雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

なばなの里2

2008年04月30日 | 三重散策
なばなの里の2回目です

なばなの里にはいくつかの建物が併設されています
食事できる場所も数々あり
家族連れで1日楽しめるようになっています

そんな飲食が出来る店で一番気になったのが
「長島ビール園」

   

ピルスナー、デュンケル、ヴァイツェン
ビールの種類も豊富

開園時間に合わせての訪問でしたので
店は未だオープン前

       

オープンテラスに座って頂くビールはきっとイイだろうな
なんて
車で訪れているのでオープンしていても飲めない

        



なばなの里にはチャペルもあります

       

こういう場所で挙式を挙げる方々もいらっしゃるようで
きっと素晴らしい挙式になることでしょう

       

       

建物の美しさもここの魅力のひとつでしょう
西洋風の建物と広がる景色
日本でない場所を訪れたのかなと錯覚してしまう風景が広がっています

      

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なばなの里

2008年04月29日 | 三重散策
三重県桑名市にある「なばなの里」を訪れました
知り合いのブロガーの方の幾人かが訪れており
その写真の見事さに触発されての訪問です

梅とサクラが彩りを見せていた頃の訪問
ようやく当「雪だるま倶楽部」でも、花の季節に突入しました

    

入場料(入村料)は1500円
入場料500円に加えて施設内で利用できるクーポン券1000円が付いてきます
実質入場料は500円
クーポン券は施設内の飲食店、土産物屋等でも使え
使い切らなくても期限内なら利用できるというものでした

        

入場すると
目の前には色とりどりの花畑と満開のサクラがお出迎えしてくれました

洋品種の花の名にめっぽう弱い雪だるま
花に対するコメントが少ないのはご容赦くださいませ

       

花好きな方も
そうでない方も
1日楽しめるように設計されています

歩道の両脇には早咲きの河津桜が満開でした

      

寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種
と言われる河津桜

   

学名はPrunus lannesiana Wils. cv. Kawazu-zakura

学名が付いたのは1974年ととても新しい桜
静岡県賀茂郡河津町田中にあった原木が発見されたのは1955年
開花時期が早い事で有名

       

桃色が濃い桜なので
青空に映えます

      

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ

  

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下鴨神社

2008年04月28日 | 京都散策
賀茂御祖神社
通称、下鴨神社に行きました
本当は、加茂みたらし茶屋へ行くのが目的でしたが
ついでに訪問してみました

  

目的は梅
輪橋の横で花をつける梅
光琳の梅と呼ばれています

       

尾形光琳が「紅白梅図屏風」で描いた事でも知られています

     

輪橋の下を流れるのは御手洗川
「みたらしがわ」と読みます
そう、みたらし団子の発祥はここから
御手洗池の水が池底から吹き上がる水泡
その形を人の形に模ったのがみたらし団子

      

梅を撮影した後
幣殿に詣でました

       

この奥
三間流社造りの東西2棟の本殿があります
「西本殿」には賀茂建角身命
「東本殿」には玉依媛命
がそれぞれ祀られている

  

久しぶりに詣でた下鴨神社

       

糺の森を最後に歩きました

       
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上賀茂神社

2008年04月27日 | 京都散策
正式名称は賀茂別雷神社
賀茂氏の祖神である賀茂別雷命を祀っています

   

創建は諸説あり解かっていません

山城国風土記によると
玉依日売が加茂川河畔を歩いていると
川上から丹塗矢が流れてきた
それを床に置いたところ懐妊
生まれたのが賀茂別雷命
兄玉依日古の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎
上賀茂神社の始まりとされています

       

風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける

    

舞殿から眺める風景が一番好きです

  



上賀茂神社
昔から皇室との関係が深い事でも知られています
皇室との関わりがもたれたのは天平17年
というから745年の事
天皇の病気治癒祈願が行われたそうです

以後、国家の重大時には、奉幣・祈願が上賀茂神社で執り行われています
伊勢神宮に次ぐ地位として皇室からの庇護を受け続けた神社

中世にはいり、武家社会となると一時衰退

    

復興は徳川政権時代
徳川家の庇護を受け官幣大社として地位を築きます

        

朱塗の楼門をくぐって本殿に参拝

    

この日も多くの方が参拝に訪問していました

       

去り際
振り返って見る楼門
青空に映えていました

      

立砂を再び撮影し

   

上賀茂神社を後にしました

        
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しょうざん

2008年04月26日 | 京都散策
梅の名所として
穴場的な場所
しょうざんへ行ってみました

    

鷹峰へと続く坂道
すれ違いするのに少し神経を使う幅の狭い道から西へと入ると
しょうざんはあります
広い敷地には
数々の施設があります

  

