雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

智積院庭園

2008年03月31日 | 京都散策
「利休好みの庭」と伝えられる庭園
大書院から眺めるのが美しい

      

いよいよ庭園拝観
祥雲寺時代の面影を残すという庭園

  

サツキの季節が美しいのは知っていたものの
雪景色がこれほど美しいとは

 

  

中国の盧山を象ったと伝えられる庭園
斜面を覆うように植えられたサツキを雪化粧

    

    

奥から眺めても
近づいて見ても

 

第七世運敞僧正が修復したと伝えられる庭園
東山随一の庭

 

無我夢中で眺めた

        

築山・泉水庭

  

 
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智積院

2008年03月30日 | 京都散策
真言宗智山派総本山
智積院を訪れました

山号は五百佛山
寺号は根来寺

訪れた時は未だ雪が降りしきる最中
そんな中で参道の梅が鮮やかに咲いていました

       

雪降る中可憐に咲いた梅

人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

      

金堂へ向う参道から左へ進むと大書院
先ずは長谷川等伯等の障壁画を見学
こちらは撮影禁止

収蔵庫を出る頃には雪が止んでいました

        

講堂から庭園に入ります

  

智積院の起源は
紀州の根来山大伝法院の塔頭として始まりました
時は南北朝時代
真憲坊長盛僧が建立したとされています
当初は根来山内の学問所

        

根来衆が豊臣秀吉と衝突し根来攻めを受けたのが天正13年の事
その時全山焼失

        

再興は江戸時代に入ってからの事



   

諸堂の角まで来ると庭園が見えてきました

雪を纏った庭園
五色幕が風で揺れ
幻想的な景観を醸し出していました

  

あれほど激しく降っていた雪が止み
晴れ間から陽光が差し込み
ああ
これからが庭園拝観の本番
期待が膨らみます

        

桃山時代の趣きを残す庭園

       

この静けさの漂う庭園
モノクロが似合う景色でした

       

続きます
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三十三間堂

2008年03月29日 | 京都散策
雪の降る京都
ここから暫く、冬に訪れた京都を掲載します


本当は大原に行きたかったのですが
時間の都合で訪れる事が出来ず
東山区を巡る事にしました

まず訪れたのは三十三間堂


      

正式名称は蓮華王院本堂
天台宗妙法院の境外仏堂
元々は後白河上皇の離宮内に創建した仏堂

        

法住寺殿とは後白河上皇の離宮
平清盛の支援を受けて造営されたもの
当初は五重塔を持つ大伽藍があったそうですが
火災で焼失

      

1266年に本堂のみが再建されています
それがこの三十三間堂

      

三十三間堂は121m

   

江戸時代になると
各藩の弓術家が西軒下で矢を射る「通し矢」の舞台となったことでも有名

        

実際に見て
そりゃ届かないだろう
という印象


境内から本堂を眺めると
あれ
数えてみると柱は35本
三十三間堂
はて??

その答えは「三十三間四面」
桁行三十三間の周囲四面に一間の庇を巡らせたという意味
つまり
本堂内部の母屋は三十三
外を覆う本堂は三十五

        

しかし
眺めてみると
とにかく長い

   

この本堂
中の観音像は撮影禁止
本当は観音像の写真をアップしたかったのですが
残念

        

境内には不釣合いなベンチもありますが
これはこれで愛嬌

      
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沙沙貴神社

2008年03月28日 | 滋賀散策
宇多源氏佐々木発祥地

        

安土城址に程近い場所に
沙沙貴神社は佇んでいます

        

滋賀県在住でない方でここを何人の方が知っているのか
ってな場所
訪れた日も雪だるま以外に参拝客なし
最後まで誰とも会いませんでした

      

江戸中期に再建された茅葺きの「楼門」
楼門から拝殿、神殿と一直線に並んでいません
拝殿、神殿に対し楼門は少し斜めに配されています

        

楼門脇には二つの石
目を瞑って二つの石の間を歩き
もう一つの石に触れることが出来たら
思い人への願いが叶うというもの




さて楼門をくぐり境内へと入ります

        

斜め先には拝殿

   

沙沙貴神社の起こりは神代遡るといいます
少彦名神が当地に降臨
小彦名神をを祀ったのが沙沙貴神社

『延喜式神名帳』にも沙沙貴神社の記載があります

   

少彦名神の「すくなひこ」
いつの頃からか「ささき」と言葉が濁り
沙沙貴神社と呼ばれるようになったとの事

   

呼び名を平仮名で書くと「ささき」
中世に成立した佐々木源氏が保護・崇敬したことから
全国の佐々木さんの神社として知られています

        

