雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

二葉館2

2010年11月30日 | 愛知散策
二葉館の2回目



ここ名古屋東区
二葉館が建つ
撞木町一帯は
文化のみちと呼ばれている



歴史的遺産の宝庫が集まる街



二葉館の2階には
郷土の文豪たちの
書斎や文庫の展示がある



坪内逍遙
城山三郎
小谷剛
江夏美好
春日井建
といった
郷土の文豪たちの歴史の
展示もある





この二葉館
桃介と定奴が生活した時期は
それほど長くなく
二人はやがて
生活の拠点を
東京へと移してゆく





昭和13年には
大同製鋼の取締役
川崎舎恒三が建物と
敷地の4分の1を買い求め
残りは分譲されてしまう



小さくなった敷地に合わせ
建物も除去、改築がなされる



平成12年に建物が名古屋市に
寄贈される頃には
さらに敷地を狭めたが
解体復元工事で
建物配置を90度変え
今日の姿となっている

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二葉館

2010年11月29日 | 愛知散策
福沢桃介の別荘を訪れ
以前訪れていた文化のみちを思い出し
再度訪れてみた



実は前回撮影した分はコンデジ撮影
撮影のために訪れた訳では無かったが
佇まいが気に入って
車の中にあったコンデジを持ち出しての撮影だった
今回はデジイチで再度撮影してみたいという
欲求もあっての訪問だった



二葉館
かつては
2,000坪の敷地を持つ
大邸宅で
和洋折衷の建物は
二葉御殿
などと呼ばれていた



ここは
名古屋を拠点とした
福沢桃介の邸宅



設計は
住宅専門会社
あめりか屋



生涯のパートナーとして
呼び寄せた
川上定奴の
好みも盛り入れた



また
電力王と呼ばれるだけあって
邸宅には
当時では考えられないほどの
電気設備が施されている



桃介と定奴が
この邸宅で過ごした日々は



きっと
豪華で
華やかなものだったろう



毎日のように
多くの客が訪れ
晩餐会も
連日催されたという

続く
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福沢桃介記念館2

2010年11月27日 | 長野散策
福沢桃介の別荘

       

先の記事で記載した通り
福沢桃介は日本を代表する電力会社を
設立した起業家である

       

経営者としての才覚は相当のものだったようで
電力王と呼ばれる彼は
電力以外にも
東邦ガスの前身である
東邦瓦斯を設立している

   

明治期から昭和期にかけての
日本の激動の時代に
多くの業績を残し
名古屋鉄道の初期の経営に携わるほか

       

今日でも愛知を代表する企業
大同特殊鋼の創立にも関わり
社長にも就任

   

偉業は
枚挙に暇がない

       

大正8年
この別荘を建築し
相思相愛と云われた
川上貞奴と
夫婦のように
ここで過ごしている

   

大正ロマン
溢れる邸宅内

       

念願かなって
訪れることが出来た

       
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福沢桃介記念館

2010年11月25日 | 長野散策
一河川一会社主義

   

という言葉が
彼の信条だった
日本の電力王と云われた
福沢桃介の言葉である

       

福沢錦の御眼鏡に叶い
次女と婚姻し
福沢諭吉の養子となった人物
しかし
将来の電力王の異名は彼自身が築いたものである

   

岩崎姓から福沢姓へと名字を変え
北海道炭礦汽船
王子製紙
と勤めたが
肺結核を患い
療養生活を送っている

   

病床にあって
株式投資を始め
巨万の富を手にした彼は

   

瀬戸鉱山
日清紡績
と、次々と会社を興し
木曽川の水利権も取得する

   

水利権を利用して
当時、火力発電が主力だった日本で
ダムを利用した水力発電を開始する

   

八百津発電所
大井発電所
落合発電所と
次々と発電所を設け

   

大同電力
東邦電力を設立
現の、関西電力と中部電力である

   

名実ともに
日本の電力王となった桃介が
過ごした別荘が今も残っている

続く
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桃介橋

2010年11月24日 | 長野散策
南木曽町読書には
木製の吊り橋がある

   

国道19号線を走ると妻籠宿のすぐ近くに
はっきりとその存在感を示している

   

1922年に架けられた
橋長247.76m
木造トラス構造

   

この橋
木曽路の対岸に
読書発電所建設用の資材運搬橋として架けられた

   

橋を架けた人物は
云わずと知れた
福沢桃介
日本の電力王と呼ばれた人物で
あの、福沢諭吉の婿養子

   

読書発電所建設後も
地元両岸集落の行き来や
学生の通学路として使用されてきたが
整備されなかったため
昭和53年には
通行止めとなっていた

   

蘇ったのは
近代化遺産として文化遺産に登録されたから
平成5年には
現在見る姿で
再建された

       

橋は現在
徒歩での往来が可能
途中の中州に降り立つことも出来る

   