駐車場に咲いていた梅
甘い香を漂わせていました

しょうざんの庭園に入ると
台杉がお出迎え

       

樹齢150年を越える古木が
ずらりと並んでいます
手の平を広げたような形の「取り木」と呼ばれる「台」
そこから立木と呼ばれる枝が伸びている姿は優美

    



庭園内の梅は残念ながら咲き誇っておらず
所々花が咲いている程度でした

      

少し残念でしたが
それでも
気を取り直して撮影

       

        

梅園は来年再チャレンジです

    



しょうざん庭園の見学を終え
帰る前に敷地内を巡ってみることにしました

       

至る処を水が流れ
美しい景色を見せてくれるので
結構お気に入りです

       

千寿閣の庭園では梅が美しく咲いていました

  

観光寺院に負けない見所があるしょうざん
楽しめますよ

      

庭園以外は見学自由
四季折々楽しめます

        

    
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光悦寺

2008年04月25日 | 京都散策
江戸時代
徳川家より与えられた地で本阿弥光悦が芸術村を造ります
光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住んだと云われていて
光悦は鷹峰を見下ろしながら
この地で終生を過ごす事になります

      

かつて
光悦の住んだ住居跡
死後彼を祀る寺院となっています

日蓮宗の寺院
山号は大虚山

        

境内には光悦を祀った寺院らしく
7つの茶室が点在しています

    

本阿弥家は元々
刀剣の鑑定、研磨、浄拭が家業
光悦自身も刀剣の研磨などを行っていたようですが
今では書家・陶芸・茶人としての姿の方が知られています

    

近衛信尹
松花堂昭乗
と並び寛永の三筆としても有名

    




光悦寺で一番有名なのが
光悦垣

  

ゆるやかに孤を描いて背が低くなる垣根
牛の寝た姿に似ているところから臥牛垣という別名も持っている

     

光悦寺の他
本法寺でも見ることが出来ます

      

初春の陽気の中
訪れた光悦寺

        

馬酔木が満開の頃でした

        
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源光庵

2008年04月24日 | 京都散策
曹洞宗の寺院

    

鷹峯にある寺院、源光庵を訪れました

    

開創は臨済宗大本山大徳寺の高僧、徹翁国師
隠居所として開かれました
中興は卍山道白禅師
この時に臨済宗から曹洞宗に改宗されています

   

本堂は元禄7年に再建
本堂右手にある「悟りの窓」と「迷いの窓」が有名

   

    

二つの窓
前回訪れた時にはなかったのですが
いつの間にか立ち入り禁止になっていました

   

源光庵のこの二つの窓の前に座し
迷いと悟り
じっくりと考えます
迷う事はあっても
悟っていない

迷う事は慣れていても
悟る事は知らない

  

庭園も違う視点から眺めるのもいいもの

    

ここは血天井でも有名
戦国時代の末期
関ヶ原の戦いの前哨戦として行われた伏見城の戦いで
家臣共々玉砕した鳥居元忠が自刃した時の床が天井に使われている

   

京都の寺院で
自刃の廊下の床を供養しているのは全部で5寺院

養源院
宝泉院
正伝寺
源光庵
興聖寺

  

三河武士の鑑と称された鳥居元忠
彼の生涯を思い出しました

        

源光庵
久しぶりの訪問となりました

    

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地蔵院

2008年04月23日 | 京都散策
月読神社から南へ
細い路地を抜け民家の間を進みます

    

当初は鈴虫寺へ行くつもりでしたが
参道に溢れんばかりの観光客の数に断念
寺蔵院に移動することにしました

    

臨済宗系の単立寺院
山号は衣笠山
通称、竹の寺として知られています

        

創建は細川頼之
室町幕府管領を務めたことでも知られている細川頼之
その彼が帰依した碧潭周皎が開山となっている

   

参道は「竹の寺」の別名の通り竹林に囲まれています

  

先ほど開山は碧潭周皎と書きましたが
寺史によると第2世となっている
これは、碧潭周皎が師である無窓疎石を勧請して第1世としている為であり
実質的には碧潭周皎が開山という訳です

       

竹林の参道を抜けると本堂
昭和に再建された本堂
中には延命安産地蔵菩薩と、夢窓国師や頼之の像が祀られています

    

碧潭周皎と細川頼之は共にこの寺院内に葬られています

        

地蔵院のもうひとつの見所は方丈庭園

        

       

庭は宗鏡禅師作
築山や池などを築かない、平庭形式の枯山水庭園

   

   

    

十六羅漢の庭と呼ばれている庭園

    

