雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

生駒聖天通

2013年09月24日 | 商店街 市場
生駒ケーブル
宝山寺駅を下車して徒歩すぐ



生駒聖天通りの風景が広がる
頭上には
「観光生駒」の看板
生駒観光ではなく
観光生駒なのは謎



ゲートを超えると
石段の風景が出迎えてくれる



階段に沿って
何件もの料理旅館の看板が並ぶ



言わずと知れた
大阪の奥座敷
料理旅館なのに
門前には18歳未満入場禁止の文字と
風俗営業許可書の看板



生駒の宝山寺門前町は花街でもあった



観光土産店
飲食店
雑貨店と
一応商店街らしい風景もある



石段は駅前から続き
ここまで徒歩で来るとしたら
それだけでかなりの労力を強いられる



山上の別世界へと
石段は続く



次回は
宝山寺を紹介

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生駒ケーブルカー

2013年09月20日 | 奈良散策
近鉄「生駒駅」の南西側に
ケーブルカーの起点駅がある



正式には
生駒鋼索線と呼ばれているが
古くから生駒ケーブルの名で親しまれている区間



ケーブルカーというと
観光用交通手段を連想するが
こちら生駒ケーブルは
通勤通学にも利用されている



また、ケーブル路線区間には



踏切が三か所あり
どことなく
違和感を感じるのも
生駒ケーブルの魅力なのかもしれない



乗車したのは
宝山寺線の
鳥居前駅から宝山寺駅までの区間
約900m



かなりの急こう配を
猫と犬の外観をしたケーブルカーが上下



日本最古のケーブル路線区画



出口改札が無人で
乗車券を木製のポスト投函する仕様になっていたのは
少し笑えた真実

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司馬遼太郎記念館

2013年09月18日 | 大阪散策
東大阪市
河内小坂の下町の一角に



昭和の時代を駆け抜けた
偉大な小説家の居宅があった



司馬遼太郎



歴史小説を得意とした小説家で
彼の作品は何度も大河ドラマの原作として使われたことから
知らぬ人は居ない作品が数々



「竜馬がゆく」
「国盗り物語」
「坂の上の雲」
「功名が辻」
等々



晩年
ライフワークともなっていた
「街道をゆく」
などを執筆した自宅がこちら



敷地には
記念財団が設立した記念館が併設



記念館内には
地下一階から地上二階までの高さのある本棚があり
司馬遼太郎の蔵書の凄まじさを物語ってくれる





ひとり
覆い尽くさんばかりの蔵書に囲まれ
蔵書から聞こえてくる声に耳を傾け
偉大な作品の数々を生み出したのだろう
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鴻池商店街

2013年09月16日 | 大阪散策
東大阪市の鴻池には
歴史の襞に埋もれた木造商店街が存在する



もちろん
現在営業している店舗は一つもない



建物と建物の間の空間を
木造の屋根で覆い
商店街としている



JR片町線鴻池駅
駅から真北へおよそ50mくらい
住宅街の片隅に
南北30m程度の商店街の遺構が姿を現す



商店街の通路の幅はおよそ2m程度
商店は最盛期には10店ほどが出店していたであろうか



今では
当時の面影は偲ぶだけ



V字型の
トタンの屋根は
所々が半透明なプラスチック素材を使用しており
適度な光量が得られているが



夕闇せまる時間帯などは
一抹の寂しさも感じるだろう



何れは
再開発などで取り壊される運命にあるのだろうが



こういう風景は
何時までも残っていてほしいと
願わずには居られない

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鴻池新田会所

2013年09月13日 | 大阪散策
この辺り一帯は
鴻池善右衛門宗利という
大阪の豪商によって開墾された土地だった



宝永元年に行われた河川工事で
周囲の川の水位が下がり
新開池という大きな池の周辺二百町歩あまりの土地の
開発権を鴻池善右衛門が譲り受けての
新田開発であったと云われている



