雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

高山寺

2007年10月31日 | 京都散策
京都は高雄に行ってきました
京都市街から北西の山の中
京都の紅葉名所の一つ
秋には道が渋滞し、辿り着くのも大変な場所

高山寺に併設する形で市営の無料駐車場があります
(秋は有料になります)
その市営駐車場に車を停め、駐車場南にある高山寺参道から境内に入りました

細い道を登っていくと、石組と白壁というお城の様な景観がお出迎え

    

古代より山岳修行の適地として、小寺院が営まれていた地です
奈良時代から「度賀尾寺」「都賀尾坊」などと称される寺院があったようで、
宝亀5年、光仁天皇の勅願で建立されたとの伝えもありますが、よく判っていないのが実態

平安時代には近隣の神護寺の別院とされていたとの記録もあり、神護寺十無尽院と称されています
神護寺の隠棲修行の場所であったようです

高山寺の中興の祖であり実質的な開基とされているのは、鎌倉時代の華厳宗の僧「明恵」

明恵上人の住居跡とされている石水院を訪れました

    

石水院は後鳥羽上皇の学問所として使われていたものを移築したもの
最初は金堂の隣にあった住居ですが、現在は裏参道の中腹に移築

入口を入ってその先、小さな庭園があります

        

ちょっと雑然とした感もありますが、美しい庭園です
そして、その先
石水院の代名詞ともなっている「善財童子という法話に登場する菩薩修行をする童子」

    

今日も静かに庭園を眺めてはりました

        

広角から望遠へ
色んな撮影を試して楽しみました

        

ここは紅葉の名刹
童子と紅葉
今年は来れるかな?

    

縁側に座ってほっこり

        

石水院を後にして、広大な高山寺を巡りました

開山堂で一休み

    

樹齢数百年を数える木々の間を拝観というよりは散策
自然のままの姿を留めた景観です

    

        

散策の最後はこちら
高山寺の紅葉で一番よく紹介される場所

    

石畳と散るもみじが有名な場所
ちょっと石畳が判り辛いかな

    
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龍源院

2007年10月30日 | 京都散策
大徳寺、常時拝観塔頭のラストは龍源院です

文亀2年に東渓宗牧を開山として、能登の畠山義元・豊後の大友義長らが創建した寺院
大徳寺の山号である龍宝山の「龍」と、
中国・臨済宗松源派の祖・松源崇岳の禅を正しく継承する松源一脈の「源」の2文字を採って龍源院と名付けられました


方丈・唐門・表門は創建時のもの
大徳寺山内最古の建物です

境内で最初に見れるのが滹沱庭

        

龍源院で一番気に入っている庭
ちょっと変わった名前の庭
宗祖・臨済禅師が住した中国・鎮州城の南を流れる滹沱河から名付けられたそうです
阿吽の石と名付けられた2つの石は聚楽第の遺構といわれています

    

        

縁側に座って庭園を暫し拝観
箱庭って好きです


本堂との間にも小さな庭があります
日差しが差し込み緑が映えて美しい庭です

        

そしてメインの庭園
方丈の南側、一枝坦と名付けられた庭園です

    

東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒」という室号にちなんで名付けられた庭園

    

樹齢700余年を経た山茶花「楊貴妃」が真紅の花を咲かせることで有名だったそうですが、樹齢が尽きて枯れてしまったとのこと
一度見てみたかったな

    

丸く象った苔の中に石が立つ亀島
一番目を引きますね


方丈北側には龍吟庭

    

作は古く室町時代
三尊石組からなる枯山水庭園
中央の石組は須弥山を表し、青々とした杉苔は洋々たる大海を表現しています

そして最後に方丈と庫裏との間にある壺庭
東滴壺

        

龍源院堪能いたしました

        
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瑞峯院

2007年10月29日 | 京都散策
キリシタン大名として知られている大友宗麟が帰依した大満国師・徹岫宗九を開山として創建した塔頭が瑞峯院

    

瑞峯院という寺号
大友宗麟の法名からとって名付けられました
「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」というのが法名