少彦名神が祀られている神社には
岩石信仰を伝えている所が多い
ここ沙沙貴神社にも岩石信仰がありました

      

参拝の為近づくと
2mを越える石が祀られていました

        

沙沙貴神社
訪れてみる価値があると思います

   
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五個荘4

2008年03月27日 | 滋賀散策
五個荘めぐり
最後は外村繁邸

       

滋賀県を代表する純文学作家外村繁の邸宅

  

同人誌「青空」
阿部知ニ・飯島正・北川冬彦・古沢安二郎・三好達治らが参加

        

新人の頃から
川端康成にも認められ

しかし
父が急逝した為
筆を捨て事業を継ぐこととなった

  

折からの不況で継いだ事業は芳しくなく

       

5年後弟に事業を譲り
再び文学の世界へと足を踏み入れる事となる

    



  

     

外村繁邸の雛人形も素晴らしい


庭園は残念ながら立ち入る事は出来ないので
2階から鑑賞

      


雛人形を愛で

       

近江商人の邸宅を巡り

       

五個荘の旅を終えました
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五個荘3

2008年03月26日 | 滋賀散策
    

外村宇兵衛邸
外村与左衛門との共同事業で商売のノウハウを学び
独立して商いを始めたのが商家としての最初
呉服類の販売を中心に商圏を広げました

       

近江を代表する豪商


こちらでも雛人形が展示してあります

 

さて
前々回に記した雛人形の並べ方ですが
(男雛と女雛の並び方です)

元々、日本では古来「左」が上の位
だから伝統的な並べ方は男雛が左
京都などでは今でも左に男雛を並べます

        

明治時代に入り
西洋式が取り入れられるようになると
様相が変わり
大正天皇は即位式で右に立っています
その後昭和天皇も公式行事などで皇后と並ぶ時
右側に立つようになり
そこから、雛人形の内裏の男雛も右に置くようになったという事

   



作庭当時、神崎郡内一番の庭と評された庭園が
ガラス戸越しに見え
すぐにでも覗いてみたくなります

       

雛人形の中には壇飾りになっていないものも

    



増改築が繰り返された邸宅
2階にも上がれます

        


庭園には台所から外へ

       

庭園は松を配し
池泉回遊式庭園

      

苔に覆われた庭園
差し込む日差しが紋様を作り出し
庭園の素晴らしさを引き立てていました

      

       


      

今度は緑の季節に訪れてみたいと思います

        
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五個荘2

2008年03月25日 | 滋賀散策
最初に入ったのが中江準五郎邸
雛人形を邸内で見てから
外村宇兵衛邸へと移動しようと思いましたが
甚五郎邸の庭も見ておこうと
庭園に向いました

      

泉水庭園
20世紀に入ってからの作庭ですので
庭園は近代的

      

石組みなども近代的

大名庭園を小さくしたような印象を受けました

   

       


庭園見学を終え
宇兵衛邸へと向います

五個荘の町並は歴史的保存地域に指定されていて
昔情緒が漂っています

       

土蔵のある風景
ここが商人の町であったことを改めて感じさせてくれます
外村宇兵衛邸の塀
道沿いにはもう使われなくなった郵便ポストが

       

        

邸宅に入る前に少し景観を堪能

        

堀が巡らされ春から秋にかけては鯉が泳いでいる
晴れた空が用水に映り

   

澄んだ空

      

風も無く
春の前兆を感じました
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五個荘

2008年03月24日 | 滋賀散策
暫く前のこととなりますが
近江五個荘へと出掛けてきました

古くから荘園として開拓が進み
江戸時代になると
中山道や伊勢に通じる八風街道・千草街道などが通る交通の要衝である利点を生かし近江商人を多数輩出した土地です

    

古い町並を散策しながら
近江商人の歴史に触れてきた訳です

        

近江商人とは近江、日野、五個荘の商人のことを指しますが
そんな中でも江戸末期から明治期にかけて財を成したのが五個荘商人

    

商人屋敷で催されていた雛人形展を見に訪れたのです

    

       

雛人形
女の子のすこやかな成長を祈る年中行事

      

雛人形
男雛と女雛の並び方
一般的には男雛が右、女雛が左

でもこれ逆もある

       

元々は男雛が左、女雛が右
京都では今でもこの飾り方

この違い面白い
(この件についての記事は後ほど)

      



近江商人屋敷
外村繁邸
外村宇兵衛邸
中江準五郎邸
三つ見学で、500円

さて次の屋敷へ向いますか

    
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兵主大社

2008年03月23日 | 滋賀散策
滋賀県にある兵主大社を訪れました

式内社
旧社格は県社

正式名称は兵主神社なのですが
「兵主大社」と称されています

        