念願かなって
訪れることが出来た桃介橋
その大きさに圧倒された

   
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ゆるキャラまつりin彦根

2010年11月22日 | 滋賀散策
ゆるキャラ
正式(正式があったのか?)には
ゆるいマスコットキャラクター



企業団体が
地域活性化の起爆剤として
全国で増殖



2008年から
ゆるキャラで一番成功した
ひこにゃんのおひざ元
彦根で
祭りが催されている



とにかく
すごい人出



何万人というひとが
押し寄せ
全国各地のゆるキャラと記念撮影をしていた



祭りの撮影だからと
望遠レンズを装着していたのだが
思わぬ人の多さで
逆効果になった



結局
一番見たかったひこにゃんには出会えなかったが



祭り会場をうろうろと歩き



たくさんのゆるキャラに出会った



この祭りを訪れるまで知らなかったのだが
ゆるキャラには
三カ条があるそうな
提唱者はみうらじゅん



彼によると
1.郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること
2.立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること
3.愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせている事



だそうな
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おはらい町 演舞

2010年11月21日 | 三重散策
おはらい町の中にある
おかげ横丁



観光客をもてなす為に
造られた町で
多くの飲食店や
雑貨屋
等々



所狭しと
軒先を連ねている



その一角に
ちょっとしたステージがある



といっても
高台になっているわけではなく
集会場のような装い



日に何度か
ここで演舞が催される



此処を訪れ
演舞の時間に掛かるのなら
足を止めてもらいたい



体を揺さぶられるような
迫力ある太鼓の音
統一された掛け声



どこか懐かしい
日本の夏の祭りの風景が
此処にある



狙ったわけではなかったが
偶然にも
演舞の時間に訪れる事が出来た
おかげ横丁

つい
最前列で
演舞を楽しんでしまった
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おはらい町で食べ歩き

2010年11月18日 | 三重散策
伊勢神宮の門前町
おはらい町

ここを巡るなら
買い食いは避けられない楽しみになっている



蛤といえば貝新
ここの
しぐれ蛤は絶品
ビールに合う一品であった



ソフトドリンクも店頭で売られているが
珍しいものを発見したのでつい買い求める
こんにゃくとレモネード
名前のままの味わい



そして
おかげ横丁といえば
赤福
夏の時期
赤福氷が食べられる



同じく
おかげ横丁の
豚捨
ここの
コロッケとメンチカツは
まんまビールの友



ノンアルコールで頂いても美味



串カツを片手に
食べ歩き



〆は



海産物と日本酒で


以上
おはらい町の
食べ歩きをご紹介
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おはらい町で土産物

2010年11月17日 | 三重散策
伊勢といえば
海産物
乾物類が店先に多く並ぶ



試食コーナーが多い事もあり
乾物があると
つい足を止めてしまう



平成21年から
土日祝日は歩行者天国になって
歩きやすくなったおはらい町



一体何件の店がある事やら





訪れた日は
来る福招き猫祭りが催されていた日
多くの出店で
ユニークな招き猫が売られていた





おはらい町

将来的に町全体は
民族博物館的扱いにするのが
目的だそうで



その日まで
足繁く通ってみたいものである




思いのほか
暑さが残る日に訪れたので
水分補給しながら巡った町並み





この町を紹介したなら
何時もの定番もと
甘味の写真も掲載してお別れ



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おはらい町2

2010年11月15日 | 三重散策
おはらい町とおかげ横丁



歩くと
一軒一軒
立ち寄りたくなる



陶磁器もあれば
土産物もある



財布にゆとりがあれば
店ごとに
一品
買いたくなってしまう



酒屋を見付ければ
そこはそれ
身を清めねば





訪れた日は
まだ
夏の暑さが残っている時期で



秋の爽やかさと
真夏の名残の中間といった
汗ばむ日だった



写真に収めてみると
それでも
真夏の風景とは
少し違って感じられるのが
不思議といえば不思議



カメラも
季節を感じるのかもしれない



次回は
土産物を紹介しよう
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おはらい町

2010年11月12日 | 三重散策
年に一度以上
この町を歩いている



伊勢神宮内宮門前の
おはらい町



9月29日は
語呂合わせで「来る福」と読ませる
祭りが催されていた



来る福招き猫祭り



招き猫が
おかげ横丁に溢れていた



基本的に犬好きだが
猫の愛くるしい姿もまた良いもので



歩きながら
一つ二つと買い求めてしまう



この旅で
また飲食と
買い物を楽しんだのだが



その写真は
風景写真の後に掲載する事にしよう



続く
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なにわ食いしんぼ横丁

2010年11月10日 | 大阪散策
天保山のマーケットプレースには
なにわ食いしんぼ横丁がある

   

コンセプトは
大阪が一番華やかであった
大阪万博を目前とした
「大阪がもっとも元気に光り輝いていた時代」

       

そんな古き良き昭和の時代の風景を
再現した路地に
20店の店が連なっている

      