大徳寺には数多くの塔頭がありますが、常時拝観ができるのは4つのみ
高桐院を出て、折角だからと拝観可能な塔頭を巡ることにしました

次に向ったのは大仙院ですが、ここは撮影禁止なので掲載は省き
三番目に向った瑞峯院から記事にします

参道にはススキ

    

秋が始まっていました

拝観受付まで行くと何やら忙しそうに寺院の人が走り回っています
どうやら法要が行われる様子
聞いてみると、朝方なら拝観を受け付けていますとのこと

    

独坐庭と名付けられた庭園

    

この庭園
現在作の庭園
開祖である大満国師の400年遠忌を機に作庭
蓬萊山式庭園で、打ち寄せる荒波にもまれながら悠々と独り坐す蓬萊山の崇高な姿を表しているそうです

    

蓬莱山ということですが、どうしても龍が覗いているように見えてしまいます

本堂では法要の準備で忙しそう
あんまりまったりするのは良くないかも?

    




閑眠庭は、重森三玲によって造られた庭園

    

どうしても拝観は急ぎ足

でも十分堪能しました

    
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高桐院

2007年10月28日 | 京都散策
晴明神社を出て、丸太町通りを通り過ぎ堀川北大路で左折
臨済宗大徳寺派大本山の大徳寺へと向いました

駐車場は9時前でほぼ満車状態
どうやら大徳寺のどこかの塔頭で法要があるようです

でも境内は人気も少なくひっそりとしていました

        

朝、大徳寺に着いたなら一番の目的地は高桐院
雪だるま式方程式に従って高桐院を目指します

大徳寺は京都でも有数の規模の禅宗寺院
境内を結構歩くことになります

高桐院に至る最後の角を曲がって...
なんか違うような

そうか地面にアスファルトが敷かれている
いつの間に...

    

さていよいよ高桐院です
「利休七哲」の一人とうたわれた細川忠興が、父の藤考の菩提所として建立したのが1602年
以後細川家の菩提寺として庇護された寺院

    

楓に覆われた参道が人気

        

紅葉真っ盛りの時期もいいですが、苔の上に積もった落葉で左右が赤く染まる時期も乙なもの
もちろん緑でも最高ですよね

    

参道を抜けると拝観受付
ここも額縁風に見立てるポイント

        

下駄箱には未だ靴はなし
どうやら一番乗り
うきうき気分で本堂に向います

本堂へ一直線
突き当たりを左へ
ほら庭園が見えてきた

    

そう焦らずに
でも、急ぎ足で
定番撮影

    

本堂前の庭園は「楓の庭」と呼ばれています
でも大量に生い茂るのではなく、数は限定されていてそれがまた美しい

    

この庭園のポイントは一基の灯篭
絶妙な位置に配され景観を見事なものにしています

        

望遠で撮影
(そういえばこの灯篭をアップで撮影したのは初めて)

この苔に覆われた庭に赤い落葉が落ちるのが秋
灯篭にも積もり絶景に彩りを添えます

    


本堂横の庭園は歩くことができます

        

庭園を巡って

        

辿り着いたその先には

細川ガラシャの墓塔

    

日本名「細川たま」
あの明智光秀の三女
明智光秀が織田信長を本能寺の変で討って自らも滅んだため、玉は「逆臣の娘」となります
忠興は玉を愛していたがために離縁せず
1584年まで丹後の味土野に隔離・幽閉
その後、豊臣秀吉のとりなしもあって幽閉は解かれます

夫の細川忠興が朝鮮出陣にあたり、大坂に滞在していたイエズス会グレゴリオ・セスペデス神父のはからいで密かに洗礼を受け、ガラシャと名を変えることになります

関ヶ原の戦いの直前
西軍の石田三成は人質に取ろうと画策
ガラシャはそれを拒絶
実力行使に出て兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原少斎に胸を貫かせて世を去ります
享年38歳

辞世が伝わっています

「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」


大徳寺の塔頭の中にはその石田光成の菩提寺もあります
不思議なものですね

    

高桐院を去る前にもう一枚

    

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晴明神社

2007年10月27日 | 京都散策
久しぶりに京都へ出掛けました

特にここへ行きたいというのではなく、適当にどこか巡ってみよう
行き当たりばったりの京都紀行です

京都市内へ着いたのは8時頃
何処へ向おうか考えながら車を走らせていました
晴明神社にさしかかった時、なにやら祭りの準備を発見
ちょっと寄り道してみる事にします

    

屋台が出ている参道を進むと...

