筆の寺額を賜ったことから今日では善峯寺と呼ばれるようになったそうです

残念ながら、創建当時の建物は応仁の乱で焼失
現在の建物は桂昌院の寄贈によるものなので、江戸時代中期の建造物ということになります

拝観順路は懇切丁寧な看板が順路番号入りで配置されており、番号順に見学すれば効率的に周れるようになっています

        

多宝塔の前には遊龍の松があります
桂昌院お手植えの五葉松で樹齢推定600年
天然記念物に指定されている松です

    

40メートルの長さがある松でとても全景をカメラに収めることが出来ませんでした

この善峯寺で一番知られているが、幸福地蔵の張出

        

紫陽花の時期には見上げる構図で知られていますよね
下から見上げるとこうなります

    



桂昌院と言えばお犬公方と称された五代将軍綱吉の母
桂昌院は京都・堀川の生まれ
幼い頃両親に連れられて、何度か善峯寺にお参りをしているようで、これが縁となり善峯寺の再建に力を注いだようです

        

この善峯寺には桂昌院の廟があります


釈迦堂を越えると、急な坂道となります

        

奥の院薬師堂まで続く急坂を喘いで登ります
どうやら体力不足のようです

ようやく奥の院まで到着

    

急坂を登ってきた雪だるまに仏様がご褒美をくれました
名残りを残すしだれ桜でした

       

境内には楓の巨木が
こんな大きな楓は見たことが無かったので思わず撮ってしまいました

        

帰り道にシャガと山吹のコラボを発見

        




余談ですが、善峯寺に至る道には春の時期、筍が路地売りされています
3個程度で500円
お土産に丁度いい値段
雪だるまは欲張って9個分も購入してしまいました
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平等院鳳凰堂

2007年05月19日 | 京都散策
宇治の平等院

平等院の歴史は古く、嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て、関白藤原道長の別荘「宇治殿」となり
その子の関白藤原頼通が宇治殿を寺に改めたのが始まりです

10円硬貨のデザインともなっている寺で有名ですよね

平等院といえば鳳凰堂
鳳凰堂を中心に撮影しました

     

鳳凰堂を美しく撮るには手前の阿字池が波立っていないことが条件
でも、訪れた時は僅かに波立っていて天候も曇りがち

仕方がないので、手前に霧島ツツジを入れて撮影しました

     

鳳凰堂は、1053年の建立
堂内には藤原時代の仏師定朝の作とされる国宝・阿弥陀如来像が安置され、壁には51体の国宝・雲中供養菩薩像が舞っています
拝観料の他に300円のチケットを購入すれば鳳凰堂の拝観ができます

     

撮影したときは未だ鳳凰堂の拝観時間になっていなかったのでぎりぎりで人のいない鳳凰堂を撮影することができました

        






この平等院は藤棚でも有名
九尺藤の棚があります

こちらも残念ながら満開ではなく、ちょっと寂しい感じになってしまいました

     



鳳凰堂の正式名称は阿弥陀堂
創建当時は鮮やかな朱色で飾られていたそうで、創建当時を想像しながら拝観しました

        

平等院は極楽浄土を想像して創られたそうで、平安貴族の憧れの場所だったようです
今は鳳凰堂もモノクロになり、当時の景観とは違ったものになってしまっています

平等院には、鳳凰堂以外にも法華堂、多宝塔、五大堂、不動堂が建ち並んでいたそうです

しかしその後の度重なる災害により上記の堂塔は廃絶
鳳凰堂のみが奇跡的に災害をまぬがれたそうです

     

市中から少し離れているので、中々訪れる機会がなく久しぶりの拝観となりました
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三室戸寺

2007年05月18日 | 京都散策
明星山麓に位置する西国観音霊場十番
三室戸寺へ出掛けました

光仁天皇の勅願により創建

        

ツツジと紫陽花で有名なお寺です

20,000株の平戸ツツジ、霧島ツツジ、久留米ツツジが5月に
30種・10,000株の西洋アジサイ、額あじさい、柏葉アジサイ、幻の紫陽花・七段花が6月に

その規模は関西屈指

訪れたのは、ツツジが目当て
ところが大誤算
まだ、ツツジには早かったのです

     

ちょっとガッカリ

気を取り直して、寺院の拝観をすることにしました

本堂に向う石段には「ようおまいり」の石碑があります
「おまいりさせていただきます」
と声をかけて石段を登りました

本堂前には蓮園もあり、花の寺と言っても過言ではないでしょう

       

堂は約180年前に建立
重層入母屋造りの重厚な建築です
また、東には鐘楼・三重塔があります

        

三重塔に向う途中にシャガの群生を発見

     

白い花って撮りにくい...


     

     



せっかくだから、ツツジ園にも行ってみました
日当たりのいい場所のツツジで三分咲の状態

     

まだまだです
用水路沿いのツツジはある程度咲いてはいたのですが...

        

再チャレンジを誓い三室戸寺を後にしました

          
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八条ヶ池と霧島ツツジ

2007年05月17日 | 京都散策
    

中堤の中央より少しずれた位置に石橋があります
中堤は名前の通り、堤なので左右に分かれた池を水路でつないでいます
その水路に石橋が設けられているのです

アクセントがあるので撮影には最適
他のカメラマンのシャッターチャンスを邪魔しないように撮影しました

        

日差しも強くなり、絞っても(F16)シャッタスピードが1/100を維持出来るようになって被写界震度もバッチリです

    



八条ヶ池には立派な水上橋が廻らされています
そこから見る霧島ツツジも撮ろう
堤から移動しての撮影もしました

        

ところがこの撮影が思ったよりも大変でした

堤を歩く人を入れないように撮影するのが大変
特に、携帯カメラで撮影する人がいると...
雪だるまは携帯カメラでの撮影をしたことがないのでよく解らないですが、そんなに時間がかかるものなのでしょうか?
オジサンが5分以上動かず、携帯片手に何度も撮影していました
ようやく動いてくれたら、他の携帯族が......

諦めずに粘って、ようやく撮影タイム

        


    


    


早起きしてきた甲斐がありました
来年も撮りに来るぞ!
気合十分で撤収することにしました

    

霧島ツツジさん、今年も素晴らしい景色をありがとう

    
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