祭神は大己貴命

琵琶湖大橋の近く
田園に囲まれた場所にある兵主大社
秋の紅葉の名所としても知られています

    

楼門をくぐり境内を進みます
広い境内
冬の時期は訪れる人も少ない兵主大社

    

社伝によると、創建は3世紀後半ごろ
滋賀郡穴太遷都にともない穴太に社地が設けられます
欽明天皇の時代になって
琵琶湖を渡って現在地に遷され、社殿が造営されたと伝えられています

   

兵主大社は「ひょうずたいしゃ」
と読みますが
中世以降、「兵主」を「つわものぬし」と読み
武士の絶大な信仰を集めたそうです

        

とりわけ歴史を握った者たち
源頼朝、足利尊氏、徳川家康などから社殿、社領の寄進を受け
広大な敷地を今日まで留めています



兵主大社には名勝庭園があります

社務所で申し込むと、庭園見学をさせてくれます

       

平安時代後期の作と伝えられる池泉回遊式庭園

        

        

庭園内には水路が設けられ
苔に覆われ
木々が生茂っている

京都の寺院などの完成された庭園とは違って
どこか荒々しく
後の大名庭園の原型を見た気分

        

   

この庭園
神社がこの地に移転してくる以前からあったと考えられています
何度かの発掘調査でも庭園跡が確認されています
鎌倉時代
この地の豪族、播磨守資頼邸の庭園だったらしい

       

      

    

ここを訪れ
改めてびっくりさせられ
庭園の妙を見つけた気分

       

        

西芳寺のような庭園設計

   

此処にもまた庭園の美を発見しました

      
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日を改めて訪れた百済寺2

2008年03月22日 | 滋賀散策
本坊庭園の背後には高台があります
そこから眺める風景も見てみたい

       

途中のせせらぎも氷で化粧


展望場まで上がると
果たして本坊庭園が望めました

  

はるか彼方
叡山も望める展望
残念ながら叡山は雲の中
でも、ここからの景色は格別

  

見下ろす庭園も
雪化粧していてとても素晴らしい

  

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり
それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す
そのよしいさゝかものにかきつく
ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる
かれこれ知る知らぬおくりす
年ごろよく具しつる人々(共イ)なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ

   






庭園拝観を終え
折角なので本堂まで行ってみることにしました

    

雪に覆われた石段の先
仁王門が見えてきます

       

途中のお釈迦様も雪の中

    

五木寛之が紹介したことで脚光を集めた仁王門

      

        

この日も何人もの方が仁王門を越え
本堂まで足を運んでいます
石段に残る足跡
雪だるまも同じように石段に足跡を刻みました

      

本堂も雪の中
再び降り始めた雪に周囲は覆われ
水墨画のような景色に早代わり

     

      

本堂に参り
百済寺に別れを告げました

     
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日を改めて訪れた百済寺

2008年03月21日 | 滋賀散策
雪景色の晴れ間
この条件で百済寺を撮ってみたい
前回最後に訪れた時
わずかに覗いた晴れ間
あの景色が忘れられず、天気予報とニラメッコでタイミングを計り再訪しました

        

出掛けは雪が横殴りに降っていました
でも予報を信じて百済寺へと向います
そして、訪問少し前から晴れ間が!!

    

早速庭園へと足を進めます

    

        



ところが
残念な事に
降りすぎた雪が
庭園本坊を散策させてくれませんでした

   

飛び石が、渡るには危なすぎる
そして本坊屋根からいつ雪が落ちてくるか解からない


残念

      

氷の張った池面
微妙な色合いに見惚れました

        

定位置からの撮影になってしまいましたが
それでも庭園の美しさは格別

  

        

暫し庭園を眺めた後
展望台へと登る事にしました

       

続く...
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湖東三山、百済寺2

2008年03月20日 | 滋賀散策
百済寺の本尊は、別名「植木観音」と呼ばれている
これは切り株に十一面観音を聖徳太子が彫ったとされる古事に因んでいる

      

百済寺は北緯35度に建立されています
この北緯35度を西へ辿れば
かつての百済の都があったとされています
庭園の展望台に立ち
はるか西を見つめました



庭園拝観を終え
本堂への石段を登ります

       

長い石段を登り続けると
視線の先にようやく仁王門が見えてきました

      

つり下げられた一対の大草鞋が特徴の仁王門

   

この大草鞋
触れると身体健康・無病長寿のご利益があるとされています

訪れた時には是非触ってください

      

百済寺の伽藍で創建当時から残っているものはない
鎌倉初期に焼失
その後再建されるも、信長の叡山焼き討ちで全焼している

    