境内では神輿の準備の真っ最中でした

    

境内の周囲には提灯

    

祭りの醍醐味はこの準備
祭りの風景そのものよりも、好きです

        

地元の人に聞くと、午後1時頃から神輿行列が行われるとのこと
時間があって憶えていたら行って見ようかな?
(結局忘れてしまいました)

        

普段の装いとはうって変わった社
 参拝

    

神輿にも参拝しました

        
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玄宮園(翌週)

2007年10月26日 | 滋賀散策
余りにも素晴らしい庭園
玄宮園

今回は番外編です
といっても特に番外写真を掲載するのではなく、ただ単に翌週連続で出掛けただけの事

当日は昼過ぎから雨の予報
でも訪れる事が出来たのは昼過ぎ

という訳で途中で雨に降られました

まあそれはともかく再度玄宮園です
今回はコメントなし
前回は広角レンズ(16-35㎜f2.8L)
今回は標準ズームレンズ(24-70mmf2.8L)
という違いです
ではご堪能ください

        

       

    

    

    

       

    

       

        
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玄宮園2

2007年10月25日 | 滋賀散策
    

玄宮園の2回目です

こりゃイイ
という景観に出会うとどうしても撮影枚数が...
今回も大量に撮影してしまったので、2回に分けての掲載となりました

ただ残念だったのが訪れた時間が微妙で、彦根城を背景に入れての撮影が難しかったです
というのも丁度逆光で、ハレーションが発生してしまい折角の絶景が撮れませんでした(次回リベンジです)

        

庭園の一番北まで移動すると木陰があり、そこで再び彦根城を入れての撮影に挑戦
何とか満足のいく撮影が出来ました

        

風がないのが一番
池の撮影では何よりも風がないのがありがたい
今回は無風状態での撮影に成功

    

映画「大奥」のロケ地ともなった庭園
選ばれた訳が解かります

    

臨池閣の畔までやってきました
やっぱり横から見るよりも正面の方が趣きがあるようです

    

    

庭園はどの角度から見ても絶景
旧大名庭園は質実を重視した庭園が多いですが、ここは趣きを重視しているようでその美しさに圧倒されること請け合いですよ

    

玄宮園満喫しました

        


    


        
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玄宮園

2007年10月24日 | 滋賀散策
彦根城の北東
1813年、井伊家11代藩主井伊直中が隠居するに際して再整備されたのが玄宮園です

多くの大老を輩出した譜代大名の名門彦根藩の作庭だけあって見ごたえは十分な庭園です

玄宮園すぐ脇の駐車場に駐車

    

入園料は1,000円(通常は500円)
現在築城400年記念祭が開かれていて、彦根城と開国記念館それに玄宮園の共通見学券となっているためです

玄宮園に入りま~す

    

大池泉回遊式の旧大名庭園です

入ってまず驚くのが庭園の規模が大きいことでしょう
大きな庭園の中央には大きな池が配されており、小径が池の畔を巡り中島には橋が渡されていて庭園内を散策できます

訪れた時間はちょうど3時頃
庭園内には多くの観光客が思い思いに歩いていて、とても人が入らない写真は撮れそうにもありませんでした

    

降り注ぐ陽光と鏡のような湖面
申し分ないロケーションです

特に見学順路がないこの庭園
撮影ポイントを探しながら歩き回ります

    

この庭園内には臨池閣・鳳翔台と呼ばれる客殿があります

    

幾層にも分かれた趣のある建物
樹木・岩石・池を使って巧みに配されています

重たかったので望遠を車に置いてきたことを後悔
アップが撮りたかった...