堪能して

    

美しい竹林の参道に見惚れ
地蔵院を後にしました

      
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月読神社

2008年04月22日 | 京都散策
松尾大社の摂社

松尾大社を訪れたのなら月読神社にも詣でるもの

    

延喜式では名神大社の一つに数えられる神社
松尾大社から南へ
住宅街の中に月読神社はあります

       

元々は桂川河畔にあった神社
創建はとても古く
487年とされている

    

本殿・拝殿は江戸時代の建造

静かな境内
時折遊ぶ子供の声が境内に反響しています

       

延喜式神名帳では「葛野坐月読神社」と記載

       

創建の古い格式高い神社であったものの
松尾大社の近くであったことから次第に松尾大社の影響を受け
明治には松尾大社七社の中に組み込まれる事となった

        

観光客もここの前を素通りすることが多く
今では町の神社という趣き
訪れた日も境内で遊ぶ子供達が走り回っていました

        

        

のんびりとした時間が流れていた境内
次の寺院へ向け、月読神社を後にしました

        
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松尾大社

2008年04月21日 | 京都散策
大山咋神と中津島姫命を祀る神社
松尾大社

松尾山の裾野にある神社で
山頂付近には大杉谷に磐座とされる巨石がある
社殿の建立は大宝元年
勅命により秦忌寸都理が現在地に社殿を造営

    

秦の末裔が朝廷の招きでこの辺りに居を構え
歴代の秦氏が神職を勤めることとなった

        

酒造は秦一族の特技
境内には奉納された酒樽が収められている


ここは山吹で有名ですが
花の咲く前に訪れました

       

境内に覆いかぶさるように枝を広げる古木が
この神社の歴史を忍ばせます

    

平安時代以降朝廷の守護神
参拝

    


松尾大社には曲水の庭があります
重森三玲最後の作品
本殿と社務所の間から庭園に入れます

        

平安貴族をイメージしたと云われる庭園

        

重森三玲作庭の庭園の中で
一番現代的な庭園

   

       

   

       

宝物殿と葵殿との間にも庭園
奥の塀
龍吟庵と同じ
作庭が重森三玲であることの証明

       

宝物殿を拝観し
上古の庭へ

重森三玲が最高の芸術作品と位置づけた庭園

    

見れば見るほど
訪れれば訪れるほど
素晴らしい風景を見せてくれます

       

また
山吹を見に来ますからね

       
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三島池

2008年04月20日 | 滋賀散策
最近よく出掛けるようになった三島池
冬の最後に訪問した折の写真です

   

この日
三島池を訪れるようになって初めて伊吹山を拝む事が出来ました
でも数枚撮っただけでまたもや雲の中


あきらめて
巨大な石灯籠まで移動

   

湖畔を移動する姿を見ていた水鳥が移動するに従って集まってきます
どうやら餌慣れしているようで
手に持った食パンを狙って集まってきました

 

その数
百羽近く
あっという間に辺りはマガモだらけ

    

陸にパンを置くと
我先にと上陸

   

先を争い

  

食べ終わると
飛び去っていきます

なんて勝手な
なんて怒ってみてもダメ
それなりに餌付けは出来ているものの
触らせてくれるようなことはありません


餌付けの後は撮影タイム

        

      

橋桁の隙間から覗く陽光がとても鮮烈な印象
逆光であえて露出補正だけで撮影

     

 

 南洋に醗酵して本州の東海岸を洗ひながら北に走る黒潮が、津輕の鼻から方向を變へて東に流れて行く
 樺太の氷に閉されてゐた海の水が、寒い重々しい一脈の流れとなつて、根室釧路の沖をかすめて西南に突進する
 而してこの二つの潮流の尅する所に濃霧が起こる
 北人の云ふ潮霧とはそれだ......

有島武郎の霧島の冒頭部分を思い出させる風景



風と水鳥が作り出す波紋
波紋に沿うように
光り輝き
一瞬の煌きを映す

     

そんな波紋と光が織成す風景を悠然と泳ぐマガモ

     

素晴らしい風景を見つけました
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名鉄谷汲線

2008年04月19日 | 岐阜散策
       

名鉄谷汲線
2005年に廃線になり
それまで使われていた列車が残されています

        

最終駅である谷汲駅の構内に二両残されています
なんともノスタルジックな列車で
正式には名鉄モ750形電車といいます

デセホ750形として、1928年に日本車輌製造が10両を製造
半鋼製車両としてデビュー当時は鮮烈

        

もう一両は名鉄モ510形電車
セミボ510形として5両が製造されています

   