現存する建物等は全て近代に建て直されたもの
それでも歴史を感じさせる境内
長く続く石段ももうすぐ終わり
ようやく本堂へと到着しました

   

天正12年に堀秀政により仮本堂が建立された後
天下が徳川政権に移った後
妖僧天海の高弟亮算が入寺
堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進
慶安3年、本堂が竣工しました

       

      

入母屋造、檜皮葺きの本堂
再建当時のままではありませんが、荘厳な本堂
かつての本堂は現在より後方
山手の広大な台地に、金堂と五重の塔があったということです
土砂崩れによって規模を小さくして移築されました



帰り道

       

少しづつ天候が回復してきました

      

落ちてくる雪を避けながら、もう一度庭園を訪れてみる事にしました

     

最高の景色を見せてくれました

      

緑の季節にも訪れてみたいと思います

       
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湖東三山、百済寺

2008年03月19日 | 滋賀散策
湖東三山ラストは百済寺
こちらも天台宗の寺院
山号は釈迦山
三山の中では一番山側に位置しています

百済寺までの道も雪道になっていました

        

寺伝によると湖東三山の中では最古の寺院
聖徳太子が建立したとされています

百済寺の百済とは朝鮮半島の百済国から取って名付けられたようです

    

当時の百済国
文化面は一級の国であったものの
軍事的には弱小国であったようで、高句麗・新羅の度重なる攻勢により
滅亡に瀕していたという
万が一の時の落延び先として、日本を考え
高句麗から亡命してきた僧・恵慈を大使として日本に派遣しています

      

当時
かなりの数の人が朝鮮半島から日本に入っていたようで
若狭湾から琵琶湖を経て畿内へと
渡来人の集落が点在していたといいます
渡来人達が日本に多くの文化を伝え
稲作も渡来人の伝授によると考えられています
後の時代には仏教、寺院建築技術なども伝えられ
文化・政権形成に役立っています

       

さて
話題を戻して
百済寺です

慧慈が聖徳太子を連れ
斑鳩より若狭まで旅をしたとされています
慧慈は渡来人の集落を案内したことでしょう

そして八日市辺りにさしかかった所
山中に不思議な光を発見
その地を訪れてみると
霊木があり
聖徳太子は立木のまま十一面観音を彫ったといいます

  

慧慈によるとこの霊木の上部は百済の龍雲寺の本尊となっているということで
龍雲寺に倣ってこの地に寺院を建立
これが百済寺の始まりとされています

       


百済寺の庭園
本坊喜見院書院前
池泉回遊・鑑賞式庭園

昭和15年に喜見院が移築され
それに伴い拡張された庭園

  

霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける

  

       

都にはあらしばかりのさゆる日も外山をみれば雪降りにけり

      

風さむみこほれる雲の嶺つづき越え行く末につもるしら雪

      
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湖東三山、金剛輪寺2

2008年03月18日 | 滋賀散策
湖東三山の参道はどこも長い
先の見えない石段を登っていくことになる

       

金剛輪寺の参道の左右は石仏
お参りする人を見守ってくれています

  

参道の途中では集団でご挨拶
整然と並び雪を被った姿がどこか可愛いい

  


こんな寒い日にようお出でなさいましたな

      

     



本堂まで続く石段

        

ようやく楼門が見えてきました

       

    

本堂大悲閣

    

        

焼き討ちを免れ
今日までその姿を留めています

   

寺伝によると、鎌倉時代の寛元4年の建立と伝えられる三重塔
荒廃し三重目が倒落していたのを近世になって再建

       

その為、国宝ではなく重要文化財指定
でもその美しさは日本の宝

       



立ち去るとき
二天門から覗く景色があまりにもステキだったので
最後に両方を撮影して拝観を終えました

   

 
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湖東三山、金剛輪寺

2008年03月17日 | 滋賀散策
天台宗の寺院、金剛輪寺を訪れました
湖東三山のひとつ
山号は松峯山
開基は行基

        

聖武天皇の勅願により行基が開山したと伝えられています


境内は雪化粧しており
ひっそりと静まり返っていました

参道をまずは庭園に向って歩きます

    

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば

源宗于朝臣の唄が似合う風景

        

本坊明寿院

   

本坊の拝観は出来ませんでしたが
入口にある生花がとてもステキでした

        

池泉回遊・鑑賞式庭園
石楠の庭も雪に覆われていて
幻想的

    

       

      

冬の庭園鑑賞はどこか寂しい
色を失い
音もなく
ただ静寂と閑散が包み込む

  

滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ

       

竹林も雪の重みで垂れ下がり

        

全てが浄化の中に

        
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