鳳翔台ではお抹茶が頂けます

    

暫し一服




    


この玄宮園
湖南省洞庭湖の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を作庭時に取り入れて作庭しているとのこと

竹生島や沖の白石などが模して造られているそうです
琵琶湖周辺の庭園はよく琵琶湖を模した構造になっていますね

    

湖畔沿いに散策しました

    
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大池寺

2007年10月23日 | 滋賀散策
滋賀県で一番行ってみたかった場所がこの大池寺

行基菩薩がこの地を訪れたのはいまから12世紀も前のこと
日照りに悩む農民のため灌漑用水を造ることを発案
ただ灌漑用の池を造るだけではなく、「心」という字の形に4つの池を掘りました
その中央に建立されたのが大池寺

    

一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されています

創建当時は天台宗の寺であったそうです
また創建当時の寺名は「邯鄲山青蓮寺」

    

鎌倉期に入ると日本に禅宗が伝わります
東福寺を開山した聖一国師の孫弟子の無才智翁禅師がこの地を訪れたのはそんな折

彼が邯鄲山青蓮寺を禅宗に替えます

残念ながら創建当時の建物は残っていません
天正5年に兵火に遭い、境内全域が焼き払われてしまったのです
不思議にも行基菩薩の作の仏像のみ焼け残ったとのこと

江戸時代に入り、京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れ再建します

この時山号寺名を「邯鄲山青蓮寺」から周囲に大きな池があるのに因み「龍護山大池寺」と改名したとのことです

入口にみえた住職さんに大池寺の歴史を教えていただきました



さて大池寺の代名詞ともなっている庭園です

訪れたのは昼頃でしたが、他に拝観客の方もおらず庭園を独り占め

    

江戸初期寛永年間の造作
小堀遠州の作として伝えられています

サツキの大刈り込み鑑賞式枯山水庭園

    

書院前方正面の二段刈り込みと左右の大刈り込みは大洋の大波小波を表現しています
白砂の水面上に刈り込みでもって以て宝船を表現
中央に七つの石と小さな刈り込みで七宝と七福神を象徴しています

サツキの花咲く頃も、雪を抱いた冬の時期にも美しい姿を見せてくれそうです

    

書院の一番奥に座って庭園を眺めました

    

京都以外の庭園でこんなに興奮したのは初めてのこと
枯山水庭園といえば白砂と岩
岩を植木で表現しているという発想の転換
その素晴らしさに暫し時を忘れて庭園を眺めました


その後書院の中であちこち移動
庭園を満喫すべく撮影して周ります

    

正面からもいいですが、ちょっと横から眺めてみるのも一興

    

独創的な庭園を堪能しました

    


    


庭園をいろんな角度で眺めていて、ふっと以外な場所からもステキだと発見?

        

ちょっと邪でしょうか?

    
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大池寺(心字の池~)

2007年10月22日 | 滋賀散策
今から12世紀前
諸国行脚の高僧、行基菩薩が開山したと伝えられる寺院
甲賀屈指の名勝「大池寺」に向いました

大池寺は四つの池に囲まれた地にあります

駐車場に車を停め、心字の池を巡ってから大池寺に向うことにしました

    

その前に神社に参拝
心字の池の畔にあった八幡神社

    

何気にいい感じだったので撮影

        


その後、湖畔に沿って大池寺へと歩きます
湖畔の道は市民の憩いの道って感じです

    

そのまま進むと池が見えてきます
池の畔には水草が大量
スイレンの時期には美しい光景が見れたことでしょう

    

    

野鳥も飛来するでしょうし、いい撮影ポイントになるかも?
なんて考えながら歩きました

池の中央辺りまで進むと大池寺が見えてきます
正面まで移動してまずは全景を撮影

    

大池寺の前庭は枯山水庭園
琵琶湖の形を模した枯山水が特徴

    

写真からだとちょっと判り辛いですね
もう少し高い位置から撮影できると判りやすいでしょうが、登れる場所がありませんでした

この庭園の造作は新しいのかな?
ちゃんと琵琶湖大橋を模した石橋があります

それとも琵琶湖大橋が出来た後で石橋を追加したのかな?