80年に渡り使用されてきた長寿の車体
正面を半円筒型の5枚窓とする半流線形ボディ
急行として使用され、時速70キロで疾走していた




再び戻って名鉄モ750形

        

1928年に製造されてから引退する2001年まで
運用されていたレトロ車両

       

48.49kwで65馬力の動力
幾多の仕様変更が行われており
ワンマン運転の為、両運転台構造

   

車内は懐かしいスタイル
ノスタルジックが漂ってくる車内
この列車に乗って通勤通学した人も多いはず

  

モノクロがとても似合う車内
吊り輪に掴まってゴトンゴトンと揺られながら
長閑な時間が過ぎてゆく
古きよき時代を列車は走り抜けたことでしょう

       

   




こちらは名鉄モ510形の車内

   

急行として使用されていた為
座席の形状が750形と違っています

        

ワンコもいっぱしの乗客気取り

懐かしい風景に出会った気分
ノスタルジックに浸った撮影でした

       
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水生植物公園水の森2

2008年04月18日 | 滋賀散策
睡蓮の2回目

スイレン属は熱帯地域から比較的寒冷な地域まで幅広く分布する植物

バグダット
非常に薄い青紫色の花を咲かせています

        

花言葉は「心の純潔、純情・信頼」

   

      

スイレンの種類は約40種類とか
咲いているスイレンの種類はよく判りませんでしたが
水面から顔を覗かせ可憐に咲く花はとても美しい

      

      

Claude Monet
スイレンを愛した画家
「光の画家」とも呼ばれ
彼の大作ともなった睡蓮の連作

       

200点を越える睡蓮の絵
自宅の庭に咲くスイレンを生涯描いたという

        

最初のころはスイレンと背景の木々や橋を描いていたが
晩年はスイレンのみが描かれるようになる

      

終生印象主義の技法を追求し続けたClaude Monet

       

水辺で撮影を続けながら

       

彼の作品を思い出していました

 
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水生植物公園水の森

2008年04月17日 | 滋賀散策
琵琶湖博物館のすぐ隣
水生植物公園水の森があります
駐車場は無料
入場料は300円

琵琶湖博物館とセットで購入したチケットで入場しました

        

訪問の目的はロータス館

    

ここは年中スイレンが見られる場所

        

ロータス館内アトリウムへと足を向けました

        




water lily

    

学名はNymphaea
漢字で書くと睡蓮

エジプトでは、ナイル河畔に咲いているので「ナイルの花嫁」と呼ばれ、国花になっている

       

アトリウム内は年中スイレンが咲いています

       

スイレンというのは通称で正式な和名はヒツジグサ
午後2時頃を未の刻といいますが
午後2時頃咲くと言われているので未草と呼ばれています

本当は朝咲いて夕方閉じるので睡蓮という名が通り名が付けられたのです

        

水面ぎりぎりに咲き
逆さ映りするのが美しいのでと訪れたのですが

      

咲いている場所が悪く
葉に邪魔されて
狙っていた逆さ映りが撮れません

  

これが精一杯でした

     
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琵琶湖博物館、水族展示室

2008年04月16日 | 滋賀散策
琵琶湖博物館で一番楽しみにしていたのが水族展示室

     

予てより水族館を撮影してみたいと思っていたので
喜び勇んでの撮影となりました

    

暗い中での撮影
もちろん三脚撮影という訳にはいかないので手持ち撮影ですが
どこまで撮れるか多少不安

    

この水族館で一番のメインはトンネル状の水槽
というか大きな水槽をトンネルが渡っている

    

此処を撮りたかったのです
さてどのように撮れるのか
まずは一枚

      

頭上を魚が泳ぐのはとても不思議な気分
水の中を散策しているような印象
この通路
とにかく人気があるので
暫し時間を使い、人の居ない瞬間を待ちました

    

湾曲したアクリルガラス面に博物館庭園が映り込み
意外な写真となりました

     

小魚の鱗がキラキラと光り
回遊する姿はとても美しい
流れる光の渦を見上げながら
生命の神秘を見付けた気分

     

     

       








ここで琵琶湖について

淡水湖としては世界で129番目の大きさ
と聞くとそれほど大きくないのかな
琵琶湖の誕生は今から400万年前に遡ります
現在のような形になったのは40万年前頃

周囲長241km
最深度103m

文献にも古くから登場し
多くの唄も詠まれている

これやこの行くも帰へるも別れては知しるも知しらぬも逢坂の関

      

琵琶湖と呼ばれるようになったのは
江戸時代中期から
それまでは「近淡湖」と呼ばれていた
古事記には「淡海の湖」と記されている

        


琵琶湖博物館の水族展示室

       

とても楽しめました

      
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