開墾当初は1700石ほどの石高で
会所からみて北東の地域に入植したという



新田にある
田畑
水路
道路等の
維持管理を目的として



この建物が建てられたのは
宝永4年のことであったと記されている



会所の周囲には水路跡も残されている



都会の中にあり
これだけの面積を持つ会所が



今日まで残されていることに驚かされる



本屋
屋敷蔵
文書蔵
米蔵
道具蔵




当時の建物がそのまま残されており
在りし日の風景が見えてくるようである

























余談であるが
映画、るろうに剣心のロケ地なんだそうで
一枚目の写真の位置で
検察から解放された剣心を
雨の中、ヒロインのかおるが傘片手に待つシーンを撮影したそうだ

この記事を書いていて
偶然知った次第
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旧西尾家住宅2

2013年09月11日 | 大阪散策
西尾家住宅の2回目



和館と洋風屋敷とは
庭園で区切られている
庭園はおよそ300坪
所々に配される石灯籠と
全体的に西方向へ下る傾斜が特徴の庭園



庭園内には
防火池があるが
かつては周囲住民のために
プールとしても解放されていたらしい



戦災で光ると空襲の標的になると
取り壊された
温室の基礎部分の隣には内装洋風
外装和風の屋敷が建つ



屋敷の一部には洋風棟があり



当時の風景を偲んで
ビリヤード台も置かれている



ソファーも配され



当時の社交界の会話が聞こえてきそうな
そんな空間に身を置いて風景を眺めた



旧西尾家住宅
撮影したい場合は
見学終了後、その旨を伝えると
「撮影中」の腕章を貸出してくれる

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旧西尾家住宅

2013年09月09日 | 大阪散策
旧西尾家住宅は
JR吹田駅から徒歩約10分程度歩いた先



住宅街の一角にある



屋敷敷地の西側が低地であること
現在は吹田市内本町という地名であるが



かつては都呂州町と呼ばれていた事などから
ここが船着場であったろうと想像できる



入場無料のこの屋敷
入館者記帳台で住所氏名を記載すれば



ボランティアの方同伴で屋敷内を案内してくれる
所要時間は約1時間程度



明治期に建てられた母屋



この地域では
市役所に先立って配電設備を設置したとか



建物は母屋のほか



昭和期に建築されたという
洋館風建築物もある
次回はそちらを紹介
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加賀屋新田会所

2013年09月07日 | 大阪散策
新田会所という言葉がある



新たに開墾された田んぼを
管理するために建てられた建物のことを指し



開墾した当時の豪農の
優雅な暮らしぶりが垣間見える風景が広がっている



こちら加賀屋新田会所は
大阪住吉公園の南西約1kmの位置に建ち



約300年前
大和川の治水工事で
大阪湾へ真っすぐ流れるようになったことで
河口に上流から運ばれてきた土砂が堆積した
土地を開墾したもの



宝歴4年というから
江戸時代中期のころ
加賀屋甚兵衛が
居宅兼会所屋敷として
建てた建物が今日まで残されている



こちら
入場料は無料
受付で署名すれば入場できる



屋敷以外に
広大な池泉回遊式庭園も残されており



訪れるものの目を引く会所であろう

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浜寺公園駅へ

2013年09月04日 | 大阪散策
浜寺公園駅へ



南海本線沿いの駅なのだから
最初から素直に南海電鉄で行けばいいものを



わざわざ
阪堺電軌鉄道に揺られて
浜寺まで



阪堺電軌阪堺線の終着駅
浜寺駅前に降り立つと



東方向へ約100mの位置に見えてくる浜寺公園駅



辰野金吾設計のこの駅舎



建築されてから1世紀を超える
私鉄駅最古の駅舎として有名



第1回近畿の駅百選選定駅に選ばれた
堂々とした風格を持つ駅舎



構内もレトロだった

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新荒川ビル

2013年09月02日 | レトロビル内訪
都会の
立体的な空間を
最も意識したと



そう思わずにはいられないビル



ビルの立地は
新なにわ筋と
千日前通りが交差する
汐見橋交差の南東の角



目の前には



阪神高速15号堺線の
高架が走っている



阪神高速線は
東から南へと
カーブしており



そのカーブに沿うように
このビルも
バームクーヘンを半分に切ったような
構造をしている



建築が始まったのは
1969年
阪神高速15号堺線は1970年開通



目の前で湾曲した高架が作られるのを見ながら
この建物は建築されたらしい
湾曲した分
間取りや配管に無駄が多すぎると評されるが
見るには面白い建物である

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