        

次回は大池寺に入ります
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水口町嵯峨の八坂神社

2007年10月21日 | 滋賀散策
滋賀ゴルフクラブのすぐ北
田園地帯が美しい農道を進むと、甲賀市にも八坂神社の名前の神社がありました


ため池の淵に駐車場があり、そこから徒歩で神社に向います

    

参道を歩くとまもなく神社が見えてきました

        

訪れる人もまばらな神社
地元の人くらいしか知らないんじゃないかな
そんな感じの神社

        

天平21年というから奈良時代
左大臣橘諸兄が千光寺造営の際に仏法擁護ために社殿を造営した時に創建されたと伝えられています

    

境内には楓が多く、きっと紅葉の時期は美しいだろうな

社殿は一間社流造檜皮葺

        

こういう何気ない観光地(?)
結構好きかも

当ブログを見られた方でも、ここを知っている人が何人いるかな?

尤も雪だるまもここを知っていて訪れたわけではなく、道を走っていて偶然見つけた神社
雪だるま倶楽部ミステリーツアーの一環です

        

由緒等詳しいことはわかりませんでしたが、ただ一つ
ここは秋にはいいスポットになるかも...

あくまでカメラが基準の雪だるまでした

        
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甲賀の里忍術村2

2007年10月20日 | 滋賀散策
前回の伊賀忍者屋敷よりはずっと見ごたえがありました

        

古い茅葺屋敷は生活感もそのまま
まるで施設の人が寝起きしているかのような感じです

        

この忍術村にもからくり屋敷がありました
からくり屋敷は忍者の代名詞のような存在

必ずといっていいほどからくり屋敷はありますよね

    

10人ぐらいづつのグループで中を見学させてくれます
中には、どんでん返しの壁や、隠し階段、囲炉裏を利用した脱出口、隠し武器といったものがありました

        

また、秘密の通路を上がると屋根裏部屋に
外から見ると平屋造りですが、じつは三階建て構造

    

大人でも結構楽しめますよ

イリュージョンが発達した現在ではサプライズはありませんが、昔の人の知恵を感じさせてくれる屋敷でした


    

施設には売店もあるのですが、ここも茅葺
また、ガチャガチャや古いアイスクリーム用冷蔵庫もあって懐かしい

    

最後に手裏剣道場に立ち寄りました

    

8枚で300円
これが結構難しい

係員の方の説明では、手裏剣は元々は小剣の替わりに所持した武器で投げることは滅多になかったとのこと
また、熟練の腕でも命中率は50%程度
携行数も重ねると音がするので、2枚程度しか携行していなかったとのこと

投げるのは逃走時の非常手段だったそうです

係員の人がいい人で、話をしながら投げていたら「もう少しためしてみたら」と仰られて、更に10枚頂きました
ありがとうございました


子供用のテーマパークですが結構楽しめました
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甲賀の里忍術村

2007年10月19日 | 滋賀散策
甲賀の里忍術村を訪れました

県道から山道へ
こんな場所でいいのかな、と思ってしまうほどの入口
看板がなければとても気づかないほどです

未舗装道路を登ると駐車場があり、ああやっぱりここでいいんだ

車を停め、砦のような入口へと進みます

    

砦の先に入場口がありました
料金は1,000円
ちょっと高いかも?

入場口から先、まるで獣道のような道を進みます

入場口のすぐ脇にはなんと「猿飛佐助誕生の地」の石碑があります

        

猿飛佐助は実在したのか?
戦前の立川文庫のヒーロー
てっきり架空の人物だと思っていたのですが

はて、でも立川文庫によると猿飛佐助は信濃の鳥居峠の麓に住む鷲尾佐太夫という郷士の息子として登場
戸隠の山の中で猿と遊んでいるところ、戸澤白雲斎に見出されてその弟子となる
甲賀流の忍者だが、甲賀の里で修行した経験がない
という記述だったような

はてさて...