食い倒れの街
大阪
そんな大阪の名店や老舗を集めた
フードテーマパーク

       

心安らぐ風景を見つけながら
ふらふらと巡り
気に入った店で食事を楽しむ

  

何度も書いているが
昭和の風景は素晴らしい
人情もあり
時間は今よりももっと緩やかに流れ
そしてなにより
今ほど
規制に縛られていなかった時代

   

人は人らしく
何気ない日常を楽しむ事ができた

   

何事も規則で縛り
お互いに権利を主張しあってお互いに相手を縛りだした現代
いったい何時から
ありとあらゆるものを規則化し
法を網目のように整備して
気がついたらアウトローの存在を許さない時代にしてしまったのか
徹底的に規則化し
少しでもはみ出る者を差別的に隔離し
勧善懲悪が息苦しいことに
気がつかない偽善者達の群れ

   

食いしんぼ横丁で
見つけた風景と食事は
一時
懐かしい香りを運んでくれた

    

ここで一番食べたかった
会津屋のたこ焼き
ソースもマヨネーズもない
生地の味と蛸の味のみのたこ焼き
これは美味
ちなみにかの「美味しんぼ」でも取上げられている

   

懐かしい風景のなかで
味を楽しみました

       
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サンタマリア号

2010年11月08日 | 大阪散策
海遊館の建つ天保山
そのハーバービレッジから
サンタマリア号は出航している

   

サンタマリア号
云わずと知れた
コロンブスの乗船した船
1492年
三隻の船団で
大西洋を渡り
アメリカ大陸を発見している

   

天保山のサンタマリア号は
実際の船の倍の大きさ
実際に使用されていた輸送船の外観を改装して
サンタマリア号風にアレンジ
昼と夜、クルーズを行なっている
実際のサンタマリア号は全長18メートル程度の
今となっては小型の船
よくもそんな小さな船で大西洋を横断したものである

   

新たなインドへの航路を探す為に
スペインのパロス港を出航している
随伴船は
ニーニャ号とピンタ号
総員90名での出航だったという

       

実はサンタマリア号
三隻の中で一番老朽化した船だった
随伴船よりも遅い旗艦
8月3日に出船し
10月11日
西インド諸島に至っている

   

旗艦のサンタマリア号は
イスパニョーラ島で座礁
解体され
要塞の資材として使われいて
現存していない

       

後世に名を残したサンタマリア号と同じ名前をつけられた
天保山のクルーズ船

       

船尾の喫茶ルームで
のんびりと紅茶でも飲みながら
大阪湾の風景を眺めた

   

海遊館チケットと併せて2,900円
ちょっと贅沢してみるのも良いもの

       
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海遊館3

2010年11月05日 | 大阪散策
海遊館の3回目

   

ジンベイザメが遊弋する風景が売りの海遊館だが
日本人にとって馴染み深い
鰯の群れも見ることができる

   


東アジア沿岸域に分布
群れを成して泳ぐ姿がよく映像に捉えられている
回遊する種もあるし
一定の海域に留まる種もある

       

海中を浮遊する
珪藻といった
植物プランクトンを主食とする
口を大きく開けて泳ぐ姿は
食事の風景

   

螺旋状に
巨大な水槽を上から下へと
眺めながら散策する海遊館
最初は見下ろした水槽も
やがて
見上げることになる

   

魚達の立体的な動きを見ることが出来るのも
ここの魅力の一つ

       

地表の70.6%を占める海
平均深度は3,729m
もちろん日本は海に囲まれている

       

海は全て繋がっており
海流は海を巡っている
生命のゆりかご

       

海遊館で
海の神秘に触れた

   
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海遊館2

2010年11月04日 | 大阪散策
海遊館の2回目

       

昔の水族館は
小さなガラス窓から
覗くように泳ぐ魚達を見ていた

   

薄暗い空間で
ひっそりと眺めるのが水族館だった
それが大きく変化したのは
アクリルガラスが開発されてから

   

日プラ株式会社という会社が
香川県にある
この会社が開発したのが水槽用アクリルガラス

   

アクリル樹脂の成型技術の発達で
それまでのガラスでは不可能だった
厚さや
形状の
有機ガラスが実現

       

海遊館は建設当時
世界の年間生産量の1.5倍のアクリル樹脂を使用して
11,000tもの海水を入れた
巨大な水槽を建造

   

巨大な水槽に相応しい
巨大なジンベイザメが
優雅に泳ぐ姿を眺める事ができる

   

開放的で
明るい水族館

   

それまでの水族館のイメージを一新し
魚達の優雅に泳ぐ姿を
30cmを越える厚さのアクリルガラス越しに眺めると

   

自分が海底に潜っているような錯覚を覚える

   

最大で体長13mにもなるジンベイザメ
魚としては最大の体長を誇る姿
見ているだけで感動できる

続く
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