猿飛佐助の碑の先
少し進むと志能備神社というのがあります

        

ちょっと逆光で撮影が苦しい
神社の全貌がはっきりしない

それでは少し下がって

    

志能備神社は名も知れずに没した忍者達を祀っている神社
神社の中には甲賀大黒天が祭られています

木造では日本一の大きさを誇るそうです

     

ひとつの村をそのままそっくり残したようなこの施設
茅葺の家も残っていて歴史情緒を感じさせてくれます

    

思わずモノクロ撮影

    

ちょっと日差しが強すぎたような気もしますが、まあ納得


この屋敷の庭にあった灯篭

    

どこかで見た事があるな~

ああ、京都の観修寺の勧修寺型灯篭
あれにそっくりな気がします
勧修寺型灯篭といえば水戸光圀(水戸黄門)が寄進したと伝えられている灯篭

(雪だるま倶楽部、勧修寺参照


水戸光圀が忍者と関わったという記録は残っていないのですが、もしかして...
ちょっと歴史の隙間を覗いたかも、という気分になりました

続く...
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大鳥神社2

2007年10月18日 | 滋賀散策
神社の境内に入って、目に飛び込んできたのが朱塗の桜門と回廊

京都の八坂神社の西門を模して造られたといわれる楼門
回廊も配しています

    

雪だるま的にはどちらかというと平安神宮の子どもみたいな感じにみえました

ぶらりと訪れた場所
意外と驚かされるような景観に出会う

これが旅の醍醐味

        

楼門をくぐり振り替えると

        

誰もいない神社

時の流れに取り残されたような錯覚を覚えます

拝殿まで進みます
楼門は新しいですが、この拝殿は年代もの

    

重厚な造りの拝殿から祝詞殿を拝みます
天井の造りも凝っていて、この大鳥神社が只者ではない雰囲気を増長

    

祝詞殿まで進み、参拝

    



最近ちょっと変わった旅をしています
道を走っていて、時々地元の史跡を紹介する看板が立っていることがあります
「○○神社」とか「○○史跡」とか
ふらりと訪れてみると、以外な景色に出会ったり期待はずれの景色に出会ったり

観光雑誌に掲載のない史跡であっても楽しめたりします

個人的にミステリーツアーと呼んで楽しんでいますが、この大鳥神社も偶然見つけた神社(尤も大鳥神社は結構有名らしかったですが)
事前情報なしでこんなステキな神社に出会うこともあります


    

さあてそろそろお暇しますか

参道を車まで戻ることにしました

    
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大鳥神社

2007年10月17日 | 滋賀散策
この間行ったのが伊賀の里
だったら次は甲賀でしょう

という単純な発想で甲賀を訪れてみることにしました

甲賀の里忍術村に行くには少し早い時間だったので、近くの大鳥神社に行くことにしました

旧大原村の氏神として信仰を集めた神社です

参道脇の公園のようになっている広場に車を停め、参道を歩きます

    

砂利が敷き詰められ左右に石灯籠が配された参道は、きちんと整備されています
参道から境内までおよそ100mほど
ゆるい坂道を下っていくと、朱塗りの橋が見えてきました

    

ここから先が境内
石橋を渡って先へと進みます

    

先へ進む前にこの神社の歴史を一言

創建は平安時代
元慶6年というから、西暦で882年
陽夫多神社より勧請されます
当時は比叡山延暦寺の別坊が三十六院あり大原山河合寺と称されていたそうです

豊臣、徳川時代には「大原谷祇園社」「川合祇園社」と名前を変えますが、厚い信仰によって庇護されます
明治時代に入って、神仏分離により旧大原荘の「大」と鳥居野村の「鳥」を合わせて大鳥神社と改称
毎年7月23日と24日に行われる祭礼日は「大原ぎおん」と言われており、すべての災いや病気の悪魔をはらう祭礼

一度訪れてみたいものです


さて本文に戻って
石段を登ると

        

見えてきました

    

続く...
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